皇帝の野心
ゴスラント七党の会議にて、ヨハン・ゴスリングが驚きの発言をしてから、数日後。
ゴスラント地方から見て、東側の大国であるヴァーティウム帝国。その中枢たる帝都ヴァーティウムントの宮廷にある会議室に主だった家臣が集められていた。
「今回陛下は、何故我々をお集めになったのか、その方、何か聞いておるか?」
「私は何も。それなら、アルフォンス殿に聞いてみては如何か?」
「それもそうだな。陛下の傅役だったアルフォンス殿だ。きっと知っているに違いない」
あちこちでそんな話が聞こえる中、噂の渦中にある、アルフォンス・アルブレヒト伯爵が会議室の扉を開けた。
腰がやや曲がっており、白髪が混じった灰色の髪を生やし、好々爺然とした雰囲気を持つこの老人は、ヴァーティウム帝国皇帝・ヴァーティウム4世の傅役(教育係)を務め、ヴァーティウム4世が即位した後も相談役となる程、皇帝からの信頼が厚い家臣であった。
「アルフォンス殿、来て早々すまないが、此度の招集について、何かご存知か?」
「ほっほ、生憎と何も聞かされてはおらぬ。期待に応えられず、申し訳ないのう」
「ぬう、左様か……」
にこにこと、白髭を撫でるアルフォンス。
事実、彼は尋ねてきた貴族に答えたように集められた理由を知らない。しかし、予想はできていた。おそらくは、ゴスラント地方についてだろうと。
そこに、皇帝・ヴァーティウム4世が護衛を伴い、入室してきた。未だ三十代半ばと言う働き盛りの皇帝は、颯爽と席に着いた。
それに合わせて招集された家臣一同が左右に座ると、ヴァーティウム4世は招集した理由を切り出した。
「諸君らを今日招集したのは、『風見鶏』の件だ」
瞬時に耳が早い貴族たちは得心する。
『風見鶏』とは、旗幟を簡単に翻すゴスラント七党を揶揄した表現である。
「彼らが恭順の意を示してきた。諸君らは、どうするべきと思うか」
「当然、人質を取るべきでしょう」
そう返したのは、皇帝から見て左側の列、その先頭に座る赤髪でがっしりとした体格をした、マテウス・ギュンターという伯爵位を持つ将軍である。帝国軍の中でも有数の発言力を持つ人物であり、武断派として名を知られる人物でもあった。
……実際は多角的に政治について考えることが苦手であり、いの一番に発言し、後は周りに任せようとしているだけなのだが。
「マテウス将軍の言う通りでしょう。人質は取るべきです」
「そうだ」
「おお、その通りよ!」
追従する貴族が出始めたことで、会議は自然と人質を取ることで話が進められた。というよりも、人質を取ることは当たり前という考えが彼らの中に共通認識としてあり、それをマテウスの発言で再認識したという形に過ぎなかった。
追従する意見が一通り出揃ったところで、アルフォンスが重々しく口を開く。
「皆、それでは今までと何ら変わりないではないか、陛下が態々招集なされたのだ。その意味を理解せんか」
「意味、でございますか?」
アルフォンスの発言に思わず疑問を口にしたのは、末席にいた比較的若い貴族だ。
「うむ。卿はどう思われるかね?」
アルフォンスは、その男に見覚えがなかったため、『卿』という表現で名前を言うことを避けた。しかし、自分が知らない貴族が果たしてここに呼ばれるだろうか、ともアルフォンスは疑問を抱いた。
「……さすれば、人質の扱い、延いてはゴスラント七党と今後どう向き合っていくか、ということではないでしょうか」
「おお、流石はアルペンハイム卿。……なるほど、ゴスラント七党からの人質を、どう扱うか、か…………」
マテウスの称賛を聞き、アルフォンスは道理で記憶にない訳だと、納得した。
ああ、昨年末、貴族位に昇進したヘルムート・アルペンハイム殿か……
帝国――ヴァーティウム4世の祖父にあたるヴァフリート1世の治世より――では、貴族としての歴史より、その才覚を重視する実力主義が上層部で芽吹き始めていた。
ヴァーティウム4世が師として、そして祖父として慕うヴァフリート1世は、
「唯才のみこれを挙げよ」
と発布を出し、結果として多数の準貴族が、正式な貴族位を得ていた。(歴史上では、この発布は求才令と呼ばれている)
彼らの中には領地を持たない者もおり、帝国からその役職に応じた俸給を受け取っていた。
領地を持たない貴族たちは、役人として働く者、軍人となる者のおおよそ2種類に分かれ、前出のマテウス将軍は、後者に該当する貴族であった。
先に発言した末席の男、ヘルムート・アルペンハイムも男爵位を持つ、領地を持たない貴族の一人であった。
クリーム色に近い黄色の髪と垂れ目がちなせいで、女々しく見られがちだが、少なくとも彼の思考・能力は、ヴァーティウム4世を喜ばせているようであった。
それを示すように彼は昨年末、準男爵位から男爵位へと昇進を果たしており、ヴァーティウム4世の下で、区画整備事業などを任されていた。
「その通りだ。漸く会議が始めれそうだな」
黙ったままだったヴァーティウム4世が満足そうに笑うと、会議の議題を明かした。
「此度の議論の核心は、ゴスラント七党を今後如何するか、だ」
「ゴスラント七党を如何するか、ですか?」
マテウスが、いまいち要領を得ないといった発言をする。
「そうだ。簡単に言えば、今までと同じやり方で良いのか、と疑問に思うのだ」
ヴァーティウム4世にとって、ゴスラント地方の支配とは、先祖から連綿と受け継がれてきた野望と言ってよい。
天然の要害に守られた地で、作物の実りも決して悪くはない。何より、敵国であるアルバート王国との決戦において、ゴスラント七党がどちらに付くか、というのは切っても切り離せないものだ。
なぜなら、帝国と王国の国境は、正にゴスラント地方を境にしているのだから。
「今までは人質を取ってきた。しかし、奴らは人質を見捨ててでも従う先を変える『風見鶏』だ。ならばこの機会にだ、……いっそ滅ぼすか、完全に支配下に置くしかあるまい」
出来れば支配が望ましい、とはヴァーティウム4世個人の野心なのだが、終ぞ口に出すことはなかった。
「なるほど! では、一挙に滅ぼしてしまいましょうぞ!!」
「マテウス、出来るか?」
「……無理でしょうな!!」
だろうな、とヴァーティウム4世は額に手を当てる。マテウスのまっすぐなところは、好感が持てるのだが、たまに馬鹿正直に回答するのは、ヴァーティウム4世のちょっとした悩みだったりする。
最も、それが兵士たちには清廉潔白な人物に映るらしく、人気が高いのだから、この世は不思議なものであった。
因みに、マテウスが無理だと言っているのは、強ち間違いではない。
侵攻ルートが南しかないゴスラント地方へと、大挙して押し寄せても、ゴスラント七党総出で防がれてしまうのである。
帝国や王国が何度攻めても弾き返してきたという歴史が、それを証明していた。
「戦が無理なら滅ぼせませぬ。ここは、取り込むべきでしょう」
「ほう、アル爺、お主は支配下に置いた方が良いと申すか」
傅役であった気安さか、ヴァーティウム4世はアルフォンスのことを『アル爺』と呼んでいた。
そのアルフォンスは、首を振り、彼の意見を否定した。
「言葉を取り違えてはなりませぬぞ。私は、支配には反対です。取り込むべき、と申し上げているのです」
「何? どう違うというのだ」
アルフォンスの反対に、ヴァーティウム4世は困惑した。彼にとっては、ゴスラント七党を支配下に置くことこそが最善に思えたからだ。
「陛下はゴスラント七党を戦で滅ぼすか、ゴスラント七党を支配下に置くか、と先程おっしゃられましたな。しかし、古来より戦には金が掛かり、将兵の血が流れます。……問いますが、ゴスラント七党が滅んだ後のゴスラント地方を、陛下はどのように治められますかな?」
「それは、帝国の法に則ってだな――」
「無理でございます」
「な、何故だ!?」
「陛下、ゴスラントの民は帝国の民に非ず。ゴスラントの民でございますれば、ゴスラント七党を滅ぼした者を恨みましょう。仮に、ゴスラント七党を滅ぼしたとしても、その後の統治に民は従いますまい」
「では、支配下に置いたらどうだ。血は流れぬぞ」
ヴァーティウム4世は食い下がった。ここでゴスラント支配を否定されたくはなかったのだ。
「ゴスラント七党を甘く見過ぎですぞ。……陛下や諸兄らに訊きたい。ゴスラント七党を完全に支配下に置くには、何が必要か?」
「力だ。軍事力はこちらが上、それを見せつけてやればよい」
マテウスが力強く答えた。
「それは、今までにもやってきたこと。その結果は、推して知るべしでしょうな」
しかし、それをアルフォンスがけんもほろろに返した。
「で、では、血縁関係を結ぶというのはどうでしょうか? 血の支配なら、向こうに影響が出ると思いますが……」
ヘルムートが別案を提示し、場の空気を変えんとする。
「誰が出すのですかな? 『風見鶏』と我らが蔑むゴスラント七党に。……今までしてこなかったとお思いか?」
「してきたのですか?」
歴史の浅い家柄であるヘルムートにとって、それは初耳のことであった。
「五代前の皇帝の時に。実際政略結婚でゴスラント家に帝室から姫が出された。が、結果は仲睦まじくとは、いかなかったそうだ」
「……しかし、今とその時では状況が違うのではないでしょうか」
「なれば、成功する確証はおありか? では訊くが、ゴスラント七党を侮蔑しない子女は貴殿の周りにおるか?」
「…………それは、そのう……」
「それが答えじゃ。要は、政略結婚も難しいということよ」
こう言われてしまうと、ヘルムートは何も言えなかった。そもそも、彼の周りにアルフォンスが言った条件の子女が見当たらなかったからだ。
ヴァーティウム4世は、アルフォンスの否定に、拳を震わせていた。
危うく拳を机上に振り下ろすところであったが、なるほど確かにアルフォンスの言う通り、ゴスラント地方の民は帝国の民ではないのだ。そんな彼らが、『はい、今日からは帝国の法に従ってくださいね』と言って従うかと言えば、自分自身ですら否定してしまう。
更にヘルムートが出した婚姻案も、候補が明確でなく、どうも曖昧さが目立つ。
少なくとも、支配にしろ、婚姻による取り込みにしろ、実行に移すには、もっと内容を煮詰める必要性があった。
「アル爺、よく言ってくれた。確かに、ゴスラントの民は帝国の民ではない。また、婚姻案についても、適当な候補が現時点ではおらぬな」
「はい。そのため、現状彼らにはゆっくりと帝国の民になってもらうしかありますまい。かつて今の帝国領土の大半がそうであったように……」
ふう、とため息をつき、背もたれにヴァーティウム4世は身体を預けた。
自身の野望たるゴスラント地方の支配は、長く時間が掛かるものになりそうだと感じたのだ。もしかすると、数世代に渡る大事業となりかねない。
帝国化への道筋の整備、現実の道の整備、法の統一、税の統一、思い浮かぶ政策は尽きることがなかった。
「もう少し先まで詰めねばならぬな。ゴスラント地方については、難題になりそうだ」
「陛下、ゴスラント地方は難題故に、幾代もの皇帝とその臣下たちが取り組んで参ったのです。どうか、ご理解の程を」
アルフォンスの言葉にわかった、と頷いたヴァーティウム4世の脳裏に、もう武力による支配という思想は、残っていなかった。
改行って、難しい・・・・・・