第171話 2人のヴァロウ
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オルタンシアの前に広がっていたのは、巨大な地下空間だった。
その中で空気が循環を続けているらしい。
しかし、底の方から吹き上がってきた風は生ぬるく、さらに腐臭に近い臭いがして、オルタンシアは思わず顔を顰めた。
それは魔族の臭いだ。
だが、それよりも驚いたのは、やはりこの地下空間である。
元々メッツァー城塞都市にあった地下空間を利用したというが、それでも広大で、かつ深い。
これほどの穴を掘削し、さらに維持するにはかなりの土木建築能力が必要である。
ドワーフたちが手を貸していることは知っていても、あまりに常軌を逸した地下城であった。
「これが新魔王城ゲーディア……」
息を飲む。
自然と震えが足下からせり上がってくる。
ピンと逆立った毛が、元に戻ることはなかった。
これから重要な仕事が待っている。
だが、リラックスするにはあまりにもこの建物は威圧的だった。
「すげぇだろ?」
笑ったのは、案内役のヴォーギンだった。
実は獣人たちもこのゲーディア城にはあまり寄りつかない。
今は、かつて『風の勇者』ステノバスが治めていたゴドーゼンの復興に手を貸しているらしく、ヴォーギンも重要な会議以外訪れることはないらしい。
旧ゴドーゼン城塞都市は旧同盟領の中で、もっとも本国寄りに位置する都市である。
そのような地政学上重要な都市に、ヴォーギンたち獣人が統治を任されたのは、彼らの存在を隠さないという魔族側の意志の表れだろう。
堂々とその鼻先に見せることによって、魔族と獣人の同盟が真実であり、強固であると世界に示したいのだと、オルタンシア以下反政府報道機関の記者たちは考えていた。
「はい。こういうのもなんですが、ちょっと、その――――」
「ははは……。ションベンでも漏れそうってか」
獣人族の雌性としては、あまりつまびらかにしてほしくないことなのだが、実は真実であった。
目の前にトイレがあれば、今すぐにでも駆け込みたい気分だ。
「本当に顔色悪そうだな。少し休むか」
「いえ!」
オルタンシアは背筋と尻尾を伸ばし、首を振る。
「ヴァロウ氏がお忙しい中、時間を割いてくれたんです。これ以上遅れるのは失礼に当たるかと……」
王国軍の不必要な横やりによって、スケジュールはだいぶ遅れている。
ヴォーギンのおかげで生き延びたが、追っ手に追われながら、夜の森を走るのはもう金輪際御免被りたい。
魔族領に入ったと聞いた時は、ホッとするあまり昼間に食べたクルミご飯と、感動の再会を果たす羽目になってしまった。
なんとかゲーディア城に辿り着いたはいいが、いつまでもホッとしてられない。
もしかしたら今から自分が行うインタビューは、王国兵に追われる以上に危険なことかもしれないからだ。
しばらくゲーディア城の中を歩いた後、ついに件の会見場所に到着した。
ヴォーギンがやや荒っぽくノックする。
返ってきたのは厳かな女性の声だった。
入室すると、そこにいたのは長い銀髪を垂らした見目麗しい女性であった。
オルタンシアは思わず息を飲む。
サキュバスという種類の魔族だ。
肌は透き通るように白く、大きく張ったお尻からスラリとした足が伸び、豊満な胸は同性であるオルタンシアですら、欲情しかねない魅力を秘めていた。
ニコリと笑う。
孤を描いた赤い瞳もまた、蠱惑的だった。
「初めまして。オルタンシア・ルシエンテスと申します」
オルタンシアは慌てて挨拶をし、やや大げさな自分の名前を告げた。
女性は微笑む。
どこか大人の余裕を感じさせた。
「よくいらっしゃいました。私はメトラと申します」
「え? メトラ?」
「何か?」
オルタンシアは思わず聞き返す。
それは記者として当然だろう。
メトラという名前は、15年前に殺されたメトラ王女と同じ名前だからだ。
事件当時、オルタンシアは貴族の家にいた。
まだ国政のことには興味がない頃ではあったが、世話になっていた貴族がとても慌てふためいていたことをよく覚えている。
だが、駆け出しの記者として、メトラ、そしてヴァロウの名前に何かあると考えずにいられなかった。
「オルタンシアさん?」
「あ。いえ……。えっと……」
「どうぞこちらにおかけになってお待ち下さい」
二脚ある一方の椅子を勧められる。
オルタンシアは言われるまま腰掛けた。
なかなか高そうな椅子だ。
革張りで程よく柔らかい。
座ってて、とにかくリラックスができた。
できれば、この椅子に座ったまま記事を書きたいものだ。
椅子に座ったオルタンシアはぐるりと部屋を見渡す。
さして広くない部屋だ。
だが、2人で話をするには十分だろう。
部屋が広すぎると、音がこもってしまってよく聞こえないこともある。
品のいい調度品もいくつかある。
1枚絵画置かれていて、燦々と太陽の光が降り注ぐ草原の風景が描かれていた。
およそ魔族には似つかわしくない風景画だが、地下にずっといれば、こういう風景も見たくなるかもしれない。
「あのヴァロウ氏は……」
「もうすぐ来ると思います。あっ――」
扉が開く。
入ってきたのは、メトラよりも小柄な青年だった。
闇を染め込んだような黒髪。
整った卵形の顔。
猫のような瞳。
ここまで書けば、単なる美男子であろう。
だが、人鬼族の青年の頭には羊のような巻角と、口にはしっかりと牙が見える。
それにしても、小柄なのが驚きだ。
栗鼠族の自分が言うのもなんだが、とても魔族を率いる師団長であり、魔王の次に高位の地位を持つ、副官とは思えなかった。
「ヴァロウ様、こちらがオルタンシア様です」
「そうか。遠路はるばるご足労いただき感謝する。オルタンシア殿」
「い、いいえ。私こそお招きいただきありがとうございます。反政府報道機関を代表し、あなたに感謝をお伝えします」
オルタンシアは向こうから差し出された手を握る。
思ったよりも柔らかいことに驚いた。
「道中はいかがだったかな?」
「ヴォーギン殿に助けていただきました。あなたのご指示だったとお聞きしています」
「ヴァロウ、あんたの読み通りだ。情報が漏れていたよ。ヤツら、血眼になって探してたぜ」
ヴォーギンは首を竦めた。
「ご苦労だった。同郷同士、何か話をしたいことがあれば、後でセッティングしよう」
「それには及ばねぇよ。ここに来るまで、たいていのことはお互い喋っちまった」
「あはははは……」
オルタンシアは苦笑いを浮かべる。
だが、振ったのはオルタンシアじゃない。
ヴォーギンの方だった。
元々『ベヒーモス』は荒くれ者の集団だ。
本人曰く、女性と見ると、口説かずにはいられない質らしい。
ここに来るまで、色々な話を聞かせてもらった。
おかげで、ヴォーギンたちがここに至る経緯も知ることができたのは、大収穫だった。
「ああ。そうだ。オルタンシア、出来ればあんたと楽しくお喋りしていたことは、フォービルには内緒な。あ、フォービルってのは、うちの副官だ」
「構いませんよ。私は取材をしただけなので」
「そうか。助かるよ。じゃあ、頑張れ」
ヴォーギンはちょっと乱暴にオルタンシアの頭を撫でると、部屋から出て行った。
残ったのは、自分も含めてヴァロウ、メトラの3人だけである。
部屋の空気が徐々に作られてくると、オルタンシアは1度息を飲んだ。
最初に切り出したのはヴァロウであった。
「早速始めてもいいが、お疲れではないかな、オルタンシア殿」
「い、いえ――――と否定したいところですが、さすがに……。でも、お忙しいところお時間を割いていただいているのです。あなたの言葉を一日千秋の思いで待っている国民もいます。どうかお気になさらずに」
おべっかではなく、これはオルタンシアの本音だ。
自分の記事を待っている人間がいる。
彼の一言で、明日の世界が変わるかもしれないのだ。
物見遊山している時間などない。
「わかりました。では、せめて紅茶でもいかがでしょうか?」
「こ、紅茶?」
「ヴァロウ様が淹れる紅茶は絶品ですよ」
メトラも勧める。
オルタンシアが絶句した。
重要なインタビューの前に紅茶を出そうとしたからではない。
知っていたのだ、オルタンシアは。
あのヴァロウ・ゴズ・ヒューネルが、大の紅茶好きであることを。
「は、はい。喜んで」
オルタンシアは挑むような目つきで頷いた。
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