帝都
さて、アーレシュタット城外でカール一行が野営している中、クリスティーナ・アルブレヒト伯爵令嬢と、その侍女であるミアは、アーレシュタット邸に宿泊していた。
「ありがとう、ミア。今日はもう休むわ」
「かしこまりました、お嬢様」
ミアが一礼して、部屋を退出する。その所作に、今日の一件が尾を引いた様子はなさそうだ。そこに、彼女の仕事観が見受けられた。
「ふう、……」
寝台に腰を下ろし、ため息をつくクリスティーナ。
今日は、色々なことが彼女には起こり過ぎた。賊の襲撃、護衛たちの死、そして、ゴスラント七党子息との出会い。
命を奪われかかった恐怖が、今更ながら彼女を襲い始めていた。
「――――っ!!」
震える肩を抱きしめながら、クリスティーナは、襲ってきた恐怖に耐えようとした。
幼い頃から、皇太子の婚約者として生きてきた彼女にとって、悪意を向けられるということは日常茶飯事だったが、ここまでの悪意を向けられたのは、生まれて初めての経験であった。
暫し躊躇した後、再びミアを呼んだ。
「お嬢様、どうなさいました?」
「その、……恥ずかしいのだけれど」
「はい」
「……寝むるまで、傍にいてくれない?」
一瞬、ミアは何を言われたのか、理解できなかった。彼女の主である、目の前の少女は、いつも完璧であろうと努力している、他人には隙を見せない少女だ。
その彼女が、恥ずかしさを押し殺して、傍にいて欲しい、という。
「かしこまりました、お嬢様。いえ、クリス」
「あっ……ミア、貴女…………」
それは、どれ程勇気がいることだろう。今日だけは、彼女の幼馴染としての自分に戻って上げてもいいだろう、とミアは思った。
「ありがとう、ミア」
クリスティーナがその夜、眠りに落ちたのは、夜が更ける頃であった。
翌朝、アーレシュタットを出発するカール一行に、クリスティーナも同行することになった。護衛が、道中の襲撃で全滅したためである。
「アルペンハイム殿、今日はどこまで行くんで?」
「今日はハーファー、ラズルテンという二つの都市を越え、ノイマールに宿泊します」
アンドレイの質問に、ヘルムートが即座に答える。通常徒歩であれば、一つずつ都市を越えねばならないが、全員が馬に騎乗しているため、クリスティーナの馬車を護衛しながらでも、都市を複数越えることが可能であった。
「因みに、我らは泊まれるでしょうな?」
「そこはお任せあれ」
ヘルムートは、アンドレイの皮肉気な質問に、自信を持って頷いた。
もしも、ノイマールでも彼らを野営させることがあれば、皇帝・ヴァーティウム4世の面目を潰してしまう。そうなれば、自身が死んで非礼を詫びるしかないとまで、ヘルムートは考えていた。
「よせ、アンドレイ」
「へいへい」
カールが軽く窘めると、アンドレイはやれやれとばかりに、肩を上下させる。
昨夜の一件を通して、ヘルムートはわかったことがある。ゴスラント七党の子息たちの中心には、カールとアンドレイがいる。
アンドレイが場を和ませ、カールが要所を締める。その形が、昨夜も随所に見られた。
注目すべきは、猛烈に反対の意を示す人間が、残りの五人にいないことである。
それは、少なからず二人に同調している証左であり、カールとアンドレイ以外の者は、ヘルムートを帝国の人間として、必要以上に警戒しているが故であることを、ヘルムートはこの時、知る由もなかった。
さて、一行はノイマールに到着すると、城主・ノイマール子爵の歓待を受けた。幸い、ゴスラント七党の子息たちも入城を許され、ノイマール邸に宿泊した。このことに、人知れずヘルムートがほっとしていたのは、語るに及ばないだろう。
ノイマールで一夜を過ごした一行は、三日後には順調に、帝都・ヴァーティウムント近郊まで来ていた。
「アーレシュタット以降は、順調ですな」
「あはは、アンドレイ殿、もう少しで帝都です。一応、先駆けを出して、迎えを寄越すように伝えております。迎えが来れば、帝都までもう少しですぞ」
「おお、手回しがいいですな」
「ありがとうございます」
アンドレイの皮肉をさり気なく流して、ヘルムートは応対していた。
アンドレイが褒めたように、カールもまた、ヘルムートの気遣いを大したものだと思っていた。
恐らくは、自分たちへの気遣いというよりは、クリスティーナへの気遣いなのだろう。行程に万全を期したい、というヘルムートの考えも、そこにはあるのかもしれない。
「む? ヘルムート殿、向こうに砂塵が見えます。その迎えが、あれですかな?」
「おお、正に、正にですな!」
カールが視認した砂塵の正体は、近づいてきたことで判明したが、重装騎兵の集団であった。
彼らは二十騎ばかりの集団で、その鎧の意匠は統一されており、一組織としてのまとまりを感じさせた。
「そこの集団、止まれ」
やがて目の前にやってきた重装騎兵たちは、ヘルムートたちに止まるよう命じてきた。
「貴殿らは、ヘルムート・アルペンハイム卿とゴスラントからの『客人』で、相違はないか」
「ええ。そういう貴方は、鎧から察するに、陛下の近衛隊ですな」
「はい。陛下にお仕えしております、近衛隊のフリッツ・エーデルシュタインです。勅命を受け、お出迎えに参上しました」
やって来た集団が近衛隊とわかり、カールたちに安堵の表情が浮かぶ。
「いやいや、ご苦労様です。道中で賊に出くわしこそしましたが、ゴスラントの皆様のご助力もあり、何とかなりました」
「ほう……」
胡乱気な視線を、カールたちに向けるフリッツ。その視線に、僅かにヘルムートの眉が曇る。
カールはまるで気にしていない、と言うかのように微笑み、アンドレイは視線を逸らした。残りの五人も、さしてフリッツの意味あり気な視線に興味がないらしく、オスヴァルド・ダルムントに至っては、欠伸している始末であった。
「むっ…………」
フリッツが戸惑いを見せると、ヘルムートは苦笑する。アーレシュタットの一件があったので、彼らは然程のことでは、動じないらしい。
ヘルムートは、フリッツに別の話題を振った。
「エーデルシュタイン殿、アルブレヒト伯爵には、ご連絡はお済みかな?」
「勿論です。一報を受けた時は、帝都を飛び出さんばかりのご様子でしたが、政務がありますので。お屋敷で、ご令嬢のことを首を長くして、お待ちになられていることでしょう」
思わずその姿を想像してしまったのか、ヘルムートとフリッツは、顔を見合わせ、苦笑する。
「では、参りましょう。先導は、私が」
「そうですな。お願いしますぞ。エーデルシュタイン殿」
近衛隊の先導で、帝都・ヴァーティウムントに向かう一行。そこには、カールたちの想像を遥かに超える城壁が、待ち構えていた。
「ほう、……これが、ヴァーティウムント」
「でかいねえ、それに高さもある。この城壁は、攻略には難儀するねえ」
カールは驚きを出さないように、言葉少なく語るが、その目にはありありと驚愕の二文字が見えた。アンドレイもその大きさに、見上げたまま、視点を下げられないでいた。
「そうでしょう。このヴァーティウムントは難攻不落。ただの一度も、落ちたことがない帝国の中心です」
フリッツが得意気な顔で帝都の堅固さを誇ると、それを聞いたオスヴァルドは、不機嫌そうに文句を言う。
「ただの一度も、攻められたことがないだけだろう。よう見れば、石造りの城壁であることに、変わりはないわ」
「……過去に難攻不落の城は無数にあった。だが、それらはいずれもその称号を失った」
オスヴァルドの文句に、珍しくウルリッヒ・ブルクホルストが続く。
二人とも、言いたいことは、要するに落ちない城はない、ということだ。
「貴殿らは、この都市が落ちると? はは、そんなことはあり得ませぬ。三重の空堀、水堀、巨大な城壁は、陛下のお住まいである宮殿を中心に三重に囲んでいます。例え攻められたとしても、守るに易く、攻めるに難い。いざ攻めて来ようものなら、我らが追い返しますので、ご心配なく」
だといいがな、という思いをゴスラント七党の子息全員が抱いていたが、誰一人口にすることはなかった。
帝都に入ると、その街の様子に、ゴスラント七党の子息たちは、目をあちらこちらへと向けていた。
その一方で、街を行く人々も、彼らに目を向けていた。今まで見たことのない貴族たちが、近衛隊に囲まれて現れたからである。
「目立っているかな?」
「目立ってるでしょ。近衛隊に加えて、アルブレヒト伯爵家の馬車も付いてんだ。注目しない方が、おかしいってもんさ」
「アルブレヒト伯爵家は、民衆に知られとるのか」
カールの疑問に、何当たり前のこと訊いているんだ、とばかりに答えるアンドレイ。そこに、オスヴァルドが顔を出した。
「オスヴァルド、アルブレヒト伯爵家は、陛下の傅役任されるくらいのお家柄だよ? しょっちゅうこの往来を行き来していただろうさ。そしたら、どこの家の者かは、自ずとわかる。歴史的にも古い家柄だし、知名度はあるさ」
「ふーん、そんなもんかのう」
「ゴスラント地方で、うちらの家のことを知らない奴はいない、って感じかな」
「なるほどのう」
そうこうしている内に、二つ目の城門を潜ったところで、フリッツが足を止めた。
二つ目の城門からは、一つ目の城門を越えた先にある街と違い、貴族の屋敷なども存在する街並みになっていく。ここで、クリスティーナとは、別れることになる。
「ここで、アルブレヒト伯爵令嬢とは、お別れですね。供回りに十騎付けます」
「ありがとうございます、エーデルシュタイン殿」
「ゴスラントの方々も、用意しました屋敷にご案内致します」
「忝い」
それぞれに二騎ずつ近衛隊が付き、先導されるがままに、各屋敷へと案内が始まった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
カールとその従者たちが屋敷の中に入ると、ずらっと執事と侍女たちが列を作り、一礼する。
カールは目をぱちぱちさせると、傍らにいる近衛隊に尋ねた。
「この執事と侍女は?」
「皆様のお世話係です。各お屋敷に、それぞれ一人の執事と十名の侍女を付けております」
「いや、その、な」
「ああ、ご心配なく。全員後宮仕えや、出自が確かな者で構成しております。家事も一通りこなせることは、既に確認しておりますので」
カールの言葉を遮るように、近衛隊が言葉を被せた。
「我らとて、自分のことは、自分で出来る。それに、これ程の人員を、私は養えんぞ」
唸るようにカールは言う。確かに、彼に付いてきた従者はともかく、この執事と侍女たちに払う賃金なぞ、カールは持っているはずもなかった。
「……これは、帝国から、特にアルブレヒト伯爵家からの厚意です。彼らの賃金につきましては、帝国側からシルヴィスハイム様へ支給致しますので、ご安心を」
「…………アルブレヒト伯爵家から、か」
道中で令嬢を助けたことが、思わぬ形で返ってきたと、カールは感じていた。
「更に言ってしまえば、彼らは既に仕えていた場所を辞めて、こちらに再就職した形を取らせて頂いております。シルヴィスハイム様が要らぬ、と言ってしまわれると、彼らは路頭に迷うことになってしまいます。……そのような酷なことを言わぬ御方だと、当方は信用しておりますので」
「抜け抜けとよう言うわ。それは、脅しではないか」
「いや、現状を申したまで。脅しなど恐れ多く、とてもとても」
苦々しい表情で文句を垂れるカールだが、近衛隊はさらりと返し、恭しく一礼する。この近衛隊は、思ったより食わせ者のようだ。
「……仕方ない。では、彼らを受け入れるとしよう。貴殿、いい面の皮の厚さだ。偉くなるぞ」
「お褒めに預かり、恐悦至極に存じ上げます」
この近衛隊――エルンスト・イエッセル――とは、長い付き合いとなるのだが、この時の彼らは、まだ飄々とした近衛隊とゴスラント七党からの人質という関係でしかなかった。