第1章 ③
「……俺は反対です」
イファンは前置きもなく、はっきりと宣言した。
レイヴィンは、頬杖をついてイファンの顔を仰ぐ。闇が濃くなった執務室の机上。橙色のランプの灯が揺れている。
その仄かな明かりに、黒髪の青年の彫りの深い顔が陰影を濃くして、深刻度を高めていた。
(まったく、頑固な奴だ)
レイヴィンは、溜息を吐くしかなかった。
「まあ、イファン。そう言うな。今回のことが成功したら、やっと私は解放されるのだ。良いじゃないか。計画的に進めばみんな幸せになることができる。良い策だろう。それとも、お前は自分を過少評価しているのか?」
「そうではありません。もちろん、自分は貴方の身も護るし、彼女の身も護りましょう。しかし、こんな回りくどい、だまし討ちのようなこと、良くないと思います」
学生時代からの付き合いで、護衛でもあるイファンは何処までも直情的だ。軍部に所属していた経緯もあるのだから、もう少し老獪に生きられないかとも思うが、彼は昔から、曲がったことが嫌いだった。
「しかしな。あいつは、散々私を苦しめてきたのだぞ。あの女のせいで私は結婚もできないんだ。それに比べれば、私がやろうとしていることなど可愛いものだと思うが?」
「……ですが、彼が我を忘れて暴れたりしたら、あの少女を明らかに危険に追い込みます。それを嘘をついて半ば強制的に協力させるなんて、最低です」
イファンが怒っているのは、今日レイヴィンが声をかけた少女のことだろう。
確か、名前はリアラと言った。ちゃんと確認もしていなかったが……。
「まあ、でも、調査通りの変人だけあって、生命力は強そうだぞ。見た目も、まあ……、そこそこだ。落ちたパンを拾って食べようとしていたくらいだ。お前だって、凄い女だと言っていたではないか。それに、彼女は紙の世界至上主義者だ。現実には何ら興味を示さない。あれこれ詰問されることもなく、恋人のフリも出来て一石二鳥ではないか?」
「…………殿下」
ぴしゃりと言われたのが、たしなめられたような気がして、癇に障った。
いつだって、被害を被っているのは、レイヴィンなのだ。叱られるのは理不尽である。
「危険は少しあるかもしれないが、でも、彼ならば卑怯な真似をしないはずだ。脅迫状通り、表立ってやってくるだろう。そこを現行犯で捕えれば良いだけのこと。簡単だろう?」
「無理せず、手紙でもしたためれば良いのでは?」
「無駄だ。そんなことしたら、まず、あの女の検閲が入る。交渉は、私と彼がすれば良いのだ。それに、私の手紙がパルヴァ―ナに届くとは思えない」
淡々と説いてみたが、イファンはこちらを睨んだままだった。
「それでも、リアラ嬢が天涯孤独で、友人も恋人もいなくて、尚且つ、職を転々としているから、世間的にいなくなっても大丈夫だろうと、口止めも容易だという見込みのもとに、近くに置こうと考えているのだとしたら、自分は貴方の品性を疑いますよ」
そんなことはない。どちらかというと、昼間リアラに話したことが本音に近い。彼女なら絶対にレイヴィンには興味を抱かないのではないかという、安心感があった。
しかし、即座に反駁できなかったのは、後ろめたいことが多いせいだろう。
イファンの言うことも、あながち間違っていないのだ。
(……まあ、悪いようにはしないさ)
おそろしく風変わりな娘とはいえ、国民に嫌われるのは良い気持ちではない。出来る限り、丁重に扱おうと、レイヴィンは心に誓って、山積している問題に頭を切り替えた。