第三話 サラバ日常
そんな出来事から幾年か過ぎ去り…
優斗は大学生、健路は高校生二年になった。
とある時期。平和で平凡な日常が、徐々に近づいてくる非日常によってぶっ壊されるとは…彼、優斗はおろか健路さえも気がつきはしない。
「はぁ? おつまみ買いにいけ? 俺が?」
「ああ。あ、ついでに母さんの好きなもの買ってこい。」
「…またケンカしたのか?」
「お前が知ってもとくに得することじゃない」
健路は呆れた顔をしながらため息を吐いた。
「あんたらなぁ…息子をコキ使ってストレス解消するやり方そろそろ止めてくんないスかね?」
「無理だ諦めろ」
「…あのさ、たまには実の息子と面と向き合って話し合いをだな…」
「…そうしたら買いにいくのかお前?」
「ん? ああ、まぁ」
するといきなりグリンと顔を健路のほうへ向けさせてからニンマリ笑う。
「酒のおつまみ忘れんなよ?」
「え」
そして素早くスッともとの普通な顔に戻り、新聞を読み始める。
「ハイ終了ぅ~」
「え、ええ? 今ので終わり?」
「さっさと行け」
「理不尽だ…理不尽すぎる…」
ブツブツ文句を言いながら家を出て行った彼の背中を静かに見守りながら、父親はフゥとため息をつく。
「…あいつも、もうそろそろで覚醒しそうな気がすんだよなぁ」
「なに? 心配なの」
「…そりゃお前、心配に決まってるだろうが。」
お茶を入れてきた妻に向かいながら不機嫌な顔をした。
「実の息子だぞ」
「そのきっかけを作ったのは他でもない、あなた自身だってわかってらっしゃる?」
深刻そうな顔をした父親はまたため息をついた。そして苦笑する。
友恵はいつまでも俺に厳しいな」
「あら。そこが好きだって告白してきたのは貴方でしょ? 真さん♪」
「…お前には何年たっても敵わないな」
「今更ねぇ」
友恵はフフフと笑いながら、きっと恐怖体験するであろう息子が帰ってきてホッとできる食べ物を作りに台所へ行く。
両親は子供達に決して見せない顔があった。決して聞かせない話もあった。時が来るまでは絶対に話さないと誓い合った約束のおかげで息子達にいつも迷惑をかけているが、もはや気になどしていない。
ただ、心配だけはする。それをプライドやら羞恥やらで隠すのに必死で、息子達にそっけない態度ばかりとってしまうのがたまに傷だが。
「いつか分かってくれるわよ」
「いや…別に分かってもらわなくたっていいんだがな。うん」
ズズーと茶をすする。
「また強がりを。まぁ、そういうところも私の好きな真さんなんだけど♪」
サラリと言われたその言葉に口から茶をガホゥ! と吹き出しそうになり、せっかく妻が入れてくれたものを台無しにしたくなくて口にとどめて飲み込んだら、通る器官を間違い、ゲホガホッと喉を詰まらせ咳をした。だが茶は台無しにしなかった。漢の鑑である。
「…」
「あらあら。お顔が真っ赤よ真さん?」
「かっ…からかうのはよせ友恵…」
「ええ? 嫌よ。せっかく久々に二人っきりなのに。イチャイチャできるでしょう?」
フフフと言いながら詰め寄ってくる妻に、い、イチャイチャ…と言いながら顔をさらに真っ赤にする真。
もし息子達がいたら、誰だよあんたら…や、何歳ですかあんたら。ラヴラヴですか。そうですか。と言われそうだが…あいにく彼らは今はいない。
その頃、健路はというと…納得いかずも、スーパーまでの道をトボトボと歩いていた。
「親父の好きなおつまみが何処にもない!」
頭を抱えながらNO! と声を大にしているところをみると、かなり歩いたのだろう。
「このスーパーにもなかったら諦める。電話してもう帰るっていっちゃる!」
そう意気込みながら入ったそのスーパーにも、もちろん、おつまみは売り切れていた。
「何の呪いだよコレ…」
案の定、彼はすぐさま父に電話した。しかし帰ってきたのが「言い分けは聞かない。見つけるまで帰ってくるな。なんなら隣町まで行ってもいいぞ」という、なんとも頭が痛くなるような返事だった。
「理不尽だ…理不尽すぎるぞ親父ぃ……。」
どんだけ、おつまみ食べたいんだよ! と心の中でツッコミを入れるのも忘れない。
「はぁ…もう少しここら辺を探してみるか」
気力はすでに0だったが、ああ言われちゃしかたがない。かと言ってわざわざおつまみ買いにいくだけなのに隣町まで行ってたまるか。
トボトボと歩いていると、彼は何かを蹴飛ばしてしまった。よくみるとそれは道端に転がっている。
「なんだ? 石ころでも蹴飛ばしちまったかな」
言いながらジッと見つめると、その丸い手のひらサイズの白い石ころみたいなのが、勝手にコロコロと動いた。
いやいや。勝手に動く? そんなハズないない。そう思いながら健路がそこを離れようとした瞬間。
ゾクリ。
背筋が凍るような寒気がした。それこそ冬場でも感じられないような異様な冷気が。
なにかが…後ろにいる?
「いるわけないよな…うん、いるわけがない」
そう。彼は振り返ったがそこには何もない。何もないが彼は異様な視線を感じていた。どこから来る視線なのか今一わからない。
後ろのようでそうじゃないような…彼はいったん前を向いたが、やっぱりまた気がかりで後ろを振り向いた。
…何もいない。
「いるわけないって…それより早く親父の…」
コロン。
「……。」
バッ! と後ろを振り向いたが…何もいない。ただ、足元にいつの間にか風で飛ばされたのかあの白い石があっただけで。
「あはは…なに石ころが転がった音でビクついてるんだよ俺!」
笑いながら己の怖がりさにため息をした。そしてまた歩を進めると、また何かを蹴飛ばしてしまった。
「やっべー。さっきから何かを蹴飛ばして転びそ…う…」
蹴飛ばしたのは、さっきの石ととてもよく似た丸い白い石。
「?」
そこらへんに大量にそういう石でもあるのかとキョロキョロ見渡すが、そんなものはなかった。じゃあ、この石はさっきの石なのか? え、風に飛ばされてまた俺の足元に来たのか?
「いやいや…そんなハズないだろ……どんな確率だよ…」
だが、なんど振り返ってもその石はそこにある。その石以外はなんの変哲もない。ここまで来ると、その石だけが異様なものに見えてくる不思議。
「おいおい、怖がりにもほどがあるぞー俺…あれはどう見たって普通のい…」
コロン。
と石が転がり、彼の足元に再び転がってきた瞬間、健路は鳥肌が立った。背筋が凍った。そして恐怖が心を支配した。
何故ならその白い石は、石などではなかったからだ。
「めっ…めっめっめっ…」
目玉…!!
人の目玉が道端に落ちていて、しかも意思があるかのように健路にずっとついてくる。
コロコロ。
コロコロコロコロコロコロ……。
ずっとずっとついてくる…。
「うわぁあ!」
健路は思わず駆け出した。頭の中は混乱している。
なんだあれなんだあれなんだあれ!!
しばらく走ったあとに、ふと後ろを振り向くと、その目玉はそこにはもういなくて。
「あ、あれ? 気のせい…だったのか…?」
そんなに疲れているのかな俺…そう思いながら彼がふと前に顔を向くと。
「あの、すみません」
「うっわぁ!」
見知らぬ男がそこに立っていて。いつの間に俺の前に? となんの気配も感じなかった健路が慌てながらも、「大声出してすみません」と謝る。
「いえ…それより、見ませんでしたか…」
「え? 何をでしょうか?」
男の顔は微妙に見えない。フラフラと妙に揺れ動いている。
「ここらへんに…落としてしまったんですよ…」
男が突然、顔を俯かせた。
表情が見えない…。しかし声は震え、若い男の声から
だんだんしゃがれた声になってくる。
「とっても大切な…ものだったんです…アレがないと俺…」
スッ…と男は顔を上げた。何もおかしいことはないかのように。ごく自然に…。しかしその男はどこも普通ではなかった。
「俺の目玉…君、ここらへんで見たでしょう?」
「っ?!」
男の目が片方しかなく、もう片方の目があるべき場所には、大きな空洞があるだけだった。
「見えてたんですよ…君が俺の目玉を踏もうとしてたの…」
踏もうとなんてしてない。蹴躓いてただけだっ! と声を大にして叫びたかった。だが、声が出ないのだ。
「ねぇ…俺の目玉…あれがないと…俺、来た道がわからないんですよ…ねぇ…」
体が動かない。指一本動かせない。これはなんだ?! 金縛りって奴なのか?! なんとかしようも、どうにもできない。男はどんどん間合いをつめてくる。
とうとう目の前まで来たそいつは、ガッシリと健路の顔を両手で鷲掴んだ。
「代わりにお前の目玉をくれよぉぉおおお!」
「っ?!」
男の手が青白く、凍てつくようにとても冷たい。ゆっくり、ゆっくりと細長く冷たい指が彼の目元へ迫ってくる。
「潰れたら使い物にならないから…じっとしててくれよ…ゆっくり取り出さなくちゃ…傷つけてしまうから…」
顔はまるで人間のものじゃないように酷く歪んでしまっている。ひひっ。と笑う声が嫌に耳に響く。
だんだんと冷たい指が迫ってくるのに何もできないでいる健路は、測りしえない恐怖と、目玉を取られるという怖さと、目の前の、だんだんと肉が腐っていくような姿の男を見ながら震えていた。
冷たい指が、彼の目元の皮膚を指で押し下げたその直後。
「やめろぉ!!」
恐怖の限界に達したのか、そう叫んだ健路の周りで、パァンと何かが弾かれた音が聞こえ、フッと健路の体が軽くなった。金縛りも解けていて……。
びっくりして唖然と固まる彼が我に返ったのは、この世の生き物の声ではない切り裂くような雄たけびを上げて狂っているように迫ってくる、あの男をみたときだった。
もう人間かどうかも判断が難しい姿だった。健路は未だ恐怖でガクガクと震える足を引きずるようにして動かす。
はしれ! 逃げろ!! 動け俺の足!!
そう強く念じながら、力のはいらなかった足を前へ動かし続ける。するとやっとまともに走る事ができた。
後ろで不気味に雄たけびをあげ続ける、あの男のほうを見る余裕はすでに健路にはなくて、必死に走る。
息切れがして、息を吸ってるのか吐いてるのかすでにわからない。
しばらく走って後ろを振り向くと、あの男が叫びながら、しかし足と腰が融けた状態で必死に手を伸ばしていた。
「めだまぁ! めだまぁ!! アレがないト…オレは消えル…! 消エるぅうう!!」
なんともおぞましい光景だと、健路はまた足を速めた。携帯を使って親へ助けを求めようとしたが、なぜか繋がらず…街中なのにおかしいだろ?! と大声をあげてふと周りを見渡すと…
「だ…誰もいない?!」
そこはたしかに自分が知る街中のはずなのに…人ひとり見当たらない。今さっきまでいただろ?! 普通に歩いてただけなのに!! と言いながらあちこち走り回っても自分以外誰もいないのだ。
見知ったはずの道なのに、よく知るはずの街なのに、まるで見知らぬ街。そんな街に初めて来て迷子になった時のような感覚さえしてきた。
気がつけばあの化け物は綺麗さっぱり消えていて。
あまりにも静かすぎて気味が悪い。静かな街並みの中、響くのは己の足音と荒い息遣いだけだ。風だって吹いてない。
「だ…誰かいないのかぁ!!」
たまらずに大声を出してみたが…彼の問いに答えるものはいなかった。もしかしたらあの化け物と似たような奴が現れるのではないか?
そんな疑問が頭をよぎったが、このさいそんな事はどうでもいいとさえ考えてしまうくらい、彼は錯乱していたのだった。