第十一話 不安と恐怖
とある事情により変貌した夜の学校へと入ってしまった健路、ナオそしてシュウ。
皆で力を合わせてそこを脱出しようと試みるも、悪霊達の罠により、一人引き離されてしまったシュウ…。はたして彼らは無事合流し、呪われた夜の学校から脱出できるのか…?
油断した。とシュウは冷や汗をかいていた。
まさか自分が引き離されるとは思ってもいなかった。
「やっばいなぁ…さすがの僕でも一人はちょっと怖いんだけど…」
携帯の時刻は相変わらず変わらない。まるで異次元世界に閉じ込められたようで、とても気分が悪い。
ふと、暗闇の中で窓枠へと移動した彼は、今まで気がつかなかった出来事に遭遇した。
「あれ? 今日って満月だったっけ?」
窓の外で輝いているのは真っ赤な満月。月が火星と折り重なったかのような異様な赤。
「まるで血を吸ってあんな色になったみたいな…気色悪い色だなぁ…」
言いながら彼は真っ暗な廊下を歩いていく。
カツ…カツ…カツ…。
自分の足音だけが響く廊下。人っ子一人いないような静寂な空気に包まれた学校。何故かつかない学校中の電気。
何をやっても開かない外への窓とドア。開くのは教室や職務委員室などの部屋のだけ。唯一ある明かりは、やっぱり不気味に窓から差し込む赤い月の光だけで。
それでもまったく光がない状態よりかはいくらかマシだった。そう始めは思っていたのだ。しかし……。
なにかが、おかしい………。
違和感は奥へ進むごとに大きく大きく膨らんでいく。
おかしい。おかしい。絶対何かがおかしい。
何かを見落としているのか? 何かを思い出せないでいるのか?
カツ…カツ…カツ。
ふと足を止めたシュウは、何かが彼のもとへ迫る気配がした。
そっと振り返るが何もいない。
側には気味の悪い肖像画があるだけで。
まさか、この絵から視線を感じていた…? いやいや。ないない。
たとえその絵が本当に不気味な、妙にリアルな髪の長い女が描かれていたとしても、それはたんなる錯覚。絵は絵だ。
そう自分に思い込ませようと必死になっていることに、彼は気づいていない。
この空間がそうさせているのか、不安からくるものなのか…怖さを倍増させないための、脳のセキュリティシステムなのかは定かではない。
よく見れば絵の女は顔が伏せていてあまり窺えないが…若干髪が前より右寄りになってる気がするが、きっと勘違いだろう。
だって、絵が動くだなんて、そんな事有り得ないのだから。
彼はまた歩き出そうとして、ハッと気がついた。
シュウが感じていた違和感の正体…それは……。
「今日、満月じゃなかった…」
家から出て、学校につくまで月は普通の三日月だったはずだ。
それがどうして満月?
そして、もうひとつ。
何故自分は…無意識に屋上へと行こうとしているのか。
「屋上に出ても何もならないはず。なのにどうして…」
『それはね』
「?!」
いきなり、背後で男の子の声がした。しかし後ろには誰もいない。
ドクン…ドクン…と心臓が脈をうつ。
落ち着け。落ち着くんだ。自分にそう言い聞かせながら一生懸命息を吸ったり吐いたりを繰り返す。
『ここがボクたちの捻じ曲がった世界だから』
そんな言葉が聞こえた瞬間、一気に回りにたくさんの人の気配がした。
クスクス笑っているような声、泣いているような声、遠くで叫んでいるような声…。
一気に恐怖心を煽られた彼はおもわずしゃがみ込んで両耳を手で塞ぐ。
「…っ」
そんな彼の行動がおもしろかったのか、気配はもっと近くに寄ってきて、たくさんの足音が彼の周りをグルグル歩きはじめたような音が聞こえてくる。
ペタペタペタ…
ザッザッザッザ…
ペタペタペタぺタ……
カツンカツンカツン………。
耳を塞げどもまるで意味を成さない。
ちくしょう。ちくしょうっ! 震えるな! 静まれ! 静まってよ僕の身体っ!
一生懸命心の中で叫びながら、身体に指示を出そうとするも、筋肉ひとつ動いてくれない。
呼吸が荒くなる。
冷たい嫌な汗が出る。
しまいにはカタカタ震えが止まらなくなってしまったシュウは、金縛りのように動けなくなった足を涙目で見つめながら、必死に恐怖と戦っていた。
きゃははは。あはははは。
ぎゃーぁぁあああ! タスケテぇ!
うらめし…うらめしやぁぁああ…
おぎゃー! おぎゃー!!
様々な声という声が、頭の中まで響いてくるようで。
気持ちが悪い。吐き気がする。頭も痛くなってきた。
「お願いだから…」
強く、強く念じる。怖くても、身体が震えてても。
「動いてよ…っ」
動け!!
これまでにないほど、強く念じるとバン!! という音が回りで鳴り響く。
と同時に身体が自由になった。
「!」
今だ。逃げるのは今しかない! シュウは駆け出した。
後ろを振り向かずに一心不乱に足に力を入れることだけに集中した。
声は後ろのほうでまだ聞こえてくる。振り切れてないのならただただ走るだけだ。
角を曲がって、階段を上って、走り続けて…一体どれくらい経ったのだろうか。
シュウは足を止めた。一瞬見知らぬ場所へと来てしまったかのような錯覚がする。
ああ、駄目だ…。彼は頭を支えるように片手で押さえながら、壁にフラリと寄りかかった。
「ここ…どこだ?」
赤い光を頼りに回りを見渡す。
どこまでも続くような廊下に、いくつかの肖像画。
…肖像画?
「これ、さっきの奴だ…」
同じものを飾るわけがない。
しかし、ズラリと並んでいるそれらは、走り出す前に見たものばかり。
おまけに教室も同じだ。
「え? もしかして…同じところグルグル回ってる…?」
そんなハズない! 彼はいきり立ってまた走りだす。
しかし…
「また…同じ…っ」
走っても、走っても…結果は同じ。
「な…なんで?!」
ここから出たい。仲間と合流しなければいけない。なのに…。
「辿り着けない…」
抜け出せない。気持ちばかりが先を行く。焦りが判断を鈍らせていく。
また走り出す。角を曲がって、そのまま走り…今度は前のほうに、誰かの人影。
一瞬、健路か尚輝かとも思ったが…そっと少し近づいて、ブワッと悪寒が走った。
アレは違う。アレは人ではない! 直感的に悟った。
アレは危険だ。一刻も早く離れなければ。
「っ」
わき目もふらずに走る。後ろを振り向く間も惜しい。
だがふと気がつくと、すでに前に同じ人影がそこに立っているのだ。
どうなっているんだ。逃げなきゃいけないのに…。
アレから離れなければいけないのに…それが単純に出来ない。
すると、今まで立ったまま動かなかった影が動いてこちらを振り返った。
瞬間、背筋にゾッと冷たいものが走る。
ヤバイ! やばいやばいやばいやばいやばい!!
「…っ」
逃げなくては。アレはヤバイ。わかっているのに。
走っても逃れられない。
また元の場所に戻って、そしてまたアレが前にいるという最悪なループ。
プラス、徐々にアレが近づいてくるというオプションつきだ。
じょじょに恐怖がじわじわと己の中に広がっていくのが感じられた。
しかし震えていてもなにもはじまらない。
ただ逃げ回っても駄目だ。なにか、なにか考えろ。アレから逃れる方法。
足を止めて考える。前の影は少しづつ迫ってくる。だが焦るな。考えるんだ…。
今までは勢いに任せて走っていただけだったが、そもそもどうしてあんなに何回も同じ場所を行ったりきたりしようと思った?
おかげで体力を無駄に使ってしまって…。
ああ、そうか。
どうやら…この空間で一人でいると思考を弱らせられるみたいだ。
先ほどから頭がいたいのも、もしかしたら思考を鈍らせるためなのかもしれない。
ただでは帰さないし、逃しもしないつもりか…。
「だけど…」
こっちだってすんなりと捕まるわけには…いかないんだ!!
バッとシュウが影が来る前に駆け出して、ガラッと教室へと入った。
もちろん、相手も追いかけてくる。
その間、何が今自分にできるのか、考える。
思考をやめては駄目だ。
つねに周りをよくみて、そして敏感になりながらも考えるんだ。
ガタリ。
来たか?!
ガタガタガタ!
教室のドアが揺れる。
さきほどバリケード程度に五つの机と椅子を積んで開かないようにした。
しばらくは大丈夫。だけど油断はしちゃ駄目だ!考えるんだ。アレから逃れる方法。
ガタッ
ガタガタ。
ガタガタガタ。
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ!
「……っ!」
目をギュッと瞑り、しかしこのままだと情報をシャットアウトしてしまうと、ゆっくりと瞼を上げた。
震えるなよ自分。震えたら体がまたいう事をきかなくなる。
また…動けなくなる。自身に言い聞かせながらじっと静かにドアを観察する。
いつなにが起きてもいいように。
ガラガラと音を立てて積まれていた机が崩れ落ち、ギィ…と不気味な音とともにドアが開く。
瞬間教室の中の温度が急降下し、寒くなっていく。
ヒヤリ…と冷蔵庫を開けた時のように冷たい風が漂ってくる。
どんどん、どんどん冷たい風が教室の温度を下げてくる。
もちろんシュウの体温をも奪っていく。
手足は完全に冷たくなっていて、少し麻痺してきたくらいだった。
「…っ」
べちょっ…と何か黒い手のようなものがドアの隙間から出てくる。
ズズズ。
ズズズズ…。
ズズッ。
少しずつ、ソレが足を這うような、何かを引きずりながら入ってくる。
恐る恐る屈んでいた体制から、逃げられるように走る体制へ。
その時、顔を上げて見てみたが…。
そいつは、人の形をしながらも、黒い泥のような塊で。
足が肘から先、上手く形になっていなくて…それでズルズルと這うように、足を引きずるように歩いてくる。
「なんだあれ……泥?」
『お、おお…おおォォオ……』
迫り来る恐怖は、いつの間にか彼の目の前に迫っていて。
いつの間に?! そう驚きながら、少し身体が硬直した。
シュウへその泥の手が届くあと数センチというところで、彼はやっと身体を動かす事に成功した。
彼は思いっきり椅子をアレへ投げつける。
ボコン! という音がなった後、ソレは人の形が崩れて、元に戻ろうと再生をはじめた。
今だ!!
シュウは力いっぱい足に力をいれて走った。
ドアをあけて、そのまま駆け出した。今度こそこのループから出られる。
そう思いながら彼は走った―――少しの笑みが、恐怖で一色の彼の顔からこぼれた。
―――…が。
ガクン!!
「?!」
足が急に重くなって止まった。
「一体なに…」
シュウは自分の足を見て、ヒュッと息を飲み込んでしまい、言葉をなくしてしまった。
何故なら…彼の足には無数の髪の毛が束になって絡みついていたからだった。
腕、首、足首に凄い圧力で巻きついて、後ろへ引っ張られる。
「グッ…!」
ぐぐもった声が口から出る。息が少しずつ出来なくなっていく。
酸素が上手く吸えない。一体何が起こっているんだ?!
そう思いながら少し顔を後ろに向くと、女の肖像画から止めどなく髪が出ていた。
そして…肖像画の女の顔がゆっくり動き始めて…シュウを見つめた。
嘘だろ…あの、肖像画が…。
今まで視線を感じ、違和感を覚えていた、あの肖像画が…。
本当に、本当の……幽霊かなにか…?
そして。
ニィ!
「ひっ!」
冷たい、冷たい笑い…頬が引き裂いてニッコリ笑っている。
ずず…ずずず……と顔が出てくる。
頭から血が流れてて…そして、異様なほど白い腕が出てくる。
「……っ!」
なんとかして逃れようと足掻く。
腕を前に引っ張ったり、首に巻きついた髪を解こうとしたりするが
どうしても解けない。できない。
縛り付けてくる力が強いのだ。ギリギリとどんどん身体に巻きついてくる。
いやだ…いやだ……っ!こんなところで…死にたくない!!
どんなに力いっぱい逃れようとするも、まるで意味をなさない。
やがて呼吸ができなくなってきて意識が薄れていく。
「……っ」
ボンヤリとしてきた意識の中、二人の姿が脳に浮かんできた。
ああ、僕はこんなところで死んじゃうのかな…。
ケン…ナオ…こんなことに巻き込んじゃって……ごめ…ん…せめて…二人だけでも生きて…
フッと彼の最後の力が途切れ、廊下に倒れてしまった。
髪はそのまま彼をズリ…ズリ…と引きずる。
彼の身体が、少しずつ肖像画の女の元へと引きずられていく。
ニヤリ………と、肖像画の女が笑った。
勝利を確信して笑ったのだ。