歌声
ピスモネットの中央広場には、どこから来たのか黒山の人だかりが出来ていた。俺はダルザとアマーシャを残し、一座のテントに来たところだった。
襲撃の可能性を考えると、ツバキの護衛に二人を残したほうがいいと判断した。
入口に見覚えのある大男がいた。
「だ、旦那ぁ、いらしてくれたんで。姫から聞いてますでガス」
バドックは前回とはうってかわって大袈裟な歓待を示した。モリンズも迷惑顔で奥から出てくる。
「あんた達、話は聞いてるが……魔獣は持ち込まんでくれよ。そうでなくとも売上は芳しくないんだ」
モリンズの愚痴を聞き流して要件を告げる。
「ヴェルバはいるか?」
「おはよう。カルル……だっけ。もうツバキは来てるの?」
「ああ。悪いけど、街中なんで、檻の中に入ってもらった。あの辺りにいるよ。そちらの座長さんも心配そうだしな」
「ふうん……ま、しょうがないよね」
ヴェルバは納得したようだ。
「姫、一体何のことでガスか?魔獣って……危ねえこちは勘弁でガスよ。姫の父上に顔向けできねえでガス」
「もお、あんた、いちいちホンっとにうるさいね。いちいち死んだ父さん持ち出さないでくれる?」
バダックが不安そうに声を出す。
「あんたの歌が終わったらすぐに発つ。それと……俺も期待している。あんたの歌に」
「まっかしといて!」
ヴェルバは笑って手を振った。
―何か言いたげだな―
昨日からずっと、カルルの持つ疑念のようなものを感じ取っていた俺は、カルルに語りかけた。人を抜けてダルザとアマーシャの場所に戻るまで十分程度はあるだろう。
『随分と甘いな』
―そうか?いいじゃん。歌くらい―
『聖霊様はあの魔獣の中にいる仲間を聖霊の世界に戻したいのだろう?寄り道の時間はないはずだ。あの歌い手に同情することは何か役にたつのか?』
―たぶん役にたたない。それどころか危険が増す―
『それがわかって時間をむだにするとはな』
―心配か。ありがとな―
『自分は早く終わらせてミヤリのところに戻りたいだけだ』
超覚にピンと来た。
誰かはわからない。
だが殺気のようなものが近づいて来ている。
周囲の人だかりは、みなモリンズの一座を観に来た住人や旅人に見えた。武器を持った人間は見当たらない。呪印もない。
人混みの向こうで何かが光った。
何かの光が真っ直ぐ空に上がる。上空に上がったそれは、放物線を描き、落ちてきた。
俺の方に。
光は矢のようにも槍のようにも見える。
俺も初めて見るが、これは第三の門に到達した呪使いが最初に習得する呪の「呪力飛翔体」だ。
追尾機能を持つ光の矢はかわせない。
右籠手の刃を一閃、叩き落とす。一瞬のことで、周囲の人間には何が起こったか認識できないだろう。
『次が本命だ』
カルルに言われるまでもない。
初手の一撃は敢えてこちらに見えるよう放たれた。いわばフェイントだ。俺が右手を振った直後の隙こそが襲撃者の狙いだ。
果たしてそれは来た。
斜め左後方から突き出された何かを左籠手のソードストッパーで弾く。突き出された腕には刃が見えた。刃が濡れているように見えるのは、おそらく塗られた毒だろう。
弾きながら左手で右手を掴んで捻る。腕を捻って動きを封じるはずが、右手の主は意外な行動に出た。ジャンプし、捻られた方向に空中で前転する。旅人の羽織るようなマントが宙に舞った。
マントの陰から見える平凡な服装が華麗に着地する様子が違和感を際立たせていた。フードを被っているが、人影は女だ。
着地の瞬間を狙うことも考えていたが、隙がない。
『代わるか?』
カルルが聞いてくる。一瞬の間を置いて、女は踵をかえして走り出す。追いかけようとした目の前に光の矢が迫っていた。
辛うじて右籠手で撃ち落としたが、女は走り去っていた。
『潔い引き際だな。それにしても聖霊様、なかなかの身のこなしだ。感心した』
―結構鍛えられたからな―
身を伏せて超覚で周囲を探る。殺意のような反応は感じられない。カルルの称賛の言葉は嬉しかったが、正直それどころではない。早急にアマーシャ達に伝えたほうがいいだろう。
調律らしい楽器の音が聞こえてきた。本番前に楽器の音程を調整するのはBiSiPでも同じようだ。
もうすぐライヴが始まるらしい。
木製のステージの上にヴェルバが現れた。先程楽屋裏で話した時とは別人のように見える。ステージ用の衣装のせいだけでない。彼女の持つ歌い手としての資質や才能の現れだろう。
彼女は聴衆を見回すと大きく息を吸った。
「ピスモネットのみんなあ!」
小柄な体に似合わない音量の声が響く。
「ほんっとに!」
両の腕を胸元で寄せて全力で叫ぶ。
「来てくれて、ありがとおお!」
群衆は歓声で応じた。
「じゃあ、最初の曲です、『風の草原』!」
後ろの奏者が打楽器と弦楽器らしきものを演奏する。彼女自信も足でリズムを取りながらギターのような弦楽器をかき鳴らし始めた。最初の曲はミドルテンポから始まり、サビの前から徐々にテンポがあがっていった。サビでアップテンポになると彼女の歌いかたも観客を煽るように変わっていく。
観客も呼応するように動きが大きくなった。
彼女の名前を叫ぶ者、踊り出す者。どうやらヴェルバは、短い滞在期間でファンを掴んだようだ。
『大したものだ』
カルルは珍しく感心していた。
―ああ、驚いた。歌も曲もレベルが高い―
「結構ええ感じやん」
ダルザまで興味を引かれたようだった。
「油断しないでよ。カルルを襲った奴がいつ来るかわからないからね」
そういうアマーシャも足でリズムをとっている。
戻った俺は襲撃のことを伝えていた。複数の襲撃者、そして遠距離から俺を狙った第三の門に属する呪使い。意図は明らかでないが、警戒はしておくにないだろう。
俺独りになったところを狙ったことは明らかだったが、引き際の良さも気になる。
ヴェルバのライブは中盤に入っていた。深みのある中音域と張りのある高音域がバラードのサビを盛り上げる。朗々と歌い上げる曲に皆が聞き入っていた。
バラードの余韻が観客を覆うなか、ヴェルバが話し出した。
「今の曲は大切な友達に向けて歌いました」
ツバキはステージの上のヴェルバをただ見ていた。その姿と歌を心に焼き付けようとしてるのかもしれない。
陶然としたその姿が張りつめたように硬直する。
「グガ!」
こちらを向いた口から異形の唸り声が出る。ステージの上の音楽と歓声がなければ観客に気づかれていたかもしれない。
ツバキには一切声を出さないよう注意してあった。
呟き一つ、溜息一つが魔獣の咆哮に聞こえることを自覚しないとヴェルバに迷惑をかけることになる、と言ったら素直に聞いたようだ。そのツバキが声を出すほどの事態―。
「おい、声だしたらあかんって言うたやろ」
注意したダルザもツバキの視線の先を見て硬直する。
事情を察したようだ。
遠くに呪印。ステージに近い。
フードを被った人影が見える。狙いはヴェルバだ。
俺達を分断する罠とわかっていても行かざるを得ない。
だが、この距離と観客……間に合うのか?
一番身体能力の高いダルザが飛び出した。
ヴェルバは気付いたようだ。
だが、歌に乱れはない。それどころか、視線はフードの人影をしっかりと見据えていた。大した度胸だ。
ダルザは数秒の間に大きく距離を詰めていた。
だが、あと一歩間に合わない。
ヴェルバを狙われたら阻止できない。
俺がそう思ったとき、フードの人影の前に立ち塞がる人影があった。
ステージ裏から現れたその人影は、毛深く、太い腕を左右に張り出した。
一座の用心棒のバダックだ。見た目は用心棒としては合格だが、ダルザにあっさり捻られたところから見て凄腕ではない。
「ダメでガス。やらせねえでガス」
強い意思の込められた宣言だった。
声と裏腹に顔は恐怖で泣き出しそうだ。彼も相手が格上であることは理解しているのだろう。
「姫の歌は邪魔させないでガス。さ、こっちへ来るガス」
バダックは、フードの人影をステージ前からどかそうと、恐怖を堪えて手を伸ばす。
「オマエハ……余興ダ」
低い、女の声。
掌はバダックの腹に当てられていた。
呪印が浮かぶ。
バダックの体が一瞬大きく膨れたように見えた後、爆散した。
後には冗談のように肉片一つ残っていない。
彼の付けていた服の焼け焦げた切れ端が、確実に持ち主の死を告げていた。
呪の中でも「第二の門」に属する「接触爆破」と言われるものだ。触れたものを可燃物に変成し、着火により爆破する。人間相手なら数秒間の直接接触で発動完了する。
ステージ脇で起こった惨劇は観客には見えない位置だ。
歌ってるヴェルバには、はっきりとバダックの死に様が見えていたはずだ。ステージ上で歌う声が一瞬途切れる。
だが、彼女は想像を超えて気丈だった。
すぐに観客の方を向いて歌を再開する。観客が異変に気づいた様子はない。
ダルザのスピードが上がる。どうやら彼が自らにかけた呪の「筋力強化」が発動したらしい。
フードの女は急にスピードの上がったダルザに対処できなかった。次の呪を発動しようとした女の左手は、ダルザの一閃で宙に舞った。余波でフードが捲れ、素顔が晒される。
女の右の蹴り。
呪印が浮かぶ。おそらく、さっきと同じ「接触爆破」がかかっている。
不用意に腕で受ければ、接触時間が短くても腕を吹き飛ばされて失うだろう。
だが、ダルザは一枚上手だった。
左手の短剣を女の足に突き立てたのだ。
蹴りが止まり、女の顔が苦痛で歪む。
だが、それだけではない。ダルザは俺の予想以上に抜かりなく、冷酷だった。彼も左手で「接触爆破」を発動させたのだ。
突き立てた短剣に。
呪印と共に、肉に潜りこんだ短剣の刃が砕け、ふくらはぎは内部から弾けた。
「アアアア!」
初めて聞く女の声は苦痛の叫びだった。たまらず膝をついてうずくまる。右足自体がちぎれかかっていた。
「ひさびさやな、自分」
ようやくダルザが口を開く。俺はようやく気付いた。
この女はダルザが以前言っていた呪使いの暗殺者だ。そして先刻俺に襲撃を仕掛けた者達の一人だった。
ヴェルバの歌は止まなかった。
彼女はフードの女に狙われたことも、バダックが盾となって散ったことも、ダルザとフードの女の立ち回りも見ていたはずだ。
強靭な精神力とプロ根性のなせる業だろう。
普通ならおびえて声も出なくなるか、恐怖に取り乱すか、親しい人間の無残な死を眼前にして泣き崩れるかのどれかのはずだ。
だが、彼女は怯えず、取り乱さず、歌い続ける。
それが、この理不尽な悲劇に対する彼女の反撃なのだろう。
そして、それはバダックが何のために体を張ったか理解したからに他ならない。彼は彼女の命をを守ったのではなく、彼女のステージを、公演を守ったのだ。
ヴェルバは、その思いを汲み、歌い手として応えたのだ。
『大した女だな』
カルルが言った。ヴェルバのことだ。
―ああ、そして大した歌手だ―
俺も感嘆して返事を返す。
響き続ける彼女の歌声の中には哀切と怒り、そして決意が込められていた。
「あたしは負けたりしない、あんた達にあたしのステージを邪魔させやしない、あたしは歌い続ける」
彼女が歌詞で口にした訳でもないが、彼女の歌がそう言っているように思えた。
「グ……」
ツバキが呻きを漏らした。
こちらを向いた顔は悲しそうだ。ツバキもバダックの死を悼んでいるのだろう。俺は走り出して戦闘に参加したい気持ちを抑える。
『聖霊様。わかってると思うが……』
―ああ、こいつは陽動だろ。襲撃者はあと一人いるはずだ―
だからこそ、姿なき襲撃者に備えるため、今はツバキの元を離れられない。アマーシャは複数の呪を用意し、俺は超覚で周囲を探る。しばらくこれを維持せねばいけない。
ダルザは構えをとったまま近づいた。
「どないしたんや。決着つけるん違うんかい」
青い顔をしたフードの女は短く言った。
「ツギハ……殺ス」
再び呪印が周囲に浮かぶ。
「言うてろや、ボケ!」
ダルザは構えから攻撃に入る。足を負傷し動けない相手に対し、一分の容赦も油断もない攻撃だ。
何かが遠くで光った。
女の首を狙ったダルザの一刀は途中で軌道を変えて横に振られた。打ち込まれた光の矢を叩き落す。
俺が昼間に襲撃にあったときの呪「ミサイル」だ。やはりもう一人は潜んでいた。
言うまでもなく、隠れていた別の襲撃者による援護射撃だ。
そしてそれは、フードの女に脱出の隙を与えたようだった。
彼女の背中にあった小型のバックパックから、羽のように布地が展開される。同時に布地に浮かんだ呪印が光り出すと、彼女の身体は浮かび上がった。
狂鬼と最初に対峙した時と同じ、呪具に込められた呪の解放だ。緊急脱出用に仕込んでいたのだろう。
ダルザはもう一本の短剣を手に跳躍姿勢に入る。
その動きを止めたのは、飛来した数本の光の矢だった。
数本の矢は異なる軌道でダルザに襲い来る。先程俺を襲った呪使いが牽制のために放ったのだろう。
ダルザは腰を落として目にも止まらぬ早さで短剣を振り続けた。光の矢は全て叩き落される。
しかしその間にフードの女はぐんぐんと空に向かって上昇していった。
追撃不可能な高度まで上がったあたりで「呪力飛翔体」による援護射撃は止んだ。
ダルザが拳を握りしめて呻いた。もう一人の呪使いの気配も消えている。
ヴェルバの演目は次の曲になっていた。楽団に彼女が何かいう。楽団の人間が慌てて楽器を持ち替えるところを見ると、演目を変更したのかもしれない。
「次の曲は……今まであたしを支えてくれた、今はもういない人のための歌です。生きている間にはいろいろあって、自分の身近な人が突然亡くなる場面に出くわすこともあります」
観客は静まりかえっていた。
「そんな……そんなときに、悲しいから泣くんだけど、泣いてるだけだとその人に申し訳ないから、だから……だから……あたしは大丈夫だよって、天国にいるその人に歌ってあげたいんです」
「聞いてください。『そこに、あなたが』」
歌はバラードだった。
哀切をこめ、時に低く、時に透き通るような伸びやかさで歌い上げる。
マイナーコードの悲しい曲調だが、そこには悲しみを超えて次に進む決意と、故人への感謝の気持ちが込められているようだった。
俺たちとヴェルバだけが、誰に向けられた歌かを知っていた。
仮想世界であるこのBiSiPに天国があるのかどうかわからない。だが、俺は不思議とヴェルバの言葉を笑うことができなかった。バダックには彼女の声は届いているのだろうか。
バラードの余韻が静かに消え行くころ、楽団のリズム担当が打楽器と低い弦楽器を奏で始めた。現実世界でいうところのドラムとベースギターを思わせる。
「それじゃ、最後の曲、いきまーす!」
一転、明るく盛り上げる曲調に合わせて、ヴェルバが観客に呼び掛ける。
「一座のみんな、聴いてくれてるみんな、そしてあたしを守ってくれた人、守ってくれてる人、全てのみんなに届けたい。……そして、何より、今日旅立つ私の大事な友達に届けたい」
「グルル……」
ツバキの圧し殺した呻きは、観客の声援にかき消された。
ヴェルバが観客席を見渡して叫ぶ。
「しばらく会えなくなるけど、あたしは大丈夫なんで、心配しないでね!また会える日まで、あたしは、歌い続けまーす!」
ツバキの魔獣の両眼が見開かれると、表面に分泌物が沸きだした。それは二筋の雫となって頬にあたる部分を滑り落ちる。
観客にだけでなく、自分に向けられたメッセージに、ツバキも感情を押さえられないのだろう。
「気持ちはわかるけど、声を出すんじゃないよ。大事な友達の晴れ舞台だろ」
アマーシャが珍しく優しい口調で諭した。ツバキは声を出さずに頷く。ステージでは、曲はイントロに入っていた。
「そーれ、『空の果てまで』!」
軽快な曲調。慣れた調子で客を煽るヴェルバ。
陶酔した様子で楽器を鳴らす楽団の人間達。熱狂する観客。
観客は100人ほどだが、現実世界の音楽フェスやライブハウスに負けない、いやそれを上回る一体感と高揚感に溢れていた。
音楽にのせて、歌声はピスモネットの中に染み渡っていくようだった。ツバキを見ると、じっと聴き入っている。
「すごい歌い手だな。あんたの相棒は」
魔獣の頭部がこちらを向いて動いた。頷いたようだ。
表情は読み取れないが、心なしか誇らしげに見えた。