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少女的妄想趣味者の微妙なレッスン  作者: 森戸玲有
第1章 パンをかじって王子にぶつかる
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第1章 ④

(……丁重がすぎるわよ。たかが庶民に)


 リアラは、目まぐるしく変化してしまった自身の生活に肩身を狭くしていた。

 王宮の心臓部でもある、レイヴィンの執務室。

 一般人が立ち入ることのできない、王族の私的空間にリアラは、うっかり紛れ込んでしまっていた。


(一体、どうしてこんなことになっちゃったのかしら?)

 

 事実、リアラはレイヴィンから意味不明な依頼をされても、心のどこかで彼は偽物で、自分をからかっているのではないかと、疑っていた。


 更に、本物だったところで、王子様の気まぐれ。ただの冗談。リアラのことなど、すぐに忘れるだろうと思っていた。

 ……なのに、その疑念も期待も、大きく裏切られてしまった。

 

 ――ーーーどうやら、レイヴィンは、本気だったらしい。


 血迷ったのか、最初から病気だったのか分からない。

 けれど、リアラの身に起こっていることは、妄想ではなく、現実だ。


(現実なのよ……ねえ?)


 夢かもしれないと、リアラは、物憂げに視線を部屋の天井に向けてみたが、すぐさま視線を元に戻した。やっぱり、ここは王宮だ。


(金ぴか感が半端ないわ……)


 天井に描かれた煌びやかな神々の絵はじっと眺めていると、首が痛くなってしまう。

 レイヴィンは、不必要なほど豪奢な白と金を基調とした巨大な机の上で、何やら書き物をしていた。ここを訪れた時から手を動かし続けている。時計がないので分からないが、もう小一時間は経過しているはずだろう。この派手な内装は、時間を費やすほどに、庶民の目には悪そうだった。


(早く帰りたいな。こんな所に呼び出して何のつもりなんだろう?)


 彼はリアラの存在自体を忘れてしまったかのように、無心に羽ペンで書き物をしていた。

 しかし、小説を書いているわけではなさそうだ。

 机に積まれた紙切れを一枚一枚目を通しては、サインをしているらしい。


「すまないな。せっかく来てもらったのに、どうも、仕事が立て込んでいて」

「いっ、いえ。お構いなく。」


 まさか、王子から労わりの言葉が出てくるとは思ってもいなかったので、リアラは逆にうろたえてしまった。


「王子にも机仕事があるんだって、新鮮な気持ちです。お招き頂き、有難うございます」


 嘘だ。用がないなら、とっとと帰りたい。

 どうも、リアラはその場の思いつきで、物を言う癖があるようだ。しかし、レイヴィンは、そんなリアラの適当に繰り出した話にも真面目に答えるのだった。


「ああ、まあ、国民の前に出て、手を振っている以外にも色々あるな。今やっている仕事は、私の自領のことだ」

「…………王子は、領地をお持ちなのですか?」


 それは、知らなかった。いつも、どこかで手を振っているだけが公務だと思っていた。


「何だ。驚くこともないだろう? 貴族達に領地があって、私にないのはおかしいじゃないか。そうだな。パルヴァ―ナの近くのアスミエル島とその一帯が私の領地だ。普段、王宮にいる私は、自領までなかなか目が行き届かないのだが、それでも重要書類はここに届くようになっている。名ばかりの領主でも、決裁書に判を押すくらいは、役立つつもりさ」

「それは、大変ですね」


 ぼんやりと相槌を打ちながら、リアラはちょっとした偶然に内心驚いていた。

 亡くなったリアラの両親とアスミエル島には、深くて重い因縁があるのだ。

 ――まさか、レイヴィンはそれを知っていて、ここにリアラを呼んだのだろうか?

 リアラとしては、下手な回答を返すと面倒な……、いきなりの正念場だった。


「たしか、アスミエル島って、国宝の原石が取れるんですよね?」


 冷や汗混じりに無難な言葉を捻りだすと、しかし、レイヴィンはさらっと答えた。


「ああ、ブルーティアラという。水色の明度の高い石だ。……よく知っているな。まあ、そんなものが採れるものだから、あそこは、色々と複雑な場所なんだ」


(何だ。違うのか?)


 両親のことでないのなら、何なのか。改めて訊いてみたいが、それこそ、複雑な話をされたくはない。リアラは、それ以上何も言えずに、再び沈黙の時間が訪れてしまった。

 レイヴィンの前に、ぽつんと座っているのは、拷問のようだった。

 じっとしているのは、好きだ。妄想する時間ができるのも助かる。

 しかし、目の前で仕事をしている人がいて、リアラには自分がここに呼ばれた目的も、ここにいる理由もいまいち納得いかないのだ。こんな緊迫感満点の世界で、空想世界に浸れるほどリアラは根性が据わっていない。


「……疲れたか?」

「いえいえ、まさか……」


 座っているだけで、疲労困憊だと白状するのは、さすがにまずい。


「何か手伝うことがあれば、わ、私やりますよ!」


 居心地が悪くて、申し出てみた。

 何をしているのか……。本当は手伝いたくもないし、さっさと家路につきたいのだが。


「ああ、じゃあこの書類をそちらの引き出しの中に入れておいてくれないか」


 さすが現実王子だ。命令に慣れているのだろう。 自然な振る舞いで、リアラに用件を言いつけてきた。


(まあ、そのくらいなら私にも出来るから、いいか)


 書類を移すだけだ。簡単な仕事である。


「承知しました」


 リアラは立ち上がって、レイヴィンの前に回り込んだ。

 高く積み上げられた大量の紙には、普段滅多にお目にかからない難しい文字がびっしりと並んでいる。好奇心から、ついつい読み入ってしまう。


(アスミエル島の橋梁建設の許可を求める書類、パルヴァ―ナ皇女の婚約披露パーティの招待状……。あれ? パルヴァ―ナの王女様って、王子と噂のあった人だっけ? 結局、王子以外の人と婚約するんだ)


 じぃっと眺めていたら、レイヴィンに感づかれたのだろう。彼はさりげなく、招待状を机の引き出しに仕舞ってしまった。謝罪しようとするリアラに、レイヴィンは問答無用の手ぶりで申し付ける。


「そこからこのあたりまでの書類を、そこの引き出しの中に放り込んでおいてくれ」

「はい」


 それ以上、何も言えなくなったリアラは、紙の束を持って、数歩の距離の書棚の下の引き出しを開けようと片手を伸ばす。だが、意外に紙は重く、引き出しも固かった。


「よっ!」


 ……そして、気合を入れて引っ張ったら、引き出しは派手に開いて、リアラは後ろにひっくり返ってしまった。


「わあっ!?」 


 更に、痛ましいことに紙の束は派手に宙に舞い広がった。何で、こんな大ごとに……。

 慌てて、拾い上げようとしたら、ドレスの裾につまずいて、見事に転んだ。


「…………君はある意味、すごいな。多分、普通はそうはならない」

「――で、ですよね?」


(通常は起こりえない、奇跡的な失態を起こすのが私なのですよ)


 自分の失態を棚に上げて、毒を吐きたくなるのを堪えて、リアラは書類を拾う。

 気が付くと、レイヴィンも黙々と隣で拾っていた。


「ありがとうございます」


 感謝などしてはいなかったが、親切にしてくれるのは有難いことだ。リアラは軽く頭を下げた。


「なるほど、こういうのが君の言う衝撃的な展開に繋がるのか」

「多分、普通はないようなことなので、衝撃にはならないと思いますが……」

「君の挙げた例は、普通では起こりえないことばかりだったぞ?」

「そういえば」


 ……そうだった。風呂場でばったり……よりは、こちらの方があり得る事件だろう。


「さあ、ほら」


 ぼうっとしていると、レイヴィンが集めた書類を手渡してきて、偶然に手と手が触れた。


「うおっ!」


 意外に逞しいレイヴィンの手の感触に、リアラはのけぞり、再び書類を床にぶちまけてしまった。


(現実の男性の手に触れたのは、父さんと手を繋いで以来だわ……)


 危ない。こんな隠し玉を持っているとは。


「その……、君はあらゆる意味で大丈夫なのか?」

「そんなに大丈夫ではないと思います」


 再び、二人で書類を拾う羽目になった。レイヴィンは何も言わないが、背中から「面倒くさい。この女すごく使えない」という声が聞こえてくるようだった。


(私のせいで、立て込んでいる仕事が更に立て込むことになるのね)


「申し訳ありません。…………その、何だか、色々とご迷惑をおかけしているようで」

「いや、別に構わないが? ドレスの裾は、踵の高い靴だと、ひっかけやすいみたいだから、気を付けることだな」


 的外れな答えが自然に返ってきて、リアラはきょとんとなった。

 いろんな意味でリアラは謝罪したつもりだったが、いっそ、そういう解釈でも良いかもしれない。


(ドレスか……)


 リアラは、自分の着飾った格好に目を落とした。

 確かに、彼の仕事先である王宮に出向くのに、毛羽立ったドレスはいけないと思うが、それでも、新調するなんてはおかしいだろう。

 濃緑のデイドレスは、裾までフリルがたっぷり施されていて、リアラにはきっと似合っていないはずだ。

 王室御用達の目玉が飛び出るほど高級な服飾店で、レイヴィンがこの日のために大至急リアラに作らせた。これでも地味に抑えた方なのだ。


(……早速、足をひっかけてしまったのはもったいなかったけど) 


 新品のドレスを買ってくれて有難うという感謝の思いよりも、今は恐怖心が勝る。

 貧乏人への施しにしては、度が過ぎているのではないか。

 リアラが落ち着きなく、ドレスをいじっていたので、レイヴィンは自分の至らなさに気づいたらしい。とってつけたように


「ああ、そうだったな。そのドレス、よく似合っている」

 ……と、付け加えた。


 気にしなくてもいいのに……。今更、指摘される方が、かえって痛ましい。


(……私、死ぬんじゃないかしら?)


 食べられるという心配はなさそうだが、割と本気で命は懸かってそうな予感がする。

 じゃなきゃ、王子に気を遣わせるという状況を現実世界で体験できるはずがない。


「どうでしょう?」

「うん?」


 机に戻ったレイヴィンは、上の空だったが、一応反応は示した。


「今までのことで、創作活動に活かせそうなことはありましたか?」

「書類をぶちまけたことか?」

「それだけではなく……、えーっと」


 リアラは前回のカフェで走り書きしたメモを読み上げた。


「今日は、一応、密室に二人きりという衝撃的事件が演出されたんではないでしょうか?」

「そうだったな。確か、今日はそういう事件の日だったはずだ。でも、これはその、衝撃的……なことなのか?」


 いつもは部屋の中で立っているという衛兵二人も、廊下に下がってもらったので、とりあえず、二人きりの密室であることは確かだ。でも、そうだ。これは、どちらかというと。


「……そうですよね。これは推理小説の世界ですよね?」

「推理小説か。私は密室で死ぬつもりはないのだがな……」 


 眉間に皺を寄せながら、レイヴィンが顔を上げた。視線が合って、リアラは反射的に逸らしてしまった。綺麗な人ほど、素の表情は怖いのかもしれない。


「すまない。今日はすべてひっくるめてみて、ピンとは来ないかもしれないな」

「……ですよねえ」


 むしろ、見知らぬ王子と二人きりという展開は、高揚感よりも緊張感が勝っている。

 リアラは王子とどうこうなろうなんてこれっぽっちも思っていないが、さすがに、何の感情も抱いていない男女が二人きりでいたところで、発展性なんてないのだ。時間の無駄ではないか?


「じゃあ、今日はここまでということでどうでしょうか?」

「……えっ、もう?」


 レイヴィンが腰を浮かした。

 華やかな室内にあって、彼の漆黒のフロックコートが至極地味に映る。


「はい。やるべきことはしました。これ以上二人でいても、王子の創作意欲をかきたてるようなことがあるとは思えませんから。それと、もう一度提案しますが、元々こういったことは、本の中で起こるから面白いのであって……」

「それは、君に話した通りだ。今回きりで実践教育をおしまいにするという話なら、受けられないな。一回きりでは分からないこともあるのだと私は思う」

「……まあ、……そうですね。仰るとおりで」


 先手をうたれて、リアラは肩を窄めるしかなかった。


「あ、お金のことなどは、お気にせずに。私、たいして、役に立っていないですし」

「私は吝嗇ではないぞ」


 憮然と言い返されたので、リアラはうなずいた。別に催促したわけでも、念押ししたわけでもない。労働に合わないような金を沢山もらうのが嫌だから、口にしたまでのことだ。   

 常に貧乏なリアラだが、金に執着はないのだ。……というより、現実世界がどうでもいいのかもしれない。


「では、次はどういったことをすれば良い?」


 リアラは走り書きのメモに、目を落として頭を振った。

 一つ屋根の下、添い寝に、風呂場、看病……実現不能なことばかり書き記されている。


(あの時は、王子がここまで本気だなんて思ってもいなかったから……)


 まさか、こんな社会の底辺を這っている娘を、王宮に招くなどという暴挙に出てくるとは予想もしていなかった。今更ながら、適当なことを書いてしまったのが悔やまれる。

 そして、今日だけでなく、続きがあることも恐ろしい。


「……また、その時にでもお話ししますよ。書店に通っている午前中以外は、家におりますので、適当に声をかけて下さい」


 家の場所は、とっくに知られていた。ドレスを作る時も、今日だって、リアラはレイヴィンの部下に突然自宅訪問されて呼び出されたのだ。

 やっぱり、レイヴィンには、通俗的な恋愛小説より、探偵小説の方が似合っているような気がするのだが?


「それでは、今日はお招きいただき有難うございました」


 座っていた椅子を壁際の隅に下げて、リアラは重々しい扉を開け放った。


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