その19 白いボードと世界ー最終回 後半ー
カチッとマウスをクリックする音がした。
パソコンの画面にはアップロード中を示すタイムバーが表示されて、すぐに消えた。
「アップロード
完了っと。」
博士は、リアルの仕事のプログラムソースを納期までにアップロードし終えていた。
「今回も、とりあえず、間に合ったな。」
ディスプレイには、アップロード履歴とその担当者欄に自分の名前が表示されている。
その次の項目にチェック担当者と予定期間のスケジュールも表示された。
「あれ、週明けからのチェック担当者は、モモか。」
博士は期間を確認後、webアプリからログアウトした。
その後はログアウト後のブラウザを終了させ、ディスプレイの背景画面をボーっとみていた。
ナスとメロンのプログラムを完成させた今は、これから何をしたらいいのか全く思いつかなかった。
見ていたはずのディスプレイの背景画面がぼやけてきて、目を閉じて、右手の親指と人差し指で軽く抑えた。
「相変わらず、だめだな。俺は。
ロスト感が強すぎで何もやる気が出ない。」
そのまま椅子にもたれて、どのくらいたったのか、ケータイの着信音がなっていた。
「もしもし」
博士は着信をスライドした後、そのままステレオモードにした。
「チャットで、プログラム完成したって、送ってたから、今頃ボーっとしてるんじゃないかと思ったんだけど。」
ケータイから聞こえるモモの声に、博士は顔をしかめていた。
「チャットって、昨日のだよな。
今日は送ってないから。
タイミングよすぎ、まるで、どこからか見てるように思えるくらい、その通りだよ。」
ケータイの向こうからモモの笑った声が聞こえた。
「それで、このタイミングで電話って、仕事の話、プログラムチェックの話でも?」
博士がそう聞くと、いつもの少し強引な口調でモモが答えた。
「違うよ。
とりあえず、夕食になりそうなもの買っていくから、何か食べたいものある?」
「んー。特になんでもいいけど。」
こんな返事が一番相手を困らせるのはわかっているが、博士にはモモが気にしないことが分かっていた。
「わかった。
甘くないやつ、少し辛いやつ、買ってく。」
すぐに電話が切れ、たかと思うと、5分もしないうちに玄関のチャイムが鳴った。
博士は椅子から離れると、玄関に向かいドアを開けた。
そこには、肩より上できれいに切りそろえられ、サラっとした髪の20代後半の女性が立っていた。
モモは、博士が空けた扉から中を覗き込み、驚いている博士の顔を見て笑みを浮かべた。
「早かった?」
モモはそういうと、ドアノブを持ったままの博士の横をとおり、すばやく靴を脱いで部屋に入った。
博士はあきれた顔でドアをゆっくり閉めた。
「早いも何も、買い物終わってすぐ近くで電話してきたんだろう?」
(俺が、「なんでもいい」というのを見越して)
モモは手に、コンビニの袋を2つ持っていた。
「冷やしチゲうどんと、缶ビール?」
博士はあきれながら聞いていた。
部屋に上がり込んだモモは、そのままパソコンデスクの横の扉を開け、ベッドサイドのテーブルをパソコンデスクのある部屋の中央まで引っ張り出してきた。
「このテーブルの上に置くね。」
そう言って、買ってきたものを並べておき、缶ビールのプルタブをプシュッと引いた。
「はい。どうぞ。」
2本開けた、内の1本を博士の前に差し出す。
「あ、ありがとう?」
後から、部屋に入ってきた博士は、顔の前に差し出されたビールを受け取った。
満足げな顔のモモが音頭をとった。
「じゃ、乾杯。」
博士の持つ缶ビールに自分の缶ビールをコツンとあてる。
そのまま自分の口元にもっていき、ゴクっと一口飲んでいた。
つられて、博士もビールを飲む。
余計な椅子などないこの部屋で、2人はテーブルを挟んで立ったままだ。
「この体制でうどんを食べるのはきつくないか?」
サイドテーブルの上のうどんを見ながら博士はモモに切り出した。
「そうよねー。
って、気になるところそこか、やっぱり。
おなかすいてたんのね。」
モモは、パソコンデスクの前の椅子を指さした。
「そこに座って食べたらいいでしょう?」
その差した指を開くと博士の背中を押して椅子に座るように誘導する。
博士は特に抵抗もせず、椅子を部屋の中央のサイドテーブルに向くように回し、そのまま座った。
博士は、一口飲んだビールをテーブルの上に置き、コンビニのうどんに手を伸ばした。
モモはそれを見て、ビールを持ったまま、何もなくなった白いボードの前にたった。
「これ、全部、なくしちゃったんだ。」
白いボードを見ながらモモが言った言葉が、博士の耳に入った。
博士は無言で、パッケージをあけ、割った箸でうどんを混ぜ、満遍なく赤くなったうどんを食べていた。
「これ、思ったより辛いぞ。」
博士は食べ終わると、ビールに手を伸ばして半分ほど一気に飲んでいた。
まだ、白いボードの前にいるモモの方を見ずに、手に持ったビールに視線を固定させていた。
そしてゆっくりと、だけど、博士にしては、はっきりとした声をだした。
「もう、ナスが解を出したから、これ以上の先に俺は介入できないんだ。」
モモは、ビールを一口飲むと、ビールをじっと見て話している博士を見た。
「そうか。
けり、ついたみたいだね?」
そういうと、モモは自分が持っている缶を博士の頬にピタッと付けた。
缶についている水滴で博士の頬が濡れた。
博士は、頬に当てられた缶から少し顔を離し、自分の腕で頬を拭った。
「それで、聞きたいんだけど、」
そんな博士を見つめて、モモは声のトーンを落として聞いてきた。
「なにを?」
博士にはモモが何を聞きたいのか全く見当がつかなかった。
「わたしが、あなたのこと好きだと言ったら、今度はどんなプログラムを組むの?」
トントンと、白いボードを人差し指で軽く叩きながら、モモの口からとんでもないことが聞こえた。
「えっ?」
博士は、驚きのあまり椅子からずり落ちそうになっていた。
かろうじて、落ちずに、持っていたビールの缶をテーブルの上にに置いた。
そして、白いボードの前に立つモモを見上げて、博士はもう一度同じ声を発していた。
「えっ?」
モモは少し息を吸って、吐いて整えていた。
「それで、現実に隣にいる人間の場合も、プログラムを組んでVR世界の誰かに答えを期待してみる?」
モモを見あげている博士の顔の前に、黒くなった人差し指が向けられた。
「プログラムに、、、」
博士は、缶を離した手をそのまま顔に近づけ、口元を覆っていた。
顔の熱が上がっていくのが、手の平に感じられ、はっとした。
「そういえば、ナスとモモには体温を感じなかったな。」
モモの問いに対して、自分がバカみたいなことを言ったことに、博士はすぐに気がついてあせった。
「顔、真っ赤だよ。
ビール、まだそんなに飲んでないよね?
辛いの食べたせい?」
モモは、トーンを落とした声をそのままにして、顔を抑えている博士の手を、自分の黒くなった指でつついた。
「プログラムは、組まない、たぶん。」
博士は、絞り出すように、声を出した。
「いや、違う。
答えが、ズレた。
顔が赤いのは、熱が上がったせいだ。」
質問に対して、答えが違ったと焦っている博士の様子をみて、モモは、ほっとした。
「それで、えっと、プログラムは組めない。
何故なら、えっと、何故なら、それは、」
モモのそんな様子に全く気がつく様子もなく、さらに、博士は焦っていた。
「うん。
自分自身が恋愛思考の回路じゃないから、よね。」
博士ははっとして、モモを見た。
相変わらず、自分の手に、モモの指がくっついている。
「だからそのマイナス思考の回路がショートしない程度に、私にその熱を持っていてくれたら嬉しいんだけど。」
博士は、顔の熱を感じながら、そのまま頷いていた。
-----------
あと一話、番外編で終了です。