【D-…】
昔から彼は目立つ存在ではなかった。加えて喜怒哀楽の起伏がなかったせいか表情の変化に乏しく、常に仏頂面で、その為か友達も皆無だった。
中学・高校とゲームと共に過ごし、そのまま社会に出ても同じリズムで生活をしていた。
定時に出勤し、与えられた業務をこなし、多少の残業の後に帰宅。母親と食事を済ませた後は自室でゲーム。
そんな暮らしを二十年ほど続けていた。
変化のない毎日だったが、ある日会社の忘年会で彼の人生最大の変化をもたらす出会いが訪れる。
日頃は顔を合わす機会の少ない経理部。たまたま居酒屋の席で正面に座った女子社員。真面目そうと称するのは間違いではないが、第一印象は『地味な人』だった。
しばらくして賑やかさと自分が噛み合わない気がして酔いを覚ましてくると店を出ると、さっきの地味な女子社員も避難していた。
「どうも。」
「あ、はい。」
会話にならない言葉のやり取り。二人して黙って空を眺める。
酒が入っているとはいえ十二月の夜風は冷たい。少し気になって彼はチラリと見ると、彼女は手を擦り白い息を吐きかけていた。
確か彼女は全く飲めないと烏龍茶ばかり口にしていたな。
「ずっとここにいたら冷えますよ?」
「えっ?」
自分はアルコールで体は暖まっているが、彼女は冷たい烏龍茶だったからさぞかし寒いだろう。それだけの理由で思わず出た言葉に彼女は笑顔を浮かべた。
「大丈夫です。私、こう見えて寒いの強いんです。それに、ああいう賑やかなの苦手で。」
右に同じと苦笑いをすると、それをきっかけに二人で他愛のない話が広がった。
彼と彼女は少し似ていた。昔から人付き合いが苦手で、引っ込み思案で、自分に自信が持てない。
「好きなのはⅢかな。キャラもストーリーもハマったハマった!」
「私はⅤです!初めてしたのがⅤだったから思い入れがあって。」
「Ⅴは名作で人気あるよね!俺もやり込んだよ!」
ゲームが好きなのも同じだった。
こうして二人の距離は一気に接近していった。
もっぱら二人のデートはどちらかの部屋でゲーム。外出したとしても新しく発売されたゲームソフトを買いに行くか、アニメ関連のグッズショップ。一番の遠出はコスプレイベント。
もちろん二人揃って見るだけ。
周囲が二人をどんな目で見ようとも、互いに互いを理解できる二人には関係がなかった。
そして、三年の交際期間の末に二人は結婚した。
このまま人並みの幸せを築き、平凡でも暮らしていけると信じていた。
結婚して五年間は社宅に住み貯金に励んだ。その貯金を元手に分譲マンションをローンで購入した。
いつまでも自分達は変わらない。二人でゲームをしたりアニメを見たり、たまにイベントに出掛けたり。ダサいかもしれないけど、それが自分達らしさなんだと彼は信じていた。
しかし、彼等は変わらなくとも時代は変わっていった。
ゲームの主役が据え置き型からスマホを媒体としたソーシャルゲームに移り、オンラインで見ず知らずの人間が集まりプレイするMMORPGが登場すると二人の生活様式にも変化を与えた。
「ただいま。」
彼が仕事から帰り声をかけても妻は返事をしなくなった。その代わりにリビングのテレビから目を離さず、ゲームのコントローラーとキーボードを忙しく操作する音が響く。
「…………。」
ゲームのサウンドはリビングにはない。妻が装着したヘッドホンからしか聞こえない。
「晩飯は?」
聞こえないと知りながらも彼は訊ねてみたが、思った通り返事はない。
キッチンを見渡すが料理された物はない。冷蔵庫を開けても何もない。
仕方なく彼は戸棚からカップラーメンを取り出し湯を注いだ。
彼の帰宅に妻が気付くのは三分後。ラーメンの匂いがしてからになる。
「お風呂、早めに入ってね。」
『おかえり』の一言を忘れて妻は一切テレビから目を離さず事務的に言葉をかけるだけ。
「………はぁ。」
彼の溜め息。チャットを読みながら笑う妻の声。描いていた幸せな家庭像は幻と化していた。
乾いた生活は実に五年も続き、二人の時間にも気持ちにもズレが生まれ、子宝など望める状態ではなかった。
「後は孫の顔が見られたら、母さん満足なんだけどね。」
たまに実家に様子を見に行く度に言われる言葉。
「そればかりはね。」
そうやって話を反らす回数の分だけ彼の胸には申し訳ない気持ちが募った。
とある休日、母親の様子を見てマンションに帰ると珍しくリビングのテレビは消され、妻はゲームに興じてはいなかった。
時間は十九時。いつもならゲーム内のメンバーと何かしらやってる時間に妻は更に珍しく念入りにメイクをしていた。
「どうしたんだよ?」
外出の準備をしているのは分かる。だが、こんな時間からどこに?と彼はいかぶしげに眉をひそめると、妻はチークを叩きながら平然と答えた。
「今からオフ会なの。」
平然と。それが彼の中の何かにヒビを入れた。
「オフ会?」
「そうよ。」
きっといつもやってるゲームで知り合った奴等とのオフ会だろう。
一緒に母の顔を見に行こうと誘っても一度にたりとも着いて来なかった妻が、どこの誰かも分からない見ず知らずの人間達と約束をして出掛けようとしている。
「こんな時間からか?」
平常心を保ちながらも彼の声には隠しきれない怒りが滲む。
「そうよ。」
ルージュを引き、妻は何事もなく言い放つ。
「じゃあ、遅くなるから。もしかすると帰るの明日になるかも。」
メイク道具を片付け、一度も彼を見る事なく向けられる背中。
「ふざけるなよ。ふざけるな!ふざけるなぁぁぁっ!!」
彼は叫んだ。今まで積もりに積もった鬱憤を叫んだ。叫びながら掴んだ妻のゲーム機のコードを引きちぎり、そのまま背中を向けた妻の頭めがけ振りかざす。
『やめてくれ!今すぐ俺を戻せ!今なら間に合うんだよ!』
彼………それは俺だ。やはりこれは元々の俺の人生だ。今すぐ戻れば同じ結末には向かわない。向かわせない。
だから俺は何度も瞬きをして神に願い続けた。
しかし、俺は視聴者のまま物語は進んだ。
自分が何をしたのか把握するのに数十秒。足元で倒れた妻が動かなくなった事と、それがどういう事かを理解摩るなのに数十秒。
錯乱して部屋を飛び出し、非常階段を駆け上がり、屋上へ続く扉を疑いもせず開くまで数十秒。
気付けば彼はマンション屋上の縁に立ち、下から吹き上がってくる風にボソボソと呟いていた。
「どうせこんなもんだ。俺の人生は。もういいや。どうでもいいや………。」
その体が下に広がる黒色へと傾いた。
この後、彼、すなわち俺は自分の生涯を目の当たりにする事になり、中学二年生になる日に戻ってしまう。
そうか。中学二年生に戻ってから、この俺がやり直せば二回目の中学二年生に戻れるはずだ。
なんだ。焦ってしまった。まだまだチャンスはあるじゃないか。
目を閉じて安堵の息を吐き、次に目の前を見て俺は吐いた息を勢いよく吸い込む事になる。
傾いた体。
フワリとした感覚。
下から吹き上がる風。
それは彼ではなく俺の体。
さっき目を閉じたせいか。俺は屋上から飛び降りた瞬間に戻ってしまった。
「どうなってるんだ!?」
声を残し落下する体。
そして、見飽きた映像が流れる。
こうなれば今度こそ中学二年に戻ってやる!
決心して再び中学時代に差し掛かった時を見計らい瞼を閉じる。
しかし、また映像の中には入れず、元の人生を映す。
「どうなってるんだ………。」
さっき見たばかりのものを二度も見るはめになるとは。
少しムカッとしたが、やがて俺は怒りすら感じなくなってしまう。
二度目、また俺は屋上から飛び降りた瞬間に戻ってしまう。
三度目も同じ。
四度、五度、六度。俺は屋上から足が離れたところに戻ってしまう。
十回、五十回、百回、千回、一万回…………途中から数える事すらできなくなった。
次第に思考するのが億劫となり、俺は考える事をやめた。
落ちてはスローモーションで生涯を見させられ、その最後のシーンに戻っては、また落ちてはスローモーションの生涯を見る。
どうやら瞬きをしなくても、どこを見ていても戻されるようだ。
永遠に続く無意味な人生。
壊れた走馬燈が出来損ないの物語を映し出し回り続ける。
もう気がおかしくなりそうだ。
そう壊れた心で力なく目を向けた先、そこは俺が住む階の廊下に頭を押さえて出てきた女の姿。
ああ………生きてた。なんだ、生きてたのか。
フラフラする女の小さな姿に唇が動いた。
「助け………て。」
そして、また俺は屋上から飛び降りた瞬間からやり直す。
【あとがき】
最後まで読んでいただき誠に有難うございます。
初の『小説家になろう』出稿という事もあり要領が掴めず勢いで書き上げてしまいました。
一話あたり2000文字以上が多いのか少ないのかも分かりません。
しかも文字がぎゅうぎゅう詰めで読みにくかったかも。
書き上げてから考えるところが出てきます。
何より内容が万人向けではないものとなれば、もうどう評価されても仕方ないなとも思います。
ちなみに、着想は『ドラマの"世にも奇妙な物語"や"ifもしも"にありそうな感じ』というザックリしたものです。
評価や感想など聞かせていただければとは思いますが、評価や感想が難しい作品だと著者自身も分かっております。
それでは、ここまで読んでいただき、重ねて感謝いたします。
どうか貴方様が当作品の主人公のような目に合わない事を心よりお祈りしております。