化身
頭上に響く鐘の音の下を俺達は駆けて行った。
三人とも「反応向上」と「筋力強化」を発動している。強化された反射神経で強化された脚力を使うと、別次元の動きが可能になる。
数倍の速度で駆けながら進路上の通行人を避けて駆け抜け、頭上を軽々と飛び越え、道沿いの商店のドアが開いてぶつかりそうになってもサイドステップでかわす。
集落の人間がぽかんと口を開けて見ている。
見張り台の兵士が何か指差して叫んでいた。
その方向に人が群がっている。周囲の様子から見当をつけて騒ぎの場所に着く。走り出してから、ここまで1分というところか。
予想通り衛兵が危険生物と戦っていた。
バリガンと呼ばれる人間大のナメクジのような生物だ。毒々しい体色や粘液で光る外観は生理的嫌悪感を与えずにはいられないが、戦闘能力が特に高いわけではない。
現れた危険生物に衛兵が対処する。
辺境の村や集落ではよく見られる光景だ。
時々吐く毒液に気をつけてさえいれば普通の練度と装備の兵士が一人で仕留められるはずだ。
三匹のバリガンに二人の衛兵が奮闘していた。
野次馬は遠巻きに見ている。即荷物を纏めて逃げ出すような危険生物ではないことがわかっているらしい。とはいえ衛兵に加勢する者もいなかった。
一人の衛兵が槍で一匹のバリガンをようやく突き伏せた。
目から光が消えていくところを見ると急所に当たったようだ。
衛兵の表情に安堵が浮かぶのが見えた。
と、もう一匹のバリガンが後頭部を大きく膨らませた。
毒液を吐き出す予備動作だ。方向は今しがた槍で一匹を仕留めた衛兵だ。もう一人の衛兵は、目の前の別の一匹に精一杯で反応できていない。
メリッ、と音がしてバリガンの口が開く。
体が先に反応していた。
ようやく狙われていると気づいた衛兵の顔に焦りと恐怖が浮かんだ瞬間、俺は駆け抜け様に右籠手の刃でバリガンの頭を切り飛ばしていた。
毒液はあらぬ方向に発射され、命中した地面を変色させた。黒い煙が上がる。
目の前で起こった理解を越える事態に、助けられた衛兵の顔は安堵よりも驚愕に染まっていた。
「あり……がとう……助かった……」
ようやく礼の言葉を絞り出すと、その場に膝をつく。
残る一匹を見ると、ちょうど現れた応援の衛兵達に取り囲まれたところだった。四方から切りつけられて、たちまち地に倒れ伏す。どうやら片付いたようだ。
野次馬の群衆から歓声が上がった。
「あんたの技、凄いな。狩人って皆そうなのかい?」
助けられた衛兵がこちらに来て握手を求めた。
「助かったよ。礼を言う」
「カルルでいい」
握手を交わす。
名乗るときにカルルの名前を使うのはどうも慣れない。
『あまり軽々しく名乗ってくれるな、聖霊様』
意識下でカルルは不満そうにもらす。
「兄ちゃん、ええ動きやったで」
ダルザが横に来て声をかけた。
「前衛はダルザとあんたに任せて良さそうだね」
アマーシャも頷く。この二人が手を出さなかったのは俺の力量を測るために違いなかった。
「グオオオオオ!」
咆哮が響いた。
衛兵も野次馬の群衆も一瞬凍りついたように固まる。その咆哮は、バリガンとは次元の違う危険生物が襲来したことを雄弁に物語っていた。声のするほうに視線が集まる。
そこには、今しがたの咆哮の主であるに相応しい異形の獣がいた。肩までの高さは3メートル弱、青黒い体は鱗に覆われ、肩や胸、発達した上腕はトゲのような突起物だらけの甲殻に覆われていた。前に突きだした頭は殆どが嘴のような大顎に見える。刃物のような歯がびっしりと並んだ様は鮫に似ていた。
そいつが前に進むと地面に垂れた尻尾が見える。どうみても危険以外の文字が浮かばない外観だ。
―カルル、代わってくれ―
本気でかかるべき相手であることはすぐにわかった。
その一方で、危険生物ではあるはずだが、何か説明できない違和感がある。
カルルが表に出ると同時に、俺は呪の準備に入る。「防御上昇」、「素材硬化」、そして「効果延長」。
ダルザとアマーシャも同じく強化系統の呪の準備に入る。だが、共存型ではない彼らは一旦行動を停止すて呪に集中する必要がある。
カルルと俺が先行しないといけない状況だった。
俺の思考はカルルに伝わった。
カルルは円舞闘法の構えをとりながら距離を詰める。
相手の急所を探っているようだった。
―とりあえず、腹かな―
異形の魔獣は攻撃してくる気配がない。
走り出したカルルの体に次々に呪印が浮かび上がる。
魔獣の元に着くまでに発動が一通り完了していた。
―よし!―
思わず声が漏れる。
呪の発動にかかる時間はだいぶ早くなった。実戦経験の成果だろう。
「フッ!」
カルルは息を吐き、右籠手を振った。
魔獣は手でガードしようとする。
カルルの刃が魔獣の右手の甲殻とぶつかり、突起物が数本切り飛ばされた。狙いは逸れたが胸から腹を切りつける。
「ボオオオ!」
苦しそうな咆哮が響く。
いつの間にか、すぐそばにダルザとアマーシャが追い付いていた。ダルザが短剣を振るい、アマーシャがどこから出したのか柄の部分で繋がった双剣を構えていた。
ダルザが切りつける動作を見せる。一瞬怯む動作を見せる魔獣に死角から一撃を入れたのはアマーシャだった。
「バアアア……」
背中から切られて魔獣が声を上げる。
俺達三人は数歩下がって武器を構えた。
異様な風体の魔獣だが、積極的な攻撃性はない。
尻尾の一撃を警戒して慎重に攻撃したが、予想に反して反撃もなかった。そもそも動作がぎこちない。
何かがおかしい。
その時、魔獣の回りに、見慣れたもの、そしてありえないものが浮かんだ。
呪印だ。
サインの形からして第一の門だ。浮かんだ場所からして身体強化系の「防御上昇」か。
呪を使う危険生物、そんなものは聞いたことがない。
だが、依然として攻撃してくる気配はない。
ダルザはいち早く反応していた。表情からして次の一撃を入れる気だろう。
―カルル!―
カルルは俺の言葉より早く動いていた。
ダルザの進路に割って入る。その右手に握られた短剣は、カルルの左籠手のソードストッパーで止められていた。
「アホが!!何すんねん!」
俺は急いで表に出た。
「ちょっとだけ!待ってもらえますか?」
右手を魔獣に向けて牽制しつつ、魔獣に向かって呼び掛ける。
「言葉がわかるなら、地面に書くんだ」
魔獣の頭が動く。頷いたように見えた。
左手の爪で、地面を削るように動かしていく。
俺達三人の見守る中、ゆっくりと何かを書きはじめた。
慣れてないのか、何度か失敗したあと大きめの文字を四つ残した。文字を覚えたての子供のような文字は日本語、それも片仮名に見える。
「タ・ス・ケ・テ」
確かにそれはそう見えた。
「何やて!?」
ダルザに続いて、アマーシャが気づいたように問いただす。
「あんた、名前は?」
魔獣は、こちらを見ながらゆっくり文字を紡いだ。
「何て……こと」
「何やねん、これって」
俺は声も出ない。ダルザの剣を止めた時の予感が的中していた。確かにそれはこう読めた。
「ツバキ」と。
――――――――――――――――――――
魔獣は負傷し、捕獲された。
そういうことにしておくのが無難だろう。
俺達三人は、魔獣をロープで縛り上げ、集落の外のキャンプに置いておくことにした。ロープは形だけで、魔獣こと水谷ツバキがその気になれば容易く切断できる。
衛兵の目をごまかすために、呪の付された特殊なロープという触れ込みにしてあった。
住人の不安を考えると、ピスモネットの中に置いてはおけないだろう。
俺は時間をかけてツバキと筆談によるコミュニケーションを試みたが、彼女は自分がヴェルバの中からいかにして魔獣の体に移されたか全く覚えていないようだった。
気がついたら魔獣の体にいたらしい。
自分の体が異形の者に成り果てたことがわかり、しばらくどうしたらいいか分からずに森の中をうろうろしていたようだ。人里恋しい気持ちを押さえられずにピスモネットに現れたところ、昼間の騒動になったようだ。
普段集落の近くまで現れないバリガンが現れたのも、今のツバキの存在が影響したのかもしれない。明らかに凶暴そうなツバキの外観に恐怖したバリガンが、縄張りを移そうとしたと考えていた。
「どや? 何かわかったか?」
ダルザがキャンプに来て声をかけた。
しばらく外の見回りをするはずだったが飽きたのだろう。
「いや、特に新しい情報はないです。それよか、いいんですか、見回りサボって。まだ今回のことに誰が関与してるかもわかんないんですよ。襲ってくるかもしれないわけだし」
「アホ。当然こっちのこと見張っとるに決まってるやろ。襲って来うへんのは理由があるんよ」
関西人の使う「アホ」は東京の「バカ」にあたる。時には親しい相手に日常的に使われる。
そうわかっていてもいい気持ちはしない。
そして、ダルザこと仙田の言うこともわかっていた。さっき三人で話したところだ。
ツバキがヴェルバの体から「取り出される」行為、これは間違いなく偶然ではなく、人為的なものだ。
BiSiPという仮想世界内部での転生とも言える所業。呪の秘奥とアルゴリズムの深遠を知らなければできない行為だろう。
目的も手段もわからないが、狂鬼のときのように、これを仕掛けた者がいる。フードを被った呪使いのシャルナの顔が浮かぶ。ダルザの出会った呪使いも同類と見ていいかもしれない。
監理局は、一連の事件は彼らの手による可能性を疑っていた。
その点は俺達も同意見だ。俺達は彼らの目的がわからない以上、彼らがツバキを奪還しに来る可能性を想定していた。
それがピスモネットの外でキャンプを張るもう1つの理由だ。
彼らがツバキを奪い返しに来れば戦いは避けられない。
集落の中での呪使い同士の戦闘は、ピスモネットに深刻な被害をもたらすだろう。モウラの街のように。
監理局はシミュレーション環境であるBiSiPが不確定事象で乱されることを極度に嫌う傾向がある。モウラの街での騒動を見た沖津は今回俺達三人に街中での戦いを避けるよう強くリクエストしていた。
給料に直結する話らしいと聞いて仙田も杉崎も顔色を変えていた。
テントに近づく足音を2つ捉えた。
アマーシャこと杉崎のものだ。もう1つはアマーシャより小さい歩幅……ヴェルバとみていいだろう。
ダルザの表情にも緊張が走ったが、すぐに和らぐ。
「どう?何かあった?」
「いや。大丈夫です。そもそも何かあったらこうしてないでしょ」
「ま、それもそうね。一応聞いてみた。あと、ヴェルバ連れて来たよ」
アマーシャの後から顔を出したのは、果たしてヴェルバだった。不安そうな表情をしている。
「ツバキがどこにいるって?」
余程心配なのか、挨拶もそこそこに居場所をきかれた。
ツバキとの関係はかなり良いのかもしれない。しかし、今のツバキの状況をどう説明したものか。
「ああ……ちょっと待ってね」
アマーシャはまだ全部説明していないようだ。
「さっき、ツバキは別の体に入ってるって……言ったよね」
ゆっくり言い聞かせる。
「聞いたよ。だからどこにいるのさ」
ヴェルバは焦れているようだ。
「落ち着いて聞いてね。ツバキの今の体は……」
「ゴアアアア!」
咆哮が響く。
まずい。
ヴェルバの声を聞いたツバキが反応したのかもしれない。
「……何? 何なの?」
顔が青ざめている。
「あちゃー。聞こえちゃったかな。」
アマーシャが自分の額を叩く。
「どういうこと?」
「あれがツバキや」
ダルザの言葉は直接的過ぎたようだ。
ヴェルバが凍りついたように固まった。
「え…。」
ここまで来たら仕方ない。俺はテントの反対側を開けて縛られている魔獣を見せた。
「声出すな。気持ちはわかるが、あんたの声は人間には怪獣の叫びにしか聞こえない」
魔獣がビクリとした。うなだれたように見える。
左手の爪で地面に文字を書く。
「『ヴェルバ、しばらくだね。』って言ってる。」
ヴェルバは目を丸くした。
だが、彼女は一瞬置いて当然の質問を投げた。
「あんたたち、何か企んでる?あたしを担いで得するの?」
「しゃあないな。何か、あんたとツバキにしかわからへんような質問してみいや」
ダルザが提案した。
「それなら…あんたが、最初にあたしに入ってきた時、あたしがいた場所は?答えられるよね?」
ツバキは考えてから爪でゆっくりと文字を書きはじめる。
それを見たアマーシャが吹き出す。
ダルザも笑い出した。
「マジにウケるわ。才能あるで、姐さん」
俺も苦笑いが浮かんでしまう。
ヴェルバが顔を少し赤くしながら促した。
「何で笑うの!早く言いなよ。」
この分だと結果を予想してるのかもしれない。
カルルも焦れったくなったのか、尋ねてきた。
ー聖霊様、何て書いてあるんだ?ー
『ああ、なかなか笑えるぜ。なんと…』
「ああ、ごめんごめん。ツバキはトイレが出会った場所って言ってるよ」
アマーシャが半笑いで言った。
ヴェルバの目がさっきよりも大きく見開かれる。
ツバキこと魔獣の顔や体を初めて見るかのように視線を走らせた。
「な、な……。なんで?あんた、なんでそんな体になっちゃってるのよ?」
一呼吸置いて出た言葉は今までと違っていた。
どうやら信じたようだが、ある意味当然とも取れる質問が溢れ出る。
「だいたい、何でそんな怪物に入ってるのよ。出てこれないの?」
ツバキはまた文字を書く。今度もアマーシャが翻訳した。
「ツバキは『ごめん、わからない。』って言ってる……」
ヴェルバは大きく肩を上下させていた。急に大声を出して疲れたのかと思ったが違うらしい。声に涙が混じる。
「何でなのよお…。そんな、そんなんじゃ…一緒に歌えないじゃないよお」
そのままへたりこんで泣き出してしまった。
ツバキも肩が震えだす。
涙は出ないが泣いてるのかもしれない。
「うおっほん❗」
芝居がかった咳払いが響く。
「自分ら、何か忘れてへん?」
ダルザがドヤ顔で勿体をつけて言った。
「ツバキちゃんを探してる、言うたやろ。別の体に入ってるのも想定内や。怪獣の中入ってんのは想定外やったけどな」
「どうにかできるってこと?一体どうやって?」
ヴェルバの質問には少し希望の色が混じっていた。
「詳しくは明かせへんけど、いったんツバキちゃんを元いたとこに戻さなあかん。お前らのいう『天使の世界』や。そのためにはある場所に彼女を連れていかんとな」
「よくわかんないけど、ツバキを元の世界に戻したとして、あたしのところにまた戻って来れるの?また歌ったりできるの?」
彼女の質問は知識の裏付けはないが、ポイントを突いていた。
水谷ツバキは帰還後メディカルチェックを受けることが必要だろう。未成年ということもあって、再度ダイブの許可を出すには監理局は慎重になるはずだ。
正直戻って来られる保証はない。
「正直わからない。今回怪物の体に入ったことで、ツバキはダメージ受けてるかもしれないし。まず治療が必要なんだ。こっちに戻って来られるかはそれ次第さ」
アマーシャの説明はダイバーのルールに触れないギリギリの範囲だ。だが、聡明なヴェルバには伝わったようだった。
「……わかったよ。まずはツバキの安全だよね。多分あんた達は彼女を連れて帰る方法知ってるみたいだし……じゃあ、途中まで送って行くよ」
ここで俺は口を挟んだ。
「悪いけど、かなりの確率で戦いが起こる。こちらも三人しかいない。戦えない人間は連れていけないんだ」
ヴェルバはツバキの側に寄り添った。
ツバキの異形の体をそっと撫でる。
「そっか。……やっと会えたんだけどな。任せるしかないのかな。」
「悪いけど、村…カルルの言う通りだよ。堪えてくれないかい?」
しばしの沈黙が流れた。ヴェルバは今度も納得したようだ。
「……わかったよ。いつ出発だい?」
「明日の朝さ」
ヴェルバは深いため息をついた。ややあってツバキを真剣に見た。
「一つ、聞いときたいんだけどさ」
ツバキも異形の顔を彼女に向ける。
「あんた、あの受け取ってた手紙……あれ、もしかして、あたしのことで脅されてたんじゃないの?」
「どういうことだ?」
俺の質問に答えずヴェルバは続けた。
「手紙を出したヤツは何かあんたにやりたくないことをやらせようとしてた。だけどあんたは断った。それでその何かをさせるためにあたしをどうするとか脅してきた。そうだよね?」
「グルルルル……」
ツバキが低く唸った。
それは肯定に聞こえた。
「あんたはもしかして、そのせいでそんな体になっちゃったんじゃない?だとしたら……あたし……」
皆が一瞬沈黙した。
「勘のいい娘だねえ」
アマーシャが苦笑いする。ダルザも同じ表情だ。
可能性の一つとして考えてないわけではなかったが、この短時間で気づくヴェルバの勘のよさは尋常ではない。
「それでも、あんたがツバキの助けになれることはない」
アマーシャがゆっくり、そしてはっきりと言った。
「いや、あるよ」
ヴェルバがまっすぐアマーシャを、ダルザを、そして俺を見た。
「歌だ」
そう来たか。
「あたしには歌しかない。ツバキも気にいってくれていたし、彼女にもう一度聴かせたい」
「歌っていっても、どうすんね、自分?」
「……明日は昼にこのピスモネットで最後の公演がある。ツバキとあんた達に見せたい」
運よく現実世界に帰れたとしても、水谷ツバキがダイバーを続けられるかわからない。続けられたとしても次のダイブには時間を置かねばいけないだろう。それは1ヶ月ではすまないはずだ。
俺達三人は顔を見合せた。俺とダルザに異議がないことは目で分かるだろう。アマーシャが言った。
「いいよ。あんたの歌が終わったら直ぐに発つけどね」
「わかった!最っ高のやつ、歌うからね」
ヴェルバが弾けたような笑顔になる。
「じゃあ、今夜は帰って寝ようかな」
立ってテントの出口に向かいかけた彼女は、ツバキのほうを振り返った。
「じゃあ、明日、楽しみにね」
少し、涙が声に混じっていた。