その5 博士と
前話投稿からずいぶんあきました。博士はVRの中で過去の人間関係を解析したいようです。
白く四角い部屋の中ではキーボードの音が相変わらず響いていた。
白衣を着た男はディスプレイに映る白い文字を目で追っている。
机の横に並べておいている白板には写真、汚い字のメモがいくつも乱雑に貼ってあり、その合間に白板にダイレクトに走り書きがされている。
キーボードを叩いていた男が、その手を休めた。
イスを後ろに引き、グッと両手を上にあげ、伸びをしながらつぶやく。
「もうそろそろ、バックアップを取るか」
再びキーボードを操作しバックアップ処理が始まると、椅子から立ち上がった。
マンションの角部屋にあるこの白い部屋はベランダが東側にある。
カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。
「朝か。今日は、昼から予定があったような」
ベランダに近寄りカーテンの隙間から外を覗き、そのまぶしさに顔をしかめながら考え、何気にバサバサの髪に手をやると思い出した。
「床屋だ。もうすぐ命日だから、小ぎれいにしとけと言われたんだったか」
ため息をつきながら、外から目をそらし俯いている。
「メロンの情報も足りないし、ナスも思考が18歳らしくなく、おっさんくさい。
1年間の再現だが、そこに行きつくまでに形成された情報が足りなさすぎる」
男は白板の前に立つと、いくつかのメモを読みながら、思いつくままに白板にペンを走らせた。
ピンポーン!
玄関のチャイムがなり、ハッとしてPCの時計を確認する。
白板の前に立っているうちに昼になっていたようだ。
「しまった。もうこんな時間だ。まさか、迎えに来たのか?」
男はベランダとは反対側にある西側のドアを開け、キッチンが設置された廊下を抜け、玄関ドアのドアアイを覗き込んだ。
思った通り、そこには20代後半の女性が立っていた。
男はゆっくりと玄関ドアをあけながら、女性の足元を見て低く声を出した。
「起きてはいたんだ。床屋もわかっている」
「じゃ、行きましょうか?」
女性は、一歩足を後ろに引き、肩より上できれいにそろえられた髪を揺らしながら首を傾け、彼に外に出るように促した。
「今から?」
「そう、今から。待ってても一緒でしょう?
洗髪もしてくれるし、髪を整えるだけだから、今着ているTシャツとズボンを何日着てても問題ないわ」
「いや、昨日着替えてるから」
「じゃ、さらに問題ないわ。いくわよ。鍵しめてきて、ナス?」
女性は、男のことを「ナス」と呼んだ。
「わかった。いくよ。いくから「ナス」はやめてくれ。メロン以外にそう呼ばれるのは嫌なんだ。
知ってるだろう?」
言いながら、鍵を取りに部屋に戻るが、後半のことばの声は小さく、相手が聞き取れたかどうかも分からなかった。
鍵を取りに行く男の背を見ながら女性が小さくつぶやいた。
「ナス、も、メロン、も、もう、リアルにはいないじゃない」
「あいつは、俺が髪を整えようが整えまいがきっと気にしない。そうだ、この情報もインプットしなければいけない。」
「そんな情報いるの?どうして?」
床屋に向かう途中、思わずつぶやいた言葉に隣の女性が反応していた。
「それは、「相手は自分の髪型を見ていない」という条件を入れることで、「自分が髪型を変更する条件」をなくすことができるからだ。」
男はまじめにそう答えた。
女性は、「この男は、先ほど迎えに行ってから、初めて私の方をまともに見たのだということに気がついているのだろうか」と思いながら、しゃべっている男の顔を見た。
「見ていないものはいらないものだ。いらないものを入れるのは無駄だ」
女性は、そう淡々と言い切る男が「私の名前を言っていないことにも気がついていないだろう」と思った。
「とりあえず、ナスが嫌なら 博士さん と呼ぶわね?
納期のないVRプログラムのことはゆっくり作って?
リアルの納期を忘れないてないでね?」
女性は、わざと疑問文調で男の話を遮り、足を止めサインポールを指した。
ナスという呼び名に一瞬ビクッとしながらも、その指先を目でたどると、サインポールの横に1年前に来た床屋の入り口があった。
「ほら、ここよ。鈴木 で予約しているから、行ってきて。
私は向かいにあるカフェで待ってるから」
女性に背中を押され、床屋の入り口のドアを開けると、去年と同じ顔の店主がこちらを見ていた。
ゆっくり更新です。
が、さすがに前話ほどはあきません。