表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/2

前編:浦島太郎、亀を釣る。

 昔々あるところに、浦島太郎という男が居った。


 浦島太郎は漁村の生まれ。

 男児として産まれた浦島太郎は周囲から当然海の男に成るよう望まれた。


 強く逞しい海の男。―――しかしながら浦島太郎という男はそうはならなかった。


「良い天気だなぁ」


 背は低く、線は細くて華奢、そして顔立ちはあどけない。

 一人前の男と認められる年齢に達しているのに浦島太郎の外見はこんな風であった。


 腕っ節などからっきし。魚の掛かった重い網など引ける筈もなく。


「今日は何が釣れるかな。魚だったら活きの良い内に(なます)にして食べようか。烏賊(いか)も美味しい……ううん味噌を和えても……悩む」


 そんな(わらし)にしか見えない浦島太郎は海岸の岩場で腰を据えて釣りをするのが趣味であった。彼は仕事を終えて暇を見付ければこうして釣りに出掛けていた。

 とんでもない大物でもないかぎり大力は必要無く、のんびりと空や海を眺めながら暇を潰せる。この釣りという物は浦島太郎にぴったりの趣味であった。


「明日も明後日も良い天気だし、身は開いて干物にするのも良いかも。それで内臓は魚醤(うおびしお)に……」


 浦島太郎が好んでした仕事は草履(ぞうり)(みの)、それと細々とした家具などを仕立てることであった。そうした屋内作業が中心の為に浦島太郎の肌色は漁民として見れば白い方であった。


「……あー……でも四日後には温い潮風が来るなー。やっぱり釣れたら直ぐに焼こう」


 浦島太郎は先程からずっと海に糸を垂らしながら天気や潮をことを口にしている。

 これは決して当てずっぽうでは無い。

 浦島太郎が明日晴れると言えば晴れる。明日の潮は穏やかだと言えば穏やか。


 ―――浦島太郎には生まれ付き天候と潮流をその目で見通す不可思議な力が備わっていた。




 浦島太郎がある程度の意思疎通が出来るようになった頃の話しである。幼い彼は浜辺で海と空を眺めていた。そして傍に居た親に言うのである。


『明日の明日、そのまた明日。雨がばーって降って海にぐわーって大きな波が立つよ。風は木がうぉーって揺れるぐらい吹く』


 その言葉を聞いた浦島太郎の親は初めの内は幼子の戯れ言と本気に取らなかったが……浦島太郎は頻りに「こわい、こわい」と怯えるので無視は出来なかった。親は一応の備えとして村中へ警戒を呼び掛け、家の補強、船を陸へ上げるなどの嵐への備えを行った。

 そうした内に浦島太郎が言っていた日の前日のこと。目に見えて雲行きが怪しくなってきた。

 空の向こうに黒い雲が見え始め、風は何処か遠くへ吸い込まれたように不気味に止んだ。

 嵐の前兆である。


 そうして翌日。浦島太郎の言葉通りになった。

 目も開けられぬような打ち付ける大雨。船さえ転覆させる大波。それらを引き連れてやってきた荒れ狂う大嵐。

 この50年で一番の大嵐は漁村の家々や船を壊し林の木を根っこから引き抜くように薙ぎ倒した。


 その嵐の爪痕は漁村に深く刻まれた。

 常なら幾人かの死者が出るのが普通の嵐。


 ―――しかし、奇跡的に死者は出なかった。


 怪我人は少なくない数が出たがそのどれもが命に別状無い程度の物であった。

 その理由は……村の者達は半信半疑ながらも警告を聞き入れて嵐に備えていたからだ。

 その日から浦島太郎には天候を見通す力が在ると村中に知れ渡ることとなり、更に潮流さえも天候同様に見通せることまで判明した。

 村の大人達、特に長老などの年嵩の者達は浦島太郎を海神様が使わせた神子(みこ)であると考えて彼の能力を重宝し、浦島太郎は村ぐるみで大事にされる存在となった。

 海へ出て漁をせずとも山へ入って柴刈や猟をせずとも田畑を耕して作物を育てなくとも、浦島太郎は村人からの『海神様への供物』という名目で日々の糧を得られ不自由することはなかった。




 そんな恵まれた日々を送る浦島太郎であるが、彼にも悩みという物は在った。


「―――村に戻るの、億劫だなー」


 浦島太郎の抱える悩み。それは“閉塞感”である。


 浦島太郎は村ぐるみで『海神様の御使い』として崇め奉られる自身の現状が息苦しかった。何をするにしても近くに誰かが侍る状況が堅苦しくてしょうがなかった。


 こうして釣りに出掛けるのや屋内で仕事をしたりするのも、全てはひとりになれる時間を欲してのことである。ひとりで釣りに出掛けるのも当初は心配され誰か付けられそうになっていたが、浦島太郎は一目見ればわかるというのに天候や潮流を見通すにはひとりで静かに向き合う時間が必要だと出鱈目を言って、こうして誰もお供を付けること無く出掛けているのである。


「……何処か遠くへ行ってみたい……」


 海に垂らして波間で揺れる糸を眺めながらそんなことを呟く浦島太郎。

 そんな時であった。


「……ん? ……お? ……ぉおおっ!」


 釣り竿に重さが掛かる。何かが釣れた。


「これはっ……大物だ!」


 身体ごと持って行かれそうな強い引き。浦島太郎はそれに抵抗するように全身に力を込めて釣れた何かを引き上げようとする。「うーっ、うーっ」と唸り顔を真っ赤にしながら力み続け、そして―――


「―――っはぁああ! やっぱ無理っ!」


 力尽きた。

 非力な浦島太郎ではこの大物を釣り上げることは無理だった。握力の無くなった手から釣り竿がこぼれ落ち、釣れた何かは自由の身となる。

 海面間近でその大きな影を見せ付ける何かを見て浦島太郎は汗を拭いながら呟く。


「……いったい何が釣れてたんだろう……」


 その問い掛けは釣り上げていなければ答えの出ない問いであった。……だがしかし、答えは想像だにしない方向から返ってきた。


 海面に有った影が、ヌッと水上へ顔を出した。そしてそれは―――


「こんにちは」

「……え?」

「良い天気ですね。甲羅干しするに打って付けの日和です」

「へ?」

「まあ(わたくし)海亀(ウミガメ)ですので甲羅を干す必要は無いのですが。雄なんて生涯(おか)に上がらないのですよ、知ってましたか?」

「……は、はあ……まあ一応?」


 亀だった。


 口の端に釣り糸を引っ掛けたままの亀が海面から顔を出し、浦島太郎へ声を掛けてきたのである。

 これには浦島太郎も呆気に取られ、間の抜けた声をもらしてしまった。


「そこの可愛い(わらし)。ちょっと私の話を聞いてはくれませんか?」

「う、え? ……あ、はい……」

「ありがとうございます。ではお隣に失礼して……よいしょっと」


 何が何やらわからぬまま。浦島太郎は自分の隣りに亀がのそのそと上がってくるのを眺める。海から岩場まで上がり隣まで来たことで浦島太郎はその亀の大きさを知ることとなる。亀の全長は浦島太郎よりも大きかった。浦島太郎が幼子()と見間違えられるほどに小柄で幼いというのも理由の一端であるが、それでもこの亀は人ひとりに比するほど大きかった。


 浦島太郎は直感でこの亀が只者で無い存在であると察した。


(この亀……大きいし喋ってるし)


 直感は別に必要無かった。


「……えーっと……、それで話しとは? あ、ごめんなさい。釣り針外しますね」

「ああ。忘れていました」


 口をあーっと開けた亀の口から浦島太郎は釣り針を外してやる。幸いに針は皮や肉には突き刺さっておらず歯の間に引っ掛かっているだけだったので楽に外せた。


「取れました」

「はいどうも」


 そうして、人並み以上に大きい亀と人並み以上に幼い浦島太郎が並んで海を眺めるという奇妙な状態に落ち着いた。

 亀は「それでは話しをしましょうか」と言うと浦島太郎へ語る。


「実は私、そこの漁村に住むとある方に用が有って赴いた次第でして」

「用、ですか?」

「はい。その方はとても特殊な力を持っている人でして……」


 亀は前鰭を振って海や空を指し示す。


「“法眼(ほうげん)”という能力なのですが……それはこうして空を眺めればその天候を。海を眺めればその潮流を。常人では見通すこと(あた)わず森羅万象をその目に映すことが出来る、両の眼に宿る力でして」

「…………」


 亀が言うとある人物。浦島太郎はそれに心当たりが在った。……と云うより、心当たりが在るとかいう程度の話しでは無かった。

 だって亀の言う人物に該当するのは……勘違いでなければ浦島太郎自身のことだからだ。


「まあ天候や潮流を見通すのはそこまで問題は無いのですが、それに付随する方の力が厄介でして」

「や、厄介……ですか?」


 話しが不穏な方向へ流れてきた気がした浦島太郎は背中に冷たい汗を滲ませる。


「ええ。とても厄介なのです。……その法眼を『人』に使われでもすれば」

「……人に使うと……どうなるんですか?」

「それは―――」


 亀は浦島太郎を見て、そして目を細める。……まるで微笑むように。


「容易く、それはもう、いとも容易く……只人を“仙人”へと至らせることが可能でしょう」

「…………」

「おや、御存知在りませんか? 仙人。あれですよ、あれ。山に籠もって修業を積み、不老長寿と神通力を獲得したとても凄い人のことですよ」

「そ、それは知ってます。……普通の人を仙人に? 本当に? え? えぇ?」


 浦島太郎は亀の言った言葉の意味は理解したが、それでも混乱するのは避けられなかった。彼には自分の目にそんな大それた力が備わっているなど欠片も自覚していなかったのだから。

 そもそもが天候や潮流以外にも、他者を見通せることにこの目が使えること自体初耳だったのである。


 ―――仙人。人が生涯の全てを捧げて漸く至れるかどうかと伝えられる存在。強大な霊力を宿し、神通力や秘術を操る神の如き超越者。神仙とも呼ばれる存在。


 そのような存在である筈なのに……浦島太郎の両目に宿る“法眼”を駆使すれば容易く人をその神仙へ至らしめると亀は語った。


「驚くようなことではありません。……そもそもの話し、貴方は天候や潮流を正確に見抜いているでしょう? 一応訊きますがそれはどれだけ先の日数ですか?」

「え? ……た、多分五日……あ、大凡で良いなら十日ぐらいまでなら……。……ん? へ? あれ?」


 何か変だった。浦島太郎は反射的に返事をしていたが、途中で明らかにおかしいことに気付く。

 亀が法眼の持ち主を浦島太郎だと断定して語り掛けてきたからである。

 しかし亀は困惑する浦島太郎のことなど意に介さず話しを続ける。それで浦島太郎も引き続き応答せざるを得なくなった。


「五日までは確定、不確定で良いのなら十日先まで……充分です。ちなみにその力を他者に用いたことは?」

「ひ、人にですか? ……無いです……」

「空や海の未来を把握するより余程容易いですよ。この人は明日どこで何をするか、なんてことが見通せます」

「……冗談……ですよね?」


 信じられないといった顔をする浦島太郎。……そんな彼へ亀は目を細めて「ふふふ」と愉しそうに笑いながら言う。


「貴方、人ひとりが大空や大海より偉大だとでも思っているのですか?」

「…………」

「簡単ですよ。法眼が在れば。人ひとりの運命を思いのままにすることぐらい」

「……そんな、まさか……」

「死ぬほど過酷な修練を百と余年。それで一万人の内一人でも仙人に至れば上等。……それを法眼を用いれば才無き者でも50年で確実に仙人の端くれへ至らせることが可能。……如何ですか? ここまで訊くと如何に自分の備えた力が異端であるか理解出来るでしょう、浦島太郎」


 遂に亀は浦島太郎が“法眼”の持ち主であると言い切った。

 当の浦島太郎と云えば自身に備わる力が余りにも想像を越える物だった為に呆然としている。

 亀は放心に近い状態になっている浦島太郎へ静かに言葉を掛ける。


「……して。ここからが本題なのですが。私、海神様から一つお使いを頼まれているのです」

「か、海神様から!?」


 これには浦島太郎も仰天。

 目の前の亀は浦島太郎のようなまがい物ではなく、正真正銘の“海神様の御使い”なのである。


 浦島太郎は恐々と亀へ尋ねる。


「あ、あの……もしかして海神様……僕に対して怒ってたりしますか?」


 立場的に浦島太郎は海神の名を借りて甘い蜜を吸っていたと言える。浦島太郎はそんな自分に海神が腹を立てて天罰を下そうとしているのではないかと怯えているのである。


 縮こまってぷるぷると震える浦島太郎。見た目の幼さがより一層憐れに映る。


「怒ってはいませんね。ただ、……ふふふ」

「なんで急に笑うんですかっ」

「まあ、まあ、落ち着いてください。海神様の言い付けの内容は一つですが、貴方に取って貰うべき選択は二通り在るのです」

「そ、それは?」


 亀は言う。何でもないように。まるで明日の食事の献立でも決めるかのように。


「浦島太郎。ここでその命を絶つか、海神様が統べる蓬莱(ほうらい)に招かれ生涯を過ごすか。選んでください」

「――――――」


 突き付けられた選択。その内容に浦島太郎は絶句する。


 死か。もしくは故郷と別れを告げるか。


 浦島太郎は考え込む。長く長く考え込む。隣りに居る亀はそんな彼が答えを出すのを待つよう静かに海と空を眺め続ける。

 押し寄せた波が岩場で弾け水飛沫の花弁が浦島太郎の目の前を舞い散った時……彼は心を決めて答えを出す。


「―――行きます。……僕、海神様の元へ」


 死ぬのは怖い。まだ生きたい。だからこの答えは自然な物。


「わかりました。では参りましょうか、海神様が統べる蓬莱……その地に建つ居城“竜宮”へ」


 亀は自らの背を浦島太郎へ向けると甲羅を揺り動かす。


「私の甲羅に捕まってください。責任を持って私が貴方を運びましょう」

「……はい。宜しくお願いします」


 おずおずと甲羅にしがみつく浦島太郎。それを確認した亀は海面へ向かって声を掛ける。


浮雲(うきぐも)ー。糸をお願いしまーす」


 その声で海面が揺れると……ぷかり……と、(ひょう)で作られた浮きを括り付けられた糸が浮上してくる。針の無い釣り糸の先端がそのまま空中へ伸び上がり、遂に亀の目の前までやってくる。まるで海中と地上を逆転させて釣り糸を垂らしたかのような光景に浦島太郎は瞠目する。


「あむ。……では快速で参りましょう。御搭乗の浦島太郎さんはしっかり捕まって居てください」


 そう言うやいなや糸を咥えた亀は海へと飛び出した。

 浦島太郎は眼前へと迫り来る海原に身を強張らせる。何となく予想はしていたが水中に向かうということで浦島太郎は息を大きく吸って呼吸を溜め込む。


 ―――ピン。そんな音が鳴りそうなほど糸が張り詰め、そして亀とそれにしがみつく浦島太郎を強い力で引き寄せる。


 ふたりの姿が海面へと吸い込まれる。……水は音を立てなかった。するりと通り抜けるように、ふたりの影はこの場から消え去った。




 この日以降。この漁村で浦島太郎の姿を再び見る者は居なかった。釣りの最中誤って海へ転落して帰らぬ人になったと思われた。村人達は大いに悲しんだが、海神様の使いが海神様の元へ帰ったのだと思いこの件は浦島太郎を弔って終いとなった。




 ◆◆◆






「―――はい到着です」

「……はへ?」


 海に落ちた。そう思った次の瞬間には浦島太郎は見覚えの無い場所へ辿り着いていた。


 そこは見知らぬ海浜。


 白くキメの細かい砂浜には静かな波が寄せては返しており、その海は陽の光を浴びて瑠璃色に輝いている。透き通った海はそこで泳ぐ魚たちの力強さと生命力を見せ付け、海底に散らばる珊瑚や貝に海藻はまるで宝石のように目に映る光景を彩る。

 美しい光景だった。浦島太郎はこんなにも美しい海浜は見たことが無かった。

 しばしの間呆然と立ち尽くしていた浦島太郎であったが、肩に感じる乙姫の手の温かさで思考を取り戻す。


「―――こ、ここは? ついさっき海に入ったばかりで……あれ?」


 浦島太郎は混乱する。移動した記憶が無いのでそれも当然の反応である。まさに一瞬の出来事。


『お帰りなさいませ、乙姫様』

「わひっ」


 浦島太郎は直ぐ傍で聞こえてきた声に驚き飛び上がる。この場には亀と自分だけだしか居ないと思っていた彼は声を掛けられたことでようやく自分達以外にも誰かが居たことに気が付いたのである。


「ええ。今帰りました。相変わらずお前の“糸引き”は見事ですね。ズレが殆ど起こらないのですから」


 乙姫。声の主からそう呼ばれた亀はその者に返事をする。鷹揚とした態度で。


『お褒めに与り恐悦至極』


 砂浜に有る丸く磨かれた岩。それに腰掛けて糸を海へ垂らしていた者はぺこりと頭を下げる。―――それに合わせてワサワサと大量に生えている(つる)のような触手がうぞうぞと蠢く。


「……フジツボ?」


 その者の正体は浦島太郎が口にしたようにフジツボであった。


 巨大なフジツボ。中に人ひとり収まりそうなほどの大きさ。それが岩に腰掛けて……というより張り付いていた。そして火山(アサマ)の姿形で火口のような頂点の穴から触手を数え切れないほど伸ばし、その内の数十本を用いて釣り竿を握っている。

 下げた頭も、触手を折るように倒れさせて行ったお辞儀のような挙動をそう表現しただけである。


 人ではないのに人語を解する者が亀に続いてこれで二体目。浦島太郎にも慣れが出始めた。


「浦島太郎。彼女はこの白浜で“糸引き”の役目……神足通(じんそくつう)と言えば良いでしょうか。そうした瞬間移動の補助を生業にしている者で浮雲(うきぐも)という名です」


 神足通とは仙人が長距離を一瞬で移動する為に用いる術、又は能力である。


『紹介に与りました浮雲です。こんにちは浦島太郎様、蓬莱へようこそ』

「ど、どうも……」


 彼女と紹介されたフジツボ(浮雲)はうねうねと触手の一本を浦島太郎へ差し出し握手する。……とても良い匂いがした。フジツボだから生臭いかもと思っていた浦島太郎は彼女のその花のような香りに面食らう。そんな彼へ亀は自慢げに語り出す。


「ちなみに私が貴方の元へ赴いた時は、貴方が垂らしていた釣り糸と針を起点に移動しました。法眼と縁を持つ者を辿る為にあの漁村近くを目標に浮雲にお願いしたのですが……まさか浦島太郎御自身だったとは流石に私も驚いたのですよ? ……実はこの移動方法は中々に難しく、補助が無ければ数百年の誤差が発生したり別の世界へ飛び出したりする可能性も有ったのですが……彼女の手に掛かればこの通りです。誤差が出てもほんの数瞬で済みます。これだけの糸引きの腕を持つ者は蓬莱広しと言えども彼女ぐらいしか―――」

『……乙姫様。乙姫様』

「あら? 如何しました? 浮雲」


 浮雲は触手の一本で乙姫を突き、浦島太郎の方を指し示す。


『彼。話しについて行けず頭から湯気が立ちそうですよ』

「……まあ」


 浮雲の言う通り浦島太郎は乙姫が説明することの何一つ理解出来ず、だが生来の真面目さからか頑張って頭に叩き込もうとし結果……目を回しそうになっていた。


「……糸が飛んで……百年が補助って、法眼が神足通……」


 支離滅裂の極みだった。

 浦島太郎の頭の中では眼球に手足が生えた妖怪が糸を振り回しながら海山天地を飛び回っている絵が浮かんでいた。……正気を失いそうな絵面だった。


「もし。聞こえてますか? 浦島太郎」

「―――……はっ! き、聞いてる! ちゃんと聞いてたよ!」


 目の前で亀がひらひらと鰭を振って浦島太郎は目に光を取り戻す。そんな彼へ亀は申し訳なさそうな態度で口を開く。


「……御免なさい浦島太郎。少し説明に熱が入りすぎてしまいました。そろそろ竜宮城へ向かいましょう。あの林を抜けた向こうに有りますから」


 亀は先導する為にのそのそと前へ進んでいく。浦島太郎は「わ、わかった」と言ってから亀の後を急いで着いて行く。

 そのふたりの背へ浮雲は言葉を掛ける。


『道中お気を付けて、乙姫様』


 浮雲の言葉に亀は「ええ。わかりました」と返答すると後ろに浦島太郎を引き連れて林の奥へと続く道を歩いて行った。


 ―――そうして二人を見送った後に浮雲は触手を引っ込め、誰に聞かせるでもなく静かに呟く。


『……大丈夫かしら、乙姫様。だって―――』


 それ以上の言葉は波音に掻き消され、白浜にすら響くことは無かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ