探索
空の色が変わるころ、俺達はバダハンデルの外れでタリエルやアマーシャら自警団の一行を待っていた。
サーニャには可能な限り動きやすく丈夫な服を着せ、俺とアマーシャで何度も呪で付呪している。
戦闘に不慣れなサーニャを連れての探索行だ。できる限り彼女が足でまどいでなることは避けたかった。
やがて自警団の面々が集まってきた。タリエルとは打ち合わせで顔を合わせたが、後は初対面だ。
「待たせたね、みんな。」
「ダルザにカルルにサーニャ殿。良き日にならんことを。」
アマーシャに続いてタリエルが挨拶する。戦闘用の武骨な革鎧を着ていても、物腰に優雅さが滲んでいる。彫りの深い顔もあって映画から抜け出てきたような姿に見えた。
「よろしく頼みます、タリエルさん。皆さんがいると心強いです。」
「謙遜だな、聖霊憑きの狩人よ。こちらこそ今回そなた達と共に行くことは心強く思う。…そうだ、紹介させてくれ。こちらのデカイのがムルジー、こっちがメルだ。」
「よろしく…な。」
先に挨拶したムルジーはこの世界のなかでも大男の部類だろう。
ダルザより頭一つ大きく、現実世界なら百九十センチ以上といったところか。肩当と胸鎧で武装している。岩のような顔には鋭い光を放つ細い目が埋め込まれている。
「あいよっ。」
威勢よく答えたのはサーニャと同じくらいの身長の剣士だ。背に二本の剣を背負っているのは二刀流ということか。
兜から覗く髪は短く、頬の傷もあって少年のように見えるが、声からして性別は女性だ。日焼けしてるものに、すらりとした足には健康的な色気があった。
「ほな、ま、いきましょか。」
ダルザの声をきっかけに一同は歩き出した。
「警戒態勢で陣形を組むぞ。」
タリエルが合図すると他の隊員は素早く配置に付いた。
よく訓練されている。ダルザも感心した様子だった。
化石の村までは歩いて半日ほどらしい。非常時の連絡用に馬は連れて行くが、基本は徒歩だ。周囲の風景は草原になり、やがて岩肌の目立つものに変わっていった。
「あの…アマーシャさん。」
サーニャが歩きながら近付いてきた。
「有り難うございます。すいません…本当に。」
頭を下げる。日本人丸出しのコミュニケーションにアマーシャは少し困惑したようだった。
「よしなよ。あんたのせいじゃないよ。」
「でも…言っときたくて。」
「あんたも変わってるよ。望めばすぐにBiSiPから抜けて日常生活に戻る道もあったと思うよ。」
「ライザの行動を後押ししちゃった手前、責任とらなきゃなって。ライザが死んじゃった上に、サーニャも犠牲にして戻ると後味悪いですからね。例えここが仮想世界でも。」
「心配ない。あたしもあんたを全力でサポートするよ。あたしもあたしなりの理由もあるしね。」
アマーシャはそう言いながら俺を向いて目配せした。
やがて街並みのようなものが見えてきた。
すべてが石で出来ている。家や小屋のような建物だけではない。
店らしき建物の看板も、小屋の回りにある柵も、草木に至るまで、全てが灰色の石で出来ていた。
聞いていた通りとはいえ、想像を絶する光景だ。ダルザもアマーシャも武器に手をかけている。カルルからも緊張感が伝わってきた。門を曲がると、想像していた光景に出くわす。
人の石像―はた目にはそう見えるだろう。崩れかけた体の断面から覗く筋肉や内蔵まで忠実に作り込んだ石像があれば、の話だが。
この村には特別指定の危険生物がいる。通常の危険生物が「危険」と扱われるのは主に巨大な体躯や素早さ、怪力に加えて人間に対する攻撃性を持つことが主な理由だ。触手や爪や牙があっても、それは生物本来の身体能力の延長だ。現界の生物とは全く異なるとはいえ、このBiSiPではあくまで野生動物として分類されるだろう。
だが、特別指定の危険生物は、通常の危険生物の脅威に加えて何らかの超常の力を持つとされていた。監理局の研修でも紹介されたのは十種に満たない。雷雲を呼び雷を操る、精神支配を行う、などの能力が報告されていたはずだ。
その中に―確かにあったかもしれない。物質組成の変換能力、平たく言えば石化能力を持つ危険生物が。ジルビースと呼ばれるそれは、個体数が少なく繁殖能力も低いが、辺境では絶対の脅威として君臨していた。この化石の村も元は別の名前だったらしいが、ジルビースに襲われ、さらに撃退に失敗した結果村を放棄することになったという。巨費を投じて自警団がバダハンデルで結成された理由もジルビースの侵攻を許さないためだった。
一人の自警団員が崩れかけた人間の石像に目を凝らしている。
後頭部がごっそり無くなっているほかに、右手も前腕が無く、左腕は丸ごと消えている。体には幾つか剥ぎ取られたような跡があり、そこから石化した筋肉や内臓が覗いていた。顔のみ無傷だったが、それがかえって異様さを際立たせている。顔立ちは若く、見つめる若者の面影を漂わせていた。
タリエルが近付いて肩に手を置いた。
「行こう、ビリチャ。今は感傷に浸る時ではない。お前に危険が及べば、お前の父も悲しむだろう。俺も彼に合わせる顔がない。」
どうやら、ビリチャと呼ばれた若者は、石像になった犠牲者の息子らしかった。石像の顔が若いところを見ると、つまり父親が石化してから年月が経過したということだ。
ジルビースは獲物を石化させてから食べるらしい。というか、石化させないと体内で消化できないと言われている。逃げ遅れた住人や家畜は石化されたあと、十年近い年月をかけて貪り食われている。少食なのが救いだが、いずれ犠牲者の石像達が食い付くされたときこそがバダハンデルの人間達とジルビースの生き残りをかけた戦いになることは想像に難くない。
俺達一行は広場に近付くにつれて緊張感を高めていった。
元は集会場だったのだろう、大きな屋根のある建物の裏手が見えてきた。
「なんか来るで!」
先頭にいたダルザが警戒を呼び掛けた。超覚で察知したのだろう。すぐに俺も気付いた。
『聖霊様、二つだ。小さい。』
俺はカルルに体の主導権を譲り、呪の準備に入った。「クロックアップ」「ブースト」「ファイアーウォール」を連続で発動させる。
「キシャアア!」
叫びが聞こえたのは隣の家の屋根の上だ。四つん這いになった人影にボロボロになった服が張り付いている。ひび割れた皮膚、頭髪の殆ど抜け落ちた頭部には赤く光る目が覗いている。
『骸人だ。』
「よりによって!」
カルルの警告と同時に誰かが叫んだ。目撃報告があると聞いていたが、このタイミングで遭遇するとは。
ウィルスに侵されて変貌した元人間。感染後の彼らは危険生物とみなされる存在だ。見るのは初めてだが、その脅威は聞いていた。
四足歩行のまま屋根の上から蜘蛛のように骸人は降りてくる。そのまま首を曲げてこちらを見ると跳躍姿勢に入った。
骸人の最も近くにいたのは、先程父親の石像と対面したビリチャという若者だ。自警団の中でも新人らしく、ぎこちなく剣を抜いたものの、恐怖に顔をひきつらせている。骸人の攻撃は防げないだろう。壁から跳躍した骸人は黒い風のように若者に襲いかかった。俺の位置からでは間に合わない。
バツン!という嫌な音と共に何かが空に舞い上がり、地面に落ちた。苦悶の呻きが骸人から漏れる。落ちたのはひび割れた皮膚に覆われた灰色の前腕だった。
抜刀の姿勢のまま着地した影が身を起こす。
両手に持った剣。短い髪にヘッドギア。メルだ。
骸人を見据える表情に先程見せた快活さはない。
尚も残った片腕を振り上げて飛びかかろうとする骸人。すぐによろめいたのは片腕がないことで重量バランスをうまく取れないからだろう。
メルはその隙を見逃さず距離を詰めた。両手に持った剣をそれぞれ一閃。左の初太刀で相手に深く剣を叩き込んで動きを止め、右の一振りで首を撥ね飛ばすー何が起こったかを理解した者は少ないだろう。飛ばされた首がどさり、と落ちる。
「シャキッとしなよ、ビリチャ。」
メルは顔を向けずに若者に言い放つ。
「ありがとう…済まない、メル。」
ビリチャと呼ばれた若者も漸く我に返ったようだ。
「みんな、防御陣形だ。」
タリエルの号令で自警団の一行が戦闘態勢に入ったのが分かった。危険は去ってない。骸人の声があちこちから聞こえてくる。通路と屋根から現れた骸人達が一斉に襲いかかる。数は―7体ほどだ。
「援護しましょう。」
報鈴でダルザとアマーシャに伝える。
「この数なら自警団は心配ない。それより数が増えた時に備えて呪準備しといて。」
前衛にはタリエルもいるはずだ。この落ち着きはアマーシャの自警団への信頼と、指揮能力の高さの表れだろう。俺は彼女から非独占許諾を受けたもうひとつの呪―「エンハンス」の準備に入った。これは被許諾者専用の呪で、許諾者の呪の拡張効果をもたらす。
メルと反対側にいたムルジーが両斧槍を振って一体を叩き伏せる。巨体を生かして大型の武器で相手を粉砕する、見た目通りの戦法だ。地面に倒れた骸人の頭部に刃の部分が叩き込まれ、スイカのように弾けて赤黒い液体が飛び散る。体型からして人間だった時は女であっただろう骸人は、一瞬体をびくん、とひきつらせ、すぐに動かなくなった。
メルも二刀流を使い、一刀で相手の足を払い、バランスを崩した一体の口から利き腕の一刀を突き立てる。
タリエルには二体の骸人が迫っていた。二体が同時に攻撃に移った瞬間、立ち位置を動かして一体をかわす。同時に腰の剣を抜いてもう一体の胴を横殴りに薙いだ。刀身は赤い光を帯びていることに気付いた瞬間、切られた骸人が発火する。進もうとしたそれの上半身が燃えながらずり落ちた。
タリエルの視線は最初にかわした一体に向けられていた。迫るそいつの両腕を下段からの一撃で切り飛ばす。返す上段の一撃はそいつの頭頂から胸の中程までを真っ二つに両断した。一瞬の後に発火して燃えながら崩れ落ちる。
訳あってバダハンデルで自警団長をやっているが、タリエルは元々、元々高名な剣士の家系らしい。彼が実家より携えてきた「緋走」は呪の付された武具で、斬った対象を燃え上がらせる効果がある。普段は人間相手に使わないことにしているらしいが、骸人には最適の武具だ。
他の自警団のメンバーは二人一組で一体を相手にしていた。一人が骸人の牙や爪を牽制し、盾で防御に徹する。もう一人は足や腕を切りつけて相手を弱らせ、最後に止めを差す。
地味だが確実な戦法だ。ビリチャも恐怖に顔を強張らせながら牽制役を務めている。ベテランらしきもう一人の自警団員のサポートでどうにか一体を仕留めたようだ。
すぐに辺りは骸人の残骸だらけになった。
だが、自警団員は構えを解かない。
タリエルに聞いたところでは、骸人の群れは通常二十体ほど、しかも群れを統率しているボスのレベルによっては、組織だった行動を取るらしかった。今のが第一波とすれば、次は更に多数が攻めてくるはずだ。第二波の攻撃に備えて装備をチェックし、構える。僅かに負傷者もいるようだが、「骸人の呪い」に侵されてはいないようだ。
程なく骸人が現れた。今度は二十体は越えそうだ。
一同に緊張感がみなぎる。
「次が来る。準備はいいね?」
アマーシャの声が報鈴を通して伝わる。
「はい、頼みます。」
第一波を自警団に任せたおかげで、アマーシャと俺は呪に専念することができた。彼女の呪の効果拡大のために、俺は「エンハンス」の準備を完了させていた。アマーシャのほうはまだ時間がかかっている。炎球にしては時間がかかっているようだ。
アマーシャの周囲に呪印が浮かび上がる。
見たことのないものだ。
彼女の額から額飾りはいつの間にか剥ぎ取られていることに気がついた。露出した第三の目は閉じられており、縦の筋のようにしか見えなかったが、アマーシャの周囲の呪印と呼応してうっすらと開きだす。開いた第三の目からは光が溢れだした。
俺は思い違いをしていたようだ。今彼女の行おうとしていることが分かった。炎球ではない。まさか、第三の門に属する呪だろうか。
骸人達が威嚇するように声を上げ始める。
動揺が若い自警団員の表情に現れる。彼らの何人かはビリチャも含め骸人との戦闘を経験してないようだ。動揺が恐怖に、そして恐慌に変わると隊の戦力を削ぎ、しれは生存率の低下に直結するだろう。
「ジブンら、落ち着きや。今姐さんがデカイのかますよって。」
ダルザも元自衛隊員だけあって状況を理解しているらしい。
骸人が動き出す。
「総員、防御陣形を維持だ。」
タリエルとアマーシャが視線をかわす。
アマーシャが目を閉じて集中に入った。同時に第三の目が完全に開き、開いた箇所から同時に光がひときわ強くなる。彼女の上空に呪印が現れた。
俺は「エンハンス」を発動させる。これで彼女の呪の威力や効果範囲は拡大するはずだ。
骸人達が近づく。あるものは生前と同じように二足歩行で、あるものは四足で。四足歩行のほうが速いのは、骸人になってからの時間の経過に関係しているのかもしれない。明確に陣形を組んではいないが、一斉に同時に動き出したことからも統率者の存在が認識できる。
自警団員の防御陣形まであと十五メートル。
アマーシャが両手を天に向かって突き上げた。
それを合図に、骸人の足元の地面から巨大な焔が壁のように立ち上がった。たちまち先頭の骸人が焔に包まれる。肉の焼ける音と臭いを撒き散らしながらも数体が向かってくる。だが、二、三歩歩いたところで、膝関節が砕けて崩れ落ちる。関節が焼かれることで体重を支えきれなくなったのだろう。
尚も腕で這って進もうとするが、それも崩れて力尽きた。
周囲を見渡すと、焔は文字どおり壁を形成していた。正確には今いる場所を中心に同心円状に焔の壁が形成されている。高さは五メートルはあるだろうか。
「ウォール・オブ・フレイム」ーアマーシャが俺の「エンハンス」を借りて発動させた「第三の門」に属する呪だ。ダイバーの中でも第三の門の力を引き出した例は聞いたことがない。戻ったら加藤や沖津から山のようにレポートを求められるだろう。
周囲でバタバタと骸人が倒れていた。二体ほどが焔に身を焼かれながらも自警団の防御陣形のそばまで近付いたが、すぐにムルジーとメルが仕留める。
「凄いものだな。いつの間にこんな呪を?」
タリエルが感嘆の声を漏らす。
アマーシャは呪の発動手順をひととおり終えたようだ。額の第三の目は閉じられ、本来の両の目でタリエルを見ながら照れくさそうに言った。
「こないだ呪塔で師匠と話した時に許諾幾つか貰っといたんだ。先駆者対策だったけど、役に立ってよかった。…まあ、今回後輩の助けが必要だったけどね。」
焔の壁が消えた。骸人達の焼け焦げた残骸がそこかしこに転がっている。人間の焼死体と変わらない姿に嫌悪感を覚えずにはいられない。サーニャが顔を背けた。
「全滅とはいかへんな。気ぃつけや。」
ダルザの言うとおり、撤退しただけだろう。
「防御陣形維持。前進せよ。」
タリエルの指示とともに自警団が動き出した。俺達も超覚に気を配りながら進む。骸人は退けたが、襲撃の機会を窺ってることは間違いない。
そして、本来最も警戒すべき相手―ジルビースはこの先の広場に棲息している。人や草木を含めこの村のほぼ全てを石に変えた危険生物。その能力には興味もあった。
広場に差し掛かった俺達の目に入ったのは、整然と並べられた石像の群れだった。百人分は優に超える数だ。犠牲者の数よりも、ジルビースが獲物を規則的に配置する知能を有していることに戦慄する。
「ボォオオオオオオオオ」
空気を震わせる音と共にそれは現れた。
その長く延びた鼻は象を連想させた。体は堅い皮膚で覆われているのか黒光りしている。前屈みになった姿勢と異常に発達した前腕はマウンテンゴリラのようだ。身長は十五メートル近くあるかもしれない。それは、石化した建物の間から姿を現すと、俺達を見下ろした。