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少女的妄想趣味者の微妙なレッスン  作者: 森戸玲有
番外
42/43

番外 ⑥

 外は気持ち良いくらいに晴れて、太陽はすでに中天にまで達していたが、リアラの心は晴れなかった。

 着替えるのも面倒で、私室で発見した、着古して光沢の失せた黒のドレスを適当に身に着けている。

 今日は楽しみの本が一冊も発売しない。

 ――いや、それだけではない。


 寝不足が深刻なのだ。


(一体、何なんだろう?)


 レイヴィンの機嫌の乱高下に、無駄に心拍数を上げられてしまった。


 ――君しかいないんだ。


 最終的に、彼は、そんなことを告白していたような気がする。

 あれは寝言だったのか、それとも、高熱で頭がおかしくなっていたのか……? 

 余りの驚きに、自分でも意味不明な話のそらし方をしたのは、仕方ないことだった。

 大体、『近寄るな』発言から、一転、何をどうしたら、愛の告白めいたものに繋がってしまうのか?

 リアラは、夜明けと共に、レイヴィンは王宮に戻ると踏んでいた。変態リアラに愛想を尽くし、自分の本来の領分に帰っていくのだろうと……。


(………それが、どうして、あんな口説き男に路線変更しちゃったのかしら?)


 あの時、咳き込むレイヴィンの背中を撫でたことは、覚えている。

 しかし、それ以外、リアラは何もしていない。

 するなと言ったのは、レイヴィンの方ではないか。

 背中を撫でられると、ときめく思考回路でも彼の脳内には、組み込まれているのだろうか?


(…………そんな馬鹿な)


 リアラは、重い目蓋を何度も擦りながら、ここが夢の世界でないことを噛みしめていた。


(これは、現実なのよね)


 そうそう何度も、突拍子がないことが続くはずかない。

 昨夜のレイヴィンは、具合が悪くて、ついでに、頭の調子も悪かったのだ。


(それでいいじゃないの。……いいのよ……ね?) 


 恐ろしいことには、深入りしない。全力で逃げきるのが信条だ。

 不埒な発言は、忘れてしまうに限る。

 問題は、リアラ自身のことについてだった。


(多分、王子には気づかれては、ないみたいだけど……)


 昨夜、リアラは、レイヴィンに嘘をついたのだ。

 了承を取って、隣に寝ていたなんて……。

 大嘘だった。

 眠っていた彼に、リアラは一言も声なんてかけていない。

 咄嗟に、自分が隣にいることを、レイヴィンに説明しなければならなくなって、「伺いを立てた」なんて、都合の良いことを喋った。

 何と、愚かなことを……。

 レイヴィンがまともな状態だったら、すぐに見破られるような嘘を、一体、自分はどうして……。


(……そんなに、私はあの人と一緒に?)


「…………添い寝……か」

「うおっ!!?」


 ぼそっとした呟きに、台所で、遅めの朝食準備を進めていたリアラは、危うく皿を床に落としかけてしまった。


「添い寝ネタだな」


 耳ざわりの悪い独り言を、居間のソファーで繰り出してきたのは……。


「王…………子?」 


 もう、存在自体を忘れてしまいたい人だった。

 ……なのに、台所と居間のソファーは向かい合うようになっている。自然、お互いの行動が丸見えになってしまうのだ。

 それにしたって、いつの間に彼は居間のソファーに移動したのだろうか?


(内に秘めた、特殊能力が半端ないわよ)


「一体、何をしているのですか。王子。……もう、いい加減」


 病人は、四の五の言わずに部屋で寝ていろ……と、叫びたいところを、必死に理性で押さえこんでいると、彼はわずかに視線を上げて、リアラに向けて、微笑で返した。

 陽光を浴びて、足を組み、着崩したシャツで優雅に読書に励んでいる金髪王子のあまりの爽やかさに、彼の手にしている本が何であるのかを、リアラは見逃してしまいたくなる。

 しかし、彼が無造作に手にしている桃色の装丁本は、間違いなくリアラの愛読書なのだ。

 リアラの私室にあるはずのそれを、彼が居間でこれ見よがしに読んでいる。

 意趣返しのつもりなのか?

 こんな恐ろしい拷問、リアラは想像すらしていなかった。


「…………どうして、それを?」

「『朝までキミと……』か。なかなか、興味深い本だな。リアラ。恋人未満の男女が添い寝をする実態が、躍動感あふれる描写で繊細に書かれている」


 リアラは深い闇を孕んだ溜息を零した。


「変に飾りたてると、更に痛ましさ倍増ですから。ただ単に、やらしさまであと一歩のノリという感じの解釈で宜しいかと思います」

「そうなのか? この話には、そういう展開は一切ないのか。それじゃあ、つまらないじゃないか?」

「そこまでのノリを楽しむのが乙女心なのですよ」

「その先を知りたいのが男心だ」


 …………一体、何の期待をして、彼は読書をしているのだろう。


 あの本のことは忘れよう。

 そんなに、危険な描写はないだろうから、不慮の事故で旅立ったのだと処理するのが良い。

 ここで、焦ったら、負けだと、リアラはわざとらしく声の調子を上げた。


「もう起き上がって大丈夫なのですか。王子?」

「ああ、もう大丈夫だ。君のおかげで熱もすっかり下がって、とても気分が良いのだ。私はきっと疲れていたんだな」

「それなら、まあ、良いのです」


 野菜を刻む手を止めて、リアラはレイヴィンに目を向けた。

 ……熱が下がったのは、本当らしい。

 リアラから見ても、昨夜に比べたら、格段にレイヴィンの顔色は良くなっている。

 声の調子も戻ってきたようだから、彼の言っていることは、やせ我慢などではないのだろう。


(本当に良かった)


 責任問題で、死刑になることも、リアラは頭の端で考えてはいたのだ。


「…………じゃあ、まあ、そういうことで、これでこの話は落着ですね。綺麗な感じで最終回です。ええ。別に、私の部屋に不法侵入した挙句、そのような危険本を、私の目の前で読むという、公開処刑みたいな振る舞いをされても、王子がお元気であるのなら、私は良いのですよ」

「何だ。皮肉か?」


 独り言のつもりで、ぶつぶつ呟いていたのに、レイヴィンにはしっかり届いていたようだ。彼は嫌がらせのように、にこにこ笑っていた。


「しかし、リアラ。これから、君とは永遠に長い付き合いになるんだ。私室に入るくらい、良いだろう? 別に私は君の趣味に対して、否定はしていない。むしろ、率先的に君の趣味に、触れようとしている。この本以外にだって、制覇する意気込みはあるのだ」

「その意気込みは、かなぐり捨てて下さいよ。全然、まったく、私は、この変態的な世界観に一人で十分なのです。何はともあれ、王子は一度、戻られた方がいいと思います。熱が下がったのなら、お仕事だってあるでしょうから……」

「ああ、公務のことを心配しているのか。それなら大丈夫だ。今日は、大事を取って一日休むことに決めた。幸い、事務仕事の日だったから、迷惑をかける相手も最小限で済むしな」

「はあ、素晴らしい判断ですね。いつの間に、そのような手筈を……?」

「つい先程。君の部屋に行く前に、外の連中に知らせてきた」

「手回しの良いことで」


 何時の間に起き上がって、徘徊を始めていたのか。

 そういうことにかけては、やることが速い。 

 しかし、大事を取って休んでいるはずの王子が、こんな所で『朝までキミと』を熟読しているのが知られたら、国民は暴動を起こすかもしれない。

 やはり、王子は、王宮にいてこそなのだ。


「……だったら、その足で王宮に帰ったら宜しかったのではないですか? 静養は王宮でした方が絶対に良いはずです。きちんとお医者様に診てもらって」

「言ったはずだぞ。リアラ。私はここで静養する……と」

「昨夜、ただ自棄になって口走ってしまったわけじゃなかったんですか?」

「自棄だろうが、何だろうが、私はもう君に嘘をつく気はないのだ」

「それは……」


 ずきんと、胸が痛んだのは、リアラの方だった。

 沢山、誤魔化して、嘘をついて、挙句、逃走をはかっているのは、リアラである。

 だから、レイヴィンと話していると、後ろめたくなって、つい早口になってしまうのだ。 


「だけど、ほら、王子だって、本の埃が肺に与える悪影響について、昨夜、身を持って知ったはずですよね?」

「しかし、ここには君がいるのだ。本の続きも気になる。新刊っぽいので、埃はそんなに気にならないから平気だ」

「つまらないって、仰ってたじゃないですか?」

「しかし、君の気持ちを知るきっかけくらいには、なるかもしれない」

「…………結局、そこですか?」


 レイヴィンは確実に、昨夜のことを根に持っている。

 わざとらしく、リアラの私室から本を持って来るくらいに……。


「…………たかが、添い寝じゃないですか」


 声が震えたのは、密かに昨夜のことについて、弁解しているつもりだったからだ。

 しかし、さすがレイヴィン。すぐにリアラの意図に気づいたのだろう。

 眉をひそめて、感情を露わに出してきた。


「たかが……だと? 違う。大問題だ。君が隣にいた記憶がない自分が情けなくて、本で追体験をしている私の身にもなってみろ。私が朦朧としている間に、君は一体何を考えていたんだ?」

「うとうと寝ちゃっただけですって」

「隣で気持ち良く寝てしまうくらい、私は意識されていないのか?」

「まあ、暗かったですし、何も見えませんでしたし、私は、ただ王子の隣で膝を抱えて座っていただけですからね。添い寝の部類に入るのかどうかも、怪しい類ですよ」

「ふーん」


 訝しげに、目を細めている。


(この人、絶対に気づいているわ)


 のらりくらりと退けたつもりだったのに、しかし、レイヴィンは、いつだって肝心なことは見抜いているのだ。


「それだけじゃないな。私の体を拭いていた時の君は、やけに手際が良かった。まったく意識されていないようで、逆に腹が立つくらいに……な」

「だから、体拭いた時は、手早くしないと、体が冷えてしまうと思って」

「そんなことは、私にだって分かっている」


 じゃあ、今更蒸し返さないで欲しい。

 しかし、唖然としているリアラを置き去りにして、レイヴィンはどこまでも直情的だった。


「…………私は、君に、男としてちゃんと意識されたいのだ」

「……おっ! ……とっとと」 


 今度は、包丁を床に落としそうになって、リアラは慌てた。

 何の前触れもなく、真っ直ぐな球が飛んできて、避けきれなかった感じだ。

 心臓がばくばくと脈打っている。


「…………熱、大丈夫ですか。王子?」

「二言目にはそれだな。君は……」


 レイヴィンは、こちらが苛立つくらいに落ち着いていた。

 今までも不遜で、強引で、歯の浮くような台詞を平気で口にすることもあったが、それでも、僅かながらに躊躇いもあったのだ。

 だから、リアラはその隙間から逃げだすことも出来た。

 ……なのに、昨夜から、彼の纏う空気が変わってしまっている。

 リアラが何を言っても揺るがないと言わんばかりに自信に溢れている。

 たった一晩で、彼の心境に何の変化が起こってしまったのか。皆目見当がつかないところが、かえって不気味だった。

 こんな人を相手に、リアラは逃げ切れるのだろうか?


「君の方こそ、顔が赤いぞ。大丈夫か? 昨夜は冷えたんだろう?」


 絶対に、からかわれている。


(そのまま、覚えてないふりで流してくれれば良いのに……)


 どうして、彼はそれができないのだろう。


 もし、昨日の晩、レイヴィンが発作を起こさなかったから……?

 リアラは何事もなかったように、あの部屋から出て行くこともできたかもしれない。

 寒いからと、理由をつけて、リアラは勝手にレイヴィンの隣に行ったのだ。

 少しの間なら、了解を取らなくても良いかと、気持ちが緩んでいた。

 彼の咳を心配していたのは、事実ではあるが、しかし、それが、すべてではない。

 リアラは、レイヴィンに嘘をついた。

 いろんな言葉を並べてはみたけれど、リアラはただ単に、自分が寂しかっただけなのだ。

 一人、自室で眠る時に感じていた冷たい風。いつもなら、本を読んで、やり過ごすことができたのに……。

 ーーー朝になったら、レイヴィンがいなくなってしまう。

 当たり前に起こるだろう現実が、リアラに本を取る手を鈍らせ、レイヴィンの側に向かわせた。…………大馬鹿だ。

 

「……おかげさまで、温まりましたよ。王子」

「リアラ?」

「ちょっと、肩口に脛が触れる程度にしか、近寄りませんでしたけど。王子の近くは、温かったです」

「私は、肌寒かったがな」

「この家自体、隙間風が入ってくるので、夏でも寒いくらいなんですよ」


 リアラは、くすりと微笑した。


「…………昨夜、王子の近くで床に座って、ぼうっとしてたら、昔、家族三人で、あの寝台で眠っていた時のことを思い出しました。あの寝台は広いから、私が子供の頃は、寒さ凌ぎに、三人で寝てたんですよ。あの寝台で、誰かが寝ているなんて、懐かしいなあって思って」


 ――昔。

『人間の体温って、あったかいね……』

 誰かがそう言ったことがあった。

 あれは、母だったか、父だったか、それともリアラだったのか。

 人間が温かいという感覚を、リアラは随分昔に忘れてしまっていた。

 そんなことを思い返したところで、何の意味なんてないのに……。


「そういう意味でも、やましい気持ちなんて、これっぽっちもなかったんです。でも、隣でこんな変態がうとうとしていたっていう事実だけでも、恐怖ですよね。王子がこだわる気持ちはわかります。何度だって謝罪しますよ」

「そんな穿った自己批判は、どうでもいいんだ。私は、そっちの話の方を、詳しく聞きたいのだがな?」

「どっちの?」


 とぼけてみたら、彼は音を立てて本を机に置き、挑むようにソファーから立ち上がった。

 レイヴィンの全体像がリアラの視界に鮮明に響いた。

 生前の父のシャツが少々窮屈そうに見えるが、さすが王子、白いシャツと黒のトラウザーの対比が美しく、お似合いだ。


「別にいいんだ。今、話したくないなら、それでもいい。追々、絶対に訊き出すからな」

「いや、でも、子供の時のことなんて、面白みのない話ばかりじゃないですか」

「その判断は、私がするものだろう」

「実際、話すほどの記憶も、持ってないのですよ」


 自虐的に切り捨てて、調理を再開しようとしたら、しかし、彼はリアラのすぐそばまで、迫っていた。


「なっ、何ですか?」


 思わず、身構えてしまった。

 レイヴィンは、腕を組み、眉を寄せて、リアラの前に立ち塞がっている。

 ころころと表情の変わる、おかしな人だ。


「リアラ。私は君に言っておきたいことがある」

「…………大丈夫ですよ。言わなくたって」


 本能的に、その先を止めてみたが、しかし、レイヴィンは、それで怯むような性格ではなかった。


「では、方向性を変えてみよう。君は気にならなかったのか? 私が問答無用で君の家に訪ねてきた理由を?」

「……そういえば」 


 言われてみれば、レイヴィンがリアラの家に、了解なく上がりこんだのは、出会って間もない頃の一度きりだった。


「……ああ、そんなこと、まったく、気にもしていませんでしたね」

「そう言うとは、思っていたけどな」

「それが、何か?」


 目を点にしたままでいたら、彼はとうとう凶悪な顔つきで睨みつけてきた。


「君の私室に入った理由も訊ねてこなかっただろう?」

「王子特製の嫌がらせですよね……」


 勝手に添い寝をされたことに対して、あからさまな復讐をはかっているのだろうと、リアラは今の今まで、そう思って惑乱していたのに。

 …………そうじゃないのか? 


「何を言っているんだ?」


 やはり、レイヴィンの否定は早かった。


「嫌われるつもりがあるのなら、私はとっくの昔に君と結ばれている」

「めちゃくちゃですね」

「よく見てみろ。これだ」 

「…………あっ」


 彼の手中で煌々と青く光る指輪を見て、リアラは小さく声を上げた。


(そういうことだったの?)


 彼がリアラの私室に足を踏み入れた理由が分かった。

 リアラは、それを、私室の棚の一番高いところに保管していたのだ。


「何だ。……王子は、このブルーティアラが狙いだったんですね」

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