剣風
-レンジ?-
俺が認識を言葉にするまでもなく、カルルはわかっていただろう。目の前の生首が幼なじみの一人のレンジであることを。
普段は冷静な彼から俺の意識に伝わる感情は、混乱とショックで塗り潰されていた。
無理もない。
俺でさえ戦慄が走っていた。
いつも柔らかい笑顔を浮かべたレンジは、「弟分」、「後輩」という言葉がピッタリ当てはまる男だった。カルルに向けられる視線と言葉は常に賞賛と憧憬に満ちていた。前回のダイブのときも、レンジはカルルの手柄を我がことのように喜んでくれた。
「いつかはカルルの側で共に戦う」ために、武技と狩りに励んでいたらしい。
だがそれはもう実現しないのだ。目の前の残酷な現実がそれを表している。
俺をカルルが「聖霊様」と呼ぶのも、彼が発端だった。
ダイブされた当初、意識が俺に時々取って代わられることに気付いたカルルは仲間に相談を持ちかけていた。
これは良くない結果を生み、集落の中でも騒ぎになったものだ。知識と文明のレベルからして、悪魔憑きのように扱われてもおかしくはなかった。
場を一変させたのが集会でのレンジの無邪気な一言だ。
「カルルに降りてくれた聖霊様みたいだね。」
という言葉は、ヒステリーになりかけていた大人達を黙らせた。
目の前の生首の形相は死体のそれになっているが、どこか安らかにも見える。それが救いだった。かつてレンジだったもの。
「おお…あ…」
今までにないレベルでカルルの混乱した感情を知覚した。怒りと哀しみに後悔が混じっている。
ただの自律型プログラムに過ぎない、なぜ感情を動かす必要があるのか、子供のころにハマったオンラインゲームのNPCと同じではないか。俺はそう考えて自分を落ち着かせようとする。
――出来なかった。知らず知らずカルルに同調する自分がいる。
「……ああああ!」
カルルの感情に怒りがスパークした。
怒りは俺に伝染する。カルルの意識下で、呪の一つ、「反応向上」は発動準備に入っていた。
カルルが円舞闘術の構えをとる。
カルルから状況の説明はなかったが、想像はついていた。
横で燃える荷車や家畜の死骸。
折り重なり倒れている中年の男女。狩人とは違う平服は商人だろう。
その横にある薄汚れた服を来た死体は血のついた武器を腕に付けていた。こいつらは身なりを見るまでもなく商人ではない。
ギラギラした、それでいて怯えたような表情は盗賊だろう。
このBiSiP内にも、日々の糧を得るために同族に刃を向ける連中は存在する。狩人の獲物を横取りするために襲ってくる盗賊達と刃を交えたきとも一度や二度ではない。
カルル達狩人が商人の一行と一緒にいるのかはわからない。だが、少なくとも当面の敵は盗賊と考えてよさそうだった。
瞬間。
銀色の光。刃物を持った男が切りかかってくる。
既にカルルは反応していた。左腕のソードストッパーで受けながら腕ごと跳ね上げる。
相手の鎧は前後から張り合わせるタイプの物だった。がら空きの脇が見える。カルルは右籠手に一体となった刃を突き込んだ。
相手の口から勢いよく血がこぼれる。
「反応向上」が発動したのはその瞬間だった。急激な神経伝達速度の向上により、周囲のオブジェクトが詳細なレベルで把握できた。
目の前の盗賊から刃を引き抜いた時に流れ出す血も、倒れ込む相手の身体もスローモーに感じられる。
体を動かすことがはるかに容易になっていた。
「よし!」
カルルが呟くのと反対側からもう一人表れるのと同時だった。顎にボサボサの髭をたくわえている。
続けて俺は呪「筋力強化」の発動準備に入る。この男の運命は未来予測の呪を使う必要もなく予想ができる。
男が両手で持った武器は、棍棒と斧が一体になったような形をしている。武器の重さのせいか、十分な間合いをもって武器を振り上げる。
男にとっての不幸は何だったのだろう。
目の前のカルルが若くして円舞闘術の上級者であったことか、それとも、実は呪を使える「聖霊様」を宿していることだったのか、あるいは「聖霊様」の名をくれた友人を無惨に殺されたカルルが怒りの捌け口を探していたことか。
考える刹那、カルルは間合いを詰めていた。
攻撃から防御の構えに移ると見せかけ、途中でカルルは右手を横凪ぎに一閃する。それは男の右手首を落とし、首に致命傷を与えていた。男は目に驚愕の表情を浮かべながら崩れ落ちる。
カルルは今切り捨てた男を見てはいなかった。
視線はその先の別の一点に向けられている。
レンジの首を放り投げてよこした男は、そこにまだ立ってこちらを眺めていた。
盗賊にしては小綺麗な身なりだ。護衛らしきものを連れていることからしても、この男がリーダーなのは明白だった。
「筋力強化」は発動した。次はどうするか?
切った盗賊どもはかなりザコい。それゆえに、カルルに劣るとはいえ、レンジがこいつらに殺されたとは思えなかった。
リーダーの男がレンジの仇であれば、用心に越したことはない。念のために「防御上昇」を用意したほうが無難かもしれない。
カルルは仇の男に向かって猛烈なスピードで進む。
疾走するでもなく、歩くような足取りで。
「筋力強化」で強化された筋肉は、走るようなスピードを生み出していた。距離が詰まる。
護衛の男は思ったより素早く反応した。
両手に持った刃物らしき武器を構えながらボスの前に出る。
こいつら盗賊の中では腕に覚えのあるほうなのだろう。その動きは無駄がなく、自信に満ちた表情は武芸の修練の実績を感じさせた。
だが、その自信がカルルの近づくスピードを見誤らせたようだ。間合いが急速に詰まったことに気づく頃には、カルルはあと二歩ほどの距離に迫っていた。それでも構えを取ろうとしたのはむしろ賞賛すべきだろう。
しかし、強化されたカルルの筋肉による斬撃を受け止めるには不十分だったようだ。普通のモーションから繰り出される全力以上の斬撃は、受け止めた護衛の二本の刃の一つを折り、もう一つを弾き飛ばした。
護衛の目は驚きから焦り、そして恐怖に変わる。
カルルの右籠手の刃は、次の瞬間に護衛の胸にめり込んでいた。刃は護衛の胸板を突き抜け、背中を突き破っている。
これが「反応向上」と「筋力強化」の複合効果だ。刃を叩き落とした右籠手に左手を添え、神速の突きを放っていたことに気づく人間はいないはずだった。
いや、いた。
ボスの男はこちらを見ている。
短い髪を載せた傷だらけの顔に浮かぶ双眸。そこには驚きの色があったが、それは何が起きたか分からない驚きではなく、何が起きたかを知ったがゆえのものに見えた。
―おい、あいつ……―
『わかっている』
俺の知覚を介した呼び掛けにカルルは短く応じた。
準備の時間は与えない。
カルルは今度こそ地を蹴った。
先ほど護衛を切った時を上回る速度でボスの男に迫る。
右籠手の刃の突きが短く息を吐いて繰り出された。眉間を狙って伸びた刃は、銀色の光となって伸びる。
しかし、届くと思われた瞬間、男の頭は右横に流れていく。
頭だけではなかった。肩が、腕が、いや、身体全体が急速に移動していた。
この男は、身を捻りながら横跳びに跳んでいたことに気づく。
あり得ない。
超人の反応速度で、常人を越える筋肉から繰り出される一撃のはずだ。しかも、それを奮うのは円舞闘術の達人だ。
受け身も防御も出来ないと判断した相手は、最小の動きで最大の回避効果を狙った。それが、足だけで左にジャンプすることだ。実に合理的な行動だ。
それを実現するには、並外れた運動能力と判断能力が必要になる。
相手が横に跳んで回避したことを悟った瞬間、カルルは右手の突きを途中で横薙ぎの一撃に変えた。無理な体勢からの一撃だ。
当たったとしても致命傷にならないことは承知しているのだろう。少なくとも牽制効果はあるはずだ。
だが、相手はこちらの予測の上をいっていた。
こいつは横に跳びながら抜刀し、こちらの首を狙って刀を振ったのだ。カルルの振った右籠手の刃と相手の刀が交錯し、美しい金属音を空気に響かせる。
こいつはカルルの一撃をかわすだけでなく、必殺の一刀を向けていた。相手の一刀の重さが、交えた刃から伝わる。牽制のつもりで放った一撃は、思いもかけず防御になっていた。
―ハンパねえ……―
思わず必要のない呟きが出てしまう。
男は左手で地に手をつき、その反動で身を立て直す。
カルルは右手を引いて構えながら再び迫る。右手を引いて左半身を前に向けるのは、右籠手を相手の視界から隠し、こちらの次の攻撃を読ませないためだ。
相手も刀を構えた。
構え?
よく考えると、この世界でまだ刀を持つ人間は見たことがない。まして刀を正眼に構える人間は。
俺の中で予感が一つの確信に変わりつつあった。
その瞬間、「防御上昇」が発動する。
身体組織は柔軟性を保ったまま表皮が硬質化する。だが、先程受けた刀の重さを考えると一抹の不安がよぎる。
男は上段から切りかかってきた。
カルルは左にサイドステップしてかわす。
空を切る音がひびく。予想はしていたが、よけた一刀は空中で軌道を変え、横から伸びてきた。
左籠手を付きだすと、切っ先は金属音を立てながら籠手のソードストッパーに沿って軌道を逸れた。相手の重心が崩れる。
カルルは冷静に重心が崩れた相手の喉に突きを見舞った。
重心が崩れた場合、人間が最初にすることは体勢を建て直すことだ。その瞬間こそが最大の隙になる。
カルルは狩人としての経験からそれを知っている。
しかし、ボスの男は意外な行動をとった。
重心を崩された姿勢を立て直すのではなく、体が崩された方向にそのままのけ反りながらジャンプしたのだ。
カルルの一撃は虚しく空を切った。
男のジャンプはそのままバック転となり、左手一本を地面に着けると、空中で体を捻りながら更なる一刀を飛ばす。
体を捻ったもののカルルの防御は間に合わなかった。
鎧で覆われてない脇腹に食い込む。
しかし驚くのは相手のほうだった。「防御上昇」の効果で強化された皮膚は表面を大きく損傷したものの、内臓まで刃を通さなかった。
隙をついたカルルの一撃がボスの胸を下から凪ぐ。
血の花が咲いた。が、浅い。手応えが致命傷でないことを告げている。
ボスの顔から余裕は消えていた。
下段からの一刀。見たことのない鋭さだった。
カルルは強化された身体能力を使ったステップバックでかわす。しかし相手は、かわされるとわかるや、左手を刃の峰に押し当てて斬撃を変化させる。
カルルは更に左足を軸に体を捻った。空を切る斬撃。
カルルの時計回りの回転は、攻撃の予備動作になっていた。回転の勢いで右手の刃をバックハンドの要領で叩き込む。
ボスは見事なスピードで上体を傾け、両手でもった刀の背でこちらの一撃を弾く。
相手の前蹴り。十分に体重を乗せた蹴りではない。こちらも膝蹴りの要領で受ける。すぐに相手の一刀が右上段から来た。
右へ体を捌いてかわすカルル。
すぐ側の空気が焼けるような感覚があった。
そのままカルルの神速の突き。
ボスは再び身体を引きながら、刀で弾く。
再び相手の下段からの一刀。
こちらも右足を引いて左籠手のソードストッパーで受け流す。
カルルの横殴りの一撃。
またかわされる。
ボスの一刀。
かわして一撃。
銀色の光が何度も交錯し、空気を切る音、鋼の刃が打ち合う音が続く。双方とも致命傷を与えられないまま数分経過していた。
周囲の声が落ち着きを取り戻しつつあるところからして、盗賊達はあらかた片付いたのだろう。
視界の端に狩人の服らしきものが見えた。援護が期待出来るかもしれない。
既に相手も状況の変化に気付いていた。打ち合う刃から伝わる力の揺れで、カルルも相手の動揺が伝わったようだ。
こちらの打ち込みを刃で受け、切り結ぶ。
男は口を開いた。
「おい、もうその辺でいいだろ。周りのプログラムどもにカッコはついたんじゃねえの?」
カルルではなく、俺に向けられた言葉だった。
間違いない。
やはりこいつはダイバーだった。