迅雷
カルルは驚異的な反応速度とスピードで飛び下がった。
それが瞬間的にできる唯一の回避行動だった。
さっきまで立っていた辺りが青白い光に包まれる。
やはり電撃だ。
こいつは狂鬼より強い。直感がそう告げる。
そいつは向かいの建物の壁まで到着していた。
なぜサーフボードのようなもので壁の上を滑れるのか。
いや、そもそもなぜ壁に垂直に立っていられるのか。
そして、今の電撃はいかなる攻撃か。
全ては呪の一点に集約される。
あらゆる意味で想像を越えた相手だった。
呪の「第二の門」は触れた対象物の物理法則に干渉するものが中心だが、そのなかでも最上位の「電撃放流」だった。
壁に垂直に立てる理由は今の俺の知識では追いつかない。
何らかの重力制御か、もしくはサーフボードのように見える物体が呪具であることくらいしか見当がつかなかった。
狂鬼を見る。血溜まりの中で両膝をついて項垂れている。半死半生、いや、出血量からして長くは持たないだろう。
万が一、この新手の呪使いに回復の呪でも使われたらと思うとぞっとする。
そんな隙を与えてはいけない。
だが、そいつの急襲に気付いたのはカルルだけではない。
ジラは既に矢を放っていた。
予期せぬ軌道を描いて迫る矢は、さらに予期せぬ動きを見せた人影に一歩及ばなかった。
フードの人影は足を軽く板に当てると、自分が立っているボードごと壁を跳躍したのだ。
空を舞うように飛翔しながら右手を向ける。
突き出した掌底から放たれる電撃がジラを襲った。
ジラの体が光に包まれる。
気丈にも彼女は、肌が焼かれ、眼球が破裂するその瞬間まで左手の弓を向け続けた。
最後の一矢を放つと崩れ落ちる。
黒焦げになった頭は三つの眼窩と鼻と口のあった場所から煙を上げていた。炭化した無惨な顔には、どこか元の野性的な美貌の面影を宿していた。
ジラの最後の一矢は螺旋状の軌道を描き、呪使いの頭部を襲った。かわしきれずフードに命中する。フードが外れ、そいつの顔が現れた。まだ少年のあどけなさを残す幼い顔。
第三の目がある額はアイパッチのような飾りで覆われていた。ダイバーなのであれば見た目と中身が異なることは珍しくない。
俺はこいつもダイバーだと見当を付けていた。
「おのれ!」
「ジラ!」
同時に声を上げたアマラとジクリアに黒い塊がさらに二つ襲いかかった。殺人甲虫がさらに三匹。
フードの人影はさらに伏兵を忍ばせていたらしい。二匹がアマラとジクリアに向かい、残る一匹がこちらに突進する。
―カルル、囮だ!―
殺人甲虫に向かいかけて気付いたカルルは踵を返す。フードを被った呪使いは?
生じた疑問の答えはすぐに明らかになった。
そいつは殺人甲虫の背後から不意に現れた。
ボードに乗ったままでこちらに向けて開いた掌。呪印が浮かぶ。
-こいつ、殺人甲虫の陰に隠れて!-
カルルは、間一髪でそいつの右手から放たれた「電撃放流」をかわした。
呪の発動時間が驚異的に短い。
悔しいが、レベルが違いすぎる。
さらに、状況からして盗賊に殺人甲虫を与えたのもこいつだろう。危険生物を呪でコントロールする術を盗賊達が知っているとは思えなかった。
こいつが「本命」なのは間違いない。
電撃を回避したカルルは、反転し、踏み込んで右籠手で一撃を入れる。そいつはボードに乗ったまま上体を傾けてかわす。
続けて左籠手を左フックの要領で叩き込む。腕を交差してガードしたが体制が崩れた。
すかさず右でもう一撃。カルル相手に接近戦に持ち込んだのは誤算だったことを思い知らせてやる。
だが、予想に反してそいつは、足についたボードを足ごと前に振りかざしてカルルの右籠手の一撃を受け止めた。そのままそいつはカルルの右籠手の上でボードごとバウンドする。
ボードを自在に使いこなす技術は大したものだ。
電撃が再び襲う。今度は以前より余裕を持って回避できる。そして回避のために踏み込んだ一歩は次の攻撃の軸足に-。
黒い塊が飛び込んで来たのはその時だった。
俺はこの数秒の間に殺人甲虫の存在を認識できていなかったことに気付く。
殺人甲虫の大顎をかわしながら、その腕が抱えているものを見たときに、より大きなミスに気付いた。
『抜かった!』
-しまった!-
俺とカルルの言葉は同時だった。
大顎が抱えていたのは狂鬼だった。フードの呪使いは殺人甲虫を囮にカルルに挑んで来たのではなかった。
自らを囮にして目標である狂鬼を回収させたのだ。
大きな羽音を立てて殺人甲虫が舞い上がる。ボードに乗ったフードの少年も並んで浮き上がった。追いすがるカルルに向けて再度電撃が放たれる。
牽制の一撃ではあるが、避けないわけにはいかなかった。稼いだ時間を使って更に高度が上がる。
アマラが二匹目の殺人甲虫を倒し、ジクリアもホランの援護で目の前の殺人甲虫を片付けていた。
気付いたアマラが刃鞭を放つ。
ホランも短槍を投擲した。
両方とも空しく空を切る。
二つの影は上昇し、遠ざかりながら門の方向に移動する。
「追うぞ。馬だ」
アマラが宿の厩舎に向かうのが見える。
どうやら馬を無断で拝借するつもりらしい。
ジクリアとホランも続いた。
―カルル、走るぞ!―
『聖霊様、素足でか?』
―呪で足の力は上がってる。いいからやってみ―
そのとき、「効果延長」が発動した。
カルルにかけていた「反応向上」や「筋力強化」の効果時間が延長される。
カルルは走り出した。
『成る程な』
すぐに俺の言う通りだとわかったようだ。足が猛烈な速さで動く。周囲の景色が乗り物に乗ったように早く流れて行く。
風のように体が軽い。それがカルルの感じた感覚だ。
正直、俺も少し驚いていた。
しばらくして馬に乗ったアマラ達が走りながら並んだ。ミュウもちゃっかり同じ馬に乗っている。ジクリアとホランも宿の厩舎で拝借した馬で後ろに並んだ。
「それも聖霊の加護か、カルル」
アマラが感嘆したように言う。
横でジクリアがこちらを睨むのがわかった。
ホランは心配そうな視線をジクリアに送る。
ジクリアのわだかまりはまだ解けていない、それは俺にも理解できた。
前方の空中に見えていた影がはっきりしてきた。
ようやく追いついた。
狂鬼を抱えた殺人甲虫も一緒だ。
―――――――――――――――――――――――――――――
「あーあ、追いつかれちゃったじゃん」
遥か上空で、フードの呪使いは狂鬼に文句を言った。あどけない顔に浮かぶ不貞腐れた表情は少年のものだ。
言葉だけ聞けば、かくれんぼをして遊んでいる子供が、見つかった時に漏らす無邪気な不満ともとれるだろう。
声の主が、たった今まで凄惨な戦いに身を置いていたとは思えない。先ほど電撃で無惨に殺した狩人のことは気にも留めていないようだ。
「本当にいいんだよね?」
「ああ……頼む……」
狂鬼は消え入りそうな声で応じる。
その顔に浮かぶのは死相だ。
「一応言っとくけど、緊急脱出っていう手もあるよ。同じ体にはダイブ出来なくなるけど……まあ、その傷ではどっちみちこっちの身体は使えなくなるから一緒かな」
フードの少年は確認するように言葉をかけた。
「あと、現界に戻ればテレビもネットもコンビニもある生活に戻れる……ってまあ、そういうのが恋しければ1カ月もダイブしてないか」
フードの少年の言葉は、狂鬼へ喋っているようでもあり、独り言のようでもあった。
一方、狂鬼は、喋る体力も喪われつつあったが、その死相に浮かぶ目の光は、少年の言葉を認識していることを示していた。
「何か一人ツッコミみたいだね。解ってるとは思うけど、もう戻れないよ。元の身体にも、現実にもね。それが確認したかった」
狂鬼は面倒くさそうに応じる。
「っせーな。早く頼むわ。あんな場所…未練とかねーし」
フードの少年はそれを聞くと満足そうに頷いた。
「わかったよ。そして、固着しても活動時間はせいぜい10分てところだ。まあ、頑張れば街を半壊出来るかな」
―――――――――――――――――――――――――――――
カルル達は次第に距離を詰めていった。
ジラがいない以上、遠距離攻撃に対応出来るのはホランだけだが、射程に納めるためにはまだ距離を稼ぐ必要がある。
彼らの目的地が気になっていた。
飛行手段があるのなら、高度を上げて一気に街の外壁を越えれば逃げられるはずだ。そうしないのは、まだ街の中でやることがあるのだろう。
それは彼らが逃走中でありながら目的地が街の中にあることに他ならない。
―逃げないようだ。奴ら、門に向かってるのか?―
「そのようだ。何故だ、聖霊様?」
―俺に訊くなって。奴等、まだやることがあるんだろ―
門の周辺で衛兵が騒いでいるのが見えた。
向こうからも武装した兵士の一団が走って来るのが見える。
モウラの街の自警団のようなものだろうか。
「狩人達よ、念のため言っておくが、依頼は狂鬼を捕縛もしくは殺すまでだ」
ミュウの言葉が届く。アマラは狩人達への指令で応えた。
「奴らは門に向かう。ジクリア、馬速を上げるぞ。カルル、先行できるか?」
「承知」
カルルは答えて速度を上げた。全力疾走で通りを駆ける。
速度を上げた馬よりも疾い。
―馬に乗ってないほうが先鋒かよ―
『聖霊様、仕方ない』
前方50メートルほど。
モウラの街に入った時にくぐった巨大な門が見えてきた。
尖塔に挟まれた門。尖塔の横に生えた腕のようなオブジェ。
こんなところで何をしようというのか。
衛兵達が門の詰所から殺人甲虫に矢を射かけるのが見える。距離と射手の技量の問題か、硬い甲皮に矢は弾かれた。
フードの影が殺人甲虫の背後から現れる。ボードに乗ったままで上空から電撃を浴びせる。悲鳴を残して衛兵達は沈黙した。肉の焼ける嫌な臭いが流れてくる。
フードの少年は殺人甲虫を伴って悠然と門の屋上から入っていった。
カルルも数メートルの距離まで近づいていた。
跳躍した。巨大な門の中腹の見張り台に張り付き、中に入る。
―奴らは何をするつもりなんだ?―
『わからない、聖霊様。だが……』
―逃げないでわざわざ門に寄るってのは何なんだろうな。まあ嫌な予感しかしないし、とりあえず潰しとくか―
『同感だ、聖霊様』
カルルは猛烈な勢いで門の内部の階段を上がり出す。途端に辺りが凄まじい地響きに包まれた。パニックになった衛兵が逃げ惑う中、階段の手摺を蹴って頭上を飛び越えた。
外を見ると、就寝時間にも関わらず群集が集まってきていた。
騒ぎを聞き付けたのだろう。
構造材が折れ、土煙が立ち込め、天井が剥がれ落ちてきた。
それに混じって響く駆動音。石造りの歯車の音だ。
駆動音?疑問を抑えて先を急ぐ。
やがて屋上に出た。
先ほどフードの少年達が入っていった入り口に向かって駆け出す。周囲からも轟音と、街の住人や衛兵の騒ぐ声が聞こえる。
異変は門全体に起こっているようだった。
入り口に到達する寸前、前方の床に亀裂が走り、向こう側の床が一気に数メートル持ち上がる。
バックステップしたカルルの視界に、尖塔にあった巨大な腕が目に入る。只のオブジェと思われた腕は肘の部分で折れ曲がり、指は開いたり握ったりを繰り返していた。
尖塔から内側にあった巨大な支柱も、中ほどで折れていたものが曲がり始める。その動きは、立ち上がるときの足の動きのようだった。足?
―オイオイ、マジかよ―
この街に入るときに見た、門に取り付けられた巨大な腕を思い出す。まさか、あれが動いているのか?
両手だけなら別の説明ができるかもしれない。
だが両手両足が存在するなら、胴体が存在するのが自然だろう。そして、両手両足の場所から推測するに、胴体は目の前の亀裂の向こうの床下に位置しているはずだ。
もうもうとした土煙の向こうに浮上する影。
嫌な予感は的中したようだ。次第に起き上がる巨大な影は、立ち上がる人間の上半身を連想させた。
それが完全に立ち上がった時、集まった群衆や衛兵の騒ぐ声がピタリと止んだ。
頭部にあたる構造物は周りを見渡すように回転し、カルルのほうを向いて止まる。
「だい・せい・こうー!そして……」
人間の出せる音量を越えた大きさの声が響き渡る。
ふたたび回転した頭部は街に、そして群衆に向けられた。
「み・な・ご・ろ・しぃ~」
その声は、怨嗟に満ちていながら、どこか愉しげでもあった。その場にいた人間の中で、カルルを含めた狩人達とミュウだけが、戦慄しながらも声の主を特定することができた。
それは、紛れもない狂鬼の声だった。