葬送
こいつはやはりダイバーだった。
『聖霊様。こいつ何を言っている?』
―認めたくないが、俺と同類らしい。―
『何?』
カルルも俺も、相手が呪の助力を得ていることは察していた。だが、さすがにカルルもこいつが俺と同じダイバーであることは予想外だったようだ。カルルの混乱が俺にも伝わってきた。
「どうしてレンジを殺した? なぜあんな殺し方を?」
斬り結んだままの状態で、カルルがようやく口を開いた。
声は怒りでうわずっていた。押し殺した怒りが伝わってくる。
―おい!―
俺は意識下でカルルに声をかけた。
会話で相手に挑発されて冷静さを失う―それが俺の恐れていたことだ。怒りに任せて勝てる相手ではなかった。
いくつか分かったことがある。
恐らくこのダイバーはダイブしたプログラムを完全に支配し、この世界での肉体を使いこなしている。いわゆる「支配型」だ。
沖津によると、俺のようにダイブしたプログラムと共存するダイバーは珍しく、ダイブしたプログラムを完全に支配するか、ダイブしたままプログラムの行動をずっと観察するタイプが多い。
こいつは、「支配型」として行動している。身体能力を呪で強化しているにしても、先程までカルルと互角の斬り合いをしていた技量はこいつ自身のものだということだ。
カルルは俺が呪でサポートしなくても危険生物や盗賊をものともしない強さだ。このダイバーは、もともと運動能力と戦闘センスに長けているのだろう。
俺がカルルの身体を動かして戦っていたら、まず勝てない。
今になって相手のもつ刀が日本刀を模したものであることに気付いた。このBiSiPには当然日本の刀剣のような武具は存在しない。きっと特別に作らせたものだろう。
ジーンズにみえるような服装のデザインやスニーカーのような靴も同じだ。
監理局は、「支配型」のダイバーには特に慎重な行動を求めている。ダイバーに支配されてるときの行動があまり突飛だと、ダイブされる自律型プログラムの社会生活に影響するからだ。当然現実世界の文明の情報も持ち込み禁止である。
こいつの行動はぶっ飛び過ぎている。監理局のチェックになぜ引っかからないのだろう?
男はカルルの糾弾を興味深そうに聞いていたが、カルルの問には答える気はないようだ。
次の言葉もカルルではなく俺に向けられたものだった。
「おっと、『引っ込んで』るのか? 聞こえてんだろ、出てきなって」
俺が「共存型」のダイバーであることも察したようだ。
だが、カルルも相手の言葉に取り合わず、再び押し殺した声で問いかける。
「答えろ。なぜ殺した?」
「あ? 」
男の目が細くなった。
「あれか?綺麗に切れてるだろ。これでも苦労したんだぜ。」
斬り結んだまま、顎でレンジを指す。
「てか、プログラム風情が何様だ。この狂鬼様にはテメーと話をする気はねえ。」
俺は悟った。
きっとこいつが、沖津や加藤の言っていたダイバーだ。
しかも、BiSiP内で遊び半分に殺戮を行うタイプに違いない。そして、狂鬼というのは、こいつの名前だろうか?
『違う、聖霊様』
カルルが意識下で訂正する。
『狂鬼というのは、伝説にある亜人の戦士の呼び名だ。こいつは伝説にあやかりたいのだ』
―なるほどね、イタい奴だ―
何より俺の感情に火をつけたのは、人形でも扱うかのような殺し方だ。思い出して、俺の中で嫌悪感が膨れ上がった。
―カルル、俺はこいつと話をする気はない―
「なるほど。この聖霊様はクズみたいだな。」
カルルが呟いた。普段は俺との会話は意識下のコミュニケーションだ。敢えて眼前の男に聞かせるために声に出した。
「はあ?話すんじゃねえっつってんだろ!」
斬り結んだ状態は、実際は十秒ほどのことだろう。
短い時間だが、少なくとも相互理解が不可能なことは確認できた。相手も同じだろう。
武器を離して互いに飛び退き、距離をとった。そのまま同じ歩幅で数歩移動する。
「わーった。出てきたら侘びの入れかた次第で勘弁してやろうと思ったが……」
次の撃ち込みは同じタイミングだった。カルルの右籠手と相手の日本刀は、軌道が交錯した一点で光と火花を放って動きを止める。再び斬り結んだ。
カルルは動けない。相手も同じだった。
御互いに撃ち合って太刀筋の予想もついてきた。次でそろそろ決めるべきだろう。
その時だった。
「そこの盗賊……動くんじゃねえ!」
「カルル! そいつを抑えてろ!」
「てめえがレンジを!」
周囲から次々声がする。
殆どは聞き覚えのある声――集落の狩人達だった。
あのジクリアも、そしてホランの声もした。
投槍器や大刃といった、狩人達の武器が次々向けられる音がした。他の盗賊達はあらかた片付いたのだろう。
状況は一気に有利になった。目の前のボスの男も、斬り結んだまま目を左右に走らせる。
四面楚歌――自分の状況を悟ったらしい。
とはいえ、ボスから目を話すことはできない。迂闊に注意を逸らすことは大きな隙を相手に与える。
狩人達の中に赤い髪が見えた。リーダーのアマラだ。
整った顔立ちに、仲間を殺された怒りと緊張が見える。
目が合うと彼の言葉が流れ込んできた。
―三つ数えて離れろ―
彼は氏族長のヴィナから与えられた呪具のサポートで、離れた相手に意志を伝える「思考通知」を使うことができた。
狩りの現場では、獲物に悟られず仲間に指示を出すことが重要だ。これは狩りのリーダーの証でもあった。
指示通りカルルは待つ。一つ、二つ……。
三つ。
瞬間、ザクッという音と共に、右の足元に短槍が突き刺さる。
この短槍は多分ホランだろう。奴を狙ったものではない。が、相手の隙を作るのには十分だった。
このタイミングでカルルは大きくバックステップをする。
ホランの槍より遅れて、さらに多くの短槍や矢尻が飛来した。続けて、視界の端に、ジクリアとら近接戦闘要員が駆け寄るのが見える。見事な連続攻撃だ。
しかし、槍の着弾点に既に目標はなかった。
数歩先を飛ぶように駆ける奴の姿。
近くにいた俺とカルルだけが、直前にボスが両手で刀の柄を捻るのを見ていた。閃光が漏れる。
こいつの持つ刀も呪具だったに違いない。ギリギリまで使わなかったのは非常時の切り札なのだろう。
恐らく、瞬間的に移動力を上げる呪と推測できた。
猛烈なスピードで駆け抜けたボスの男は、あっという間に狩人の包囲網に迫り、刀を振ろうとしたジクリアの横を通り抜けた。
ジクリアの顔が通り過ぎた男に向けられる。その顔に浮かんだ驚きと苛立ちの表情は、彼が撃ち込むタイミングを見つけられなかったことを意味していた。
カルルも既に地を蹴って追いかけたが、及ばない。
呪を使って強化した身体をもってなお、追い付けないとは。
猛スピードで動くボスの男の先にいたのはジラだ。
こんな時に何だが、彼女の露出高めの服、野性味溢れる美貌、ビキニトップを押し上げる豊満な肢体にどうしても俺は目がいってしまう。カルルの目には、ミサンナ有数の弓矢の使い手とのみ映ってるのだろうか。
彼女は流れる動作で次の矢をつがえていたが、既に弓矢で対処できる間合いではない。
―カルル、まずい!―
近接戦闘向きではないジラは、殺人狂のボスの男が逃走ついでに首をはねるには格好の標的だ。カルルからも言葉にならない焦燥感が伝わってくる。
空気を焼いて黒いものが飛来する。
それは、ジラに向かって風の速さで向かうボスの男の数歩先の地面を抉り、砂ぼこりを巻き上げた。
黒く長いそれは、アマラの手元から伸びていた。
刃鞭――鋭く硬い無数の小さな刃を表面に纏った鞭は、アマラの得意な武器だ。むしろ、ミサンナの集落では彼しか使えないと言った方が正しいだろう。
熟練の域に達した技で使うと、一振りで危険生物の四肢を切断し、巻き付いて首を落とすこともできる。斬撃にも拘束にも使える変幻自在の武器だった。
ボスの男は、すれ違いざまにジラの胴か首を薙ぐつもりだったのだろう。急制動で動きを止めた瞬間、構えた刀が目に入った。
アマラに向けた顔に苛立ちが見える。予想外の方向から来た攻撃の主を瞬時に見抜いたらしい。
今の牽制の一撃で攻撃のタイミングを見失った男は、方向を変え、スピードを上げてその場所から遠ざかる。
「助かったよ、アマラ」
ジラが感謝を口にする。感謝したいのは、むしろこちらのほうだった。仲間が犠牲になるさまを見るのほど苦痛なことはない。
そして、今の牽制の一撃は、ボスの男の矛先が自分に向かうことも覚悟しなければ出来なかった芸当だ。
いろいろな意味で、アマラがリーダーの資質を持つ男ということは俺にも実感できた。
ボスの男はこちらの攻撃が届かない安全圏に到達したらしい。
こちらに振り返った。
「はっはは。意外とやるのな。楽しかったぜ。」
その口から最初に飛び出したのは、屈託がない、無邪気で楽しそうな笑いだった。それがカルルを苛立たせたようだ。
「また来るぜ。次はみ・な・ご・ろ・し」
言い終わるや、踵を返して猛スピードで遠ざかる。
ホランが投擲した短槍は、空しくも奴がいた地面を抉っただけだった。
カルルは拳を握りしめていた。地面に右籠手ごと突き刺す。悔しさのやり場がなかったのだろう。
彼の意識の底から溢れる怒りは、盗賊のボスに対するものだけではない。 自分自身と――そして俺に対するものも混じっていた。
―カルル?―
『聖霊様……何で――何で、もっと早く来れなかった?』
-----------------------
一行は葬列のような足取りで旅を再開した。
今回は、カルル達狩人達は隊商の護衛の依頼を引き受けていたらしい。行き先はモウラの街。俺が前回のダイブから帰還して数日後のことだった。
この集落――「ミサンナ」は狩で生計を立てている。彼らが狩った危険生物から剥ぎ取った角や皮、甲殻は工芸品の材料として、肉は宮廷の食材として珍重される。
この交易の仲介を担うのが武装商人達であったが、彼らが狩人達に護衛を頼むこともあった。通常より多くの7人の狩人が護衛につくことになったのは、ミサンナとは昔からの付き合いであるノイス商会の依頼であったことと、最近この辺りで話題になる盗賊団の噂が理由だった。
襲撃は谷あいの隘路で起こった。
十八人の隊商を守るため、アマラ達もこれを予想して護衛を3つにわけていた。
先頭の前衛にアマラと射手のジラ、中衛にレンジとノドというベテランの狩人、後衛がカルル、ジクリアとホラン。配置としては適切といえるだろう。
襲撃は両側を谷に挟まれた隘路で起こった。
隊商の列が隘路に入ってしばらくしたころ、最初に矢が高台から打ち込まれ隊列が混乱に陥った。続けて前後から現れる盗賊達。前衛と後衛が足留めに合う。
ここまでは想定内の襲撃であった。しかし、狩人と盗賊の接近戦が始まり、盗賊の劣勢が見えてきたころに彼らの本隊が中衛のあたりに襲撃をかけてきた。
盗賊の首領の狙いは、それまでの襲撃で他の盗賊を捨てゴマにして狩人達の油断を誘うことだった。貴重な財貨の類は中央に擬装されて運搬されていたが、真っ直ぐそこが狙われた。
ベテランの狩人のノドは冷静に対処し、すぐさま一人を切り伏せたものの、応援を呼ぶ笛を吹こうとしたところでボスに一瞬で斬られ、致命傷を負った。
応援に入ったレンジも斬り倒され、二人とも首をはねられた。続いて近くにいた夫婦の商人が続けざまに切られて血の海に沈んだ。
アマラは異変を察して中衛の援護にカルルを向かわせたが、そこで俺がダイブしてきたことになる。
戦闘の後、ノドとレンジ、そして犠牲となった夫婦が丁重に葬られた。最終的に隊商二人と狩人二人の四名が犠牲になったことになる。
狩人は対人戦闘のプロではないが、並の皇都の兵士よりは精強なことで定評があった。盗賊のほうは逃がしたボスを除いて殆どが死体になったとはいえ、この犠牲は少ないとはいえない。
護衛を請け負ったミサンナの集落の評判にも影響するだろう。
そして結局、全ての犠牲があの首領格の盗賊によるものだったことになる。
一行は、戦闘のあった場所から遠くない丘に立ち寄り、犠牲者の遺体を埋葬した。皆、言葉少なく作業に没頭する。すすり泣きのこえが聞こえてきた。
四人の埋葬場所には、目印に旗が立てられ、危険生物の侵入を防ぐ簡易な結界が用意された。後日正式に葬儀が行われるはずだ。埋葬が終わると、順番に旗の前で死者への祈りを捧げる。
最初はジラだった。野性的な美貌に涙を隠すことなく流しながら、祈りを捧げる。カルルは次だった。
カルルは旗の前に立つと、自分の左耳の先端を持ち上げた。右籠手の刃で先端の一部を切り落とす。
瞬間、カルルの意識から激痛が形になって流れ込む。共に伝わったのは、二種類の感情だ。
一つは悼み-ただ共にありたい、という感情。
もう一つは復讐の決意だ。誓い、といってもいい。
「自分はお前と共にある――これからもずっと。」
短くカルルは呟き、切り落とした耳の先端を旗の根元に埋めた。親しい者の死に際し、身体の一部を切り落として遺体と共に埋める――これは死後の世界でも自分が共にいることを示すためのミサンナの集落の慣習だ。
いつの間にか他の狩人も集まっていた。それぞれが旗の前で手向けの言葉を呟く。
「またな、レンジ。」
ホランは、涙でくしゃくしゃになった顔のまま、しばらく旗を見つめていたが、ようやく絞り出した一言がそれだった。
彼もまた、レンジと長い時間を共有していたはずだ。
「すまん、レンジ。」
アマラの言葉には自責の念が込められていた。
それもまた、この男がリーダーに相応しい責任感の持ち主であることを表しているのだろう。
二人とも同じく耳の一部を切って埋めた。
この世界で葬儀に立ち合うのは初めてだが、親しい者の死に際した悼みの表現に大した違いは感じられない。こんなことを沖津とのカウンセリングで口にしたら、また注意されるだろうか。
狩人の人間が一通り別れを告げたところで、隊商のリーダーらしき男が現れた。商人にしてはがっしりした体格の浅黒い男だ。頭にはターバンを巻き、四角い顎には髭を蓄えている。
ミサンナの集落にはいないタイプの人間だが、額につけた飾りで第三の目を隠しているところは、やはりこの世界の人種的特徴が同じであることを表していた。
彼らの流儀なのか、胸に手を当てて目を閉じる。
「若き狩人よ、その勇敢なる働きに感謝する。その魂に安らぎのあらんことを。」
簡単だが、心のこもった言葉だった。
「ドマ殿。かたじけない」
アマラが狩人を代表して礼を言う。
「なんの。俺達は目的地までは仲間なので当然だ。」
ドマと呼ばれた男は、アマラの謝意を辞退するように手を前に出した。
「それより、リズ殿とバナデア殿のことは本当に残念だった。我らの守りが及ばず、詫びの言葉も探せない。」
「アマラ殿。二人については……だが、あんた達がいなければ……俺達は誰も生きていなかった」
ドマは言葉が涙で続かない。だが、仲間の死で狩人を糾弾する気はないようだ。いい意味で、商人らしくない男のようだった。
「ドマ殿。お言葉はありがたい。ミサンナのアマラの名において約そう。モウラの街に着くまで、死神の腕は決して隊商の商人には届かないと。」
リーダーであるアマラの誓約は重要な意味を持つ。ドマがどう言おうと、護衛するべき商人に犠牲が出たことは重い。
アマラは自ら誓約することで依頼人のドマに覚悟を示した。さらにカルル達他の狩人の見守る中、アマラは狩人達に宣言した。
「聞いての通りだ。我ら皆復讐の誓いを立てている。だが、我らの務めを思い出せ。我らの集落が、商会の信頼のもとで引き受けた依頼が何であったかを思い出せ。次にあの『狂鬼』なる相手が現れても、怒りで我を忘れるな。最初に守るはドマ殿をはじめとする商人の命だ」
アマラがこれだけ長く喋るのは初めて見た。
今回護衛の任に就いた狩人は、半分以上がカルル達若手だ。狡猾な狂鬼が奇策を弄して再度襲って来たときに、冷静さを保てるかどうかを心配してるのだろう。
一呼吸置いて、狩人一人一人の顔を見ながらアマラが告げた。
「では、出発準備に入ってほしい」
その言葉で狩人達は準備に入った。リーダーのアマラの緊張感が伝播したのか、皆黙々と手早く装備を始める。
『さっきは済まなかった。聖霊様』
右籠手の刃を交換しながら、カルルが俺に意識下で呼び掛ける。
―うん、何だっけ……ああ―
なんのことか一瞬分からなかったが、盗賊のボスとの戦闘後のに俺に怒りをぶつけたことだと気付いた。
―まあ、気にするな―
理由も察しがついた。
俺がダイブするタイミングは確かに悪かった。もう少し早ければ、カルルに呪で援護が出来たかもしれない。あのボスの男との戦闘も違っていたかもしれない。
俺にはダイブのタイミングはどうしようもないとはいえ、カルルがそう考えるのも仕方がなかった。
『あいつとの戦いは聖霊様の助けがなければ負けていた。むしろ感謝すべきだった』
―俺は……俺の周りでは、突然誰かに友達を殺されるってことは起こりにくい。だからお前にかけてやるべき言葉はうまく探せない。―
何か言うべきなんだろうが、うまく言えなかった。
―だけど……これだけは言える。次にあのクズ野郎を見たら、確実に殺せるよう呪でサポートする―
『ああ、頼む。聖霊様』
しばらくあってカルルが返す。
仮にあの盗賊のボスを倒しても、ダイバーのほうは現実世界に戻るだけだ。それに、そもそもあの男がやったことは仮想世界内の自律型プログラムを消去したことで、犯罪ですらない。俺が現実世界で糾弾したところで何の影響もないだろう。
むしろ、現実世界とBiSiPの区別がついてないとして俺は自己環境認識障害と扱われる。良くてダイバーをクビ、悪くて精神病院送りだろうか。
だが、全て解った上でなお、俺にはカルルに手を貸したいという思いを抑えるのは難しかった。
あるいは、ホントに俺はヤバいのかな?――そんな考えも浮かぶ。まあ、とりあえず後で考えるとしよう。
俺達は、モウラの街へと歩き出した。