乱戦
「こんなことって……」
スピーカー越しに沖津が言葉を失うのがわかった。
「ワシの芸術を……」
宮崎のどこかズレた呟きも聞こえた。
「前回会った時より素人くさい攻撃だね……なるほど、今のが異邦人なのかな」
目の前にいるのは、モウラの街でシャルナと名乗ったフードの少年だった。先程の俺の攻撃を軽々と見切った技量よりも、ダイバーの存在を知っているらしい言葉が俺を戦慄させる。
―代わるぞ、聖霊様―
『ああ』
俺はカルルに体の主導権を渡した。
俺も円舞闘術に慣れてきたが、体術も剣技もカルルには遠く及ばない。強敵相手の体術ではカルルに任せたほうが無難だ。俺はすぐに呪の準備に入る。
ツバキの背から更に何かが出て来ようとしている。彼女が苦しみ出した―と、何を思ったか、体を翻して背中を床に押し当てた。彼女の背の呪印から出て来ようとしている何かは再び見えなくなった。
彼女は魔獣の腕にある爪を床に突き立て、体を固定する。正気を取り戻した彼女は、これ以上奴らの仲間が出てこないように呪印を塞いだのだ。
原始的だが、案外有効な方法だ。転送の呪印の向こう側の連中もしばらく出て来ないはずだ。
俺がカルルに交代する瞬間は、シャルナにとって攻撃の好機を与えた。シャルナは呪の発動準備に入ったらしく、みるみるうちに呪印が構築されていく。
アマーシャが横に割り込んだ。左手には呪印が浮かぶ。シャルナは横目でフードの女を見る。彼女がダルザとアマーシャの二人を牽制してる間にシャルナが俺を片付ける―そんな算段だろう。
だが、俺は報鈴で援護要請のメッセージを出していた。ダルザは短時間フードの女を抑え、アマーシャが援護する―それが狙いだ。
「3対2ってのを忘れてたかい?」
言葉が終るや否やアマーシャの左手から炎球が放たれる。人の頭ほどの大きさのある炎球が直進した。
シャルナのような呪使いなら、予め防御向上の呪を自らにかけているだろう。致命傷にはならないが、シャルナの呪の発動を止める以上の効果があるはずだ。
直撃する前にシャルナは呪の準備を中断し、サイドステップでかわした。外れて床に着弾するかと思われた瞬間、炎球は爆発を起こした。
小さな火球が飛び散る。
シャルナは防御のためにマントを掴んだ。が、体をマントで覆う前に2つほどの火球が命中し、苦悶に顔をしかめる。
その瞬間をカルルは逃さなかった。
右籠手が霞み、疾風となってシャルナに向かう。
その一撃はシャルナの喉に届く20センチほど手前で止まった。
正確には、シャルナの足下の影から浮かび上がった別の人影に握られた十手によって。
「3対3だよ」
シャルナは告げた。足元から浮かんだ影はこちらを向く。
その男もフードを被っていた。微かに見える顔は痩せこけている。目だけが異様な光と生気を放っていた。初めて見るはずだが、こちらをみる目に込められた憎悪は尋常ではない。
「エッエッ……異邦人……かっかっ……解体する……」
息を荒くしながら舌を出す。奇妙なことに口は言葉の形には動いていなかった。これも何かの呪だろうか。
カルルは本能的に武器を引いて身構えた。男も両手に持った十手を十字に交差させて構える。
シャルナが場違いな明るさで言った。
「こんなのでゴメンね。影の中に一人しか連れてこれなくてね。彼の名はベクト。どうしても君たちに会いたいらしくてね。これでも彼は意外と努力家なんだ。よろしくね。」
「うっうっ……嬉しくて鼻血……」
ベクトと紹介された男は、口を笑いの形に歪ませたまま声を出した。十手を交差させたまま襲いかかる。鼻から垂れた赤い血を拭おうともしないのが不気味さを際立たせていた。
両手に浮かぶ呪印。十手から光の刃が現れる。第二の門の呪の最上位にはこうしたものがあったかもしれない。
俺はソードストッパーを構えかけるカルルに呼びかけた。
―回避だ!―
ベクトの一閃をかわして後ろに飛び退いた。
周囲の椅子と机は斬撃の軌跡に沿って綺麗に切り取られている。武器強化の究極、それは武器を媒介として、呪力で武器を形成することだ。
受けていれば左腕ごと切断されただろう。
『助かった』
―ビームサーベルかよ―
『聖霊様、何だそれ?』
―いいから!―
シャルナが横から電撃を放つ。
カルルは猛スピードでそれをかわした。
既に俺は順に「反応向上」や「筋力強化」、「防御向上」を発動させていた。だが、ベクトの連続攻撃とシャルナの電撃による援護をいつまでかわしきれるかわからない。
「なんや、またエラくヤバいの来おったな」
ダルザの声が聞こえる。注意を向ける余裕はなかった。
横で聞こえるのは激しい打撃の音だ。ダルザとフードの女が接近戦を繰り広げているのだろう。
視界の片隅に攻防が映る。ダルザの短剣をかわし、フードの女は掌底を見舞おうと攻撃を繰り出す。ダルザは受けずにそれをかわしていた。時折混じる金属音。
ふと見ると、フードの女の左手と右足は妙に筋骨逞しかった。
先日ダルザに左手は切り飛ばされ、足も破壊されたはずだ。
肌の色が違う腕を見ながら呟いた。
「マダ……慣レヌ」
その異様な腕にダルザも気づいたようだ。
「自分の手足……誰の物か知らんが全然似合ってへんで」
おそらく不幸な犠牲者―おそらくは男―の手足を移植し、呪で制御しているのだろう。
ダイバーの精神を別の身体に移すことをやってのける連中だ。
これくらいのことは彼らにとっては既知の技術なのだろう。
「オマエノ手足ノホウガ馴染ミソウダ。貰ッテヤロウ」
不気味な宣告と共に、女は舌舐めずりして襲いかかった。
視界の片隅でフードの女がダルザと打ち合っている。この女が至近距離で掌から呪で相手を爆散させることができるのは実証済みだ。ダルザも組み合うことが危険なことは承知しているのだろう。
「彼女、タフだろう?君達との再戦希望でね。手足を新しく調達するには苦労したよ。そうそう、名前はミーユとしておこうか」
愉しげに説明するシャルナ。
ベクトも異常だが、このミーユとか言うフードの女も自らの肉体改造を厭わない点ではそれに劣らない。
もっともミーユの場合、他人の身体の一部を奪うという手段に躊躇がない分、異常さが際立っていると言えた。
ミーユの連続攻撃にダルザが押し込まれる。体格と不似合いな腕のリーチが、間合いを掴みにくくしているのだろう。
二人の姿は視界から消え、打ち合う音だけが届く。
心配だが、こちらも援護する余裕はない。
『まだか?』
カルルの苛立ちが伝わる。アマーシャの援護を期待しているのだ。
<待たせたね、3つ数えたら右に飛びな>
アマーシャからは報鈴で指示が来る。
―1…―
俺はカウントを始めた。
カルルはベクトの斬撃をかいくぐり、身を屈めて回転しながら足払いをかける。もう少し時間を稼ぐ必要があった。
ベクトはジャンプでかわす。
-2…-
予想通りシャルナの右手から放たれた電撃をこちらも体を捻ってかわした。
-3、跳べ!-
跳んだ直後、アマーシャの両手の呪印から「火焔放射」が放たれる。
ただし、それは床に向かってだった。
床にもうひとつ、呪印が浮かぶ。
すると、炎は瞬く間に俺達より前面の床に燃え広がり、紅蓮の炎となってシャルナとベクトを包む。二人の姿は豪炎の中で見えなくなった。
俺は着地するまでの間にアマーシャが用意した呪印が複数あったことに気付いた。「物質変成」の呪で自らの立つ場所より前方の床の材質を可燃性に変質させ、さらに自らに効果拡大をかけた上で「火焔放射」を放つ。
第一の門と第二の門に属する呪を複数組み合わせ、地形も利用することで最大の効果を出したのだ。
床の構造材をベースに膨れ上がった炎は、天井や壁を溶かしながら大きく渦巻いた。一瞬遅れて煙が視界を埋め尽くす。
煙は直ぐに消え、焼け焦げた部屋の惨状が晒された。
オフィスを模した部屋の半分は熱で溶け、原形を留めていない。だがそこに2つの人影は悠然と立っていた。
シャルナの体からはマントが消えていた。
先程アマーシャの呪から体を守ったマントも、今の一撃は耐えられなかったのだろう。
ベクトも服が焼け落ちている。痩せた上半身は火傷を負っているがほぼ無傷だ。異様なのはその腹部だった。
人間の顔が埋め込まれている。
「やっやっ……やっと……ホントの顔で御対面……」
腹に埋め込まれた顔が表情を変えぬまま喋ったとき、カルルが感じた戦慄が伝わってきた。本来の顔は声は出さないが嬉々とした表情を浮かべている。
「びっくりした?こいつ、真面目すぎて口を呪のために作り変えちゃったんだ。異邦人が羨ましかったんだってさ。努力家も度が過ぎるとキモいよね。」
異邦人とはダイバーのことだろうか?
シャルナの言葉から察するに、ダイバーの存在と呪への適性の高さを彼らは知っているらしい。
横ではダルザとミーユが打ち合っている。
ダルザの援護は期待できない。
アマーシャと俺で何とかする必要があった。
『聖霊様、「俺達」の間違いだ』
カルルがツッコミを入れる。確かにそうだ。
「かっかっ……解体……」
ベクトは口を尖らせると、呪印が口を中心に浮かぶ。光る何かが打ち出された。
カルルは右籠手の一振りで叩き落とす。
呪の光弾-「呪力飛翔体」-だ。
ピスモネットでミーユを援護していたのはこいつだろう。
予想通り、こちらが動いた隙を狙って打ち込んできた。
十手から伸びる光をかいくぐり、腹に膝蹴りを入れる。
浅い。
ベクトが横に飛び退く。
視界に入ったのは両手を開いて前に突き出したシャルナだった。浮かんでいる呪印は2つ。
ー同時詠唱か!―
おそらくシャルナからは連続、ないし同時に呪が放たれる。俺は先程から練り上げていた「素材硬化」を展開した。今できる精一杯の措置だ。
だが、防具の強度を上げたところで、おそらく耐えられない。
カルルからも焦りが伝わる。
一撃目の電撃がシャルナの右手から放たれる。続いて左手から大きな火球。電撃だけでなく、火炎系統も使いこなしているのは驚きだが、感心している余裕はない。電撃で動きが止まった後に消し炭になるのは目に見えていた。
そのとき、背中に誰かの手が当てられた。気配でアマーシャとわかる。目の前に呪の防壁が浮かんだ。
それはカルルの体から浮かんだように見えた。
第二の門の呪は、自己の身体が接触した物に効果を及ぼすことを基本とする。アマーシャは俺を守るため、カルルの身体を介して「障壁《》」をかけたのだ。
俺の眼前に展開された障壁は、電撃も火球も防ぎきった。
「助かった!」
背後の彼女に礼を言ってカルルは斬り込む。ベクトの立つ逆から飛び込めばシャルナに一太刀浴びせることができるだろう。
目の前にダルザの姿が割り込んできた。いや、正しくは「吹っ飛ばされて」きたのだ。一瞬最悪の想像が頭をよぎったが、ダルザはすぐに姿勢を立て直しながら膝を付いた。
「すまんの。兄ちゃん」
視線をフードの女から外さずこちらに声をかける。
大丈夫だと言いたいのだろう。ダルザが敗北してないのは幸いだが、ダメージを受けているのは明らかだ。
そして、ダルザもわかっているはずだが、彼がカルルの動線に割り込んだことで、攻撃の機会を逸したのは何より痛かった。
これこそがフードの女の狙いなのだろう。彼をカルルの前方に吹き飛ばすことで、こちらの攻撃を妨害し、シャルナを援護したのだ。
ダルザの中の仙田は、自衛隊仕込みの格闘術の名手だ。
騎士団の指南役になった程の技量の持ち主だ。現にフードの女も先日の闘いで腕と足を失っている。その男に膝を付かせるダメージを与えるとは……。
その答えは眼前にあった。
フードの女の両脇には腕がもう一対生えていた。
細いが男の腕だ。左腕の筋骨逞しい腕と対比すると異様さは一層際立っていた。ゆっくりと構える。
あたかも最初から四本の腕を持って生まれたかのような優雅な動きだった。この四本の腕から繰り出される連続攻撃がダルザが苦戦する原因だろう。
「こっちは任しときや」
ダルザは背を向けたまま言う。気を取られていた隙にベクトがアマーシャに向かっていた。無防備なアマーシャにベクトが襲いかかったら―。アマーシャの援護にまわるべきだろう。
だが―カルルは、「承知」と短くダルザに応じるや否やシャルナに向かった。
『おい!』
俺はカルルを咎めた。
-彼女は強い-
俺の言わんとすることを察してカルルが釘を指す。今カルルと言い争う訳にもいかない。俺は呪の準備に入った。
「いっいっ、痛ぁい!」
悲鳴がベクトのほうから聞こえる。声からするに、アマーシャの反撃を受けたのだろう。
どうやら正しかったのはカルルらしい。苦笑しながら、意識を前方のシャルナに集中する。
シャルナは次の呪の準備に入っていた。両手に呪印。完成する前に腕を落としてしまえばこちらの勝ちだ。
カルルは右籠手の刃は右フックの要領で顔面を狙う。一撃は呪印の完成前に届くはずだった。だが、目の前でシャルナの頭が下に向かって沈んでいくのが目に入る。
右籠手は先程まで頭のあった場所を通り抜けていく。
仰け反るのでもなければ、体を捻ってかわすのでもない。
シャルナは前後に開脚しながら上半身の位置を下方に移動させて頭部への一撃を回避したのだ。
シャルナの身体能力を侮っていたようだ。
だが、カルルは冷静に次の攻撃に移っていた。右籠手を振り下ろし、頭頂部を狙う。
シャルナは開脚姿勢のまま右手を掲げる。掌から広がった緑色の光がカルルの右籠手を受け止めた。押し込んでも手応えがまるで感じられない。物理的な力を加えても拡散してしまうようだ。
シャルナが右手に用意したのは、この盾のような防壁を発生させる呪なのだろう。そして、シャルナの左手の呪印も完成しつつあった。
『引け!』
俺が意識下で叫ぶ。カルルがジャンプするのと、シャルナの左手の呪印が発動するのは同時だった。
雷光が視界を埋めつくさんばかりに広がった。