第四十一話 結構幸せなおっさん
暖かい初夏の朝日が窓から差し込み、良い眠け覚しの代わりをしてくれている。
「では、行って参ります! 先生っ!」
制服姿の伶奈がキリッと敬礼で挨拶をする。こんな行動とちんちくりんな見た目の所為で、高校生か中学生か分からなくなりそうになる。
「おぅ、ちゃんとアリシアを連れて行くんだぞ?」
「分かってますっ! に、しても遅いですね……」
「ごめんなさい……! 制服のサイズが合わなくて……」
事務所の奥の扉から出てきたアリシアは伶奈と同じ制服姿で現れた。急いで用意したからサイズが合っていないようだ。合わないと言っていたのは非常に分かりやすい部分で、伶奈との対比でかなり強調されている。
「ではっ! 改めて行って参りますっ! さ、アリシアも」
「ええと……行って参りますっ!」
「やんなくて良いからね? それ。……行ってらっしゃい、気をつけて行ってこい」
あの夜から数日。上から命じられて保護した女の子……アリシアはしばらくウチで預かる事となった。政府は彼女の使う転移魔法について調べたかったようだが、肝心のアリシアが記憶喪失によって名前と年齢くらいしか覚えていなかった。記憶を戻す為、無駄に刺激を事は良い事ではない。
そこで、しばらくは年相応の生活を送らせて記憶が戻るのを待つ事になった。ウチは丁度高校生の娘もいるし、学校も近い。学生生活を送るには適した環境だ。
「転移魔法か……もしあの子が敵だったら……。厄介だな……」
転移魔法はその名の通り、物質を転移させる。転移可能な範囲は個別から周囲の土地一帯ごとまで可能という恐ろしい記録も残っている。これだけであらゆる戦争の局面も一変する事もできる強力な魔法だ。もしも、これが悪用される事があれば……。
「もう面倒ごとは嫌なんだがなぁ……ん?」
嫌な事を考えている所に、チャイムの音が響いた。普段は探偵の看板を掲げて事務所を構えている。こんな朝っぱらから依頼人が来るのは珍しいが、よっぽどの急ぎなのだろうか。
俺は椅子から立ち上がりドアへと向かった。磨りガラスの部分から見える限り、女性の姿だった。なら、夫の浮気調査や彼氏の身辺調査……等々考えながらドアノブを回してドアを押した。
「ヤッホー! センセっ!」
俺の顔を見るなり軽い調子で挨拶をした若い女は、何が楽しいのか満面の笑みが崩れない。
「うわっ……朝から会いたくないヤツ…………ハァ……」
「ハイハイ、そんな顔しないー。つか、立ち話もアレなんで、座りましょ?」
女は俺を押して強引に事務所の中に入り、我が家かのような事を言っている。
「それはお前の決める事じゃないだろ……って、それ弁当か?」
「ん〜? 分かりません? これ。お弁当に決まってるじゃないですか〜。ささっ、食べてみてくださいよぉ〜。もしも〜? 自分の手で食べられないならあーん、してあげますよ?」
「ンなもん、せんでいい。ま、弁当は食うよ」
机の上に広げられた弁当と呼ばれた物の入れ物はおせち用の重箱で、季節外れな物が広げられていて何が起こっているのか分からなかった。弁当の内容はごく普通の一般的な物だ。誰が見ても美味しそうで、作った人物のビジュアルも含めて食べない男子はいないだろう。コイツが俺以外の人間に食べる事を許す事は無いだろうが。
椅子に腰を下ろすと、早速箸に摘まれた玉子焼きが俺の口に突入すべく準備されていた。
「はい! あ〜ん……こら! 逃げない! ……はい、どうです?」
突然玉子焼きを押し込まれそうになってビックリして仰け反ったのだが、逃げたように見えたようだ。
「まあ……美味いよ。砂糖の加減も丁度良い」
弁当を作って来られるのはこれが初めてではない。何度も何度も持って来ては食べさせられた。その甲斐あって料理の腕は上達したのだが、調子に乗って作り過ぎるようになってしまった。
後、もう一つ大事な事を確認しなければ……。
「このミートボール……市販の物だよな?」
「はい……残念ながら……」
「何が残念だ! それで良いんだよ!」
「良くないです〜! センセーの食べる物には拘らないと……フフフフフ……」
コイツの拘るは色々とおかしい。以前、ミートボールを作るために自ら牛や豚を屠殺し、捌いて、肉をこねて、と最初から最後までやってしまう。
「あと、変なフェロモンとか混ぜてないだろうな?」
「してませんってば! 夢魔 の力は使わなくてもセンセーは私の物に出来ますからね? てか、もうなってるし?」
「何を馬鹿な…………ハッ……! 弁当が……空に……!」
グダグダと駄弁っていたこの間に目の前の弁当箱は、バランやプラスチックの容器を残して空になっていた。そして、この満腹感……まさか、俺があの量を食べたという事なのか⁈
「フッフッフッ! そうっですっ! とっくに胃袋を掴まれていたんですよセンセーはぁっ!!」
「なっ、そんな馬鹿なっ……! ………………楽しいか? これ」
「乗っておいて酷いなぁ。私は楽しかったからもっと続けても良いんだけどなぁ〜?」
と、まだまだ続ける気でいたが、その言葉を聞いた俺の顔色は良くなかったのだろう。わざとらしく笑いながら机に広げられた弁当箱を片付け始めた。
「はぁ……で、本題にさっさと入ってくれ。こんなおふざけするために来たんじゃないだろ?」
「は〜い……ちょっとまってね〜……求められるのは嫌いじゃないよ〜…………はいっ! 終わりっ!」
ようやく重箱を風呂敷に包み終え、そのまま脇へと避ける。代わりに現れたのは紙切れ一枚。書かれている文字も、紙の無駄ではないかと思うくらいに少ない。
「いつもの事だが、こんな紙切れ要らんだろ」
「一応、政府からの正式な依頼なんだし? お役所仕事的な? まぁ〜、センセーに会えるなら無駄じゃないけどね?」
「はいはい、俺も朝飯食えるから無駄じゃないか……ん、インク出ねぇ……ペン貸してくれ」
ペンを受け取って名前の記入欄を埋める。最後に書類の右下を見ると、甲の責任者名に「度ナギ」と印刷されている。
「おい、前にいたおばさんはどうなったんだよ?」
以前、というか先週までの書類には別の責任者名が書かれていた。
「あ〜、それ? 魔法使い対策室が組対六課になったんで。人事異動。それで私一人。意味分かんないし?」
「はっ? 聴いてないぞ? そんなの今頃ニュースで……」
「言うわけ無いじゃ〜ん! 魔法使いの微妙な立場分かってます?」
確かに言われるまで感覚が麻痺していたのか、その事を忘れていた。近年のテロと言えばサイボーグか、魔法使いによる獣の召喚による破壊活動だ。俺はもっぱら魔法使いへの対応を専門にしている。
しかし、表向きにテロを鎮圧したのは警察の特殊部隊となっている。これは仕方のない事だ。テロリストと同類の人間が政府側と組んでいるなんて事が知られれば信用に関わる。
「つっ事で! 私、組対六課は前から存在していた事になり、これからは一応名前だけは出るみたいですね〜」
ナギの話し方はふざけているが、声の調子は普段のおふざけから比べると大分おとなしい。
「嬉しくないのか? 一応、出世じゃないか?」
ナギ一人しかいないとはいえ、組織のちゃんとした役職を一八歳で貰えたのは凄い事だと思う。特に、好き勝手に生きていた自分と比べるとしっかりしたヤツだと思う。
「まぁ……一年でちゃんとした役職を貰えたのは……うぅん……。でも、これからは六課……ってか、私に全部責任押し付けられるし、スケープゴートにされるの見え見えだし……。素直に喜べない……」
ナギは普段のバカやってる印象から何事も気にしないと思ってしまう。しかし、実際はすぐに悩んでマイナスに考える傾向がある。俺が関わった二年前のある大きな事件の一部でも、コイツのそんな所に手を焼かされた。
「お前なぁ……一人じゃないだろうが! 仕事の肝心な所は全部俺がやってるだろ!」
「でも、先生は表には出られないし……」
「俺が何だろうが、俺が計画実行して失敗したなら俺の責任だ。全部は無理でも横に立って半分でも俺が受け止める。だから、お前は出来る事を全力でやれ」
抱え過ぎてへばるなんて事が無いように、持たなくてもいい物は俺が持つ。そんな物で若者を潰すわけにはいかない。重荷を背負う辛さはよく分かる。人間、身軽でいられるならその方が良いに決まっている。
こんな事を言っていると、つい頭を撫でてやりたくなって無意識に左手がナギの髪を撫でた。ゆっくりと動く手をナギは両手で包み込み、頬にあててその熱を感じるように目を瞑って微笑んでいる。
「んんっ〜〜! このあったかさ……安心するなぁ、先生の手……。ね? このあったかさ、もっと感じたい……ダメ?」
初めは優しく包まれていた手を握る熱が段々と熱さを増す。
「……この間、少し話したんだ……。あいつ、言ってたよ、もうそろそろ良いんじゃない? ……って……」
あいつ……とは、二十年前に死んだ妻の事だ。二年前の事件をきっかけに、姿を現して俺と話す事ができるようになった。原因はまだハッキリしないが、俺が死にかけた事による影響だと思っている。
妻は常に俺たちの様子を見守っている? らしく、これまでにあった事や事件へのアドバイスをくれた。当然、ナギや他の人間についても知っている。
「ほんとなの? って、疑ってもしょうがないけど。 じゃさ! そんな書類よりもこっちにサインを……!」
と言ってカバンから取り出したのは婚姻届。気が早い、早過ぎる。俺の意見はまだ一言も言っていないのだが……。
だが、期待を持たせるような事を言った手前、いつものようなふざけた事は言ってはいけない。
「それは、考えとくよ。とにかく今は仕事だ、仕事」
上に乗せられた婚姻届をめくって、下の契約書にサインをする。そこへ判子を押して契約は完了だ。
早速、俺は立ち上がって出かける準備に取り掛かった。さっきの契約書に書かれていた依頼内容は、悪巧みを働く魔法使いの抹殺だ。現在は山奥に潜伏しているらしく、帰りは遅くなりそうだ。
「伶奈には遅くなるって伝えてくれ」
「あぁ、それならさっき下で会ったんで大丈夫。ついでに晩御飯も要らないって言っといたんで〜……ねっ?」
「ねっ? じゃねーよ。終わったらさっさと帰る。……ほら、行くぞ」
コートを片手にドアへと向かう。その後ろをナギが跳ねるようについて来る。
「ひっさしぶりだなぁ〜センセーと一緒に出掛けるの〜ふふっ」
「仕事だろうが……」
自分が持って来た仕事だというのに、この気の抜けようは少し気になる。俺はほんの少しナギの体に電流を流してやった。
「いっ、つっぅ〜〜! 痛いなぁ! もぉ〜分かりましたぁ〜少しは真面目にしますぅ〜」
まだ口調はふざけた感じが残っている。しかし、やり過ぎも良くない。根は真面目なやつだからこれくらいで大丈夫か……? まあ、俺の気を散らさない程度であれば許容できる。
「じゃ! 私が真面目になったところで、行きましょ?」
ナギが俺の腕を引っ張り事務所を出る。
その後、電車やバスを使って目的地へと向かったのだが、その間も俺の手はナギに握られたままでだった。指を絡めて離れないように、強く。……こんなのはいつ以来かも覚えていないくらい前の事で小恥ずかしかった。だが、幸せそうなナギの顔を見ていると無理に解く訳にもいかず、為すがままにしていた。
……ドス黒い魔力が溢れかえる山を目にするまでは……。




