飛翔
巨体が姿を現す。
「散開陣形!奴を足止めする!」
タリエルの声が響いた。
骸人達を警戒しつつ、訓練された動きで自警団が2、3人ずつに別れて三方に散らばった。
ムルジーと二人の団員がジルビースの正面、メルと二人が右の側面に回る。タリエルも二人を率いて左足サポートに回った。
「ビグナ、頼む!」
去り際のタリエルの言葉に短く声が呼応する。
「承知した、団長。」
ビグナと呼ばれた男が俺達四人を見た。
「こっちだ。俺とビリチャで街の反対側まで護衛する…といっても、あんた達は十分強そうだがな。」
「いいのか?俺達も援護しなくて?」
「俺達でジルビースの相手は出来ないってかい?まあ見てなよ。団長があんた達の護衛を命じた以上、あんた達はお客様ってわけさ。」
ビグナは若干プライドを傷つけられたようだった。
「分かった。任せたで。骸人がやって来たらまた相談や。」
ダルザが俺に目配せしながらビグナに言う。アマーシャはタリエルを心配そうに一瞥したが、サーニャを促して歩き出した。
ジルビースの尻尾が大きく振り上げられると、唸りを上げてムルジー達三人に襲いかかる。一歩前に出たムルジーが両斧槍を地面に突き立てて受け止める。音と共に彼の足元の地面をめり込ませたが何とか受け止めたようだ。右からメル達三人の団員が突撃する。ジルビースが素早く鉤爪のついた巨大な左手を振るったが、直前で三人は散開、撤退する。
フェイントだ。
本命であるタリエルは懐に潜り込んで一刀を放つ。脇腹に走った血の筋から炎が立ち上った。ジルビースの巨体には火傷程度の効果とはいえ、タリエルの「緋走」は十分な注意を引いた。目に怒りの色を浮かべ、ジルビースがタリエルを追いかけようとする。ムルジーが両斧槍を足首に叩きつける。
「ボオオ!」
鼻から漏れる声は苦痛の叫びに聞こえた。今のところ、タリエル達はジルビースをうまくあしらっているようだ。
俺達は急いでジルビースの脇を通りすぎる。ビグナを先頭にダルザ、アマーシャとサーニャ、ビリチャ、俺の順番だ。
さすがにビリチャに殿は荷が重いと思ったのか、ビグナは何も言わない。広場に来る前に見かけた骸人もいないのが却って不気味だ。
『聖霊様、来るぞ。』
―分かってる。―
「ボオオオオッ」
広場の反対側に着こうとしたまさにその瞬間、ジルビースがこちらを向いて咆哮した。
俺達が一瞬気を取られた瞬間、付近の物陰から一斉に骸人が現れた。
明らかに統制された動きだ。奴らの視線はサーニャに向けられている。手近な獲物として最も弱そうな者を狙うー狩りのセオリーだ。アマーシャがサーニャの肩に手を置いた。呪印を見てサーニャの目が丸くなる。
「え?」
「じっとしてなよ。」
アマーシャの手が光り、サーニャの体も一瞬光に包まれる。
第二の門に属する呪のひとつ、「プロテクト」を発動させたとわかる。他者に発動させた防御力向上の呪は彼女を守り、生存率を高めるためだ。
俺はカルルに体の主導権を渡した。「クロックアップ」と「ブースト」も発動済みだ。身体能力を引き上げた状態で飛翔回転斬を繰り出す。前方に飛びながら、体を回転させ斬撃を浴びせる―マンガのような技は呪のサポートもあって次元の違う効果を生んだ。軌道上にいた骸人達が薙ぎ倒される。
反対側からも押し寄せた骸人の前にはダルザが立ち塞がった。前蹴りで一体の足を崩し、脳天に短剣を突き立てると、そいつの肩に足をかけ、次の骸人に上から襲いかかる。そいつの頭にも短剣を捩じ込む時には三体の骸人が迫っていた。呪印が浮かぶと同時に、ダルザの姿が霞むように動いた。他の人間には彼の姿が一瞬消えたように見えただろう。
カルルの視覚を通して得た情報に超覚の補正をかけた俺には、一瞬遅れて何が起こったかを把握することができた。ダルザは、元から「クロックアップ」で強化した反応速度に更に同じ呪で上昇補正をかけたのだ。「ブースト」で強化した筋力や体組織をもって処理しても追い付かないほどの反応速度で繰り出される体技は瞬く間に三体の骸人の急所を次々に突き刺していった。
「ああ、しんど。」
通常の動作に戻ったダルザが呟く。呪の重乗発動は時間制限を設けているらしい。2倍早く動いても3倍の負荷がかかるなら、割は合わない話だ。
アマーシャはサーニャの護衛にのみ集中していたが、それでも1体を切り伏せていた。ビグナとビリチャも一体を仕留めたようだ。
『大したものだ。』
カルルが感嘆したように呟く。
―俺達も行くぞ。―
カルルは次の一群に切り込んで行く。最初の骸人の腕を左籠手で捌き、右籠手で首を跳ねる。返す一撃で隣の一体の顔面に突きを入れた。あまりのスピードに顔面の中央がめり込み、頭部が弾けた。残りの二体が攻撃動作に入った時には、カルルは
円舞昇閃の構えに入っていた。右から斜め上に向けて放たれた一撃は、二体の骸人の胴体を纏めて分断した。
襲撃は一段落したようだ。
サーニャは顔を恐怖にひきつらせていたが、最後まで悲鳴を上げることもなかった。
「ありがとう…ございます。」
「気にしなくていいよ…終わったみたいだね。」
アマーシャが笑う。
「姐さん!あれ!」
ダルザが大声で指差す。
骸人だ。ジルビースと戦っているタリエル達に背後から襲いかかっていた。メルやムルジーの隊も防戦している。
「ヤバイんちゃうん!行くで!」
アマーシャの顔がこれまで見たことがないものに変わる。
彼女の顔に浮かんだ絶望と焦燥を見てサーニャが言った。
「あたしは大丈夫、早く!」
「早よ行かんかい!こっちは任しや。」
ダルザの声に押され、アマーシャは駆け出した。
「先に行く。支援を。」
カルルは強化した脚力による疾走でアマーシャを追い抜きながら
告げた。
―カルル、飛ぶぞ。―
俺は第二の門から「エア・ライド」を発動させた。
大気に働きかける呪をもってカルルの背後に発生させた気流の流れは、さらに体を加速させる。
あっという間にジルビースとタリエル達の戦場まで到達した。
骸人には、さらに骸犬と骸鳥が随伴していた。連携を取った動きで自警団員を翻弄している。ムルジーの隊だが、彼自身はジルビースの牽制役を離れる訳にはいかない。メルやタリエルの隊も状況は同じのようだ。
さらに大気はカルルの体を包み、持ち上げる。ムルジーの隊に上から迫る。骸鳥は、元はカラスのような鳥類だったのだろう。胴体の羽毛は抜け落ち、ひび割れた灰色の皮膚が覗いている。カルルの一閃が一体を空中で真っ二つにした。別の一体がこちらを敵と認識したらしく、方向を変えて向かってくる。だが、突き刺そうとして繰り出した嘴は届かない。元々「エア・ライド」は「エア・ウォール」から派生した呪だ。体を包む気流は移動力の向上や短時間の空中での行動に加え、物理攻撃を受け流す副次的効果ももたらしていた。
右籠手の一撃で骸鳥の首を切り落とし、空中から円舞昇閃の態勢に入る。
ムルジーの背後で骸人の攻撃を防いでいた自警団員の男の足に骸犬が噛みつく。バランスを崩して倒れたところに骸人が飛び付き、組伏せた。口が大きく限界まで開かれたかと思うと下顎ががくん、と外れた。喉の奥から、舌ではない器官がせり出てくる。
骸人が同族を作るときの行動だ。
ーあれって、「骸人の婚約」じゃね?まずいぞ。ー
『分かってる。』
赤黒い器官がゆっくり伸びて男の顔面に近付くのと同時に、カルルが空中で円舞昇閃を放った。
衝撃波が走る。
びゅん、という音と共に骸人の首が宙に舞う。口から露出した奇妙な器官は、首と共に地面に落ちてゆっくりと色を失っていく。
カルルはそのまま急降下する。下方に二体。伸ばした両足は一体の両肩に置かれた。そのままの勢いで脳天に右籠手の刃を捩じ込んで捻る。残った一体が口を空けて飛びかかって来たが、左籠手を噛ませて受け止めた。そのまま首を薙ぐと、左籠手に噛みついたままの頭部を残して首から下が崩れ落ちた。一瞬の間を置いて力を失った頭部も落ちる。
骸犬が向かってくる。二体。そして速い。
―任せろ。―
俺はカルルに告げると、「エア・ブレイド」を発動させた。
体の周囲を包んでいた気流は形を変え、斬撃のような無数の衝撃波となって襲いかかる。2体の骸犬に生前の痛覚が残っていたとしても、体を何かが通りすぎた、としか感じられなかっただろう。一瞬の後、走ろうとした脚が、綺麗な切断面を見せてずり落ちる。バランスを崩して倒れる体や頭部も、地面に落ちる途中で2つ3つに割れた。
タリエルの隊に向かった骸人が急に発火するのが見えた。アマーシャの呪だろう。
となると、残りはメルの隊か。
「ボォオオオ!」
そのとき、咆哮が聞こえた。
ジルビースがこちらを見ている。敵と認識されたらしい。
尻尾をこちらに向かって振り上げる。
次の瞬間、鉤爪を伸ばした左腕が降り下ろされた。尻尾はフェイントだ。体を軸足で回転させてかわす。
少なくとも、フェイントを組み入れた攻撃をする知能はあるらしい。石化能力も持つことを考えると非常に厄介な相手だ。
そにとき、ムルジーは両斧槍をジルビースの足首に叩き付けた。こちらに気を取られたジルビースの隙をついた一撃だ。俺はメルのほうを超覚で探る。
俺とムルジーが動いたことで、メルは骸人に注意を振り向けることができるはずだ。
果たして、俺の意図した通り、メルは部下の援護に回っているのが見える。早くも一体の骸犬を仕留めたようだ。
タリエルもジルビースの攻撃に回った。ダッシュしながら背中を斬りつける。傷は浅く、発火効果も低いが、牽制効果は期待できる。ジルビースは怒りの呻きを洩らす。
「呪かますよ。二分時間稼いで。」
報鈴を通してアマーシャの声が届く。
二分、つまり百二十秒。意外と長い時間だ。アマーシャは既に第三の門の呪を手にしているが、単独で発動させるのは時間がかかるのだろう。
『できるか、聖霊様。』
―できるよ、ただ奴は予想以上に賢い。倒す気でいくぞ。
上昇して顔を狙ってくれ。―
『わかった。』
俺が「エア・ライド」に「エクステンション」をかける。
カルルは新しい呪による空中軌道をうまく使いこなしていた。天性の勘によるものだろう。
坂を駆け上がるような足の動きに合わせ、体が宙に動く。まさに空を駈けるように、カルルはジルビースの頭まで上昇した。
ジルビースの表情に驚きが浮かぶ。長い鼻が捕らえようと伸び、気流の壁で阻まれると、驚きは焦りになった。
空中で「エア・ブレイド」を放つ。
ジルビースの長い鼻と顔面に数条の切り傷が刻まれた。致命傷には程遠いが、ジルビースの注意を惹き付けるには十分だ。
足首にはムルジーとタリエルがそれぞれ渾身の一撃を入れる。
タリエルの「緋走」は先ほど傷を付けた箇所に刃を捩じ込んで発火させた。同時にムルジーが反対側の足首にフルスイングで両斧槍を叩き付ける。
ジルビースは怒りに目を紅くしていたが、冷静さを失ってはいなかった。長い鼻を自警団員に向けると、先端からシャワーのように灰色の液体を広域噴射する。普段は補食行動に使う体液―石化液と呼ばれるそれは、1回や2回吹き掛けただけでは獲物を石化することはできない。だが、体液を浴びた皮膚は硬化と皮膚の物質変成を促し、動きを著しく低下させる。
上空から降り注ぐ灰色のシャワーを、タリエルは超人的なスピードのバックステップでかわす。金属製のフルアーマーで武装したムルジーにも関係ないようだ。
だが、後ろの自警団員には灰色の液体を浴びていた。二人が苦痛を動けなくなっている。石化することはないにせよ、戦闘続行は無理だろう。ジルビースの狙いもおそらくこれだ。
次に奴が自警団員を狙えば、タリエルとムルジーはフォローに回らざるを得ない。誰かを庇いながらの戦闘は倍以上の負担をもたらすだろう。
「団長…気にする…な。」
ムルジーの言葉にタリエルは首を振った。
「正面頼む!」
言葉を残して側面に回る。
俺は僅かにタリエルの動きが鈍いことに気がついた。
右ももに染みが出来ている。さっきの石化液を全部はかわしきれなかったのだ。つまり、ジルビースが先ほどのように石化液を噴射した場合、さらに浴びる可能性がある。その次は更に浴びるはずだ。早目に決着をつけるのは正しい判断と言えた。
ムルジーとタリエルの連携攻撃に合わせて俺達も空中から仕掛けた。カルルの合図で「エア・ブレイド」を放つ。下方ではムルジーが両斧槍を右足に叩き付けるのが見える。
同時に右膝の裏をタリエルが緋走で薙ぐ。
「バボオオオォ!」
同時攻撃にジルビースも今までと違う苦悶の声を挙げた。
だが―止まらない。ジルビースの向かう先には動けない自警団員がいる。
「みんな、どいて!」
アマーシャの叫びが聞こえた。
向けた視線の先には、呪印を浮かべたアマーシャが浮かんでいる。彼女が左手を開いて前に出すと、ジルビースの巨体の頭上に巨大な呪印が現れた。
続いて右手を出す。今度はジルビースの足元に呪印が出現する。
カルルは空中で急速後退する。
タリエルとムルジーは撤退時に動けない自警団員を回収した。
アマーシャの左の掌は下に、右の掌は上に向けられた。掌を繋ぐ見えない力の流れは、呪印を繋ぐ力場となっているようだ。額の第三の目は眩い光を放っていた。
ジルビースは頭上と足元の呪印に気づいた。おそらくしれが自分に害をなす事も理解しているだろう。
傷付いた足を引き摺って場所を変えるが、呪印はジルビースの動きに追随して位置を変える。逃げられないこちを悟ったジルビースが憎々しげな目をアマーシャに向けた。
「焼きつくせ!」
アマーシャの声が響くと、上空の呪印から地面の呪印に向けて炎の奔流が滝のように流れ落ちた。地面の呪印からも炎が立ち上ぼり、ジルビースの体は炎に包まれて見えなくなる。
「ガボオオオオオオオオオォ!」
ジルビースの絶叫が響く。俺達は呆然と見ているしかなかった。
アマーシャが、第三の門の呪の中でもこれ程の規模の呪を発動できるとは意外だった。今回のダイブで最も長足の進歩をしたのは彼女だろう。
ジルビースは巨体を振り乱し、苦しみにのたうち回る。振り回された腕や尻尾が周囲の石化した建物に当たっては破片を撒き散らした。その間にも上空と地面の呪印は絶えず炎を浴びせ続けた。やがて30秒ほどの時間が過ぎて呪印が消えるころには、ジルビースの巨体は動きを止めていた。