再臨
「おいおい、何ですか村田先パイ、やる気あんの?」
それが、俺が10日間の休みを申請したときの佐古田の反応だった。予想通りだ。こいつは何故か俺によく突っかかってくる。
短めの髪の下の細い目から窺える表情は、どう見ても友好的なものではない。
佐古田は俺より年下だが、ホールスタッフのリーダーなので店でのポジションは彼が上ということになる。
一応年上なので俺には「先パイ」という呼び方にしているが、むしろそれにはバカにした響きがこめられていた。とはいえ、彼がリーダーなので休みの申請はまず彼に言わないわけにはいかない。
少し反応をやわらげようと、ここんとこ残業も進んでやったし、他の奴らのシフトも代わったし、ミスも少ないはず――こないだ材料の発注でやらかしたのを別にすれば、だが。
ちょっと甘かったか。
案の定、店長に呼ばれた。
このカフェ「Energized」で働いてるスタッフは劇団員やミュージシャン志望といった「目指してる系」の奴らや研究室にこもる理系の学生が多かった。
自分のペースで働いて稼いでまとまった休みをとり、金が必要になれば戻ってきてまた働く――そういう連中だ。
物価の安い田舎で自給自足の生活をして、時々生活費の足しに働きに上京する奴もいた。
このカフェ自体は歴史があり、この恵比須で30年以上営業している。日本が経済大国と言われていた時代は円を稼ぐために来日したアジア系外国人も多かったらしい。
性格の問題もあって周囲と衝突しやすい俺はバイト先を変えがちだったが、この店にはもう4カ月ほどいることになる。
もっともここんとこダイブのせいで休みの頻度が多くなっているのが呼ばれた理由だった。
店長の伊崎にはダイブのことを話してある。
彼の従兄弟が初期のダイバーで、意識障害を起こして今も昏睡状態らしい。俺に親近感を持ってくれたらしく、色々と声をかけてくれる。そこがまた佐古田を苛立たせることのかもしれない。
「村田、お前大丈夫か?」
店長の部屋に入った瞬間、伊崎の第一声はそれだった。
伊崎はバーチャルキーボードに向けていた身体をこちらに向ける。髭をたくわえた精悍な表情は、大柄な身体と相まって山男のような印象を与える。
「すいません、本当に。ご迷惑かけているのは分かってます」
基本この店は自由勤務ではあるが、半年経たないうちにこのペースで休みを取るのはさすがに例がなかった。それが佐古田をイラつかせる理由でもあるのだろう。
年下だが俺に突っかかってくるのも分かるし、彼がチーフのポジションについているのも納得できる。
佐古田はそれだけの努力を重ねてきた人間でもあった。
「わかってると思うけど、お前は入って日が浅いし、俺もお前だけ贔屓するわけにいかないしな」
全くその通りだ。反論のしようもない。
「それに、そのダイブのバイト 、ヤバイんじゃないのか? そっちも気になるんだよ」
伊崎は俺の顔を覗きこむ。
「それは……大丈夫だと思います」
答えたものの、なぜか目を合わせることが出来なかった。
しばらく沈黙が流れる。
数秒間上を向いて目を閉じてた伊崎が口を開いた。
「お前も知ってるように、ここは仕事をちゃんとしてもらえれば、来たいときに来て働けるってのがポリシーだ。他にもうまく行くかどうかわからんもの追っかけてる奴が多い。俺はそれも結構なことだと思う……だが、お前の場合、それがダイバーなんかでいいのかよ」
思ってもみない言葉だ。
俺が店の外で何をしても関係ないはずだし、大きなお世話でもある。同じ言葉を別の人間に言われたら、俺はきっと言い返してしまったかもしれない。
だが、伊崎は別だ。彼が俺を心配してるのも分かっている。
「大丈夫です、俺。うまく言えませんが、ダイブは楽しいし、色々繋がりもできて、あれはあれで意味があるもんだって気がします。」
俺自身驚いていたが、繋がり、という言葉を口にしたときに俺の頭に浮かんだのはカルルの顔だった。
伊崎の顔は曇ったままだった。
「わかった、何も言わんよ。佐古田には俺から言っとく。今回の休みはOK、というか元々バイトも労働者だし、俺がどうこう言うことじゃないしな。早く戻って来いよ。勿論お前のバイトのことは誰にも言わない。それと…」
伊崎は少し間を置いて続けた。
「監理局…あいつらは信用すんな。なんかあったら俺に言え」
俺がダイバーをやってることはバイト仲間に言ってなかった。
ダイバーには守秘義務がある。
ダイバーの登録時にサインさせられた同意書には、家族であってもダイブ中に見聞きした内容を明かしてはいけないことに加え、巨額の損害賠償義務が記載されている。
俺は休む理由について口にしてはいないのだが、バイトに復帰したときの様子や休みの取り方で、伊崎にはピンと来るものがあったらしい。彼の従兄弟がダイバーだったときと共通するものがあったのだろう。あるとき急に店長室に呼び出されて尋ねられたのだ。俺はとぼけて誤魔化したが、彼の目を欺くことは出来なかった。
返答に窮する俺に、彼はそれ以上何も尋ねることはなく、他のバイト仲間に口外することもなかった。この話題を出すのも俺と彼が二人になった時だけだ。
代わりに伊崎はダイブを止めるように時々俺に忠告する。少々鬱陶しいときもあるが、今のように佐古田にフォローしてくれることもある。彼が俺を気にかける理由はわからないが、彼の従兄弟と関係があるのかもしれなかった。
三日後、俺は再び監理局の門の前にいた。
都内の一等地、といってもいいエリアにある複合型オフィスビル、そしてその地下が「プロジェクトBiSiP」の拠点だ。同じビルにある企業のロゴは全て出資企業だ。
奇妙なことに、複合型オフィスビルにありそうなコーヒースタンドやレストランがない。ビル内には飲食施設もあつが、それは全てセキュリティエリアの中である。つまり、一般人と職員が交わることを極端に恐れているのだ。
そして、施設に入る者はこの門でのセキュリティチェックをパスした者だけだ。
セキュリティカードを門の前でかざす。
開いたのは門ではなく横にある小さな扉だった。
中には無造作にATMのような端末が置かれている。
入力キーはない。代わりに手の形にくぼんだ部分があった。
手のひらをそこに置き、目の高さにある窪みを覗きこむ。
毎度のことだが、手の込んだセキュリティだった。
セキュリティカードをかざして開くのは、認証端末のみ。その後に静脈認証と虹彩認証を使った生体認証が待っている。
両者が同時に一致しないとセキュリティカードを持っていても無駄になる手の込みようだった。
ピッという電子音と共に、ようやく門が開く。
受付に入ってもこのゲートを通過しないと、ダイブ用施設のある研究エリアには行けないしくみになっていた。
見知った道を真っ直ぐに歩く。ビルの中の「研究エリア」という建物の中を進んでブリーフィングルームに入る。
沖津は足を組んで、机の向こうに座っていた。
隣に、もう一人の男が座っていた。
グレーのスーツを着こなしている。年の頃は40過ぎか。
スーツの上からも体格の良さが見てとれた。眼鏡の奥の瞳からは知性と隙のなさが覗いている。
「村田さん、こんにちは。今日は首席事務官の加藤さんにも同席頂きました。」
沖津の紹介後、加藤と呼ばれた男は軽く頭を下げる。
「初めまして。加藤です。」
声は堅い。
彼の仕事には、俺のように客に頭を下げることは含まれてないのだろう。悪意でも脅しでもなく、ただ上から人を見ることが身に染み付いている――そんな声音だった。
「あ、でも何か緊張しなくていいですよ。彼はいろんなダイバーの方と直にお会いしたい希望をお持ちなので今日は村田さんのブリーフィングにもいただいてます。」
沖津が説明した。
最初に俺は妙な違和感を覚える。シュセキジムカン?
態度から見て沖津の上役のようだが、この男はなぜ現れたのか?
「村田さんですね。はじめまして。沖津からも話があったように、私は色んなダイバーの方と直接お話がしたいので、無理を言って同席させてもらってます。」
加藤は丁寧な口調で切り出した。
「はあ……」
「君は『共存型』ですね。どうでしょうか? プログラムと大分うまくコミュニケーションできてるようですね」
「ええ、まあ。相性よかったみたいで」
眼鏡に当たる光の反射が変わったことで、加藤がこちらを見たことがわかった。沖津の目線に気づいて俺は続く言葉で自分をフォローした。
「よくできたシステムですよね。それぞれのプログラムの性格とかも細かく作られてて」
「さて、村田さんは現地では…狩人にダイブしてるんですね。それで共存型…と。『第一の門』ですね?」
「『第一の門』ではどの辺りまで?」
「『身体再構築』くらいです」
「結構いってますね。『第二の門』は?」
「いくつか許諾待ちです」
「なるほど…氏族長が許諾者だったね。やはり君は適性が高いらしい。『共存型』だからなのかな」
加藤は誰に言うともでもなく呟くと、沖津と目で合図しあってから話し出した。
「実はBiSiPの仮想世界で起こる現象はこちらの予想を越えることも多くて興味深いのですが、中でも呪の現象は特に不可解でね。君も察してるかもしれないが、我々は何かの不具合が発生しているかもしれないと考えている」
「不具合? BiSiPにですか?」
今まで沖津とカウンセリングを重ねてきて、監理局が『呪』に高い関心を持っていることは察しがついていた。
だが、監理局が不具合の可能性に言及するのは多分初めてだ。知ったかぶりをしても、相手に警戒感を抱かせるだけだろう。
そこで少し驚いた振りをしてみたが、少し大袈裟だったかもしれない。
「不具合はあくまで可能性ですよ。物理エンジンの書換が、何かしら法則性を持ったものとして仮想世界内の知的種族に認識されてるのかもしれない。そうなると、単なる不具合ではなく、彼らの文明の一端を担う技術なのかもしれない」
加藤はなおも言葉を続ける。沖津が口を挟んだ。
「そうなると、不具合だからバグとして修正パッチを充ててしまえばいい、という話ではなくなっちゃうんですよね。なんせ仮想世界内の文明のあり方そのものに干渉しちゃうことですから」
確かにそうだ。
不具合の修正であっても、仮想世界内の環境そのものに影響を与える改変は敬遠される。プロジェクトのスポンサーもいい顔はしないだろう。
加藤は続けた。
「そのためには、呪について、より多くの情報を集めたいと考えてます。特に今のダイバーによる調査では情報の少ない高位の呪、特に『第三の門』以上の呪が使われた形跡とかあれば教えてもらえますか?」
「第三の門」はその名の通り「第二の門」の先にある呪の体系だ。手で触れなくても対象に物理法則を超えた変化を与える――文字通りの魔法といっていいかもしれない。先日沖津が言っていた「火の玉ドバーッ」というのがこれに当たる。
「それは『優先任務』ですか?」
「そうではないですよ。今のところは」
「優先任務」は監理局権限でダイバーに与えられるミッションだ。本来ダイバーの役割は観測にある。ダイブしたプログラムが農民や商人なら、その役割を大きく逸脱しないことが重要だ。自由行動が前提の支配型であってもそれは変わらない。
にもかかわらず、監理局が「優先任務」として一定の行動目標をダイバーに課す場合、それは緊急事態を意味していた。稼ぎもいいのだが、守秘義務のレベルは上がる。今回はそこまで深刻ではないということだ。
「じゃあ、何かのついででいいですね?」
「ああ、それで結構です。それと…」
今度はなんだ? また悪い予感がした。
「今回、たぶん別のダイバーと出会います」
加藤は少し身を乗り出していた。
正直ピンとこない。
「わかりました、えっと…マニュアル通りでいいんですよね。何か特別なことやるんでしたっけ?」
「いや、何も。単なる確認ですよ。マニュアルをご存知なら結構です」
そもそもダイバー同士の接触は、ダイバーとして投入されるポイントが地理的に離れてるので起こりにくい。
俺もはじめてだった。ダイバーのバイトを始める前のオリエンテーションでは、以下の禁止事項を含むマニュアルを何度も徹底されて教え込まれている。破った場合に巨額の違約金を請求されることも実例付きで聞いている。
1.他のダイバーを積極的に探して接触することはBiSiP内でも現界でも原則禁止。(BiSiP内で接触するのが許されるのは、ダイブしたプログラムの行動によって出会う場合のみ)
2.相手がプログラムであれダイバーであれ、自分が現界での人間であることを明かしてはならない。
3.相手のプログラムを直接コントロールする場合は、現界の人間であることを悟られるような行動をしてはならない。
4.現界で自分がダイバーであることやBiSiPの情報を開示することはダイバーとしての契約終了後も禁止。
ちなみに、オリエンテーションも一人ずつ行われたり、各ダイバーが監理局で顔を合わせないように、ダイブの開始時間や監理局の入所時間は注意深くアレンジされてるようだ。
俺はまだ意図が分からなかった。
「何でわざわざそれを伝えるんですか?いつも通り……でいいんですよね?」
「リマインドってやつですよ。わかってるなら問題ありません」
「えっと、よくわからないんですが…せめて出会うダイバーのプログラムの外見とか教えてもらえませんか? 気をつけておきたいので……」
「残念ながらできません。規則なので」
「では、なぜ今回わざわざ俺にそれを……」
「リマインドって言いませんでしたか?」
加藤の表情が変わった。
眼鏡の奥の視線はこちらを射抜くようだった。
「相手に会えばわかる。規則に違える行動をすればクビだけでは済まないからそのつもりで宜しく」
加藤の口調が変わる。
意外と短気なのかもしれなかった。沖津をみると、心配そうに俺と加藤を見ている。
「じゃあ、特になければ、俺のほうはいつも通りということで宜しく」
そう言って席を立つ。
「村田くん、待ちたまえ」
またやってしまった。
俺は雇い主をつまらないことで怒らせてしまったのかもしれない。だまってハイハイ頷いておけばよかったかな。
しばらく沈黙がながれた。見守る沖津。
やがて、加藤は口を開いた。
「君の行動を変える必要はありません。引き続き研修内容を心にとめて業務に励んで下さい」
俺は一礼して外に出た。
いろいろ訊きたいことが頭に浮かんだが、むしろ会話をここで終わらせたほうが無難かもしれなかった。
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ダイビング2時間前。
いつもの手続が始まった。
シャワーとダイビング機器の装着である。
プログラムとの感覚同期デバイスだけではダイビングができるわけではなく、様々な機器を身体に装着しなくてはいけなかった。当たり前の話だが、ダイブ中は風呂も飯もトイレも自力ではできない。
従って、付ける器具の大半は生命維持に関するものだった。
まずは、ダイビングがもたらす人体に耐えられる限界を越えた負荷をモニターするためのバイタルセンサー。
続いて、ダイビングが3日を越える場合には点滴による栄養補給も必要だ。医療スタッフが俺の腕に何やら機器を取り付ける。
一番大事なのが排泄物処理のために下半身につける装具である。カテーテルと介便器付きの無骨な機械はいつみてもげんなりする。
以前別のダイバーが使ったかもしれないことを考えると、洗浄済と分かってはいても、さらに気分が萎えた。
一通り装具の装着が終わると、30秒間のテストダイブが2回ほど始まる。
短時間の感覚器接続、同期、モニタリングが繰り返される。ダイバーの神経接続をスムーズに行うためのものだが、カルルによると、頭を探られるような感覚があって、甚だ不快らしい。
オールグリーン。
俺の視野はカルルのそれとほぼ同期した。
さらに、俺の視野にオーバーレイしてアイコンが表示される。
ダイビング中は現界の体は動かせないし、ダイバー自身の感覚器はプログラムと同期している。
そのままの状態で自分自身の現界の体の異常をチェックできるよう、思考制御によるモニターやインターフェースがダイバーに用意されていた。現界の体調のモニタリング、仮想世界上の位置情報、カルルのステータス、緊急時のダイビング離脱ボタンなどが次々と表示される。
モニターを見ると氏族の集落らしき物体が見える。
いよいよだ。
ダイビング前は仮想世界の様子をスクリーンごしに見ることができるが、仮想世界内の定点カメラによる観測のため、特定のオブジェクトを追跡してスクリーンに映すのも難しい。
感覚器を通して見ない画像は20年以上前のゲームのようにも見えた。この画像を通して見ているだけのこちらの人間にはダイバーの見た世界は決して理解できないだろう。
「最終シークエンスに入ります」
オペレーターボイスが機械的に告げる。
毎回この瞬間が一番緊張する。
あと5分。
ダイブするとき、相手のプログラムはどういう状況にあるかがわからない。極端な例だが、災害から逃げる最中や、戦闘の真っ只中のプログラムにダイブすることもあり得るのだ。
先ほどスクリーン越しにあちらを見てからが15分ほどかかっている。初期型のBiSiPでは、より短い時間で生物の進化を観測するために、現実世界の1分に仮想世界の1年を同期させていた時もあったようだ。BiSiP内で文面の進展が見られた現在は、現実世界と同じ時間の流れを設定している。つまり、「時差」のようなものは存在しない。
それでも先ほど見た状況とカルルが違う状況にいることはよくあることだった。
以前も食事中や格闘中のカルルにダイブシークエンスを開始して怒らせたことがある。先程のテストダイブには、これからダイブするという合図を与える意味もあった。
あと2分。音声カウントダウンが始まった。
「21、20…」
深呼吸をしてみる。
「14、13…」
もうすぐだ。頭のなかがチリチリする。
「8、7、6 …」
急速に意識が吸い込まれる感覚。
最後のカウントは聞こえなかった。捻れ。落下。裏返る感覚。
目が覚めた。
カルルの中にいることを知覚できた。
赤い空。
だが、今はどこなのだろう?
その答えはすぐにやって来た。
雄叫び、悲鳴、絶叫。そしてそれに紛れた苦悶の呻き。
金属と金属のぶつかる音。金属が柔らかいものを潰し、叩き、斬り、突き刺す音。
超覚を発動するまでもない無数の敵意と殺意。
異臭と炎の向こうの数人の人影を見るまでもない。どうやら戦闘の真っ只中にいるカルルにダイブしたらしい。
突然、目の前にゴトっと音がした。何か丸くて重いものが転がってきた。
生首だった。
力と光を失った目がこちらを見上げている。
見知った者と分かるまでに数秒かかった。
あまりにも近しい人間。
そして、あまりにも明るく、優しく、春のような笑顔。
生首には確かに見知った笑顔の面影があった。
-レンジ?-
言葉を失っているカルルを代弁するかのように、俺の知覚が認識を言葉にした。