第18話 テーランの夜明け
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ステバノスは生きていた。
ヴァロウによって追いつめられたが、それでもアイギスを使って、奮闘する。
腹の傷のおかげで、腰から下は真っ赤に染まっていた。
しかし、次第にアンデッドの数に押される。
最後は崖に追いつめられ、谷間に落ちていった。
「アイギス!!」
精霊の名を呼ぶ。
風のクッションを作らせると、落下のダメージを負うことなく着地した。
そのまま足を引きずり、歩き出す。
喘ぐように息を切らし、よたよたと歩く様は、とても勇者とは思えない。
まさに敗軍の将であった。
その様子を崖の上から、ヴァロウは見送る。
質問したのはメトラだった。
「よろしいのですか、ヴァロウ様? 捨て置いて」
「案ずるな、メトラ。ヤツにトドメをさすのは、俺じゃない」
「それは――」
「直にわかる」
ヴァロウは自分の手の平に目を落とす。
そう。
すべてはヴァロウの手の平の上で動いていた。
すると、濃い血の臭いが漂ってくる。
鮮血がほとばしらせながら、現れたのはザガスだった。
「おい! 勇者の野郎はどこへ行った?」
血まみれの人鬼は吠える。
「あなた、大丈夫なの?」
メトラは左肩をざっくり切り裂かれたザガスを見て、目を丸くする。
「へん! こんなの唾付けてりゃ治る」
ザガスは強がる。
人鬼の再生能力は高い。
だが、それでもザガスが言うように「唾を付けて」治るレベルを越えていた。
メトラは得意としている回復魔法を使う。
しばらくして、ようやく傷がふさがった。
「ありがとよ、メトラ」
ぐりぐりと肩を回すと、ニヤリと笑った。
今からもう一戦とばかりに、駆け出していきそうだ。
それほどザガスは闘気を充実させていた。
よほどステバノスとの戦いが、楽しかったのだろう。
「そんなに動かさないで下さい。くっついたばかりなんですから」
「わかってるよ。で、この後どうするんだ、ヴァロウ?」
「このまま帰ってもいいが、勇者の末路を見届けるのも悪くないだろう」
「なんだよ。もう戦はおしまいか」
「不満か……?」
「まあな。でも、久しぶりにマジになれたからな。楽しかったぜ」
ザガスは牙を剥きだした。
ヴァロウは「ふん」と鼻を鳴らす。
そして北を見つめた。
「では、行くか。テーランに」
3人の魔族の足は、再びテーランへと向けられた。
◆◇◆◇◆
豚のように喘ぎながら、ステバノスはテーランの城門を叩く。
もう夜だ。
本来なら開門しない時刻ではあるのだが、「ステバノス」の声を聞いて、兵士たちは慌てて門を開けた。
すると変わり果てたステバノスの姿を見て、門兵はギョッと目を剥く。
金髪には鮮血がかかり、白い肌には汗が滲んでいる。
腹には穴が空き、下腹部が真っ赤に染まっていた。
本当に本人なのかと思うほど、疲弊している。
そんなステバノスは、門兵を見た瞬間、地面に崩れおちた。
「す、ステバノス様!」
「い、一体どうされたのですか?」
「他の兵は?」
自警団として残しておいたわずかな兵が集まってくる。
ともかくステバノスは「水を……。水を……」と言葉を繰り返した。
差し出された水袋で喉を潤すと、ようやく息を整え始めた。
そしてそのまま何も言わず、よたよたと街の中にある宿営地へと向かう。
このまま泥のように眠ってしまいたかった。
「ああ……。そうだ。これは悪夢なんだ。だから、きっとこのままベッドで眠って、起きたら、いつも通りの日常が待ってる。そしたら、天使に会おう。僕の天使たちに……」
ステバノスの足取りが速くなる。
だが、その前に現れたのは、テーラン代表ロアリィだった。
「どうしたんだい、ロアリィ?」
「お前の方こそどうしたんだ、ステバノス?」
ステバノスはロアリィからいつもと違う雰囲気を感じた。
敗残兵として、何の成果もなくおめおめと帰ってきたことを怒っているのか。
結局、食糧を確保できなかった将を咎めているのか。
それは勇者ステバノスにもわからない。
ただロアリィがとてつもなく怒っていることだけはわかった。
しかし、彼の機嫌などステバノスにとっては関係ない。
適当にあしらって、また明日話を聞こう。
「悪いが疲れているんだ。怪我もしてるしね。話は明日――――」
「ダメだ。ステバノス」
ロアリィは道を塞ぐ。
ステバノスの眉間が動いた。
このまま切ってやろうかと、本気で考えた。
それでも勇者ステバノスは、笑みを浮かべる。
「怪我人なんだ。優しく――――」
「これが何だかわかるか?」
ステバノスの言葉が終わる前に、ロアリィは言った。
前に突きだした手の中には、紐が通った小さな木の像がぶら下がっている。
よく見ると、聖霊ラヌビスだった。
「それは――――ッ!」
何? と問いかけて、ステバノスは口を噤んだ。
ゾッと背筋に冷たい汗が垂れていくのがわかる。
見たことある。
だが、それが何かステバノスはわからない。
それでも、それがとてもヤバいものであることがわかった。
「これはゲリィの母の形見だよ」
そう言って、ロアリィは滂沱と涙を流し始めた。
「だが、これはもうゲリィの母親の形見ではない。ゲリィの形見になった。小さな少年が残していったものだ。お前が殺したな!」
「落ち着け、ロアリィ! 君は何か勘違いしてる」
「勘違いしてるなら、それもいいさ。勘違いだと思いたかった。何かの間違いだと……。だが、私は見てしまったんだ」
「…………な、な、なにをみた」
「君の宿営地だ。秘密の部屋の中身を見た」
「……そうか」
「なんだ、あれは! 何をしたんだ!? あそこで君はゲリィに何をしたんだ!!」
うるせぇぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇ!!
ステバノスは叫んだ。
青い瞳を剥きだし、ギロリとロアリィを睨む。
騒ぎを聞きつけ、兵や民衆たちが夜中にもかかわらず集まってきた。
小さな子どもも眠い目を擦りながら、側の親に尋ねた。
「勇者様、どうしたの?」
その言葉にステバノスは反応する。
甘いマスクを持つ勇者の姿はどこにもいない。
悪魔が乗り移ったかのように、その顔は醜悪に歪んでいた。
「そうだよ。僕は勇者だ。勇者なんだよ。だけどさ。勇者の中では底辺だった。だから、地方の一領主のポストしかもらえなかった。他の同期は侯爵や大臣級の職についているのにさ。最前線からも本国からも遠い、こんな地方の領主だ」
青い顔をしながら、ステバノスは己の半生を語る。
黒い井戸の底から響くような声で。
「地方の領主はそりゃ穏やかな生活だったけど。でも、足りない。面白みもない。田舎臭い女にも飽きた。何もすることがなかった」
けれど――。
「天使たちは違った。彼らが囀るたびに、僕はやっと生きている実感が得られた。だから、彼らのためなら何だってしたよ。……でも、なんでだろう? いつか囀るのをやめてしまうんだよ、彼は」
「まさか君は、自分の領地でも同じようなことを……」
「当たり前だよ。……でもさ。警戒が厳しくなってね。まあ、そう指示したのは僕なんだけどさ。だから、天使を捕まえるのが難しくなっちゃった」
ここで言う「天使」という言葉は、誰が聞いても分かる言葉だった。
ステバノスが赴任してから2年。
ずっと同じような凶行を繰り返していたのだ。
「『テーランを救ってほしい』。ロアリィ――君の嘆願の手紙をもらった時は嬉しかったよ。これでテーランの天使を捕まえられる」
「お、お前は! そのために私たちに力を――――」
「当たり前じゃないか! それ以外、僕に何のメリットがあるっていうんだよ。天使がいなかったら、こんな弱小都市を救ってもなんの益にもならないじゃないか」
「じゃあ、俺の娘も……」
「私の子どもも……」
「鬼だ!」
「いや、悪魔だ!!」
民衆たちは声を張り上げた。
彼らとて食糧がなく限界だった。
立って話を聞くことすら難しい状況にある。
しかし、怒りが身体の中にある限界というスイッチを切ってしまっていた。
「アイギス!!」
ステバノスは手を掲げる。
すると風の精霊が現れた。
暗闇の中でも、ぼうっと光る。
今や彼に味方するのは、精霊1人だけになってしまった。
「近づくなよ! お前らを皆殺しにすることだって造作もないんだ、僕は!」
その時だ。
一条の雷光がアイギスを貫いた。
凄まじい魔力に、精霊とて抗えない。
現世に形を作ることもできず、一瞬にして消滅した。
「な! アイギス!!」
ステバノスは風の精霊が消滅した場所を呆然と見つめた。
続いて、雷光が飛んできた方向を確認する。
城門の上に人がいるのに気付いた。
夜の帳の中でも、あのヘーゼル色の瞳が冷たい光を讃えていた。
「ひぃぃぃいいいいいいいぃいぃいいぃいぃいぃいいぃいぃぃい!!」
ステバノスは悲鳴を上げ、よろける。
ドスッ!!
不意に背中に衝撃が走った。
一瞬、何が起こったかわからない。
しかし、気がついた時は自分は血だまりの中に立っていた。
誰ものでもない。
ステバノスの血だった。
首を回し、振り返る。
そこにいたのは、女だった。
名前も知らない。
妙齢の女である。
手には古びた包丁を握り、目に涙を溜めていた。
「子どもの仇――――」
息を呑むように言った。
どうやら、子どもを殺された母親らしい。
「はは……。あはははははははは……」
ステバノスは笑った。
自分でもなんで笑っているのかわからない。
けれど、おかしくて仕方なかった。
そして人が殺到する。
すべての怒りを勇者にぶつけた。
骨格が変わるぐらい殴られ、身体にはいくつもの穴が開いた。
やがてピクリとも動かなくなる。
風の勇者ステバノスの最期は、呆気ないものだった。
民衆のために戦った男は、民衆によって殺されたのである。
そしてテーランに夜明けが訪れた。
次回、テーランの反乱編が終幕です。