第96話 一夜の悪夢
本国軍第3部隊の前に現れたのは、野生の狼だった。
それも100、200ではない。
およそ1000匹以上の狼が森の中から現れたのだ。
次々と野営地に侵入し、第3部隊に襲いかかる。
その素早い動きに翻弄され、たちまち兵たちの血しぶきが舞った。
真っ赤に染まり、歯牙を剥き出す狼を見て、兵たちの士気が下がる。
加えて夜という状況である。
篝火が焚かれているが、足下は暗い。
地面を這うように進む狼の姿を闇が隠した。
「狼狽えるな!」
檄を飛ばしたのは、第3部隊の司令官だ。
「相手は獣ではないか。魔族でもない! 人間でもない! 捻り殺せ!!」
単純で捻りも何もない文言だった。
しかし、その単純な言葉が、兵士たちの胸を打つ。
そうだ。相手は獣なのだ。
それならば、魔族の方がよっぽど怖い。
兵士の士気が上がる。
襲い来る狼に槍を振るった。
魔導兵たちは光属性の魔法を使って、暗闇を払う。
そこに暗闇の中から現れた狼を、歩兵がなぎ払った。
部隊ごとの連動性が出てくると、狼たちはたちまち駆逐されていく。
だが、本国軍は忘れていた。
肝心の魔狼族の存在を……。
狼に気を取られている瞬間に、100名の魔狼族が消えていた。
「己、逃げたか!!」
第3部隊の司令官は唸る。
しかし、その認識は誤りだった。
「ぎゃああああああ!!」
夜闇を裂くような悲鳴が聞こえる。
喉元を裂かれ、血しぶきを上げていたのは魔導兵たちだった。
その背後に立っていたのは、魔狼族だ。
喉元に牙を立て、息と命を奪っている。
歯牙を抜くと、ぬらりと血が光った。
まるで吸血鬼のようだ。
その姿を見て、再び兵士の背筋に悪寒が走る。
司令官の檄によって士気を取り戻し、顔を赤くした兵士の顔が、たちまち青くなっていた。
特に魔導兵たちからすれば、強烈なインパクトだった。
彼らはメッツァー軍と魔族軍の対決を聞いている。
その中で、後方の魔導兵部隊をいち早く倒したのが、魔狼族であったことを思い出したのだ。
紅蓮の瞳が闇の中で漂う。
次の獲物を求めて、口を開いた。
「ひぃ!」
魔導兵たちは叫ぶ。
だが、声を出すならば、呪文を唱えた方が良かったかもしれない。
魔狼族は爪を伸ばす。
一瞬にして、首を胴から断った。
さらに100名の魔狼族は魔導兵の中心で暴れ回る。
魔導兵は白兵戦に弱い。
さらに魔狼族の動きは素早く魔法の狙いが定まらない。
下手に打てば、同士討ちの可能性もあった。
魔狼族もそれがわかっている動きだ。
出来るだけ魔導兵を盾にしながら進み、確実に数を減らしていた。
「しまった!!」
司令官は唇を噛んだ。
魔狼族の動きを見て、凡将も気付く。
「ヤツらはこれを狙っていたのだ……」
狼を呼び出し、敵中を混乱させる。
その対処法として、必ず魔法が使われると踏んでいたのだろう。
魔導兵の位置を確認すると、混乱を利用し、一気に魔導兵との距離を詰めたのだ。
「くそっ!!」
司令官は土を蹴る。
思ったよりも魔狼族は賢い。
「そもそも悪魔どもは戦術を使わないのではなかったのか!」
陣中で司令官は叫ぶのだった。
◆◇◆◇◆
この戦術は誰が考えたわけではない。
すべてベガラスクが考えたものだ。
魔族はこれまで圧倒的な質と量で人類軍を圧倒してきた。
しかし、ラングズロスからの撤退後、数の上で不利な戦いを強いられることが多くなった。
要衝であるムカベスク要塞では大量の死者を出してしまった第四師団だが、少数で戦う戦術というものを、一応考えてはいたのである。
それが夜襲、あるいは夜戦だ。
得意である夜の戦いにおいて、文字通り牙を研いできたのである。
魔導兵が死んだことによって、光の魔法が消滅する。
だが、篝火だけは倒さないように、魔狼族は徹底した。
火が陣中に回れば、確かに本国軍にもダメージを与えられる。
だが、魔狼族は火が苦手だ。
火が回れば、こちらも不利になる。
光の魔法が無くなっただけでも効果はあった。
足下に再び闇が訪れる。
劣勢だった野生の狼が息を吹き返した。
再び2万の本国軍に襲いかかる。
徐々にだが、第四師団に形勢が傾いていく。
それをベガラスクは肌で感じた。
ここが勝負所と決める。
「うぉおおおおおおおおおおおお!!」
一際大きな遠吠えを上げる。
その声に他の魔狼族が行動で示してみせた。
腰に下げていた袋から何か球のようなものを取り出す。
それを思いっきり地面に叩きつけた。
瞬間、煙が上がる。
少し火薬が入っていたのだろう。
濃い煙幕が爆発的に敵陣内に広がった。
「ごほ! ごほ!」
あちこちで本国軍の兵士が咳き込んでいるがわかる。
煙のせいで、何も見えない。
それどころか目を開けることさえ難しかった。
「おのれ…………ごほ! けむ……ごほ…………り、だま……ごほ!!」
司令官が苦しそうに悶える声が聞こえる。
指示どころではなかった。
だが、それは魔狼族も同じである。
だが――――。
「があああ!!」
「ぎぃえ!」
「ぎゃっ!」
また悲鳴があちこちで聞こえる。
煙の中で彷徨っていた兵士たちを、魔狼族は確実に殺していった。
目をつむり、口を閉ざし、それでも驚異的な身体能力で兵士たちを蹂躙していく。
ベガラスクは1人の兵士の首を狩りながら、口角を上げる。
ピンと立った耳をアピールするように爪で掻いた。
「ふん! 我らの耳を舐めるなよ」
視界も、煙の匂いで嗅覚が奪われても、魔狼族には優秀な耳がある。
声だけではなく、足音、ささいな衣擦れ、果ては人間の心音まで、この状況で聞き分けることができるのだ。
こうなってしまえば、魔狼族のペースである。
「魔導兵! 煙を魔法で払うのだ!!」
司令官の指示が飛ぶのが聞こえた。
それは難しい相談だ。
魔狼族によって魔導兵は襲われたものの、まだまだ生き残っていた。
殺されたのは、全体の3割にも満たないだろう。
煙を払うことは容易いように見える。
だが、最初の魔狼族の襲撃。
仲間の死を目の前にして、魔導兵たちは完全に居竦んでいた。
さらにいえば、この煙幕だろう。
あちこちから聞こえる悲鳴、どこから襲われるかわからない恐怖に、魔導兵たちは魔法を唱えるどころではなかったのだ。
そもそも魔法を使用するには、強い精神統一が必要とする。
恐怖に支配された魔導兵たちに魔法を唱えろというのは、酷な注文だった。
「そこか!!」
ベガラスクは司令官の位置を耳で捉えた。
ダッ、と地を蹴り、煙の中を疾走する。
その間にいた兵士たちをなぎ倒し、とうとう司令官の前に現れた。
紅蓮の瞳が、飾り兜を纏った偉そうな男を捕捉する。
突如、煙から現れた魔狼族を見て、司令官は慌てて武器を取った。
だが、ベガラスクの爪の方が、万歩速い。
シャンッ!!
司令官の首が飛ぶ。
その時になって、ようやく魔導兵による煙の排気が行われた。
たちまち煙が払われる。
その時、妙に胸を打つような音が聞こえた。
振り返ると、そこには司令官の首があった
兵たちの目が丸くなる。
一斉に身体をこわばらせた。
「うおおおおおおおおおおおお!!」
そこに追い打ちをかけるようにベガラスクは遠吠えが響き渡る。
勝ち鬨のような響きに、数の上で優勢である本国軍は全員おののいた。
だが、それは勝ち鬨でもなんでもない。
退却の合図だった。
100名の魔狼族が一斉に退いていく。
司令官を失った本国軍はどうして良いか迷った。
仇を討つため追撃するのは間違ったことではない。
だが、魔狼族が逃げ込んだのは森だった。
もしかしたら、別働隊が待ち受けているかもしれない。
それぐらいならやる。
魔族が戦術を使うと印象づけられたことが、本国軍を躊躇わせた。
結果、魔狼族の損失は0。
本国軍はおよそ3000の兵と司令官を失うという大損害を出してしまった。
東の本国軍の損害も合わせ、一夜で1万近くの兵を失うのだった。




