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美しい夜に  作者: Hiroko
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4 三つめの机

  三つめの机


僕は少し眠った。

眠かったわけではない。ただ少し、疲れたと思っただけだ。何も考えない時間が必要だと思っただけだ。窓際の壁に寄りかかり、うとうとした。

気が付くと僕は、床に寝転がり、ぐっすり眠っていた。

時間を気にする必要はなかった。

時計は相変わらず、十時四十二分をさしていた。


僕は三つめの机と椅子のところに行った。廊下側の、前から三つめの机だ。僕はその机に触れた。

いきなり椅子に座るのは、少し勇気が必要だった。

僕は臆病だ。だから、ほんの少しでも、椅子に座る前に何か知ることはできないかと机に触った。けれど、するりとした感触が指先に伝わってくるだけで、それ以上のものはなかった。

僕は、椅子を引き、横からゆっくりと腰を下ろし、前を向いて姿勢を正し、目を閉じた。

今度はどこにも落ちなかったし、僕は椅子に座ったままだった。

目を開けると、そこはどこかの小さな工場のようにも見えたし、研究室のようにも見えた。真っ白な壁に、少し高い真っ白な天井。白くて眩しい明かりがぶら下がってる。広さは教室の五倍くらいあった。窓は天井に近いところに一つ空いているけど、遠すぎて小さすぎて、外の天気を知る程度の役割しか果たしていないだろう。いろいろと、見たことのない機械が無造作に置かれていた。ステレオのようなスイッチのいっぱいついた箱のような物、戦車とロボットが一つになったような物、タイヤのない自動車のようなもの、パソコンがいっぱい、他にもいろいろ、どれも見たことのない物ばかりで、「~のようなもの」としか言いようがなかった。

一人の男の子が、モニターを見ながら何かを考え込んでいる。モニターは、パソコンと繋がり、パソコンは、何やら大きなヘッドホンのような形をした装置に繋がっていた。

その少年は、僕には気づいていないようだった。

モニターと、パソコンと、ヘッドホン。少年はモニターを見ながら、パソコンを使って、ヘッドホンの調整をしているように……、見えた。

僕には彼が何をしているのかわからない。

やがてしばらくの時間が過ぎた。

僕はおしりがむずがゆくなって立ち上がろうとした。

その時椅子を少し動かし、大きな音を立ててしまった。

「わあっ!?」と少し大げさな声を出し、少年は驚いて飛び上がった。そしてこちらを向き、「だ、だ、だ、だれっ!? いつからそこにいるの!?」と震える大きな声で僕に聞いてきた。

「いや、あの、驚かせてごめん。僕は……、名前はないんだ。ついさっき、ついさっきから、ここに座ってた」

「つ、ついさっきって、ど、ど、ど、どこから入ってきたの!?」

「そう言われて気づいたのだけれど、この部屋には扉がなかった。どこにも、入り口も出口もない」

「どこから入ったかはわからないんだ。僕は教室にいて、椅子に座って、気が付くとここにいた」

「きょ、きょ、教室? き、きみはそう、そ、そ、そうか、教室からきたのか」少年は教室と言う言葉を聞いて、取り乱すのをやめた。それが納得できる答えであったらしい。ただ、しゃべり方が神経質なのは、元からのようだった。

「きょ、教室か。な、懐かしいな。ぼ、ぼ、ぼ、僕もそこにいたんだ」少年はそう言いながら、再びヘッドホンの調整を始めた。

「それは、何をしているの? なんの機械なの?」僕は尋ねた。

「こ、こ、これかい? ああ、ちょ、ちょっと待って。ほ、ほんの少しでいいんだ。ちょ、ちょっと待って」少年は、そう言って再び黙り込んだ。僕も少年の邪魔をしてはいけないと思い、黙り込んだ。

「ほんの少し」と言われたけれど、僕はたぶん、三日ほど待たされた。

「よ、よ、よし、できた!」少年はそう叫ぶと、まるで神への捧げものであるかのように、ヘッドホンを頭の上に掲げた。

「できたの?」と僕が言葉を忘れかけた口から声を出すと、少年はまた「わあっ!?」と言ってわざとらしいほどに大きな声で驚いた。

「き、き、君は、ああ、そうだ。お、思い出した。きょ、教室からの、お客様だったね!」

「うん、そうだよ。名前を言って自己紹介したいけど、僕にはまだ名前がないんだ」

「あ、ああ、いや、構わないよ。じ、実を言うと、ぼ、僕にもまだ名前がないんだ」

「そうなの? じゃあ、みつきちゃんには会わなかったんだね」

「み、み、み、みつき? あ、ああ、知っているよ。う、宇宙を旅している子だね。か、彼女はいま、ど、どの辺にいるんだい? ぼ、ぼ、僕が彼女に会った時には、ま、まだ月のクレーターを散歩していたのだけれど、あ、あ、あれからまた、と、遠くへ行くと言っていた」

「今はもう、地球からだいぶ離れて、宇宙を漂っているよ。地球が野球のボールほどに見えるところだよ」

「そ、そ、そうか。じゅ、順調なんだな、果てへの旅は」

「うん。とても幸せそうだったから、きっと順調なんだね」

「そ、そ、そ、そうか……。ところで君!」と言って少年は唐突に大声を出すから僕は驚いた。

「こ、こ、ここに寝てくれないか?」そう言って少年は、パソコンの横にあるベッドを指さした。

「寝るの?」

「あ、ああ、そうだ。ちょ、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだ。な、な、な……、なに、簡単なことだよ。こ、ここに寝て、この装置を頭につけて、こ、ここに寝て、寝て欲しいんだ」

「それはいったいなんなの?」

「あ、ああ、ああ、それが先だね。うん。せ、説明が先だ。こ、これは、記憶をインプットする装置なんだ」

「記憶をインプット?」

「ああ、あ、ああそうさ。お、教えられなくても、け、経験しなくても、さ、さ、様々なことが知識として学習できる装置なんだ。こ、これがあれば、ひ、人は、子供のころの何年もの時間をが、学校に通って費やさなくてもよくなるんだ。そ、それどころか、と、と、図書館に置いてあるすべての本に書いてあることが、い、一週間もあればすべて記憶することができる。ぼ、僕はもう、たぶん、たぶんだけど、もう、ご、五百年ほどこの装置を研究しているんだ。そ、それ以外にも、そ、空飛ぶ、は、反重力で、そ、空飛ぶ車を作ったり、できるだけ、に、人間に近いロボットを作ろうとしている。そ、そう、その過程で、こ、この装置を作ることを思いついた。に、人間も、こ、このロボットみたいに、記憶をい、一瞬でインプットすることができたら、あ、あらゆる時間が有効になる。が、学習の時間が、圧倒的に短縮されるからね」少年はそこまで一気に話すと、疲れてしまったのか、急に黙り込んだ。そして僕をベッドに促すと、そこにあおむけになるように言った。

「そ、そして、これを頭につけるんだ」そう言って少年は、ヘッドホンのような装置を僕の頭につけた。

「し、心配はいらない。い、痛くも苦しくもない。り、リラックスだ。力を抜くんだ。さ、さあ、め、目を閉じて」

僕は少年に言われるままに目を閉じた。

「ねえ、ここは君の望む世界なんだよね」僕は目を閉じたまま言った。

「の、望む世界? あ、ああ、ああ、そうだとも。こ、ここは、ぼ、ぼくの望む世界だ。ぼ、僕は、こ、ここで、ずっと、ずーーーっと、僕が作りたいものを作っている。さ、さ、さあ、いいかい? す、スイッチを入れるよ。ら、楽にして……」そう言って少年は、パソコンに何かを打ち込んだ。

モニターから「ピ……、ピ……、ピ……」と音がし始めた。

ヘッドホンからは、ほんのかすかに唸り声に似た電子音がした。

僕は、目を閉じていたはずなのだけれど、なぜか瞼の裏に映像が流れだした。

光のモザイクのようで、それらは最初、何の形もしていなかったけれど、だんだんと慣れてくると、木々の生い茂る自然の風景だったり、空間に浮かび上がった数字の羅列であったり、暗号のような文字の連なりであったりした。耳から聞こえてくるのは、海の底で聴くクジラの歌であったり、オーケストラの演奏であったり、聞きなれない言語の囁き合いであったりした。手にはなにやらぬるぬるした柔らかい感触があったり、足で何か硬くて鋭いものを踏んづけたり、お腹の上に温かいものが乗っかったりした。様々な花の匂いもしたし、甘酸っぱいフルーツの味を舌に感じたりもした。体中、ありとあらゆる場所から、僕の中に情報が送り込まれてくるのがわかった。けれどそれらは早すぎて、折り重なり、一つ一つをちゃんとした形でとらえることが難しくなっていった。

やがて僕は、神経が体から引き抜かれたように何も感じなくなり、体中が痺れ、冷たくなり、自分の中で何かが破裂しようとしている妄想にとりつかれ、痺れた足をばたつかせながらお腹と口を必死になって押さえつけた。


もうだめだ! と思った瞬間、僕は暗い教室の三つめの席で目を覚ました。

僕は荒く息をしていた。この教室にきて、こんなに心臓がドキドキしているのは初めてだった。額には冷たい汗をかいていた。頭の中が、透明でどろどろとした何かで溢れているような気がした。目の前が揺れている。

僕はその席から離れ、黒板の前に腰を下ろして目を閉じた。ゆっくり深い深呼吸をして、鼻から息をした。落ち着くのにしばらく時間がかかった。目を開けて、風に揺らぐカーテンを見て心を落ち着け、教室を見た。

その瞬間、僕はふと何かを見た。

右目の視点と、左目の視点がうまく重ならなかった。

教室の風景が二重に見えた。

二重に見えた教室の、一方の景色に、僕は見覚えがあった。

ぼ、僕は、この教室を、知っているような気がした。

僕は、この教室に初めて来るのではない。前から、この教室を知っていたような、見覚えのあるような、誰かと一緒にいたような、楽しかったような、辛かったような、そんな気がした。

何かを思い出しそうになったけれど、やはり何も思い出せなかった。

けれど、この教室を見ていると、気持ちが動くのを感じた。

それだけだった。

あの少年の実験は、成功だったのだろうか。

それを聞くことも、伝えることも、もうできなかった。


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