プロローグ・2
「行ってきま〜すっ!」
勢いよく扉を開いて屋敷を飛び出す。執事や家政婦長に屋敷の中を走らないように注意されたが、止めたければ腕尽くじゃないと止まらない! そんな訳で小さい頃はよく家政婦達に捕まって手足をばたつかせていた。
しかし、今では私を捕まえられるような者はいない。みんなには悪いけど、毎日廊下の埃を巻き上げて家政婦達を愚痴らせている。
本日、私が家を飛び出して向かうのは図書館だ。ヴァレンティナとの対決の為に腑抜けた私を立ち直らせる……らしいのだが、何故図書館? あんまり好きな場所じゃないし、気のせいかボードの滑りも悪い。
「……ふぅん、まあ、気のせいだよね」
時計を見ると、普段とかかっている時間は変わらない。やっぱり滑りが悪いというのは気のせいだったのか……。いや! いつも図書館に来る時は滑りが悪いんだ! という事は道に何か問題が? それともゴーストが邪魔して……。
「おーい! アリシア、何してるの!」
ボードの裏側を見て突っ立っている知り合いがいればそう言ってしまうだろう。
リアとエリカは私より先に到着していて、入口の前で待っていたようだ。二人共早いなぁ、待ち合わせ時間の五分前なのに……。
「おはようございます、アリシア様! 本日も大変お美しゅうございます! さあ! 参りましょう!」
「も〜! 甘やかすのは駄目だって!」
リアが私の手を引こうとするエリカの腕を掴んで私達を制止する。甘やかすとは何の事だろう?
「昨日決めた集合時間覚えてる?」
「えっ? 九時半だよね……?」
「はぁ……やっぱりね」
リアは溜息をついてどうしたものかというような顔だ。私の手を掴んだままのエリカも苦笑いで何も言わない。
「……昨日、九時に図書館前って約束したよね?」
「嘘っ……マジ?」
慌ててポケットからケータイを取り出してメモった予定を確認して見ると……。
「うわぁ……ごめん……。おっかし〜なぁ〜こんな間違いするなんて〜。ま、次から気をつけるよ! 行こ行こ!」
過ぎた事は後から気にしても仕方ない。悪くなりそうな雰囲気を吹っ飛ばして、さっさと本の檻の中へと歩を進めた。
でも、三十分も遅刻するなんて……やっぱり腑抜けてるってのは間違ってないのかもね……。
————
「……と、いう事があって世界大戦にまで発展してしまった。って、感じだよアリシア」
「ここまでの範囲は小学校の時から教わってきましたから、おさらい程度に軽くでいいでしょうね」
図書館で私語は厳禁だが、学生が勉強する為に作られた小部屋がある。私達はそこで歴史の本を机の上に広げて、イギリスが世界を支配する直前の近代から歴史を追っていた。
私の前に座った二人が交互にテキストと、必要ならば図書館の資料を使って説明をしてくれている。
しかし、この部分はエリカの言ったように、小さな頃から眠たくなる程聞いてきた。そんな話を麗らかな春の陽気を浴びながら聞いていろ、と言うのは無理な話だ。ウトウトとしていても二人の声は聞こえるが、内容は途切れ途切れにしか入ってこない。
「フフッ、やはりこの程度の内容では眠くなってしまうのですね」
それもそうだけど、エリカのゆ〜っくりな喋り方は子守唄みたいでねぇ〜。
「だからって寝ちゃ駄目だよ! ……アリシア!」
「うわわっ!」
目が覚めた時には顎が机にぶつかってその衝撃で頭の靄も晴れた。目の前のリアは右手を横一閃に振り抜いた後で、私が頭を支える為に立てていた肘を払ったのだと思われる。
「……っ、痛ったいなぁ〜乱暴にしなくてもいいじゃん!」
「そうしないと起きないでしょ! ほら、フードも取って!」
私に勢い良く手を伸ばしたリアだったが、それはもう一人の手に先を越された。その手は優しく、髪を乱すことなく頭を覆う布を脱がせた。
「はいは〜い、リアさんは乱暴ですから私が脱がせて差し上げますね〜」
「わ〜い……って、嬉しくはないけど……。はいは〜い、私起きたから続き行ってみよ〜……ふぁぁ……」
叩き起こされて目が覚めたのも一瞬。またすぐに無意識のうちに欠伸が出てしまい、う〜んと伸びをする。
「もぉ! やる気無いでしょ、それ! ……そんなんじゃ負けちゃうよ……?」
「……さっきから思ってたんだけどさ、やる気出す為に何で歴史の勉強しないといけないの? ヴァレンティナとはシミュレーターで模擬戦するんだから、操縦の練習じゃ駄目なの?」
私だっておかしいと思う事は文句も言いたくなる。誰が見ても必要が無いような勉強をして何がしたいのだろう。
私の文句を聞いたリアは、直ぐにその答えを返した。
「アリシアは遊び惚けると何もかも駄目になるからね。操縦訓練の前に座学の方を片付けないと」
「えぇー! そんな事ないよ〜! ねぇ? エリカ!」
机に両手を叩きつけてエリカの方へと身を乗り出す。何故か白い頬が赤くなっているのは気にしない。思い返せばいつもの事だったし。
彼女は嬉しそうに手を胸の前に置いて口を開こうとしたが、その内容は私にとって良くない事だったのだろうか。柔らかかった表情は少し固いものに変わった。
「それは……、いえ、ここは……。……どうしてもと仰るならば私がシミュレーターの相手をして差し上げましょう。この図書館の屋上に学生用の物がありましたからそれを使って」
「それで私が勝ったら操縦訓練だけするって事にしていいよね?」
「はい、それで構いません。しかし、アリシア様には悪いですが手加減は致しません……」
手加減はしないと言った時の目は本気のものだ。普段そんな風に怖い目を私に向ける事は無い。その目を見ていると何か重い物を感じて冷や汗が額を流れる。
「あ、あはは……行こっか……」
無理に笑おうとしても声が詰まる程の威圧感だ。何故これまでの話の流れからこんな事になったのかよく分からないが、こんな厳しさも友情からくる愛情だと思っておこう。
————
何度も何度も繰り返してきた動きが出来なくなっていたのは驚いた。それどころか操縦方法すら怪しい状態になっていたなんて……。
そんな惨状では全くの素人にしか勝てないレベルだ。エリカは成績が確定してからも毎日特訓していたらしく、私は全く手も足も出なかった。入学して以来誰にも負けた事がなかった私にとってはかなりのショックとなった。
「うぅ……ダメだ……」
シミュレーターのシートから降りて、待っていたリアからタオルを受け取り汗だらけの上半身を片っ端から拭う。
そんな私に一滴の汗も流さない涼しい顔をしたエリカがトドメを刺しに来た。
「如何でしょうか? 御自分がお分かりになったでしょう?」
「あはは……十連敗しちゃったら嫌でも思い知らされちゃうよ……。うん! やる気出して一からやり直しだね!」
「ふふっ、アリシア様が物分かりの良い方で良かったですわ」
「ええ……滅茶苦茶駄々こねて十回も負けるまでやったのに……?」
そんな事は無かった、そんな言葉は聞こえていないとばかりにエリカは私の手を引いてさっきの部屋へ戻るように促した。
「ちょっとー、無視しないでよぉ〜!」
「はい? 何か言いました?」
この二人は私にとって飴と鞭のような存在になっている。リアが鞭でエリカが飴、と昔からずっと三人で……あ、ヴァレンティナも含めての四人で過ごしてきた。ただ、エリカはさっきみたいに甘々から激辛に豹変する事もあるし、ヴァレンティナは本人にそのつもりは無くても場を乱してとんでも無いものを生み出したり……。ま、退屈しないから良いんだけどね。
「あ、そうそう! エリカ毎日特訓って凄いね〜! でもさ、毎日はしなくてもいいんじゃないの?」
苦し紛れに話題を変えたリアだが、私もその事は気になる。歩みを止めたエリカは私の方を向いて微笑む。
「ヴァレンティナには親衛隊などと呼ばれているゴ……いえ、取るに足りない群れがあるではないですか。そんな者達の為にアリシア様の手を煩わせる訳にはいきませんから、ふふっ」
言葉の中に一瞬不純物が混ざりそうになっていたが、それはギリギリで排除された。
ヴァレンティナには身の回りの世話をしたりする等、献身的にサポートする組織が何故かいつのまにか存在している。そして、そのメンバー達は私を酷く目の敵にしている。そんな謂れは無いはずなのだけど……。
そんな訳でエリカは一人で組織に対抗している。もし、彼女がいなければ理不尽な嫌がらせを、二年間受け続ける事になっていたかもしれない。
————
部屋に戻ってからは真面目にこれまでの復習に取り組んだ。大まかに覚えている部分が殆どで、後は欠けたピースを埋めるような作業をするだけだった。
「どう? まとめられた?」
「うーん……ちょっと待ってねぇ…………よし、終わりっ!」
ページの隅までぎっしりと文字を詰め込んで、それが五ページ続いた。バグが出現してからの約三十年を文字にしてこのページ量。極力端折っているとしてもこれは多いのか少ないのか分かりかねる。殆どが戦線が停滞していた期間だからこれでも多いのだろうか……?
ずっと動かないでいたから体がムズムズする。握っていたペンを机の上に放り投げて、座りながら四肢を大きく伸ばす。スッキリして変な声が出てしまい、それが前に座る二人の緊張も緩めたみたいだ。
「あぁ……毎朝の目覚ましにしたい程の良いお声……」
リアはこれを無視して本題を続ける。
「じゃあ、確認してみようか。まず、バグの巣である大穴が出現した年と場所は?」
「二二三四年、大西洋、太平洋、インド洋。その二年後に南アメリカ、アフリカ、インド、オーストラリアとの連絡が取れなくなり、偵察機のブラックボックスの映像からバグが確認された、でいいかな?」
「うんうん。で、二二三七年にバグの侵攻を抑える為に核が使われて……」
核が使われたのはアフリカ、インド、オーストラリアの三箇所だ。なぜ、奪われた四つのエリアのうち、南アメリカだけ核が使用されなかったのか。その理由は私に大きく関係している。
当時、私の父は艦隊を指揮してその地へと向かった。そこでも当初は他のエリアと同じように核の使用が予定されていたが、父はそれを却下して第一世代のコフィンだけで進行を止めてみせた。更に、指揮官としては考えられない事だが、自らもコフィンで出撃して前線を指揮し、見事に生還した。ここまではテキストに載っているが、この戦闘の撃墜王が父だったという事までは書かれてはいない。
その後、大小様々な規模の戦闘が行われ、じわじわと人類側の支配地域が減り続けた。核でゴッソリと数を減らした筈なのに、それでも無尽蔵にバグは増殖し続けていたからだ。
それでも、現在では多少の変動はあれど、互いの支配地域はほぼ固定されている。それは、人類側がコフィンの改良を重ねた事によって戦力の質が向上し、数に押し負ける事が無くなったからだ。
最後の大幅な改良から十年経ったのが現在、二二五八年である。現行の最新型である第三世代の量産も一段落つき、近々大規模な作戦が行われるのでは無いかと噂されている。あくまでも噂であるが、火の無い所に煙は立たない。恐らく大規模な作戦が行われるだろう。
私はノートにまとめたこれらの内容を二人に説明するように読み上げた。途中からはノートを見なくてもスラスラと口から言葉が出てきて、書いていない情報まで付け足していた。
「ストップ、ストップ! もういいよアリシア。そこまでの情報は求めてないよ!」
私の話が脱線した事でリアが慌てて止めに入る。やれって言ったり止めろって言ったり……。
「ちょっと喉乾いたなぁ。ジュース飲みに行かない? で、その後にシミュレーターで模擬戦、って感じでどう?」
五ページ分の文章を全て読み上げるのは時間もかかるし喉も疲れた。歴史の復習はこれで終わりなのだから、もうここに用は無い。次に行うのはシミュレーターを使っての戦闘訓練だ。体を動かしたくてウズウズしている私は二人の返事を待たずに立ち上がり、出口のドアの前に立って二人を待った。
「もう、アリシア様のお相手になるか自信がありませんが精一杯お相手させて頂きますね」
本を抱くように抱えてエリカが私の前に歩みを進めて来た。さっきあんなにコテンパンにしたのに自信が無いだなんてよく言える。
「そんな事ないよ〜。調子が戻ってもエリカは油断できないからね」
「おまたせ〜。シミュレーター、学校のを使う? ここの屋上?」
机の上に広げられたテキストや文房具を片付けて、リアもドアの前にやって来た。
「学校がいいな。使いやすいし」
私は何も考えず即答で答えた。やっぱり普段から使っていて馴染んでいる方がいい練習ができる筈だ。私が感覚を優先する事を二人は知っているし、何も口は出さない。無言で頷いて私について来てくれる。
これからの約二週間。みっちりと時間を詰めて特訓すれば、一度も負けたことのない相手なのだから楽勝だと思っていた。
しかし、あの彼女が今までと同じな訳がなく、私はこの戦いに苦しめられる事になる。