岩石侯爵家の小石ちゃん
ケルツェント王国のゴッドホーン侯爵家は何人もの将軍を排出した名門中の名門。その家に生まれたガンドルフ・ゴッドホーンは心身頑健で身の丈は誰よりも大きく、筋骨隆々で大の男を片手で担げるほど、さらには剛胆にして勇猛果敢、まさに勇者と呼ぶにふさわしい人物であった。
彼は戦場で幾度も功績を立て、王家からの信頼厚く、ついには第二王女を妻とする栄誉を賜った。
儚げで華奢な第二王女は、しかし見た目によらず強い心を持つ凛とした婦人であった。
彼女は嫁してまもなく第一子を身ごもり、ガンドルフに父親そっくりな丈夫な嫡男をもたらした。
翌年、生まれた次男もまた父親似であった。
三男、四男、五男、六男、七男……すべて父親似の立派な男の子であった。
子供達は成長するとますます父親そっくりの、身の丈大きく筋骨隆々な剛勇となった。
そのあまりの迫力に、人々はいつしか、ゴッドホーン侯爵家を「岩石侯爵家」と呼び出した。
さて、岩石侯爵家ことゴッドホーン家の当主ガンドルフは、見た目は岩石そのものの大男であったが、彼は己れに縁のない小さく愛らしいものを好みがちという世の大男にありがちな性質をそのまま体現していた。彼は小動物を愛し、小さな子供も大好きだった。
だがしかし、見た目の厳つさ故に小動物には逃げられ子供には泣かれるのが常であった。
故に、妻に似た可愛くて小さい子供がほしかった。
もちろん、自分に似た息子達のことも心の底から愛していたが、それでもやっぱり妻に似た愛らしく守ってやりたくなるような子供がほしかったのである。
口に出しては言われぬその願いを、良き妻である王女は悟っていたのか、彼女はやがて八番目の子供——末っ子を産んだのだった。
***
王立学園の入学式。
スフィノーラ侯爵家の令嬢テオジェンナは生徒会に所属する二年生として新入生の案内役を務めていた。
スフィノーラ家はゴッドホーン家と並び武勇を響かせた軍人家系であり、テオジェンナもまた他の令嬢のようなドレスは纏わず、颯爽と騎士服を着こなす麗人であった。
「あれがスフィノーラ家のテオジェンナ様……」
「噂に違わず、気高くお美しい……」
令嬢達は噂に聞く麗しの君の勇ましい姿に頬を染めて溜め息を吐く。
「テオジェンナ、また貴女のファンが増えそうね」
くすくすと笑うのはテオジェンナの友人である公爵令嬢ユージェニー・フェクトルだ。
「よしてくれユージェニー。からかわれるのは好きではない」
「あら、ごめんなさい」
ちっともすまないと思っていなさそうなユージェニーは、凛々しい友人の顔を見上げて美しく微笑む。
「でも、いつも冷静な貴女が今日はやけにそわそわしていたから気になって」
その言葉に、テオジェンナはぎくりとした。
「もしかして、気になる方が入学するのかしら?」
「そんな訳がないだろうっ! 私は何もっ……」
「あ」
ユージェニーの軽口に、むきになったテオジェンナが言い返そうとした時、新たに校門前に到着した馬車から降りた少年が、短く声を上げた。
「テオ!」
鈴が転がるようなその声に、テオジェンナは電撃に打たれたかのように大きく肩を震わせた。
「久しぶり! テオ!」
たたた、と軽い足音を立てて駆けてきた少年が、テオジェンナの前に立った。
「テオ?」
背を向けたままのテオジェンナに、少年がくりっと小首を傾げる。
その声に打たれて、テオジェンナはぎ、ぎ、ぎ、とぎこちなく振り向いた。
「……ルクリュス」
「テオ。会いたかったよー」
ルクリュスと呼ばれた少年は、ふわっと微笑んだ。
「……っぐぅ!」
テオジェンナが胸を押さえて呻いた。
「テオジェンナ?」
「な、なんでもない……平気だ」
「そう? それで、この方は」
「あ、ああ。紹介しよう」
テオジェンナは背筋を伸ばし、きりりと顔を引き締めた。
「彼はルクリュス。ゴッドホーン侯爵家の子息だ。ルクリュス、こちらは私の友人であり王太子殿下の婚約者であられるユージェニー・フェクトル公爵令嬢だ」
「まあ。ゴッドホーン家の」
ルクリュスはユージェニーの前で畏まって礼を取った。
「ご紹介に預かりました、ゴッドホーン家の末子ルクリュスと申します。フェクトル公爵令嬢にお目にかかれて光栄の極みです」
「こちらこそ、ゴッドホーン家の勇猛さは噂に聞いております。光栄ですわ。フェクトル公爵家のユージェニーと申します」
ユージェニーもカーテシーをして挨拶を交わす。
「勇猛と呼ばれるにふさわしいのは父と兄達にございます。私は見ての通り軟弱者でして。勇士と呼ばれる身にはなれぬと思い知り、せめてゴッドホーン家の恥とならぬよう勉学に励みたい所存です」
「まあ。さすがはゴッドホーン家の方ですわ。素晴らしいお心ばえです」
やわらかく微笑みあう少年と少女。まるでおとぎ話のような光景だ。
「で、では、ルクリュス。もうじき入学式が始まるので、我々はこれで」
「あ、そうだね」
テオジェンナがユージェニーを促して立ち去ろうとした。
だが、
「テオ」
ルクリュスがテオジェンナを呼び止める。
そして、辺りの空気が温かくなりそうな輝く笑顔でこう言った。
「また後で。一緒に遊んでね」
ことり、と、首を傾げてから、ルクリュスは小さく手を振って去っていった。
「ゴッドホーン家のお方は皆様、体格のよろしい方ばかりと思っていたわ。ルクリュス様は王女殿下であられた夫人に似ていらっしゃるのね。……テオジェンナ?」
「——はうぅうううぅぅっ!!」
ルクリュスの背中が見えなくなった瞬間、テオジェンナが頭を抱えて絶叫した。
「あーっ!! 可愛いいいいぃぃっっ!! 私の小石ちゃんんんっ!!!
「……は?」
久方ぶりに再会した幼馴染の愛らしさに悶えるテオジェンナには、呆気にとられる周囲を省みる余裕など無かった。
テオジェンナ・スフィノーラは質実剛健のスフィノーラ家に生まれ、父や兄と共に武で身を立てるべく幼い頃から鍛錬をかかさなかった。
そんなテオジェンナがルクリュス・ゴッドホーンと出会ったのはテオジェンナが七歳、ルクリュスが六歳の時であった。
互いに武門で覇を競う好敵手でありながら、テオジェンナの父スフィノーラ家当主とゴッドホーン家当主ガンドルフは仲が良かった。タウンハウスが近かったこともあり、ルクリュスの六歳の誕生パーティーに招かれたのだ。
ゴッドホーン家の兄弟は良く知っていた。まさに勇者と呼ぶにふさわしい剛勇揃いで、軍人を目指すテオジェンナにとっては憧れであった。
その家の末子もまた、上の七人と同じく「岩石侯爵家」にふさわしい体躯の持ち主であると思っていた。
そのテオジェンナの前に現れた岩石侯爵家の八男、ルクリュス・ゴッドホーンは、岩石ではなく、小石ちゃんであった。
オレンジに近い甘やかな赤毛と、とろりと融けた飴のような琥珀色の瞳。同じ年齢の子供よりも一回り小さい体。あどけない表情。こくり、と首を傾ける愛くるしい仕草。
天使がそこにいた。
ルクリュス・ゴッドホーンは母親似であった。父親に似ている箇所は皆無であった。
そんなルクリュスを、父は溺愛した。いや、父だけではない。兄達もこの小さくて可愛い弟を可愛がった。
筋骨隆々のゴツゴツした男共が、小さな小さな弟を可愛がる姿から、いつしかルクリュスは「岩石侯爵家の小石ちゃん」と呼ばれるようになっていた。
そして、そんな小石ちゃんに心を奪われたのは、父や兄達ばかりではなかった。
軍人家系に生まれて、他の令嬢がお人形やお花に夢中な時、足腰を鍛え剣を振るう練習をしてきた。可愛いものなど、周りには無かった。
そんなテオジェンナの心は、一目見た瞬間から「小石ちゃん」に打ち抜かれてしまったのである。
「はあうううう~!! 一年ぶりに会った小石ちゃん! 相変わらず可愛い~!! 可愛いすぎる~っ!! かわ、かわ、かわかわかわいい~っ!! はーんっ!!」
学園の生徒会室にて、生徒会長たる王太子はじめ、名だたる高位貴族の令息達はいつもはストイックな侯爵令嬢が頭を抱えて床を転げ回る様を声もなく見守った。
「ようするに、幼馴染の男の子が大好きすぎてこうなっているということか?」
「そのようにございます」
王太子レイクリードの質問に、ユージェニーは目を伏せて頷いた。
「いや、人が変わりすぎでしょう」
「いつも無口で誰より冷静な方だと思っておりましたが……」
「こんな一面があるとは」
生徒会の面々の視線をものともせず、テオジェンナは床に転がったまま呟いた。
「はああ~……私の可愛い小石ちゃん……」
うっとりと頬を染めるその姿は、まさしく恋する乙女のものだった。
床にへばりついてさえいなければ、だが。
この世で一番愛らしい生き物は何?と尋ねられたら、テオジェンナは迷うことなく「小石ちゃん」と答える。むしろ、他の選択肢などない。どこのどいつだ、小石ちゃんと同じ土俵に乗れるだなんて思い上がっている輩は。滅す。
「はあ~、今日から小石ちゃんが同じ学校だなんて……ひ、一つ屋根の下に小石ちゃんがっ!! はあはあ……」
「侯爵令嬢の息が荒いが、私は生徒会長として王太子として、ゴッドホーン侯爵家の子息の安全をはかるべきか?」
王太子が意見を仰ぐ。
「今は様子見でよろしいかと存じます」
王太子の腹心である侯爵令息ケイン・ルードリーフが答える。
「はっ! 学園中に小石ちゃんの愛らしさが知れ渡ってしまう! 世界が小石ちゃんを知ってしまう! こ、小石ちゃんがよからぬ輩に視線で汚されぬよう、私が手を打つべきか……っ!?」
「侯爵令嬢が学園の生徒の目潰しを目論む可能性がある。私は生徒会長として王太子として、生徒の安全のために侯爵令嬢を拘束するべきか?」
「現時点で拘束は尚早でしょう。言い逃れ出来ぬ証拠を掴むためにも、今は泳がせるべきかと」
床に転がっていたテオジェンナが身を起こした。
ようやく我に返ったのかと思いきや、立ち上がったテオジェンナはすたすたと壁に向かい、思い切り自分の頭を打ち付けた。
「なっ、何をしている!?」
「はあ……はあ……私としたことが」
テオジェンナは息を整えて、レイクリードに向き合った。
「お見苦しいところをお見せいたしました」
「頭、大丈夫か……?」
「これしきの壁などで傷つくほど柔な者は我がスフィノーラ家にはおりません」
確かに、心なしか壁の方がへこんでいるような気がするな、とレイクリードは思った。
「ならばいいが……えーと、それで、ルクリュス・ゴッドホーンとは婚約の話など出ているのか?」
「はあうっ!!」
レイクリードの質問に、せっかく落ちついたと思った侯爵令嬢が、胸を押さえてどさっと床に崩れ落ちた。
「こ、こ、こんにゃくなんて……こんにゃくなんて、出来るわけないじゃないですか!!」
顔を押さえたまま、テオジェンナが叫ぶ。
こんにゃくしろ、とは言っていない。婚約と言ったのだ。
レイクリードは残念な者を見る目でテオジェンナを見下ろした。
***
お人形もお花もほしいと思ったことがない。テオジェンナは自分は可愛いものに興味がないのだと思っていた。
だが、違ったのだ。
本物の可愛いものの可愛さを知ってしまった七歳のあの日から、テオジェンナの頭の中には愛らしいルクリュスしかいない。
だが、自分がルクリュスに愛されるだなどと、高望みもしたことはない。
何故なら、齢七歳のテオジェンナは、あまりに小さく愛らしい小石ちゃんに胸を撃ち抜かれ放心して(脳内は富岳三十六景神奈川沖浪裏のごとく荒波に理性という名の旅人を乗せた小舟が揉まれて)いたが、その後、岩石侯爵家の面々に囲まれて溺愛されているルクリュスを見て悟ったのだ。
武で身を立ててきた家。幼い頃より剣を持つことを定められた身。同年代の女の子よりも高い身長、幼いなりに身につき始めた筋肉、金色の髪を引っ詰めて男物の服を着ている自分。
テオジェンナもまた、カテゴリーで分類するならば岩石の部類であったのだ。
「わしらが外でルクリュスを抱っこすると光の早さで憲兵が飛んでくるのだ」とぼやくガンドルフの言葉を聞いて、テオジェンナは確信した。
小石ちゃんの隣に、岩石は似合わない。
小石ちゃんのようなこの世の愛らしさをすべて煮詰めたような存在の隣に立つのは、小石ちゃんほどではなくとも世界で二番目くらいには愛らしい女の子でなければならない。
岩石な自分など、お呼びではないのだ。
テオジェンナは決めた。この想いは胸の奥に封印し、自分は小石ちゃんにとってただの幼馴染、ただの岩石であろうと。
「だから、私は小石ちゃんの幸せを見守るだけでいいのですっ……」
テオジェンナは心からそう思う。
「……生徒会室の床でのたうちまわりながらそんなこと言われても……」
王太子が困惑する。
その小石ちゃんとやらがどれだけ可愛いのか知らないが、常に凛として勇ましい侯爵令嬢をこんなにしてしまうほどなのかと、少し興味を抱いた。
「私もそのゴッドホーンの子息に会ってみたいな」
何気なく口にしただけであった。
が、次の瞬間、レイクリードの背後に殺気が膨れ上がった。一瞬で王太子の背後に移動したテオジェンナが、獲物を前にした狂戦士の形相で唸り声を漏らした。
「……小石ちゃんに何用です……?」
(この圧力……、答えを間違えれば殺られるっ……!)
王太子の王位を継ぐ者としての直観は正しく生命の危機を告げていた。
「落ち着きなさいな、テオジェンナ」
ユージェニーがそっとテオジェンナを窘める。
「ルクリュス様は外見は可愛いらしく見えても、あの武勇の誉れ高きゴッドホーン侯爵家のご令息よ。貴女が必要以上に心配するのは失礼にあたってよ?」
「う……わ、わかっている。学園で小石ちゃ……ルクリュスに必要以上に構うつもりはない」
テオジェンナは胸を張って言った。
「私はただの幼馴染だ。自分の立場はわきまえている」
***
新入生の入学初日だ。トラブルが起きないように生徒会のメンバーは一年生の教室のある棟を中心に見回っていた。
テオジェンナもユージェニーと共に一年生の教室前をあちこちに目を配りながら歩いていた。
そこへ、
「あ。テオジェンナじゃねえか! おーい!」
野太い声がして、後ろからどかどかと大男が駆け寄ってきた。ガチガチに筋肉質な体に強面の顔に、一年生達が怯えて道を避けている。
「ロミオ。何か用か?」
「可愛い弟の様子を見に来たんだよ! どうせお前もそうなんだろ!」
がははっと豪快に笑う大男は岩石その七ことゴッドホーン家七男、つまりルクリュスの兄である。
ちなみに、ゴッドホーン家では長男から七男までが岩石その1~その7であり、父であるガンドルフは岩石その0・オリジンである。
「私は生徒会の仕事だ。ルクリュスのことを見に来たわけでは……」
「うっそつけ! お前は昔っからルーにべったりだろうが!」
がはははと笑うロミオは岩石侯爵家の岩石成分を余すところ無く受け継いでいて、裏表のない性格で実に気持ちよくデリカシーのない男だ。
「私はっ、別にルクリュスのことなんてっ」
「あ、ロミオ兄さん。テオ」
教室から出てきたルクリュスが、兄とテオジェンナを見つけて嬉しそうに手を挙げた。
テオジェンナはびっくーんっ!っと肩を震わせた。
「おー、ルー。学園はどうだ?」
「まだ初日だよぉ。兄さんもテオもいるから心配していないよ」
ね? と下から顔を覗き込まれて、テオジェンナは高鳴る胸を落ち着かせてから、ルクリュスの方へ目を向けた。
「あ、ああ。お、幼馴染として、何かあれば力になる……」
言い掛けて、ふと、テオジェンナはルクリュスの隣に立つ小さな姿に気付いた。
「あ。兄さん、テオ。紹介するよ。同じクラスのセシリア・ヴェノミン伯爵令嬢」
「初めまして」
セシリアは深々と頭を下げた。
日の光にきらきらきらめくふわふわの金髪に、夏の海のような青い瞳、白い肌とほんのり桃色に染まる頬、小さく華奢な手。
小柄なルクリュスよりもさらに小さい、掛け値なしの美少女だった。
テオジェンナは「ぴしゃーんっ」と雷に打たれたような衝撃を受けた。
(か、かわいいいいいっ!!)
セシリアは妖精のような少女だった。
ルクリュスと並ぶと、まるでお伽話の幸せなラストシーンのようだ。妖精の国の王子様とお姫様は結ばれて幸せになりました。めでたしめでたし。
花が咲き誇り、小鳥が歌い、世界のすべてが二人を祝福し、光が降り注ぐ。
そんな光景だ。
お似合い。
そう、お似合いだった。
ずっとずっと、テオジェンナが思い描いてきた、「ルクリュスにふさわしい女の子」がそこにいた。
(ルクリュスの運命の相手……)
テオジェンナの胸がぎゅううーっと締め付けられて痛んだ。
「テオ? どうかした?」
「ふぐぅっん!」
「ふぐ?」
テオジェンナは胸を押さえて呻いた。
「な、なんでもない……はあはあ」
「そう?」
「大丈夫だ。問題ない。私は岩石その8……」
そう。自分は岩石だ。胸が痛むのなんて気のせいだ。岩石に痛む胸などない。
「ふんっ!」
もやもやした気分を振り切るように、テオジェンナは背筋を正した。
「な、仲のいい友達が出来て、良かったな。ルクリュス」
「うん! テオも仲良くしてね!」
「もちろんだ! 命に換えても!」
「いや、そこまではしなくていいけども」
テオジェンナとルクリュスのやりとりを見て、セシリアがくすくすと笑った。
「仲がよろしいのですね」
花が綻ぶように微笑むセシリアを見て、また胸がぎゅうぎゅうと痛くなったが、テオジェンナはそれに気付かない振りをした。
***
学園の生徒会室にて、生徒会長たる王太子と令息達は、いつもはストイックな侯爵令嬢が床にのめり込むように倒れて屍と化しているのを見守った。
「それで、小石ちゃんとやらに仲良しの女の子が出来たからこうなっている訳か?」
「さようにございます」
王太子レイクリードの質問に、ユージェニーが答えた。
「そこまで床にのめり込むほど好きならば婚約してしまえばいいのに……」
「殿下、乙女心は複雑なものなのでございます」
呆れて言うレイクリードをユージェニーが諫める。
「テオジェンナ。その「お似合い」というのは、貴女が勝手に抱いた印象にすぎないわ。勝手に思い込んでお二人に失礼よ」
「うう……」
ユージェニーにたしなめられ、テオジェンナはよろよろと起き上がった。床がへこんでいる。
「し、しかし、実にお似合いな二人だった……わ、私は幼馴染として二人を祝福したい……」
「だから、勝手に決めつけてはいけないと言っているでしょう」
「うう~……」
自分で自分を岩石と言い張るわりにはぐずぐずふにゃふにゃしているテオジェンナである。
さて、ここで時間はしばし遡る。
テオジェンナが理想の小石ちゃんの嫁を見つけて衝撃を受ける一時間ほど前、一年生の教室にて。
「ゴッドホーン様。少々、お話ししてもよろしいでしょうか」
この世の愛らしさをこれでもかと詰め込んだような少女が、この世の愛らしさを煮込んで固めたような少年に声をかけた。
クラスメイト達は思わずそちらへ注目した。何せ、このクラスで一、二を争う可愛い二人が言葉を交わそうというのだ。
それはもう、さぞかし愛らしい会話がなされるに違いない。お花の話とか綺麗な泉の話とかそういう、愛らしくて清らかな会話が。
「私、まどろっこしいのが嫌いですので単刀直入にお願いいたしますわ。ロミオ様と私が結ばれるように協力していただきたいんですの。逞しく凛々しいロミオ様をものにするためなら手段は選びませんわ」
ん?
クラスメイト達は首を傾げた。
話しかけられた侯爵家八男は花が咲き綻ぶかのような微笑みを浮かべて答えた。
「令嬢ともあろう者が直球にすぎるね。兄上をものにしたいなら生半可な覚悟じゃないというところを証明してからにして欲しいな。それに第一、なんで僕が君に協力なんかしないといけないわけ?」
んん?
クラスメイト達は眉間を押さえた。
「うふふ。代わりに私も協力して差し上げますわ。スフィノーラ侯爵令嬢といつまで経っても婚約に持ち込めない情けない貴方様に」
「ははは。余計なお世話だよ。テオの父親には何があろうと僕以外との婚約は阻止するという言質は取ってあるんだ」
「まあ、それって、軍人であらせられるスフィノーラ侯爵様を足蹴にして鞭を手に「わかってんだろうなぁ……?」と脅していた時のことですの?」
「さすがは「女郎蜘蛛」との異名を取った伯爵夫人の娘だね。どこでその情報を掴んだんだか、油断も隙もないよ」
「嫌ですわ。お母様のは若気の至りですの。お忘れになって」
あははうふふと微笑みあう二人の姿はどこまでも美しく愛らしい。
しかし、交わされる会話の内容は真っ黒であった。
「あはは。女郎蜘蛛の娘に大事な兄上が狙われているなんて、戦慄を禁じ得ないよ」
「うふふ。ゴッドホーン様ったら」
寒い。
クラスメイト達は冷気を感じて腕をさすった。
愛らしき伯爵令嬢と愛らしき侯爵令息。二人には共通点があった。
愛らしき少年少女の共通点、それは——
「ゴットホーン様ったら、スフィノーラ様の前でその「腹黒」を隠し続けるなんてさすがですわ」
「またまたー、ヴェノミン伯爵令嬢の「腹黒」に比べたら、僕のお腹なんて生っ白くて恥ずかしいよ」
ルクリュス・ゴッドホーンとセシリア・ヴェノミン。
二人は「腹黒」であった。
腹黒同士、最終的に意気投合した二人は互いに学園在学中にターゲットを落とそうと誓い合った。
それを知らぬテオジェンナは腹黒二人を目にして悶えていたわけだ。
実に無駄なエネルギーを使ったものである。
生徒会室の床もへこみ損だろう。
一夜明けて、テオジェンナは心に決めた。もう二度と、ルクリュスの前で取り乱したりはしない。
次に顔を合わせた時には、ヴェノミン伯爵令嬢とお幸せにと伝えよう。
「あ、テオ! おはよう!」
「はあうっ!!」
校門をくぐった途端に、天から降り注ぐ光に包み込まれた清らかな花のごとき笑顔を目にしたテオジェンナはその場に崩れ落ちた。
「テオ、大丈夫」
「も、問題ない……」
テオジェンナは自らを励まして立ち上がった。岩石はこんなことでは砕けないのだ。
「お、おはようルクリュス。昨日のヴェノミン伯爵令嬢は……」
「ああ。実はね、秘密なんだけど」
「ぐふうっ!!」
テオジェンナが胸を押さえてよろめいた。原因はルクリュスが「秘密なんだけど」と言いつつ人差し指を立てて「しー」っとポーズしたからだ。テオジェンナの胸に響くきゅん仕草No.12である。ちなみにルクリュス以外がやってもテオジェンナの胸は「きゅん」どころか「ぴー」とも鳴らない。
「彼女ね、ロミオ兄様が好きなんだって」
「へ!?」
「それで、僕に協力して欲しいってお願いされちゃった」
「そ、そうだったのか……」
テオジェンナの体から力が抜けた。
(そうか……ロミオのことが……)
「しかし、ロミオは手強いぞ。なにしろ鈍感だからな」
「いや、僕はむしろ兄上を心配しているけどね。蜘蛛の一族に気づかぬうちに絡め取られないか」
冷静になったテオジェンナはルクリュスと共に校舎へ向かって歩く。
こうして幼馴染として横にいられればいいと、テオジェンナは思う。
(そう、私はルクリュスの友として、彼の幸せを見守ることが出来ればそれで……)
「でも、兄上に恋人が出来たら、僕ちょっと寂しいな。テオが僕と婚約してくれれば寂しくないんだけど」
「ふぐぅんぬっ!!」
テオジェンナはばったーんと仰向けに倒れた。
「テオ、大丈夫?」
「いっそ殺せっ!! 剣は私が持っている!! さあ、ひと思いにっ!!」
もはや剣で刺し貫いて貰わねば、心臓が跳ねてどっかに行ってしまいそうだ。
暴れる心臓を抑えつけ、テオジェンナは息も絶え絶えに叫んだ。
「私はっ……私は、岩石だーーーっ!!」
生徒会室でその叫びを聞いた王太子レイクリードは、自らを岩石だと主張する侯爵令嬢にはカウンセリングが必要ではないかと考え、宮廷侍医に連絡を取るよう側近達に指示した。
岩石は小石に勝てるのか、はたまた、小石が岩石を砕くのか。
岩石令嬢テオジェンナと小石ちゃんルクリュスの、(テオジェンナは知らない)戦いは始まったばかりである。
岩石侯爵家の小石ちゃん:完