丘での戦い①
「あ~、なんで俺は、馬上の人になっているんですかね?」
「呆けたのか、アンドレイ。人質になりに行くのであろう?」
「ただの現実逃避ですぅ。お気遣いなく」
ああ、そういうことか、と問いに答えたカールの口から呟きが漏れる。
アンドレイ・アーダルベルトは、十五歳になるアレクシス・アーダルベルトの年の離れた弟である。
カールとは領地が隣であり、且つアレクシスの妻がカールの伯母である故に、子どもの頃からの付き合いである。そのため、彼に自然と愚痴を零していた。
ゴスラント七党から出された人質たちは、それぞれ十人前後の供回りを連れて、一路ヴァーティウム帝国の都を目指していた。
無論、カールとアンドレイだけではない。ゴスラント七党それぞれから出された人質たちが、後ろから続いていた。
そして、もう一人。帝国からの案内役も、彼らと合流を果たしていた。
「その現実逃避はできれば、私の前で言わないで頂けると、有難いのですが……」
「そうは言ってもねえ、アルペンハイム殿。物見遊山に行くわけでもなし、人質として行くというんだから、楽しくは行けないでしょうよ」
「いや、それはそうですが、……」
「アンドレイ、あまりアルペンハイム卿を虐めるなよ。帝都までの案内役なのだからな」
「へいへい」
ヘルムート・アルペンハイムは、内心頭を抱えていた。
元より武芸よりも、文治に優れた能力を持つこの男は、不幸にもゴスラント七党の人質を案内する役を、皇帝から命じられていた。
もちろん、護衛役の将兵も付けて貰ってはいるが、相手はあのゴスラント七党の一門たちである。ヘルムートとしては、気が気でなかった。
一方で、カールはヘルムートのことを、僅かながら知識として知っていた。これは父であるエーリッヒ・シルヴィスハイムの帝国好きが高じた結果が齎したものなのだが、カールは今回ばかりは感謝していた。
彼が求才令で人生が変わった者の一人であるヘルムート・アルペンハイムか、とカールは、その様子を観察していた。
また、そのヘルムートとカールの様子を観察している者もいた。アンドレイである。
幼馴染であるカールが優秀なことについては、認識済みのアンドレイにとっては、ヘルムートを気にしているカールが意外に見えていたのだ。
この男のどこに、カールは注意を払っているのか、という疑念がアンドレイの胸中に抱かれていた。
アンドレイには酷な話なのだが、ヘルムート・アルペンハイムは残念ながら、武芸の面では毛程の役にも立たない男であり、且つ外政面でも活躍したことのない男なので、アンドレイの耳に彼の功績が届いていないのは、仕方がないことなのであった。
ヘルムートは内政官としての資質が高い人物であり、区画整備事業・産業振興などで主に功績を挙げ、爵位を得たのである。シルヴィスハイム家はその情報網の広さからそれを知っていたため、カールは注意を払っているに過ぎなかった。
それに、実のことを言えば、内政官的性格が強いヘルムートが今回の使者になった理由は、外政経験を積めというヴァフリート4世の意図が絡んだものなのだが、それを知る者は、この場に誰もいなかったのである。
「おや、前方が騒がしいですな?」
ヘルムートは話題を変えるが如く、前方の騒がしさに目を向ける。彼としては、アンドレイの愚痴から逃れるための、咄嗟の話題振りだった。
だが、ヘルムート、カール、アンドレイの3名は次第に、前方の騒がしさに胸騒ぎを覚えた。最前線を行く騎士が、突然踵を返し、丘を転がるようにこちらへ戻ってくるのが見えたからである。
「ヘルムート様、大変です! 前方に賊の一団を発見っ! 貴人と思われし馬車を、襲撃しています!!」
「何っ!?」
目を見開くヘルムートに、カールが声を掛ける。
「救援しましょう。なあに、我らゴスラント七党、荒事には慣れております故」
その問い掛けに一瞬悩むも、ヘルムートは快諾する。
本来人質である彼らを危険に晒したくはないが、今は、賊を追い払うのが先決であり、そもそも、貴人らしき馬車が襲われているのだ。一帝国貴族として、ヘルムートは助けない訳にはいかない、と悩みを振り払った。
今は、即応できる兵力に頼るべきで、自身に預けられた兵士たちは、まとめるのに時間を要する。カールたちに頼るしかない、と判断したのだ。
「カール殿、お任せしてよろしいか。我らも兵をまとめて急行致す故」
「お任せあれ。誰か、後ろの連中に伝令を頼む。」
すると、カールの従者の中から、一人の男が前に出た。
「某が」
「ヘルマンか。後ろの連中に伝えろ。丘の向こうに賊あり。『戦の時間だ』とな」
「はっ!!」
ヘルマンが駆け出すと同時に、カールは従者たちを動かす。
「では、行くぞ!」
「おうっ!」
駆け出すカールに、アンドレイも続く。
「やれやれ、面倒事に巻き込まれちったな」
「今更ですな」
アンドレイがぼやくのを、従者の一人、ゲラルトが今更だと返したことに、カール・アンドレイ共に思わず苦笑してしまう。
戦は、ゴスラント七党には付き物なのだから、本当に今更な話であった。
最前線の丘まで馬を進めたカール・アンドレイ一行は、馬車に群がる賊の一団が目に入っていた。
「あれか……」
「護衛の連中はやられたのか? 周りに兵士が居ないな」
アンドレイが遠目から分析する傍らで、カールは馬車に注視していた。
「なるほど、貴人の馬車と言われる訳だ。外面に装飾までしてある馬車なぞ、余程裕福な商人か貴族かの二択だからな」
「どうする? 後ろの連中を待つか?」
「いや、その時間はないらしい。見ろ」
アンドレイの問い掛けに、カールが素早く答えた。二人の視線の先では、馬車が遂に止められ、御者と思われし男が引きずり降ろされ、頭領と思われし男が、馬車の扉を開けようとしているところであった。
「まずいな。行くぞ!」
カールが駆け出すと、後にアンドレイが続いた。
「ああ、ちくしょう。なんだってこんな時にこんな目に会うんだか」
丘を馬で駆け下りながら、アンドレイのぼやきに、カールが返す。
「今更だ。いっそのこと、鬱憤を奴らにぶつけてみたらどうだ?」
「言われなくても、そうしますとも!!」
吐き出すようにアンドレイが叫ぶのと、丁度丘を駆け下りたのは、ほぼ同時であった。
「騎射、準備!!」
カールの掛け声で、カールの従者たちが弓を番える。
そして、敵も漸く、背後に現れたカールたちの存在に気が付いた。が、それは余りにも遅すぎた。
「放てえっ!」
一斉に放たれた矢は、馬車を襲っていた集団へと降り注いだ。従者を含めても、10名程度の騎射だが、油断を突いた分、効果は絶大だった。
「ぎゃっ!!」
「ひいっ!?」
悲鳴を上げ、馬上から転がり落ちる者や背中に矢が刺さる者が出るなど、馬車の後方にたむろしていた賊たちに被害が出た。
この射撃が馬に当たった者は、特にひどかった。馬が痛みのあまり暴れるため、振り落とされるや否や、今まで乗っていた馬の蹄によって踏みつけられることになったのである。
「がっ!? よ、よせ!!」
「――ぁ!!」
中には、馬の嘶きで、自身の悲鳴をかき消される者すらいた。
そして、この一瞬の隙を逃すほど、ゴスラント七党の流れを汲むカールとアンドレイは、甘くない。
「突撃!」
「全員、突っ込め!」
「おおおおおっ!!」
20名程の騎兵が一塊となって、馬車を囲む賊たちへと突撃した。
先の騎射で隊伍を乱した―ー隊伍という程のものを組んでもいなかったが―ー賊たちの後方は、その僅かな騎兵集団に突き崩され、馬車までの道を開かせてしまった。
そこに、カールとアンドレイ率いる騎兵たちは、突き進んで、馬車へと近づく。
「カール!」
「応っ!」
アンドレイの一声に反応し、カールは騎乗のまま弓に矢を番える。狙うは、馬車に乗り込まんとする毛むくじゃらの男だ。
ひゅっと放たれた矢は、違うことなく男の首を捉えていた。
百名を超える傭兵団を率いている毛むくじゃらな男、フィリップにとって、それは簡単な仕事だった。
数の少ない護衛。それを突破し、馬車の中にいる、さる貴族令嬢を殺害すること。そのための装備も、支度金も用意してくれた『依頼人』は徹頭徹尾、姿を現すことはなかった。全てが人伝いに行われていた。
だが、そんな怪しい仕事内容に関係なく、貴族令嬢を殺すだけでは勿体ないとフィリップは、いや、正確にはフィリップたちは考えた。
当初の予定通りにはいかず、しつこく食い下がる護衛を始末し終え、御者をどうにか仕留めると、フィリップは馬を下り、戸をこじ開けた。
すると、中には金髪にサファイアの瞳を持つ美しい娘と、それを庇う紫紺の髪にトパーズの瞳を持つ侍女がいるではないか。
『楽しみ』が一つ増えたとばかりに、にやりと笑みを浮かべるフィリップを見て、顔面を蒼白にさせながらも、声を上げず、睨んでくる二人をどう鳴かせてやろうか、と妄想していたフィリップの耳に、ふと、声が聞こえてきた。
「ぎゃっ!!」
「ひいっ!?」
なんだ配下の連中が喧嘩でもし始めたかと、様子を伺えば、なんと十数騎程の騎兵が突撃してきているではないか。
「なんだ! どこの奴だ!!」
そう叫んだ次の瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、一筋の矢であった。避けること叶わず、彼の喉元にそれは刺さり、ごぽごぽと血が口から血が噴き出すのを、フィリップは薄れゆく意識の中で感じていた。
「いっ、たい……だ、れ」
フィリップが最後に目にしたのは、配下の者たちを突破し、自身を討ちに来た少年が繰り出した、銀閃の刃であった。