【A-4】
顎に手を当てながら自宅玄関を開け、そのままリビングに向かうと母がソファに腰掛けテレビを見ていた。
「おかえりー。」
「ただいま。」
クッキーを一枚くわえ立ち上がりキッチンに向かう母は「お昼はチャーハンでいい?」と言いながら、冷飯の入ったボウルにかけられていたラップを外していた。
「ああ。」
別にチャーハンでも何でも構わない。適当な返事をし俺は荷物を自室に置くために踵を返した。
登校時はほぼ空だった鞄は新しい学年の教科書でそれなりの重量となっていた。それを部屋に置き、ついでに学ランの上着も脱ぎリビングに戻る。
食卓であるテーブルに着き、つけっぱなしのテレビは四角い。液晶でも有機ELでも、もちろんプラズマでもないテレビはブラウン管だ。
放送だって地上デジタル放送ではなく、データ放送なんてあるはずがない。
「こんな画質で普通だったんだよな。」
キッチンではフライパンが音を立てているから母には聞こえはしないだろう。
「懐かしいな。」
番組そのものではなく、おれば合間に流れるコマーシャルに思わず口元が弛んでしまった。俺が知っている芸能人たちがこぞって若い。映像もCGを使ってる様子がなく、合成した感の強い特殊映像。
「何をニヤニヤしてるのよ?」
両手に一皿ずつ持ったチャーハンをテーブルに置きながら母は俺をニヤニヤと眺める。
「い、いや。別に。」
「そう?面白いCMでもあったの?」
まさか母に『懐かしいCMばかりで、昔はこんな感じだったなと思うと笑えてきてね』なんて言うわけにはいかない。
「だから別に何でもないから。いただきます。」
話をそらすために俺がチャーハンに手をつけると、母もそれ以上は言わず手にしたスプーンを動かし始めた。
チャーハンの姿が皿から消え、また顎に手を当てると母が「ゲームはダメよ?見たいドラマあるんだから」と念を押してきた。
ゲーム?
見てみるとテレビが置かれている台には、これまた懐かしいゲーム機が片付けられているのが見えた。
「さすがに、やる気にならないな。」
30年前のゲーム機には懐かしさこそあれど、遊ぶ気には全くなれはしなかった。
苦笑いで俺が場を後にしようと立ち上がると母は「五時からならいいからね」と。
「ゲームはいい。今から教科書とか片付けて、少し勉強するから。」
「え?はい?ええーっ?!」
どうやら俺の何気ない一言は母にとっては想定外・予想外・衝撃的発言だったようだ。
それはそうだろう。
中学時代に限らず俺は自ら率先して勉学に励んだ事などない。そのため成績は常に中の下。可もなく不可もない評価。
だからこそ、だ。
今日、学校で始業式の後の教室で俺は考えた。もしかすると、これは自分の生涯を死際に見ているのではなく、やり直しているのではないだろうか、と。
当然ながら未だ確証はない。というより確証を得る方法すら分からない。
しかし、仮に人生をやり直しているのなら、それを無駄にするのは愚かだ。それならまずは試してみるほうがいい。
「ど、ど、どうしたの?!ゲームしないとか、勉強するとか。」
母が狼狽する姿。それはいかに俺が勉強をしない人間かを知るためのバロメーターのようだ。
「先生が受験は二年生で勉強する内容から出題されやすいからって、そう言ってたから。」
担任はそんな事言ってない。今日のところは。確か一学期の期末試験の前あたりには言うはずだ。だから俺は嘘は言ってない。
「そ、そうなの?受験………受験。まだまだ先だと思ってたけど、そうよね。今から考えるほうがいいわよね。」
顎に手を当ててブツブツと言いながら考える母をそのままに、俺は「そういう事だから」と再び自室へと戻った。
自室の机の上は目覚めた時と同じく酷く散らかっている。漫画や雑誌、作りかけのプラモデル。よく分からないキャラクターのグッズなどなど。これでは勉強どころではない。
必要か否か。考えなくとも今の俺にとっては全てが不要。片っ端からゴミ箱に放り込み、漫画と雑誌は古紙回収に出せるように束ねて紐で括る。
三十分とかからぬうちに机の上は広々と使いやすくなった。
「まずは教科書を読むか。」
今日のところは現代国語から教科書を読むことにしよう。一教科分が済んだら休憩をして、それまでに要した時間を考慮して次の教科に手をつけるか決める。急いでも仕方ない。今日のところは様子見だ。
そうだ。授業で使う物とは別に自習用にノートを用意しよう。
「あと中一の復習も必要だな。」
中一の教科書は捨ててはいなかったろうか。また後で確認しよう。高校受験の試験内容は思い出せないが、念のため勉強しておいても損はないだろう。
鞄から取り出した教科書たちの中から現代国語のものを机に広げ、カーテンが開かれたままの窓の向こうに俺は一人誓った。
「全てを変えてやる。」