第9話 衛士長の嘆願
ヴァロウは、相変わらず政務に精を出していた。
そんな時、エスカリナがやってくる。
珍しい人物を伴って、書斎の中に入ってきた。
「ヴァロウ、失礼するわよ。実は、衛士長からあなたに嘆願があって……。ちょっと聞いてくれる?」
「嘆願?」
ヴァロウは細い眉宇を動かす。
書類から顔を上げ、衛士長を見つめた。
4、50代ぐらいの如何にも管理職という感じの衛士長は、ビクリと肩を震わせる。
ヴァロウの瞳は鋭い。
くわえて普段から仏頂面である。
側に控えているメトラすら、その感情の機微がわからない時があるほどだ。
故に衛士長は怒られた子どものように縮こまる。
ごくり、と息を呑んだ。
その緊張が伝わってきたのだろう。
側にいたエスカリナが「さあ」と背中を押した。
数瞬、逡巡した後、衛士長は口を開く。
「今日はお願いがあって参上しました、ヴァロウ殿」
「なんだ? 気を楽にして、自由に話せ。心配しなくても襲いかかったりはしない」
ヴァロウも衛士長から漂う空気を読む。
甲斐あってか、衛士長の表情が少しほぐれた。
一方、ヴァロウは「嘆願」というものを計り兼ねていた。
駐屯兵とはうまくやっている。
一緒に守備に加わっているザガスが粗相をしたという話も聞かない。
衛士長とエスカリナが定期的に兵にケアしているため、今のところ脱走者は0だった。
不満が“0”というわけではないだろうが、うまくやっているように思える。
とにかく手を机に置き、衛士長の話に耳を傾けた。
「まず1つお尋ねしたい。ヴァロウ殿は、このルロイゼン城塞都市の状況がずっと続くと考えておられるのでしょうか?」
やや漠然とした質問だ。
内政向けと外政向けの答えだけでも、ヴァロウの頭に20通りは思い浮かぶ。
だが、駐屯兵の衛士長が聞いているのは、どちらかと言えば外政だろう。
おそらくだが、今後ここを攻めてくる外敵のことを指摘しているのだ。
そのヴァロウの予測は、的を射ていた。
「ないだろう。少なくともそろそろ敵が攻めてきてもおかしくない。俺の予測では今すぐ来てもおかしくないぐらいだ」
その大胆な予測に、衛士長はおろかエスカリナ、メトラともども息を呑んだ。
ヴァロウの予測では少なくとも一昨日か三日前には、ルロイゼンの状況を確認されたはずである。
そこから軍の準備と、行程を考えれば、1番近い都市で3日はかかると予測していた。
故に、今すぐ現れてもおかしくはないのである。
衛士長は話を続けた。
「では、お願いがございます。仮に近くの諸都市の兵と争い事になった時、私の部下たちを戦場に出さないでいただきたい」
衛士長は鉈でも振り下げるように頭を下げた。
その発言に目を細めたのは、メトラである。
「駐屯兵は戦わないと?」
やや強い口調で詰問する。
しかし、衛士長は「申し訳ない」と謝るばかりだった。
ヴァロウが口を開く。
その表情は相変わらず無感情だった。
衛士長の言葉を聞いても、眉一つ動かさない。
周りから見ても、何を考えているかわからなかった。
「つまりは、同族と戦いたくないということだな」
「その通りです」
「いいだろう」
「はい。しかし、我々は――――。…………今、なんと?」
「いい、と言ったが?」
「え? いや、しかし――――」
衛士長は戸惑うばかりだ。
困難な交渉になると思っていた。
駐屯兵の数は200。
少ないが、ヴァロウにとっては貴重な戦力である。
それが衛士長自ら「戦わない」と宣言したのだ。
当然、ヴァロウは烈火の如く怒るものだと考えていた。
だが、ヴァロウはあっさりとその戦力を手放す。
拍子抜けしたのは、衛士長の方だった。
「よろしいのですか? 駐屯兵は何もしないといっているようなものなのですよ」
「何もしていないことはないだろう。ルロイゼン城塞都市の人口は3000人。お前たち駐屯兵の治安維持能力がなければ、俺たちはあっという間に潰れていたかもしれない。逆にお前たちは、3000人という市民を抑えているということになる。それだけで、立派に役割を果たしていると俺は思っているのだが」
「あ、ありがとうございます」
「ただし衛士長。これだけは覚悟しておいてほしい。エスカリナ、お前もだ」
ヴァロウの鋭い視線が飛ぶ。
名前が出された両者は、キュッと背筋を伸ばし、真剣な表情でヴァロウの話を聞いた。
「仮に敵が、敵意を持って我々に攻撃するというならば、魔族は容赦なくその人間たちを殺す。戦術によっては、相手に恐怖を与えるような戦いも必要になる。卑怯だとののしられるような戦法も、俺は躊躇なく使うだろう」
エスカリナと衛士長は、ごくりと息を呑んだ。
それはヴァロウの言葉の強さにではない。
彼から漂ってくる強い意志のようなものに、圧倒されてである。
だが、次に言ったヴァロウの言葉は、2人に少々意外に響いた。
「その時、俺を許さなくていい」
「「――――ッ!!」」
「だが、お前たちが反論しようとも、俺に剣を向けようとも……。俺は決して今言ったことを躊躇するつもりはない。それだけは覚えておいてくれ」
ヴァロウが掲げる魔族と人類の和平。
そこに1滴の血も流れないなんていう絵空事が通じるとは、ヴァロウも思っていない。
そう思っているのは、勇者たちぐらいなものだろう。
だが、ヴァロウは軍師である。
そして、それすら過去のことでしかない。
今は魔族であり、魔王の副官なのだ。
だから、ヴァロウはこれから何百、何千、いや、何十万という人間を殺すだろう。
そこに迷いはない。
迷いがあれば、最初から魔王軍に参加などしない。
メトラと一緒に、少し奇妙な生活を送っていただろう。
しかし、ヴァロウは戦場に戻ってきた。
誰のためでもない。
ただ自分が前世で果たせなかった夢のために。
魔王の副官となって、今敵地のど真ん中で椅子に座って政務をこなしているのだ。
「どうする、2人とも。止めるなら今のうちだぞ? むろん、抵抗はするがな」
すると、エスカリナは頭を垂れる。
横の衛士長が、鞘から剣を抜くことはなかった。
「あなたに、この身と領地を預けた時から、覚悟していたわ。異論なんてない。あるわけがない。存分にその力とその知略を振るって、ヴァロウ」
「私も同じくです。ヴァロウ殿は、私の意見を聞き届けてくださった。これ以上の要望はわがままというものでしょう」
「――――」
ヴァロウは小さく呟く。
微かに聞こえたその意外な言葉に、エスカリナと衛士長は顔を上げた。
確かに聞こえたのだ。
ありがとう、と――――。
確かめようとエスカリナが身を乗り出す。
その時だった。
慌ただしい音が階下から聞こえてくる。
ノックもせずに、荒々しく扉を開けたのは、駐屯兵の1人だった。
「何事だ! ノックもせずに!」
衛士長は叱りつける。
申し訳ありません、と飛び込んできた兵は謝罪しながら、荒い息を吐き出した。
そして息が整わぬうちに叫ぶ。
「て、敵襲です!!」
書斎の空気が、一気に張りつめた。
いよいよ敵がやってきたのだ。
ヴァロウの予測通りだった。
「どこの軍だ?」
「大要塞同盟の都市の1つテーランだな?」
兵士が確認する前に、ヴァロウは言った。
まだ息が整わない兵士は言葉に出さず、何度も頷く。
大要塞同盟とは、要塞メッツァーを主とした6つの要塞都市群のことである。
そこにルロイゼンも含まれていた。
6つの要塞都市を街道で繋ぎ、魔族に対する防御線としたのだ。
「旗に……。盾と、6つの星が……。ありました。ま、間違いありません」
「よくわかったわね、ヴァロウ様」
エスカリナは感心する。
「簡単だ。テーランがここから1番近い都市だからな」
そしてルロイゼンと一番交流があるのもテーランだ。
城門が閉められ、その交流がなくなれば、不思議に思うのも同然だった。
「如何致しますか、ヴァロウ様」
メトラが尋ねる。
慌てるエスカリナや衛士長とは違って、こちらは落ち着いていた。
「むろん、戦う」
「え? しかし、ヴァロウ様。たった3人とスライム200匹で戦うのですか?」
「ああ……」
「無茶ですよ。テーランがどれほどの兵力を連れてきたのかは知りませんが、ルロイゼンと違って、あそこは6000人の人口を抱えているのです。その兵力は単純に見積もっても、倍はいるかもしれません。いや、その倍だってありうる」
僻地のルロイゼンと違って、テーランは大きく、大きな街道沿いにあるため、交通の要衝として、急速に発展してきた都市である。
それ故に、商人との癒着も取り沙汰されることもしばしばだ。
ルロイゼン元領主ドルガン同様に、領主もあまりいい噂をきかない。
だが、その発展と豊かさは本物だ。
エスカリナの言うとおり、1000の兵がいてもおかしくはない。
だが、それでもヴァロウは1歩も退かなかった。
「かまわん。立ちはだかる敵は、すべてなぎ倒すだけだ」
ヴァロウは立ち上がる。
メトラを伴い、迷うことなく戦場へと向かった。
城塞都市防衛戦が始まります!




