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美しい夜に  作者: Hiroko
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2 一つめの机

 一つめの机


机は教室に全部で二十六あった。

僕は落ち着いてちゃんと考えることにした。

一つ一つの椅子に座って、前を見て、目が覚めた時に見たのと同じ場所を探すんだ。

確かあの時、揺れるカーテンが見えて、教室の前に黒板、そして十時四十二分の時計が見えた。けれどそれらは、どの椅子に座っていたとしても見えるような気がした。

時間はやはり、十時四十二分のままだった。

僕はまず、一番前、入り口に一番近い椅子に座ってみることにした。

ゆっくりと、音をたてないように歩き、一つめの机に近づいた。

机の上にするりと指を滑らせ、その感触を確かめた。

椅子を引き、そこに腰かけた。

その瞬間、目の前がパッと明るくなり、青や緑や金色の光が目の前をぐるぐる回った。けれど、回っているのは光の方ではなく、座ろうと腰かけた椅子がそこにはなく、その勢いのまま後ろにころころと転がっている僕の方だった。

少し高いところから落ちたようだった。

僕は着地した瞬間、したたか腰を打ち、うめき声をあげた。転げてしまったのは、そこが坂になっていたせいだった。そしてそこが坂になっていたのは、そこが山の上だったからだった。

「やあ、きみ、大丈夫?」不意に男の子の声がした。

僕はその声の聞こえた方向に顔を向けようとしたけれど、まだ目が回っていて座っていると言うのにバランスを崩して倒れてしまった。

「あはは、無理しないで! 目が回っているんだろ? 寝たままでいい。じっとして、目を閉じて、全身の力を抜くんだ」

 僕は言われたとおりにした。

 「そう、そんな感じ。しばらくそのままだ。深呼吸をするといい」

 僕はそのまま深く息を吸ったり吐いたりしながら、五分ほどゆっくりした。

 「落ち着いた? ゆっくり目を開けてごらん」

 僕は言われたとおりに目を開けた。真っ青な空に、大きな雲が浮かんでいた。

 風が吹いていた。少し冷たい空気が鼻から入って肺を冷やしたけれど、空を輝かせる太陽が体全体を温めてくれたので気にならなかった。

 「君は、どこから来たんだい?」男の子が聞いた。

 「ぼ、僕は……」

 「名前は?」

 「……」

 「そうか、わかったよ。君は、教室から来たんだね」

 僕は、ゆっくり起き上がり、その声の主を見た。

 僕と同い年くらいの男の子だった。細くて少し長い髪の毛がさらさらと風に揺れていた。色白で、するりとした透明な肌は、まるで赤ん坊のようだった。にっこりと笑った顔は、まるで神様のようだなと思った。

 「教室……、どうしてわかったの?」

 男の子は、まるでほかの表情は知らないとでも言うように、にっこりと笑ったまま答えた。

 「僕も以前、そこにいたことがある。長いながい、とても長い間、そこにいた」

 「長いながい、とても長い間……」

 「うん、そうだよ。迷ったんだ。どんな世界に行くかね。君は、もう決めたの?」

 「どんな世界?」

 「あ、そうか。君はまだ決めていないんだね。だからここに迷い込んだ」

 僕は何を答えればいいか、何を質問すればいいかわからず、黙っているしかなかった。

 「ゆっくりしていけばいいよ。ここは僕の選んだ世界なんだ。いいとこだろ? ほら、遠くに港が見える」

 そう言われて男の子の視線の先を追うと、山の下に街があり、確かに言われて見ればわかるほど遠くに小さな港が見えた。よく見るとそこは、その町並みは、日本のものとは違うようだった。

 「ここはどこなの?」僕は質問してみた。

 「ここはどこでもないよ。どこでもない、僕の夢の世界だ」

 「夢の、世界?」

「そうさ。僕が望んだ世界。こんな景色が見れたらいいな、こんなことができればいいな、こんな空気が吸いたいな、こんな匂いの場所がいいな。いろいろ考えて、胸の中に出来上がった世界。それがここなんだ」

 僕は目を閉じ、鼻から大きく息を吸い、その空気の温度、匂いを感じ、遠く街から風に乗って聞こえてくる音を聞いた」

 「今日はね、港にフェスティバルが来る日なんだ。お祝いの日なんだよ」

 「フェスティバル?」

 「うんそうさ。船に乗って、いろんな国の人々、食べ物、音楽がやってくる、祭りのことなんだ。季節の変わり目にやってくる。春は目覚め、夏は豊漁、秋は収穫、冬は眠りを祝うフェスティバルだ。いつまでも、この平和が続くように。この世界が永遠でありますようにって」

 「今は、春だね?」

 「うんそうだ。今は春」

 「じゃあ、目覚めのお祭りなんだ?」

 「そう。そう言うこと! 冬に眠りについた命が、再び目覚めることを祝うんだ!」

 「君も行くの? そのフェスティバルに」

 「いや、僕は行かないよ」

 「嫌いなの?」

「そうじゃないんだ。ここは僕の世界。この世界に僕の嫌いなものなんて何一つないよ」

 「じゃあ、どうして?」

 「僕はここでこうして独りで遠くに眺めるのが好きなんだ。陽気な音楽、人々の笑い声や熱気、そう言うもの全部が伝わってくる。僕にとっても無くてはならないものなんだ」

 僕らはしばらく、並んで座りながらそのフェスティバルを眺めた。

 たくさんの人がいた。遠いせいで、豆粒くらいに見える。港に群がる人々、大きな船でやってきた人々は、地上の人々に手を振っている。地上の人々も、歌や踊りで出迎え、みんな手を振っている。

 僕は話し疲れたのか、ふと眠気に襲われた。

 目を閉じると、風向きが変わったのか、街の賑やかな音楽、船のエンジンの音や汽笛の音、歌声や笑い声が聞こえてきた。

 太陽の光はどこまでも温かく、眩しく僕を照らした。

 頬の熱を冷ますように、時折山のふもとから冷たい風が吹き上げた。

 僕は寝転がり、目を回した時のように深く息を吸い、深く息を吐きだした。


 気が付くと、僕は元の教室にいた。

 暗く静かで、時間の止まった場所。

 一つ目の机で、両腕を枕に眠っていたようだ。

 ふと頬を風が流れ、窓の方に目をやると、カーテンが風に揺れていた。


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