謁見
ゴスラント七党からの人質たち紹介と家格の整理回です。
カールの朝は、早い。
宛がわれた屋敷で旅の疲れを癒した翌朝、カールは一人起き、庭で木製の剣を振るう。幼い頃から雨の日以外、強制されてきた鍛錬だ。
今や身体に染みついて、強制されずとも、自分で行うようになっていた。
「若、早うございますな。もう少し、寝ていてもいいのですぞ」
「ヘルマンか。何、習慣というやつだ。帝都だろうと、故郷であろうと、することは変わらんな」
庭先に、従者のヘルマンが顔を見せる。
「はは、習慣なら、仕方ないですな。どうです、一度打ち合いますか?」
ヘルマンからの打ち合いの誘いに、カールは考えた結果、乗らなかった。
「ん? ……いや、やめておこう。今日は皇帝陛下への謁見が叶うのだ。生傷を作ってしまっては、格好がつかん」
いつもであれば受けたところだが、今日は謁見の日。そんな日に傷を負っては大変だとして、カールは大事を取った。
「わかりました。ですが、素振りには、お付き合いしましょうぞ」
「ああ、すまない」
それからしばらくして、鍛錬を切り上げ、屋敷内に戻ると、侍女の一人・アンネマリーと出くわした。
「おはようございます、カール様」
「ああ、おはよう、アンネマリーさん」
「……皆さんは、いつもこんなに早く、起きられるのですか?」
「ん? まあ、そうかな。実家にいた時も、早朝の鍛錬は欠かせなかったな」
「そうですか……」
カールの目の前で、思案する仕草を見せる彼女については、その出自から、多少の説明がいるだろう。
彼女の名前は、アンネマリー・ライトマイヤー。帝国東部に領土を有する、ライトマイヤー伯爵家の出身である。
但し、嫡出子ではなく、庶子であり、十二歳の時に、後宮に出仕させられた。ある種の厄介払いである。
そこで彼女は、献身的に働き、徐々に奥向きのこと任されるようになった。そして、五年の歳月を経て、彼女はゴスラント七党からの人質である、カールの侍女の一人として選出されたである。
「何か問題があるのか?」
「いえ、皆さんが想定していたよりも早く起きられるので、私たちもそれに合わせなければ、と思いまして」
アンネマリーから出た予想外の発言に、カールは目を丸くした。
「はは、鍛錬はこちらの都合だ。皆、屋敷のことを我々の代わりにやってくれている。あまり無理をしてはいけない」
「しかし、主人より遅く起きる訳にはいけません」
むん、と気合を入れるアンネマリー。カールの二つ年上で、怜悧そうな顔立ちである彼女だが、その仕草は、まだ十代の少女らしく、可愛らしい。
カールは、この人となら、仲良くやっていけそうだ、と感じた。それと同時に、帝国貴族は自分たちとは違い、早起きしないのだな、と真面目な顔で、どこか抜けたことを考えていた。
朝食を取り終えたカールは、謁見のために登城の支度をしていた。
「よう、カール。邪魔するぜ」
「アンドレイ、もう支度が終わったのか」
「おう。というか、皆もう支度し終えた。何気に皆、気が急いているのさ」
「なんだ、のんびり屋は私だけか」
二人が談笑していると、続々とゴスラント七党の子息たちがやって来た。
「おう、カール。まーだ支度しとらんのか」
父親譲りの大男、オスヴァルド・ダルムントは、齢十六。カールとアンドレイの一つ上ではあるが、よくカールとアンドレイに窘められている。
「……オスヴァルド、カールを責めても、何も得はない」
「分かっとる。別に本気で責めてる訳じゃないわい」
そして、オスヴァルドを窘める男が、もう一人。
ウルリッヒ・ブルクホルスト、十八歳という若さながら、人質たちの中では最年長格の男である。
父であるディートリヒ・ブルクホルストを尊敬し、その寡黙な性格も、父を尊敬するが故に自分を厳しく律している結果であることを、友人や家臣たちは知っていた。
「やれやれ、オスヴァルドは本当に、成長しないねえ」
「何だと、ヒルデプラント。誰が成長してないというんだ」
「その無駄に喧嘩腰なところだよ。全く」
「……お前も嫌味ったらしいところ、治らない癖に」
「何か言ったかな、アンドレイ?」
「いーえ、別にぃ」
オスヴァルドと一気に険悪な雰囲気を醸し出している長髪の持ち主は、クラネビッテル家の次男である、ヒルデプラント・クラネビッテルだ。
十七歳になる彼は、父に似た端整な顔立ちだが、他者をやや上から見る癖があり、アンドレイと仲が悪く、『クラネビッテルのクソ野郎』と陰口を叩かれていた。
「まあまあ、皆さん。謁見の前です。ちょっとは仲良くやりましょうよ」
「ティモ殿の言う通りだ。謁見前に空気が悪いのは、勘弁願いますね」
場の空気を変えようと、困り顔の最年少、ティモ・アイロットが仲裁に入る。齢十三である彼は、家長であるルートヴィヒ・アイロットが溺愛している初孫であり、天性の剣の才能を有していた。
ティモの発言に追従したのは、ゴスリング家――但し、直系が当主・ヨハンのみであるため、分家筋――からの人質である、ヴィンフリート・ゴスリングだ。
因みに、彼が自分よりも二つ年下のティモに態々『殿』を付けているのは、自身のみがこの中で分家筋の者であるため、多少引け目を感じているからである。
「オスヴァルドも、ヒルデプラントも、本気で喧嘩している訳じゃないよ、ティモ」
「あ、そうなんですか!」
カールの言葉にぱあ、と表情が明るくなるティモ。
「喧嘩するほど仲が良い、って言うしな」
誰が仲良しだ、とオスヴァルド、ヒルデプラントの二人が、アンドレイの言葉に息ぴったりに反応する。
「なるほど、確かに、ですね」
「だろ?」
アンドレイとティモは、視線を合わせると、くすりと笑った。
帝都・ヴァーティウムントの第三の門を越えた先に、皇帝・ヴァーティウム4世が住まう宮廷が、その存在感を放っている。
そして、その宮廷の中心に、謁見の間は存在していた。カール一行は、その謁見の間へと、案内されようとしていた。
案内されている中で、ふと、アンドレイが思い出したかのように、こう言った。
「先頭は、ヴィンフリートな」
「ええ!? な、なんでですか!!」
「だってお前、ゴスリング家の名代だろ」
アンドレイの言葉に、焦りを隠せないヴィンフリートが、わたわたしながら反応する。
それに対し、アンドレイはさらりと返した。
他の五人も、アンドレイの言葉に無言で頷いていた。
「え、ほ、本当に私が先頭ですか!?」
「当たり前だろ」
「まあ、当然ですね」
「……至極当然だ」
「順当だと思いますけど」
ヴィンフリートの反応に対し、オスヴァルド、ヒルデプラント、ウルリッヒ、ティモの順で、次々とアンドレイの意見に同意を示していく。
「ヴィンフリート」
「か、カール。カールは違いますよね、ね?」
ぽん、とヴィンフリートの肩に手を置き、
「諦めろ」
とだけ告げた。
結局、ヴィンフリートは、泣く泣く先頭になることを受け入れた。
やがて、カールたちが謁見の間の前に到着すると、扉の両脇に立っていた衛兵に一旦止められた。片方の衛兵が扉の向こうへと消えると、しばらくして、衛兵が戻って来た。
「入れ、と言われたら、入るがよい」
わかりました、とヴィンフリートが頷くと、残りの六人が家格順で、左右に並ぶ。
ヴィンフリート(ゴスリング伯爵家名代)の右後ろにオスヴァルド(ダルムント伯爵家)、ウルリッヒ(ブルクホルスト子爵家)、アンドレイ(アーダルベルト子爵家)が並び、その一方で、ヴィンフリートの左後ろにはティモ(アイロット伯爵家)、ヒルデプラント(クラネビッテル子爵家)、カール(シルヴィスハイム男爵家)が続いた。
「入れ!」
年嵩な男の声が扉の向こうから響き、衛兵たちが頷き合い、扉を開けた。
扉の向こうには、左右に五十人ばかりの貴族たちが整列しており、その奥に皇帝がどっしりと座っていた。
一回息を呑むと、ヴィンフリートたちは、皇帝の前へ歩み寄った。
ヴィンフリートたちが歩みをある程度進めたところで、皇帝の右手にいる男が、彼らに目配せをしてきた。
ヴィンフリートはその意味を察し、その場で片膝を立て、頭を低くした。それに合わせて、残り六人もまた跪き、頭を垂れた。
「面を上げよ」
「はっ!」
皇帝の呼び掛けと共に、七人は顔を上げた。
「余が、ヴァーティウム帝国皇帝・ヴァーティウム4世である」
「ゴスラント七党を代表し、ゴスリング伯爵家名代・ヴィンフリート・ゴスリングより、ご挨拶させて頂きます。謁見が叶い、恐悦至極に存じ上げます」
「うむ、よくぞ帝国へ来てくれた。その方らが、アルブレヒト伯爵令嬢を賊の魔の手より救い出したこと、既にアルペンハイム男爵より、余の耳に届いておる」
彼の言葉に、左右が一瞬どよめく。彼らにとっては、初耳であったようだ。
「此度の一件は、アルブレヒト伯爵の方からも伝えられていてな。お主たちに報いてやってほしい、とのことだ。余も息子の婚約者を助けてもらった手前、褒美をやらねばなるまい」
「勿体なきお言葉。我らゴスラント七党、貴族として、また騎士として当然のことをしたまで。褒賞は無用にございます」
ヴィンフリートの受け答えに、胡散臭いとばかりに、左右から視線が投げられている。帝国における、ゴスラント七党の評判を考えれば、当然なのだが。
因みにこの時、ヴィンフリートの受け答えが流暢過ぎたので、後ろの六人からも胡散臭いという目で見られていたことを、彼自身は知る術を持たなかった。
「はは、忠義なことである。しかし、信賞必罰をせねば、余の、ひいては帝国の沽券に関わる。この褒賞を拒むことは許さぬ、よいな?」
「はっ、承知致しました」
穏やか且つ有無を言わさぬ圧のある声で、語り掛けるヴァーティウム4世に、ヴィンフリートが溌剌とした声で応じる。
「うむ。では、下がるがよい。時間があれば、余の息子たちに会うがいい。あやつらも、お主たちに礼が言いたいであろうよ」
「ははっ」
ヴァーティウム4世との謁見は、こうして恙なく終わったのであった。
「……で、どうであった」
「若者らしく、気力充溢しておる者たちですな」
ゴスラント七党の子息が謁見を済ませた後、アルフォンスだけが謁見の間に残っていた。
顎髭を擦りながら、アルブレヒトが目を細める。彼らの姿に、若き日の自分を幻視したのだろうか、どこか羨ましそうにも見えた。
「それだけか、アル爺」
「私は彼らよりも、孫娘の方が気掛かりですので」
「むっ……」
ヴァーティウム4世は、言葉に詰まった。
昨日屋敷へと戻った孫娘・クリスティーナのことを、アルフォンスは気に掛けていた。目の前で護衛たちが殺されたという、衝撃的な出来事の直後である。今は傍にいてやりたい、と考えていた。
「西方の貴族たちには、再発防止に努めるよう通達を出しておる。今回の件は、誰かが裏で手引きしたとしか思えぬしな」
ヴァーティウム4世は、西方貴族への指示通達が済んでいる旨を、不快を隠さずにアルフォンスに話した。
彼自身、今回の襲撃は、歓迎すべき事態ではない。皇太子の婚約者が襲撃されたということは、その座を狙うアルブレヒト伯爵家の政敵が狙った可能性が高い。
アルブレヒト伯爵家は、帝国貴族全体に対しても影響力が高く、令嬢・クリスティーナは人品に問題がなかった。何より、帝室への影響力を行使するといった野心を持っていないことが、何よりの評価点であった。
しかし、帝室への影響力が欲しい貴族は、幾らでもいる。そんな彼らの中には、クリスティーナを実力行使で排除してでも、皇太子妃の座を狙う者もいる。要は、アルブレヒト伯爵家の政敵は、多いのである。
「左様。あまりに用意が良過ぎました。クリスティーナの出発予定、警護の兵、その装備や質、そしてそれらを排除するための駒。実に用意周到でした。アルペンハイム卿らがばったり出くわさなければ、クリスティーナの命は、なかったでしょう」
アルフォンスは、安堵とも悲しみともとれる表情を浮かべる。孫娘が助かったことは喜ばしいが、数多の家臣たちがその命を守るために命を落とした。そのことが、彼に安堵を許さなかった。
「……内部犯だと思うか?」
「その可能性しかないかと」
ヴァーティウム4世の問い掛けに、アルフォンスはきっぱり断言する。
「そうなると限られる。お前の孫娘は、元々戻る日にちは決まっていたな」
「はい。日程は前もって決めておりました」
「だが、その日程は帝都にいる貴族なら、知ろうと思えば、簡単に知れることだな。……正直、お前の孫娘を消してやりたい連中なんぞ、幾らでもいるだろう。特定は難しいな」
やれやれと、ヴァーティウム4世は玉座に背を預けながら、嘆息を漏らした。
「おおよそ察しはつきます。しかし、証拠はありませぬ」
「捕虜にも吐かせたが、頭であるフィリップという男以外、依頼人と思われし人物には会っていないらしい」
「その頭は?」
「討ち取られたそうだ。残念だったな」
「良いことですが、残念ですな」
やや不満げに、アルフォンスは眉を顰める。
「とにかく、調査は引き続き進めておく。お前は、ゴスラントの人質どもを懐柔に注力せよ」
「孫娘を使えと?」
「他の貴族たちは、ゴスラント七党への警戒が過ぎる。……アーレシュタット程ひどいのは、中々だが」
苦々しげに語りながら、ヴァーティウム4世の言葉は続く。彼の脳裏には、ヘルムートからの報告がよぎっていた。
「その点、クリスティーナは人格として申し分ない。奴らとの関係を上手く作れる人材を見出すだろう」
「皇太子や皇子方では、ダメなのですか?」
「…………知っていて、訊くでないわ」
訝しがるアルフォンスに、自身が抱える一番の問題を突かれ、ヴァーティウム4世は顔を逸らし、憂いを込めた言葉が漏れ出ていた。