第114話 ウルリカ
ついに、かつての所領であったルロイゼン城塞都市に降り立った魔王ゼラムスと、魔族軍第一師団を率いるドラゴランの姿は、岸辺にいた。
この戦において、最大の功労者ともいえる海の魔物たちを労っていたのである。
魔族と海の魔物とは、昔から仲が悪かった。
生物学上では、魔力の元――魔素を源とする生物であることは間違いない。
しかし、魔族の中で海は穢れているという認識が根強く、それは海の魔物との諍いにまで発展した。
だが、今回の一件で海の魔物は、魔族の中で一定の地位を確立することは間違いない。
加えて、魔族の中で海の幸に関する認識が変わってきていることも大きい。
ゼラムスは長い間断行していた海の魔物との関係を修復するため、ルロイゼン城塞都市には入城せず、先に海の魔物を労ったのである。
「あなた方の活躍は、ヴァロウより聞いております。よくヴァロウを補佐し、仕えてくれました。そして、ルロイゼン城塞都市をよく守ってくれました。礼を言います、海の魔物の方々」
ゼラムスは声をかける。
おお、とどよめきが起こった。
人魚は唄を歌い、感涙で海を濡らす魚人たちもいる。
ゼラムスの言葉は、海の魔物にとって、歴史的な和解を意味するものだった。
「あなた方には、引き続きヴァロウに仕えてもらうことになります。よろしいですか?」
「はっ! もちろんです」
答えたのは、人魚だった。
海から出て、ゼラムスの前で尾を畳み、頭を垂れる。
「ヴァロウ様なしには、今の我らはありません。是非、今後もヴァロウ様のもとで働かせていただきたいと思います」
「ありがとうございます。……ところで、あなたが海の魔物の代表者でしょうか?」
「はい。ヴァロウ様の命令により、務めさせてもらっています」
「なるほど。わかりました。では、あなたを海の魔物の代表者として、正式に任じます。よろしいね?」
「それはまさか……。名前をいただけるとということでしょうか?」
知能のある魔族だが、そのほとんどが名無しで活動している。
名前を持てるのは、群のリーダーとなるものだけだ。
他は便宜上の名前こそ存在するが、名前というよりは記号という認識に近い。
彼らにとって『名前』とは、ゼラムスからもらった呼び名を示す。
こうして直接名前を与えられる機会こそ稀だが、ゼラムスからもらった名こそ、真の名前であると同時に、最大の誉れなのだ。
ちなみにヴァロウもメトラの名前も、ゼラムスから戴いている。
人間の時と同じ名前なのは、単なる偶然だ。
目を輝かせる人魚を見て、魔王ゼラムスは微笑む。
「構いませんね」
「是非……」
人魚はさらに深く頭を垂れた。
仲間からも異論が出ることはない。
遠くで、リヴァイアサンが吠えていた。
その儀式を祝福しているようだ。
「では、あなたの名前はウルリカと名付けましょう。よろしいですね、ウルリカ」
「ウルリカ……。それが私の名前――」
すると、ウルリカに変化が起きる。
ぼうと光を帯び始めた。
名前を付けられたことによって、ゼラムスの魔力の一部が流入していっているのである。
変化は魔力だけではない。
ウルリカの身体が、どんどん人間らしくなっていく。
大きな尾は二足の足になり、一部鱗が浮いていた皮膚は白く美しい肢体へと変化していた。
現れたのは、14、5歳ぐらいの少女であった。
水色の長い髪を垂らし、浅黄色の瞳をパチパチと瞬かせていた。
未成熟な胸を晒し、鱗のない自分の白い身体を眺めている。
「おお……」
再び海の魔物の中でどよめきが起こる。
一番驚いていたのは、ウルリカだった。
「魔王様、これは……」
「わたくしの魔力によって、あなたの中にある力が目覚めたのでしょう。どうやら、あなたには人鬼族のように人間に変化する能力があったようですね。元のイメージを思い浮かべれば、元の人魚に戻ることができるはずです」
ウルリカは試してみる。
瞼を閉じ、集中すると元の人魚の姿に戻ることができた。
「ありがとうございます、魔王様」
「その力ならば、ヴァロウの元について仕えることもできるでしょう。彼を支えてくださいね。ヴァロウは少々頑張り過ぎるところがあるので」
「はい。この身に代えても……」
ウルリカは人間の姿になると、膝を折って頭を垂れるのだった。
◆◇◆◇◆
海の魔物との歴史的な和解が終わる。
直後、空を横切る影があった。
周囲を警戒する鳥人族だろうか、とも思ったが違う。
ゼラムスの方にどんどんと向かってくる。
白と黒の見慣れた翼が見えた時、ゼラムスとドラゴランから警戒の色が消えた。
タッ……。
音を立て、岸に降り立つ。
側のウルリカがそれを見て、浅黄色の瞳を輝かせた。
1人の人鬼族が、黒髪を揺らしやってくる。
その後ろにはサキュバスが控えていた。
ゼラムスの前に進み出ると、頭を垂れる。
「戦いが集結した折り、真っ先に跪き、お礼を申し上げるところ、中座した上、このような時間までお待ちいただいた非礼をお詫び申し上げます、魔王様」
魔王軍第六師団師団長ヴァロウの声が、夕闇に響いた。
沈黙が落ちる。
やたら潮騒の音が大きく響き、白波が岩壁を打ち据えた。
やや呆気に取られたゼラムスだったが、次の瞬間には微笑んでいた。
「顔を上げなさい、ヴァロウ」
「はっ……」
言われた通り、ヴァロウは顔を上げる。
ゼラムスの底のない大らかな金色の瞳と、ヴァロウの冷たいヘーゼルの瞳が混じり合う。
すると、ゼラムスは大きく手を広げた。
何かの攻撃を予想したヴァロウだったが、気が付けば甘いに香りに包まれていた。
「え――――」
「おお……」
「あわわわ……」
メトラ、ドラゴラン、そして名前を付けられたばかりのウルリカ。
3人は揃って絶句する。
あの魔王ゼラムスが、ヴァロウを抱きしめていたのだ。
「よく頑張りましたね、ヴァロウ……」
そしてゼラムスはヴァロウの頭を撫でるのだった。
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