第109話 堕天
その姿を一言で表すならば、異形――であった。
灰を頭から被ったかのような肌。
神々しい翼は黒く濡れ、瞳の色は真紅に染まっている。
切石のような四角い顔と、その肩幅の大きな身体がなければ、それが上級貴族ダレマイルだと気付くことはできなかったかもしれない。
それほど、ダレマイルの姿は変わり果てていたのである。
そして、その醜く、禍々しく歪んだ姿に、誰もがこう称さずにはいられなかった。
悪魔、だ……。
天使でもなければ、人間でもない。
その名称に相応しい姿が、ルロイゼン沖の戦場にさらされていた。
「悪魔、だと……」
ダレマイルの赤い瞳が動く。
今にもその身体を焼き尽くしてしまうのではないか、そう思えるほど、真紅に染まっていた。
「誰が悪魔ですか? 私はダレマイル……。上級貴族にして、天使。残念でしたね、勇者の方々。わかりましたか? 人間が神族である私を討つなど不可能なのです」
ダレマイルは己の肌を叩く。
硬質な音が戦場に響き渡った。
だが、誰もその話を聞いていない。
ただ空に浮かんだ“悪魔”を見ていた。
1歩進んだのは、エスカリナだ。
やはりその明るい緑色の瞳にも、悪魔の姿が映っている。
「何を言っているのよ……」
「あ?!」
「どう見たって、あなたの姿は悪魔じゃない!」
指摘する。
ダレマイルは眉根を寄せた。
「何を言っているのですか?」
視線を落とす。
ダレマイルはようやく自分の姿を見た。
灰色の肌。
漆黒の翼。
手と足の爪が伸び、口の中には牙も生えている。
己の手を見ながら、ダレマイルは絶叫した。
「なんですか、これはぁぁぁぁああぁぁあぁぁあぁあぁあぁあぁあぁあ!!」
悲鳴を上げながら、ダレマイルは手の甲を擦る。
何度も何度も擦り上げた。
どうやら、肌の色は戦場にたなびく黒煙のせいだと思っているのだろう。
だが、一向に消えることはない。
そのうちに擦りすぎて、赤く腫れ、最終的には血が滲み出る。
鮮血を見ながら、ダレマイルはまるで獣のように吠えた。
「ど、どういうことだ? なんだ、この姿は……。まるで悪魔ではないか」
頭を抱える。
「嘘だ! こんな馬鹿なことがあるか! 私が悪魔だと! 違う! 私は上級貴族だ。天使なのだ。神が地上に遣わした尖兵なのだぁぁああああ!!」
元天使となったダレマイルは、再び絶叫する。
いまだ炎と煙がなびく戦場にあって、それは野獣の咆哮のようであった。
「愚かですね、ダレマイル」
興奮するダレマイルの耳に、ひどく冷静な声が届いた。
燃え上がった真紅の瞳を向ける。
視界に捉えたのは、黒と白の翼を持ったメトラだった。
「ダレマイル、わかりませんか? あなたは堕天したのです」
「はあ? ふざけるな! 堕天だと!!」
「あなたもまた神に見捨てられたのです」
「馬鹿な! 私は自分の仕事をしていただけだぞ。職責を果たしていたに過ぎない」
「あなたは神の力を使い過ぎた。そして、人間を殺しすぎた」
「ふは! だから、どうだというのだ。この力は神から頂いたものだ。使って何が悪いというのですか。人間を殺しすぎた? 人間など、所詮我ら神族の人形。殺したからどうだというのですか。人形に最初から尊厳などないものに――」
すると、再びダレマイルの姿が変化する。
手足の爪がさらに伸び、灰色の肌には猛獣のような毛が生えてくる。
一糸纏わぬ姿だった男の体躯に、体毛が覆い始めた。
「な、なんだ……」
「あなたは人間を愛玩具程度にしか見ていないようですが、それは違います、ダレマイル」
「なんだ、と……」
「人間と神は表裏一体。人間の信心があってこその神……。しかし、今のあなたはどうですか? 人を玩具のように扱った結果、あなたから人心が離れていった。今までは畏怖によって、人の心を掌握できていたようですが、どうやらそれも限界のようですね」
「世迷い言を……。魔族に成り下がった女神にいわれたくないですね」
「それでも、今のあなたの姿よりもマシでしょ」
「貴様! 言わせておけば――――」
激昂するダレマイルだったが、唐突に言葉を止めた。
やがて、彼らしい嫌らしい笑みを浮かべる。
「なるほど。畏怖ですか……。ならば、この辺りを消し飛ばしましょう」
「ちょっ! 何を言って!?」
その言葉に強く反応したエスカリナだった。
周りの人類も「おおっ……」と声を漏らす。
「怖いでしょ。恐ろしいでしょう。ならば、私を崇めなさい。讃えなさい。我は上級貴族にして、天使ダレマイル」
朗々と語る。
自伝を自ら読み上げるように、賛美を求めた。
しかし、ダレマイルの姿に変わりはない。
依然として、悪魔の姿をしていた。
何度と脅迫し、人間を脅かしても、その信心が戻ることはなかった。
「何故だ!?」
ダレマイルが吐き捨てる。
「あなたはそんなこともわからないの?」
エスカリナは1歩前に進んだ。
「ここにいる人は全員死ぬかも知れないっていう覚悟のもと、残ってくれた人類なのよ。そんな安上がりな脅しに屈するわけがないでしょ。それにね――」
エスカリナは腕を広げる。
1人の魔族を指し示した。
「わたしたちには、神や天使や貴族様よりもずっと頼りになって、信じられる人がいるの。あんたになんか信心を捧げないわ!!」
それは、むろんヴァロウである。
エスカリナが声を上げると、今まで縮こまっていたルロイゼンの志願兵たちも、声を上げ始めた。
「そうだ!」
「オレたちにはヴァロウ様がいる!!」
「そうだ。おれたちにはヴァロウ様がついているんだ!」
「何が天使だ!」
「悪魔め!」
「人間界から出て行け!!」
「ヴァロウ様、万歳!」
「万歳!」
神でも、天使でもない。
ルロイゼンの志願兵たちは、1人の魔族を讃え出す。
それほど、彼らとヴァロウとの絆は強固だった。
何故なら、ヴァロウは自分たちを助けてくれたからだ。
そして魔族でありながら、人間らしい生活を提供してくれた。
国も、貴族も、領主もできなかったことを、成し遂げてくれたのだ。
「今こそ、恩を返す時だ」
「そうだ。お前なんて怖くない」
「殺してみるなら殺してみろ!」
「ヴァロウ様と死ねるなら本望だ」
その圧倒的な人気に、ダレマイルはおろか魔王ゼラムスやドラゴランも驚いている。
第五師団師団長ファーファリアも、横帆を宿り木代わりにして降り立つ。
すると、嘴を空に向け、謳うように囀り始める。
いつしかダレマイルの周りは、ヴァロウを称賛する声で埋め尽くされた。
黙れ、と激昂しても、うるさい、と喚いても、封殺される。
信心を向けるどころの話ではない。
いつしか彼の周りには、仲間すらいなくなっていた。
直後、ダレマイルに影が覆う。
レインが作った氷坂を駆け上がり、巨躯がダレマイルに迫った。
真紅の瞳に映ったのは、大きなこん棒を握った人鬼族だ。
歯茎までむき出しにし、実に嬉しそうな顔でこん棒を振り上げている。
「おらぁああああああああああ!!」
気勢を上げたのは、ザガスだった。
ずっと隙を窺っていたらしい。
完全にダレマイルの背後を取ることに成功する。
がきぃいぃんん!
硬質な音が響き渡る。
捉えたかと思われたザガスの攻撃を、ダレマイルは受け止めていた。
「舐めるな、魔族が!!」
声で一閃する。
ザガスのこん棒を押し返すと、そのままザガスを氷坂へと押し戻した。
吹き飛ばされたザガスは、氷坂へ着地する。
だが、足を滑らせると、すてんという感じでこけてしまった。
それでも元気が有り余っているザガスは、すぐに起き上がる。
チッと舌打ちした。
「ちくしょう……」
「ふん。卑怯者が……。私は仮にも天使ですよ。たとえ直撃したところで、単なる物理攻撃など効きませんよ」
「ザガスの一撃ですら、倒せないなんて……」
エスカリナは息を呑む。
通常攻撃もダメ。
勇者2人の攻撃もダメだった。
後はヴァロウのストームブリンガーぐらいだろう。
だが、ここに来て、その必殺の技をヴァロウが出さないのは、通じないとわかっているからかもしれない。
もはやダレマイルは袋の鼠だ。
しかし、残念ながら人類は、その袋の鼠を殺す術を持ち合わせていなかった。
皆が絶望する中、この男は動く。
小柄な身体を動かし、いよいよダレマイルの前に出てきたのは、ヴァロウだった。
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