第106話 魔族軍侵攻
戦艦の甲板上に現れたのは、軽やかな声、そして1人の女であった。
柔らかく撒いた薄桃色の髪。
上を向いた睫毛。
衣装は派手というより蠱惑的で、前を大きく開いたドレスを纏っている。
おかげで月の表面のような青白い肌と、豊かな双丘の谷間が露わになっていた。
娼婦のように艶やかさに、貴婦人のような上品さが同居しているような衣装だった。
しかし、外見からわかる情報とは裏腹に、纏う空気はまるで違う。
殺気、怒気、もっと直接的に表現するなら、恐怖……。
およそ人の負の感情を綯い交ぜにしたような……。
いや、負の感情そのものだった。
それほどの業を背負いながら、女は大輪の華がパッと割れ咲くような笑顔を浮かべ、空に浮かぶ天使に視線を送っている。
「ゼラムス……」
くぐもった声を上げたのは、ダレマイルである。
勝利を確信し、己が存在を天使と明かして、一対の翼を広げた男の顔に、珍しく焦りが浮かんでいた。
致し方ないことであろう。
今、目の前にいるのは、人類の仇敵。
そして、神が定めたリセットボタン。
魔王ゼラムスなのである。
世界の最西端にあるドライゼル城の奥に引きこもっているはずのゼラムスが、何故こんなところにいるのか。
「(幻か……?)」
ダレマイルは目を擦る。
だが、間違いない。
魔法による偽装というわけでもなさそうだった。
そもそも偽物が、あれほどの畏怖を放てるわけがないのだ。
それでも、ダレマイルはこう叫ぶしかなかった。
「馬鹿な! 魔王がこんなところにいるはずがない!!」
火が爆ぜる音が響き、空は濛々と煙が漂っている。
如何にも戦場という空気の中で、ダレマイルの声は響き渡った。
むろん、魔王ゼラムスの登場に驚いたのは、ダレマイルだけではない。
「マジかよ……」
「本物なのか」
「魔王って……。ウソでしょ」
「…………」
『爆滅の勇者』ロッキンド。
『氷烈の勇者』レイン。
ルロイゼン城塞都市領主代行エスカリナ。
そして、同族たるザガス。
人類、魔族問わず、その魔王という存在の前に言葉を失う。
この場で驚いていないのは、ゼラムスに同行した魔族軍、そして最強の軍師ヴァロウぐらいであろう。
そのゼラムスがまた口を開く。
鈴の音のように涼やかなのに、その言葉1つ1つにまるで呪詛でも込められているかのように、いちいち人の琴線を弾いた。
「本物ですよ。証明するものなどありません。しいていうならば、わたくしそのものが魔王たる証拠でしょう。そのために、闇の羽衣を解き、人と魔族問わず、この身をさらしている――そう解釈下さい」
「どうして、ここに?」
「我が同胞たるヴァロウが戦っているのです。魔族を統べる長として、その危急の時に駆けつけるのは、当たり前のことではありませんか?」
「だが、お前はドライゼル城に……」
「はい。いましたよ。でも、わたくしが城の玉座にずっと腰掛けているなんて、誰が決めたのですか?」
「な――――ッ!!」
「だから、歩いてきましたよ。徒歩です。疲れました。でも、なかなか楽しい旅でした。人類の暮らしぶりを見ることもできましたしね」
「人類の勢力圏を歩いてきたというのか……」
ありえない!
ダレマイルは鼻息を荒く、否定した。
ここからドライゼル城まで馬を使っても、10日以上はかかる。
徒歩なら、倍――いや、さらに倍かかるだろう。
少なく見積もっても、40日以上はかかるはずである。
それにドライゼル城に続く、3つの街道は人類軍によって蓋をされているはずだ。
どのルートを選択したとしても、人類軍のいずれかと戦わなければならない。
ダレマイルは魔王が絶大な力を持っていることを知っている。
同時にゼラムスが戦えないことも知っている。
つまり、魔族軍によって人類軍を打ち破らなければ、旧同盟領に到達するどころか、今人類が支配する旧魔族領に踏み入ることもできないはずだ。
なのに、何故……。
ダレマイルの疑問を聞いて、魔族軍第一師団師団長ドラゴランが鼻息を荒くする。
「そんなものは決まっておろう」
「なにぃ?」
「貴様らの人類軍を破ったから、ここにおるのだ、我々は」
「馬鹿な! 膠着していた戦線を、どうして易々と――」
フフフ……。アハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッッ!!
降って沸いたような笑声が響き渡る。
他者を圧する声は、まさしく人々が想起する悪魔のような笑い声だった。
皆の視線が動く
ダレマイルはおろか、魔王ゼラムスですら目を丸くしていた。
その金色に映ったのは、1人の人鬼である。
第六師団師団長――人鬼族のヴァロウだった。
「ヴァロウ! 貴様、何がおかしい!」
「おかしいに決まっているだろう、ダレマイル。いや、上級貴族。少しは賢しい指揮官が現れたかと思ったが、そんなものか」
「なにぃ……?」
「前線軍が膠着だと……? ああ。確かに……その認識は間違っていない」
「だったら……」
「その膠着状態を壊したのは、誰だ?」
ヴァロウのヘーゼルの瞳が光る。
うっ、とダレマイルは息を呑んだ。
続け様に、ヴァロウは言葉を言い放つ。
「お前だろう、ダレマイル……。膠着した前線に風穴を開けたのは、お前自身だ」
「わ、私……。まさか――――」
ダレマイルの首が動く。
その視線の先にあったのは、ロッキンドとレインだった。
2人の勇者の周りには、生き残った第5部隊の兵士が、呆然と成り行きを見守っている。
「そうだ。お前が第5、第7部隊をこちらの戦場に呼び込んだのだ」
「だ、だからなんだというのだ。たかだか2部隊を動かしたぐらいで」
「阿呆……」
「な、なにぃ!?」
「膠着状態の――つまり戦力が互角の戦場において、お前は4万の兵をお前は動かしたのだ。それが意味するところをわからないのか?」
「――――ッ!!」
「付け加えるなら、俺たちが旧同盟領を占拠したことによって、前線軍は本国の補給を受けられなくなってしまった。兵の補充を自前の領地でまかなわなければならない」
しかし、人類が魔族領の一部を平定してから、まだ2年しか立っていない。
移民政策は進み、コミュニティの構築は急ピッチで進んでいるものの、前線軍の戦力確保は盤石とはいえない。
本国の支援なしに、統治は難しい。
いわば、歩き始めたぐらいの赤ん坊も同然なのである。
「そもそも前線軍を維持するために、本国は同盟領や他の諸侯、人類軍に参加する諸国に重い税を強いているのだろう。4万の兵も動かせば、破綻するに決まっている」
「お、おい! 待てよ」
声を荒らげたのは、ロッキンドだった。
「お前の言うことは当たってる。現に、本国からの命令とは言え、俺たち旧同盟領に送るという決定に、司令部は疑問視していた。だがよ。俺たちの後を継いで、ゼルザーン街道の守りに入った第8、第11部隊はいずれも精鋭だぜ。そう簡単に……」
口を利くロッキンドに、ヴァロウはギロリと視線を向けた。
ダレマイルに対し、やや熱っぽく弁を振るっていた軍師は、少し声を抑え、こう話す。
「ああ……。だから、速効で仕掛けた」
「速効……」
「確かに、第8、第11部隊は精鋭だ。いや、前線軍のどの部隊も精鋭だろう。だから、駐留して間もないタイミングでゼルザーン街道に攻勢をしかけたのだ」
「そうか……」
瞼を大きく広げ、レインは唐突に声を上げた。
「地形か……」
「ほう。さすがは『氷烈の勇者』だな。気が付いたか」
「ゼルザーン街道には、定期的に濃い霧が立ちこめる日がある」
「ああ。確かに……。けど、それはレインも打ち合わせをして――」
「日付は教えていた。だが、あの霧にすぐ対応できるかといえば……」
前線軍は持ち回りで街道を封鎖しているのではない。
その配置はほぼ固定だ。
レインも、ロッキンドも配属されてからというもの、ずっとゼルザーン街道の守りを任されてきた。
故に、霧での戦い方を熟知している。
「しかし、配属されてすぐに周囲の地形に慣れるのは難しい。指揮官クラスは良いとしても、周りの兵士が簡単に順応できるかといえば、そうではないだろう」
ヴァロウはまるで見てきたように話す。
作戦を遂行したのは、今空を舞っているファーファリア率いる第五師団、そしてもう1つが――シドニムが率いる第三師団だ。
しかし、メトラを送り、あらかじめ策を授けていたのは、ヴァロウである。
故に、魔王ゼラムスも、ドラゴランも、誰もそこに突っ込むことはない。
何故なら……そう――――。
すべては、軍師ヴァロウの手の平の上だったからである。
前話に出てきたあのキャラに好意的な意見をもらい、嬉しかったです。
彼女が活躍するのは、構想としてはまだ先なのですが、
ちょっとフライングして登場させました。
きっちり活躍させるつもりなので、楽しみにしていて下さい。




