おしゃべりなあたしと物静かな親友
身体が沈む。深く深く、音もなく沈む。水底についたところで足を抱えるようにして体を丸める。そして目を瞑って視界を完全に無くしてしまえばあたし以外の何もない世界の完成だ。
所詮ここは学校のプールの中で大した深さでもない。けどそんなことは関係なかった。
あたしは静かな世界が好きだ。だから、水に包まれ外界の音が遮断されて自分以外誰もいないんじゃないかって思えるそんな水の中は特に気に入っている。あたしは周りからおしゃべりで賑やかなのが好きだと思われてるみたいだけれどどちらかと言えばそういう静かなところが、そんな世界が好きだった。
そんな世界に数分だけ、少しだけ酸素が恋しくなったぐらいで身体を動かし始める。焦らずゆっくりと身体を浮上させていく。
そうしてプールの水面に顔を出しては空気を吸って息を整える。これはあたしが水泳部の部活動時にほぼ毎回行っている習慣みたいなものだった。本当は危ないからってやらないようにってみんなには言われてるんだけどね。
そんな忠告も聞かずに部活の終わり頃、今日も結局いつものように潜ってしまっていた。ただ、今日はいつもと違っていたことがあった。
「こら!」
「あだっ! 急に頭叩かないでよ」
急な頭への衝撃にびっくりしながらもあたしは頭を押さえつつ振り返る。どうも帰り際の同級生の部員に見つかっていたらしい。水面に上がってからぼうっとしていた所為で背後の人物に気が付かなかったみたい。
「あんた潜水は危ないって何度も先生に注意されてたじゃない。いい加減に凝りなさいよ」
「ええー……少しくらいいいじゃん」
「少しくらいって、あんたこの間怒られてからも相変わらずほとんど毎回潜ってるじゃないの」
え、バレてたんだ? 周り確認して誰もいないときに潜るようにしてたんだけどな……
「もしかしていつも見てた?」
「流石に一々あんたのこと監視してられないわ。ただいつもだれよりも遅くに更衣室に戻ってくるじゃない。それ見てればなんとなく察しつくわよ」
「そっかー……」
なるほどね……見られてなくても分かる人にはわかるんだね。そんなことを考えながらこのことを先生に話されたらまた長いお説教をされちゃう。そう考えてあたしはその同級生に口止めをすることにした。
「ね、秘密にして? ジュース奢るから!」
「あんたねぇ……はあ、しょうがないわね」
「わぁい、ありがと! ジュースはなにがいい?」
「そんなの要らないわよ。私今日戸締りの当番なの。早く帰りたいし黙っててあげるからさっさと更衣室行って着替えてきなさいよ」
同級生がそう言ったところであたしははたと気がついた様に壁にかかった時計をみる。今日は少し部活が長引いた所為か思ったより時間が経っていたみたいだ。
「わ、もうこんな時間だ。急いで気がいないとね」
「そうよ。わかったらさっさと急ぐ!」
その声に元気よくを返事してプールサイドを駆け抜ける。「プールサイドは走らないの!」と背後の声に振り返ることなく手を振りながら更衣室へ飛び込み、急いで着替えを始めるのだった。
日の静まりかけた初夏の日のことだった。そんな日の夕暮れに染まった学校の廊下を早足で進む。目指しているのはこの廊下の突き当たり、廊下に面した教室のほとんどが消灯していて薄闇に包まれている中、唯一明かりが灯っている図書室へ。
急ぐ気持ちを抑えながらもあたしは図書室の前にたどり着く。今日もここに居るのだろうという確信めいた気持ちだったり、違う人がいたら気まずいだろうななんていう不安な気持ちを持ちながらその扉を開いた。
そこに居たの勿論あたしが待ち望んだ人物。
「しずか」
名前を呼びかけながらその子に歩み寄って行く。しずかは窓を背にする様に窓の近くに置いてある机に座っていた。机の上には教科書とノートが広げられていてそれを真剣な表情で見ているところを見れば今まで勉強していたのだろうということはすぐに分かる。
図書室に入った辺りで声をかけたけれど、しずかはよっぽど集中しているのかあたしが呼びかけたのも直ぐに気がつく様子は無くて、結局はしずかの側に行くまであたしの存在に気がつくことはなかった。
しずかの傍に来たところで彼女の様子を観察する。
しずかは身長はそこまで高くはなくて顔も童顔なために普段であれば可愛らしい印象を受ける。だけど、室内の蛍光灯よりも未だに強く差し込む夕陽を背にした彼女はとても神々しく感じ、その真剣な表情も相まってその姿は可愛らしいというよりも綺麗という印象を受けた。
「……あ、あかりちゃん、部活終わったんだね」
「今終わったとこ。しずかは随分と集中してたんだね」
あたしに気がついてからのその返事や表情を見て今度は一転して可愛らしいなどと思いながら、しずかの隣の席へ座って話を続ける。
「うん、もうすぐ期末テスト近いし集中して勉強しないといけないから」
「あーそうだったね、テストかあ。ってしずかいつも勉強してるじゃん。別にそんなテストだからって根を詰めなくても良いんじゃないの」
「そうだけど……なんだかわたし落ち着かないの」
落ち着かないか……あたしがいつもプールに潜っちゃうのと同じ感覚なのかな。あたしも部活の時は最後に潜水しないと無性に落ち着かない気分になるしね。
「もう少しで終わるから待っててね」
「はぁい」と間抜けな返事をして机に突っ伏した。しずかの勉強が終わるまでの少しの間だけ、部活で疲れた身体を休めることにしよう……開かれた窓からの風と陽の光が少しだけ心地がいい。
「ねえ、しずか」
「なあに」
「なんでもないよ」
「構ってほしいだなんてあかりちゃんは甘えんぼさんだね」
「な、なんでそうなるの」
「恥ずかしがってかわいいね」
特にやることもないあたしはぼうっとしずかの横顔を眺めては少しだけからかうつもりで話しかけたけれどこれは悪手だったみたい。見事に撃退されてしまった。しずかはそんなやり取りも気にしないで勉強を続けたままでいるし……しずか、恐るべし。
からかうのは諦めて大人しくその横顔を眺めるだけに。後ろや横から背中にかけて伸びた長髪は風に揺られながら夕陽に照らされててきらきらと輝くようになびいている。
同性だってのにぞんざいに短く切り揃えているあたしとは雰囲気やらなにやらでこんなにも違いがあるんだなあ、と思ってはそんな髪に触れてみたい欲求に駆られたけれど流石にそこは我慢した。
ある意味では目に毒だとそれ以上目に入らないように腕の隙間に顔を沈めて目を瞑る。すると光を失って視界は暗闇だけになり、それから頼りになるのは聴覚だけになってしまう。
真っ暗な世界で耳をすませば、聞こえてくるのは隣にいる彼女の出す音だけ。ページを捲る音やペンをノートに走らせる音。うん、これもまた静かでいい世界だ。
「あかりちゃん寝ちゃった?」
「いやあ、起きてるよ。流石に寝ないから平気平気」
あたしが世界を堪能していると不意に聞こえてきたちょっぴり不安の篭った声。それにあたしは顔は上げないまま手と声だけでそう答える。少しくぐもってしまったけれどそれはしっかりと聞こえてたみたいで「そっか」と返事が返ってくる。
最初は大丈夫だと思っていたのにそのまま暗闇の中にいると少ししてから本当に睡魔が寄ってきてしまう。疲れた所為かもしれないと思いながら抵抗しようとしても結局は耐えきれなくて最終的にあたしは意識を手放してしまった。
「――ちゃん、あかりちゃん」
遠くから声が聞こえる気がする。それと同時に自分の身体が揺られる感覚も。
揺らされるのが鬱陶しくなって「うーん」、と唸ってみれば揺れる感覚はより強くなった。
「起きて。見回りの先生来ちゃうよ」
朧げな意識の中その声が聞こえたところでやっと自身の状況を思い出して飛び起きることになる。
「わわわ、完全に寝ちゃってた」
「平気って言ってたのに。もう」
慌てて硬くなってしまった身体を無理やり起こして傍を見てみればそこには呆れた様にこちらを見下ろすしずかの顔がある。
どうやら勉強はとっくに終わっていた様で後はあたしを起こすだけ……って状況だったのかな。
「あー……どれくらい寝てた?」
「三十分くらいだよ」
「そっかごめん、結構疲れちゃってたみたい。すっかり寝落ちしちゃってた」
「いいよ、もう。遅くなる前に帰ろう」
既に閉められた窓を見れば外はすっかり陽が落ちてしまっている。
「そうだね。暗くなる前に……ってもう暗いけどさっさと帰ろ」
そうして忙しなく忘れ物などを確認してからあたしたちは図書室を後にして、やっとの事で帰路についた。
帰り道、夜の中を歩く。やっぱりと言うか、帰ろうと慌てて外に出てみれば外はとっくに暗くなっていて、薄明かりに照らされた夜道は静寂に包まれている。
「やっぱ暗くなっちゃったね」
「ごめんて」
「ふふ、冗談だよ」
「ほんとかねえ」
「本当だよ」
その日も毎日の帰り道のように他愛もない会話が続いていた。特になんの発展性もない会話だったけどそれで良いのだ。
それからも色々と話していたものの、不意に会話が途切れてしまう。特に意味は無くてもしずかと一緒にいる時に互いに無言で会話がないのは少し寂しいものだ。だから、最近起きたことでも話そうかと考えてふと最近あった出来事で気になったことをしずかに聞いてみた。
「そう言えばこの間のどうなったの?」
「この間?」
「あれよ、手紙のこと」
手紙って言うのは所謂ラブレターのこと。先日、しずかの下駄箱にラブレターを入れるなんていう古風なことをした人物が居たんだ。
「あ……それね」
なんて、その反応は随分歯切れが悪くて……もしかすれば話題にするには悪手だったかもしれないと察してしまう。けれど言ってしまったのは取り消せないから今は大人しく彼女の返事を待つことしかできない。
「断ったよ」
「そっか」
「会話もしたことない人だったし、よくわからないうちは付き合えない、って」
「へえ、誰かは知らないけどご愁傷様」
それでもその差出人に会いに行ったんだとか思ってしまってやっぱりちょっと気まずかったからそうあたしが締めてこの話題は終わり、と行きたかったけれどしずかはどうも続けたいらしい。そこで会話が途切れることはなく直ぐにしずかの声が聞こえて来た。
「それにね」
「うん?」
「もう居るし」
「誰が?」
「好きな人」
「……ほぉん」
少しの静寂。急に飛び込んできたその言葉にあたしは気のない様な、何とも言えない声をあげてしまった。ほぉんって……。
そんなことよりもそっか、好きな人か……。
どうしてだろうか少しだけ足が鈍くなってしまう。それにどうしてか今そのことが不満だと思ってしまっている。
あたし達二人は幼馴染で親友で、ずっと、それこそ物心ついた時から一緒に過ごしてた。何をするも一緒まで……だなんてことは言わないけれど未だ短い人生のほとんどはしずかの隣で過ごしてきたんじゃないかと思う。
なのに知らなかったな。しずか、好きな人ができたんだ。誰かは知らないけどもしも、その人と上手くいったなら……今までの様に一緒には居られないのかな。
ああそっか、だからかな。あたしはそれが寂しくて、いつまでも二人だけで一緒に居たいと思っているんだ。それが良いことか悪いことかはわからないけれど
「いよいよ暗くなってきたね」
「ん、そうだね」
つい、心ない返事をしてしまう。しずかが気を悪くしていないから気になって様子を伺おうとしたけど薄明かりすらも無くなってきていて、隣に居るはずのしずかの表情も見え辛くなってきている。
でも、その方が都合が良かったかもしれない。だって今のあたしがどんなに暗い表情をしているのかあたし自身にもわからなかったし、その表情をしずかに見られたくなかったから。
自分が不意に出した話題の所為で自分自身が憂鬱な気分になってしまった。結果良ければ全てよしと言うけれど、だったら結果良くない状況の今はとしては今日は散々な一日だったのかな……なんて考えがよぎった時、
「――」
驚いて声にならない声をあげてしまう。左手には温かい感触、感触的にはしずかが手を握って来たのだと思う。
そうと分かれば特に驚くことも怖がることもない。
終いには馬鹿で単純なあたしの頭はしずかと手を繋げただけで今まで勝手に気落ちしていたこともどこか行ってしまったみたいだった。
「どうかした?」
「暗くてもこれなら離れないと思って」
「……うん、そうだね」
今度はしっかりと意識してそう返事をした。そう返した上で少しだけつないだ手を強く握り込んでみればしずかも負けじと強く握り返してくれる。確かに、これなら暗くて見えなくてもお互いの事が意識できる。
「さっき不安になってた?」
「バレてた。少しだけね」
「少し?」
「じゃあものすごく不安になった。不安で死んじゃうくらいね」
「それはそれで重いね」
「何よそれ、どうしたらいいのよ」と言ってそれからすぐに今のやり取りがおかしくて二人して小さく笑い合ったり。
こんなやり取りをしてるといつも、やっぱり敵わないなって思うんだ。あたしは鈍感だから誰かの心の機微なんて一生分からないままだと思う。だからこそ、しずかにそうやってあたしのことに気が付いてもらえるのは嬉しく感じた。もしかすると、あたしがしずかのあれこれに気が付いてあげれるようになったなら、同じように感じてくれるのかな。
「ね、あかりちゃん」
「なに?」
「昔のことって覚えてる?」
「もちろん。しずかとのことならぜーんぶ覚えてるよ」
「本当?」
「ほんとほんと。で、何が知りたいのかな? おねえさんに言ってみ」
「同い年でしょ。もう」
脈絡もなく始まったこんな後で思い出したら恥ずかしくなるようなやりとりもお調子者な状態のいまのあたしならいくらでも言えちゃうのだ。いやでも、素面に戻った時に思いだしたら恥ずかしくなるかもしれないけど……。
「今は秘密」
今は、か……それでもいいかな。だって――
「いつでも待ってるよ」
あたしが勝手に焦らなくてもしずかならいつの日か言ってくれるって信じてるから。
「待っててね」
ずっと待ってるよ。
それからは互いに無言のまま暗くなった夜道を歩く。暗くなった所為でお互いの顔も見れないような状態で、ただ手をつないだまま歩き続ける。つないだ手は他の身体のどの部分よりも熱を帯びていてそれによって汗でびっしょりになっていてもどちらとも離すことはなかった。
「ばいばい」
「また明日ね」
結局、隣り合った互いの家の前に着くまで握ったままだった。手を互いに名残惜しいように解いてから別れを告げて、それでその日は終わってしまった。
『もう居るし、好きな人』
それ聞いたあの日、それ以降あたしはしずかの顔がまともに見れなくなっていた。
一時は無くなっていたけれど、時間が経って考えれば考えるほどあの日感じた不安が押し寄せて来てそんな不安や焦りみたいな色々な感情や、遂にはしずかの存在を大きく意識してしまっている自分がいる。
どうしてしずかをそんなにも意識してしまっているのかはよくわからない。唯一無二の親友だからと意識しているのかも、それか何か期待をしているのかも。なんて考えても埒が開かないほどにあたしは混乱していた。
そんなことであたしがうだうだと停滞していても時間は自然と過ぎ去ってしまうもので、そんな日々から既に数週間が経っていた。
気がつけばいよいよ期末テストという時期になってしまっていて、テスト期間ということで部活も休みになる。というわけで今は悩みどころじゃ無い、なんてあたしもそれに乗じて勉強に励んでいると、そんなある日のこと。
「ね、あかりちゃん」
「……どしたの?」
帰って勉強するかな、と考えていた矢先。明日は土曜日、そしていよいよ来週からテストが始まるという金曜日の放課後でのことだった。教室で帰り支度をしていたあたしにしずかが話しかけて来たのだ。目を逸らしながら答えるあたしが座っている机の真正面に立つしずかは表情は見えなかったけど何故かもじもじしているようにも見えた。
「明日、土曜日でしょ」
「そうだね?」
「それで、来週からテスト」
「うん?」
「だからさ、その」
不思議なところで言い淀むなぁ……何か言いづらいことでもあるんだろうか、なんて考えながらその先を促すように少しだけその顔を見上げてみれば、しずかは意を決したように本来伝いたいのであるだろうことを話してくれた。
「今日、わたしの家に泊まっていかない!?」
「……え?」
両手を机に叩きつけるように乗せ、前のめりになってぶつかりそうなくらいに顔を近づけるしずかに思わずあたしは気圧されてしまう。
「あ、いや、その来週からテストだし? 明日土曜日だし? うちで集中してテスト勉強でもどうかなって?」
「おぉう……」
普段は割と物静かな、というよりあたしが話しかけない時はほとんど無口なしずかがこんな捲し立てるように話すなんて……そんな珍しいこともあるんだ。
「しずか、とりあえず落ち着いて?」
「あ、えっと……ごめん」
積極的なしずかとそれを窘めるあたし。なんだか立場が逆になったみたいで面白い。そんなことを考えつつ、しずかの伝えたいことをまとめる。
「今週末、しずかの家であたしと勉強会がしたいってこと?」
「う、うん……だめ、かな?」
ダメってことはないけど、ああ子犬みたいなしずかもかわいいな……じゃない、しっかり考えないと。
それはあたしにとっては別に何でもないようなことだった。昔から二人共相手の家にはよく行っていたし、互いの両親との面識も深い。確か中学生に上がる前くらいまでは時々お泊り会なんて言うのもしていた記憶がある。
ただ、なんだろう、積極的なしずかを見ているとなんだか何か別の目的があるような……少しだけそんな不安が過る。
「……わかった。今日はお邪魔するね。ただ……」
あたしはあたしよりも頭のいいしずかに勉強を教われて尚且つ夜中まで一緒に居られる、とそれはそれで良いとして条件は付けることに。
「泊まるかどうかは考えさせて」
それがあたしの出した答えだった。
「はあ……疲れた……」
あたし一人しかいない部屋で小さく愚痴る。
放課後の話通りにあたしはしずかの家にお邪魔していた。今いるのはしずかの部屋、この部屋の主は現在お風呂に入っていてここには居ない。あたしは先に入らせてもらってお風呂から上がったばかり、代わりにしずかが入りに行ったというところだった。
部屋にあるベッドの縁に腰かける。もちろんそれは普段しずかが眠っているベッドだ。「んー」、と背伸びをして背中から倒れ込むように仰向けになれば今ここにはいないしずかの香りが鼻腔をくすぐった。
「……どうしようか」
『泊まるかどうかは考えさせて』、夜もいよいよ深くなってきたというところ、あたしは結局この答えを未だに出せていない。あたしたちの家は隣どうし、いつでも帰れるからか直ぐに答えを出すことが出来ないでいた。
きっと、未だに悩んでいるんだろう。それはしずかと一緒にいることが良いことなのかどうか。距離を置いた方がいいのかもしれない、でも一緒にいたい気持ちもある。優柔不断な気持ちで今もここにいる。
そういえばしずかの家に着いてからずっとしずかの様子を伺うように見ていたけれど、当の本人はなんだかそわそわと落ち着かない様子で勉強にも身が入っていないみたいだった。
ベッドに寝そべったまま、深呼吸をしてみる。そうしてみると何だか安心してくるのだ、全て身を任せてしまえばいいとさえ思えるほどに。
コンコンコン――
「――!」
突然聞こえてきた控え目なノック音にびっくりしながら、しずかがお風呂から戻ってきたのだと思って焦って身体を起こした。
「ただいまぁ」
「おかえり」
予想は見事に当たっていて、扉を開いたのはパジャマを着たしずかだった。お風呂上りで上気した顔に乾かしはしたのだろうけれど急いだのか少しだけ湿り気を孕んでいるようなその髪に色っぽさを覚えてしまって、少しだけ気恥ずかしくなってしまう。
「結構早かったね、昔はもっと長湯だったような……」
「確かにそうだったかもね」
そんな返事をしながらしずかはずっと目を逸らしているあたしの隣へと腰かけてきた。それと同時にお風呂上がりだというのに寝そべっていた時よりも強い香りがあたしにしずかの存在を意識させる。
「この間の事、覚えてる?」
「え?」
「昔のことの話」
あたしが落ち着く間もなくしずかは間髪入れずに話しかけてくる。まるで逃がさないとしているように。
「あ、あー秘密って言ってた話ね?」
「うん、それ」
「それがどうかしたの?」
あたしよりも背の低いしずかだけど、何故か妙に迫力がある。放課後、意を決したように話していたあの時よりもより強い気圧されるようなものだった。
「それじゃ約束覚えてる?」
「約束?」
「そう、約束。わたしたちが高校に入学する前の合格発表の前日の話」
「それね……」
確かあたしがしずかが一緒の高校に入れるか不安で、合格発表の前の日の夜にしずかに電話をしていたんだけどその時に話してるだけじゃ嫌だから会おうよってなってその時に約束したんだ。
「覚えてるよ」
その約束をしたのはこの部屋、しずかの部屋だったっけ。そしてその約束は――
「あたしたちはずっと一緒でいつまでも親友だよ」
「わたしたちはずっと一緒でいつまでも親友だよ」
二人の声が重なる、その時しずかがかすかに笑ったような気がして、ふとしずかの表情を覗いてみれば確かに笑っていた。
「でもね」
「なに?」
それから直ぐに切ないような悲しそうな表情になったしずかは顔を俯かせながら話をつづけた。
「わたし嘘ついたの」
「……え?」
あたしの疑問の声と同時に、
「――ひゃん!」
あたしはしずかに押し倒されていた。
それは突然のことで対応ができなかったんだ。
「かわいい。あかりちゃんのそんな声初めて」
「か、からかわないで」
それはとても嬉しそうな声で、余裕なく恥ずかしいと声を上げるあたしとは正反対に余裕のあふれる声色だった。
「やっとつかまえたよ」
「離して」
「だめ」
言葉による抵抗は見事振り払われる。なら力ずくで……しようとしてもどうしても身体が動かない。
「嘘ついてたの」
「だから……なにを」
「わたし親友なんて嫌、我慢できない」
「ま、まって!」
ぎりぎり理性を保っていた脳が警鐘をならす。これ以上はいけない、言わせてはまずいと。それでもそんな頭の声はしずかに通じることはなくて、
「あかりちゃん、わたしは恋人がいいの」
言わせてしまった、聞いてしまった。今までずっと意識しないように避けていた言葉が突き刺すようにあたしの心を刺激する。
「ああ……」
見る見るうちに身体に血が巡って顔が火照り全身が熱を帯びる。考えてしまえば、気づいてしまえば、止めようがなかった。
やっぱりそうだったんだ。あたしは……。
「ね、これ以上いけばキスしちゃうよ」
「……そうだね」
気が付けばしずかはもう少しであたしと唇が触れそうな距離まで接近していて、今まで見たこともない熱のこもった妖艶な表情でそう告げるんだ。
「逃げないの?」
「逃げてもいいの?」
「だめ、逃がさないよ」
しずかの右手が、顔の横に投げ出されていたあたしの左手に繋がれる。これで逃がさないと言うつもりなのだろうか。
「ふふっ、よかった」
別に強く握られていたわけでもない。振り払おうと思えば振り払えた。でもあたしは振り払えなかった。気が付けばより強く握っていたんだ。
「好きだよ、あかり」
それはあたしとしずかの今までの関係を打ち壊し、より強い物へと昇華しようとする最後の儀式。
「……しずか、あたしね」
どっちに転んでも、もう二度と元には戻れない。きっと、今までの二人には戻れない。
「今まで一度も溺れたことが無いの。どんな泳ぎ方も一発でできたよ」
「しってる。あかり、運動神経良いもんね」
そんなこと考えても無駄かな。別に戻る必要なんてないんだ。
「うん、だからさ――」
言葉を待たずにあたしの口は塞がれる。
それはとても甘美で……今までに一度として味わったことのない愛しい味だった。
「――あたしを初めて溺れさせてほしいな」
「一生溺れさせてあげるね」
互いの身体が、そして心が重なったようなそんな感覚になりながらあたしは再び口を開く。
きっと待ち望んでいるであろう、その言葉を今こそ伝えよう。
「好きだよ、しずか」
了




