第二十二話 封じられし者と、その名の真意
事が起こったのは今からやく二日前だった。
順調に光葉とも契約した後、健路は次の出会いを求めて、かつ
京助に刀の練習をと、外出した。
のが、いけなかった。いきなり悪寒がし暗転した。
気がつけば浮遊感が襲い、気がつくとどこかの地面にうつ伏せで倒れていた。
まるでどこかの穴に落とされたような感覚。
ここは何処だと辺りを見渡す。すると目の前に立派な神社の門。
そこを通るとズラリと幾数もの鳥居が並び、階段で上がれるようになっている。
健路は先へ行かねばならないと、感じた。
一歩一歩確実に歩を刻み、前へ前へ行く。道のりはかなり長い。
そして…不思議と身体のダルさと疲れが取れていくような気がした。
変わりに、己の心の臓に刻まれた呪いの刻印が疼く。
真が言うには、ずっと霊力で抑えていたが、最近では健路の霊力が強まったため、その必要もなくなり今は健路自身で呪いを抑えているのだという。
無意識って怖いな。
健路はそういう風にしか考えなかったが…じつは結構すごい事をやっている。
何はともあれ、健路は身体が軽くなるにつれて、胸の呪いが強く何かに反応していると悟った。それは直感的なものなので上手くは説明できないが。
しばらくすると息切れがしてきて、胸の痛みが鋭くなる。
思わず胸を押さえて鳥居に手を置いて、それでも階段を上っていった。
何故かはわからないが…健路はある意味、使命感みたいなものを感じていた。
この先には、普通ではありえない何かが息を潜んでいる。
しかし健路の到着を心待ちにしている何か。
誰にも忘れられ、しかし一途に諦めず一生懸命待ち続けている。そんな純粋無垢な何かが…健路を呼んでいる気がした。
先ほどから前へ行くたびに胸の呪いが痛んだが…健路は構うものかと足を前へ前へ動かした。
そして頂上までやってきた。
そこは大から小まで様々な岩があり、コケが生えていたり花が咲いていたりする場所。そこの一番大きい岩山の上に、絶妙なバランスで真っ赤な鳥居がそびえ立っていた。
健路は息が切れながら、疲労感を感じながらもその岩を登り、鳥居をくぐった。
なんてことはない。鳥居の先は見た目普通に岩の反対側へいける。
反対側の景色も写っていたから間違いはない。間違いはなかったはずだった。
しかし…
「あれ?」
気がつくと、そこは荒れた岩山の天辺ではなく。
「神社の敷地内だ」
普通ではない。そこ一帯、切り取られたかのような感覚がする。
キラキラと蛍のようなフワフワ浮いた淡い蒼い光のオンパレード。地面は石でセキ詰められていて小石の道と化している。
前には浅い川みたいなのが流れていて凄く透き通った水だ。
そして所々竹が生えてる。上から別の細かい光が降り注いでいて綺麗だ。
「どうなってんだココ?」
さらに奥へ行くと泉があり、その横には幾つもの色んなデカサのお地蔵さんが敷き詰められていた。泉の真ん中にどデカイ白い岩があり、祭られてるようだ。
「不思議な場所だな…」
そしてとても居心地が良い。痛みも感じなくなっている。
ふと、奥へ行くと神が祀られているであろう社についた。
とても大きい。屋根は赤く、装飾品が金。丸太には絵巻きのように絵が描かれている。
ふと、そこにポツリと座り、地面を見つめながら動かない女性を見つけた。
おしとやかそうに行儀良く、スッと背筋はピンとして。
ただ、寂しそうにため息を吐いて。
すると健路の気配に気がつき彼女は顔をあげた。
なんとも綺麗な整った顔。真っ白い透き通るような肌に漆黒の夜のようなゆるいツインテールはとても長く、床にあちこち散らばっている。
髪を結ってる組紐は真っ赤で、瞳もルビーのように赤い。
何枚も着込んだ着物はどれも高そうなもので。
そして真っ黒い着物の、紫の蝶と夜桜の模様があり、その上からもう一枚、軽く肩にかけるように赤い羽織。
模様は月と紅葉。
そして真っ赤な紅を唇に引き、目尻には紅の薄化粧。
狐のような鋭く細い目は…驚きでいっぱいだった。
「お前…どうやってココに来た?」
ふわりと彼女が宙に浮いてストンと目の前に下りてきたので、健路は、ああ人間じゃないんだな。と妙に冴えている落ち着いた思考で考えていた。
「わらわに会いに来た…のか?」
悲しそうな、嬉しそうな顔で聞いてくる。何かを考える前に健路は急に忘れていた胸の痛みを思い出して、胸を押さえながらそれでも苦笑した。
「うん…」
するとその美しい女性は喜びに満ち溢れ、その彼女の気持ちと連動したのか、ふよふよ浮いていた光が増え、そこは辺り一面輝きに満ちた。
ふと、彼女がその美しい顔をゆがめた。
「お前…呪いを受けているのか」
「あ…そう…本人じゃないと、解けないそうで…」
「感じる…死の刻印か…難儀なことだ」
そっと彼女が心臓へ手を置く。すると健路の痛みは増した。
「うぐっ?!」
「痛いか? ここは神気あふれておるのでな。邪な力は排除されるのだが…強力だなこの呪いは…」
綺麗な顔が歪んだ。
「わらわは…なにもできないのか…会いに来てくれたお前に何も…」
健路は痛みで意識が朦朧としてきたが…あまりにも痛々しい悲しそうな顔をするこの女性をほうってはおけなかった。
「痛いけど、大丈夫だ…」
その言葉を聴いて彼女はふわりと浮いた。
スッと一度目を閉じて――そして開けたとき、その赤い目がますます光る。
すると頭の上からぴょこりと狐の耳が生えて、尻尾も九本ふわりと生えた。
いつの間にか彼女は月と紅葉をあしらった扇子を手に掲げ、周りの光を健路の周辺に集めている。
「大丈夫ではないのはわかるぞ。それを見てわらわも苦しい。」
そして彼女は歌った。可憐な、透き通る声で。落ち着いたリズムで。
その歌にあわせて健路が持っていた鈴――愛美に渡されたあの鈴――が反応し鳴り響く。
彼女の周りも炎がいくつも出てきた。
真っ赤な、彼女の瞳の色のような炎だった。
まるで踊り子のように彼女は舞う。そして炎が健路の周りに輪をつくり散る。
とても幻想的な絵だった。
狐の女神が一人の少年を助けようと、多分高度な術を使っているのだろう。
彼女の踊りと歌声は、やまなかった。
そして光は炎と混じると、そこに夜空が広がった。ずっと日の光を浴び続けているような神秘的な場所が突如三日月が支配する夜に変わった。
その瞬間に、狐の彼女は赤い眼を健路のグレイの瞳へと鋭く突きたてた。
「わらわは夜の化身と朝露の霧から生まれいでしもの…領域は夜。支配するは霧のごとく幻。その名は『月夜』」
黒かった髪は徐々に銀色へ染まっていく。赤い眼は杜若色オパールのような色へと。
やがて炎が現れてその炎がバッと紅葉へと変わると…その赤い紅葉が今度は真っ白くなり、花弁のようにひらひらキラキラ周りを舞う。
まるで夜桜のように。
「わらわの身はお前と共に」
ああ。
「わらわの手足もお前と共に」
これは。
「わらわの“真の名”もお前の支配下に」
契約の。
「お前と共にいついかなる危険が迫ろうとも」
儀式なんじゃないのか…。
「わらわは馳せ存じよう」
ぼやける意識で健路はそう思った。
「わらわの居場所はどこにもない」
儀式のあと、ポツリと呟く、寂しそうな杜若オパールみたいな綺麗な瞳から涙…。
ふわりふわり。月に反射するその髪が綺麗だ。まるで―――…
「だからここに閉じこもった。そうしたら誰かがやってきて、わらわの神通力を奪っていった…おかげでわらわは出られなくなった」
だから。
「ずっと、叫んでいた」
ずっと泣いていた。
「ずっと呼んでいた」
そして。
「お前が、来た。」
フワリ。花のように彼女が笑った。
「主として、契約に応じる」
健路は息苦しかったが、精一杯に彼女の期待に答えようと頑張った。
真から説明された話によると、神通力が弱った神や物の怪、妖怪なんかは主と契約し、自分達の名前を教えあうことで、色々力が強まるらしい。
だから、もし彼女が困っているのなら。ここから出してあげたい。
健路がそう思っているように、彼女もまた、その方法で健路を呪いから解放しようとしていた。
しかし残念ながら呪いは強力すぎて。呪力を半減することしかできなかった。残念そうに月夜がそういえば、健路は首を横に振る。
「ありがとうな」
元々、己の名前を誰かに渡すという行為は…実はかなり危険なもので。呪詛や呪いを相手に簡単にかけてしまうこともできる。
彼女の健路への信頼に敬意を表して、健路もまた己の名を口にした。
「俺の名は――“健路”」
ニコリと、彼女が嬉しそうに笑った。
「そうか…主の名は『けんじ』というのか――」
目をつぶる彼女。なんなんだろうと思っていると、スッと目を開けた。
「強く、逞しく…心も身体も健康的に、前へ前へと道をはずすことなく進めるような子供に育って欲しい…との願いがこめられている」
詠うように話した後、彼女は再び健路を見つめてにっこり笑った。
「――とても、素敵な名だ。」
褒められた――…生まれてはじめて名前を、自分を――…
それをくれた両親を…。
「そう…かな…」
知らなかった。
「あまり、深く考えてなかったけど」
そんな意味が籠められていただなんて…
「俺は、つくづく…愛されて生まれてきていたんだな――」
親父…母さん…
「心のどこかで、俺はもしかしたら存在してなかったほうがいいのかも。とか、思った事もあった」
だって、そうだろ? 俺さえいなかったら親父も母さんも、兄さんも…苦しまずにすんだこと、沢山あったハズなんだ。
なのに、みんなちっとも俺を攻めない。それどころか守ろうと必死になってくれる。俺が―――いつまでも子供だから。強くならないから…。
「それは多分、違うぞ主」
彼女はふわりと俺を抱きしめた。
「お前の生き方、わらわは美しいと思った。みんなに好かれるのは、お前がみんなを好いているから。心優しいものの周りにはいつも暖かい場が生まれる。それは何故だかわかるか?」
フルフルと首をふった。
「優しいだけではなく、強いからだ。強いからこそ、色んなものと触れあい、傷ついても手を伸ばすのをやめないのは、ある種の強さ。そして赦して暖かく包み守ろうとすることも強さだ…そんな強さが主にはある。」
お前はお前に、もっと自信を持ってもよいのだ。そう、彼女は静かに言いながら微笑した。