エピローグ ➀
いつものように、書店奥の恋愛本の棚で長居していたリアラだったが、その日はすぐ隣で自分と同じように棚を見上げて長居する小柄な少女が邪魔で仕方なかった。
(もう帰ってくれないかな。あの子が壁で「背徳の教室」の副表題が見えないのよね)
少女の容姿より、どうしたら本の表題を読み取ることが出来るか、それだけに執念を燃やすリアラは、痺れを切らして彼女の前ににじり寄った。小柄な少女はくるりと振り返る。
眩いほどの金髪、大きな猫のような丸い目と愛らしい桃色の唇。どんなに地味な黒のワンピースで華やいだ気配を消しても、リアラには分かった。
――サンドラだ。
「……どうして、貴方が?」
「えっ? 貴方、本当に今、気づいたの?」
あからさまに侮蔑の表情を作りつつも、本音は別のところにあったようで、一冊の本をリアラに手渡してくる。
「『背徳の教室』――愛しの先生の意地悪授業――。面白かったわよ。先生が教え子の少女を苛めながらも愛でる姿は、特に秀逸だったわね。これが目当てだったんでしょう。はい」
何だ。彼女はリアラがその本に惹かれていたことに気づいていたのか。何と馬の合う嫌がらせの仕方なのだろうか?
――いや、そもそもな問題……。
「このような怪しげな本を、お姫様が読んじゃ、まずいでしょう?」
「なにそれ。他でもない貴方がそれを言うの?」
「そうですね。はい。肝に銘じておきます」
「まったく。未来の姉がこれだものね。読書をやめなきゃいけないのは、貴方なのよ」
「未来の姉?」
すぐさま周囲を見渡したものの、誰もいない。やはり、リアラのことのようだ。
「……愚かなことを。恋愛本の愛読者として、姉のような立場からお話しはできるかもしれませんが、サンドラ様のような高貴な方が私を姉と呼ぶのは、嘘でも良くないことです」
「本気で嫌がっているようね。面白いわ。私が兄様をけしかけたのは、正解だったようね」
「……サンドラ様。それは、つまり……?」
サンドラは勝ち誇ったかのような腕を組んだ。
「そうよ。私が兄様に貴方の両親のことを話したの。だって、いずれ私の読書本の傾向もバレて禁止されるかもしれないでしょう。その点、貴方のような中毒者が王宮に入っていれば、私の立場も尊重されるかもしれないわ。済し崩しに了承させるには良い感じでしょう。ね?」
「ね……って? 微塵も良い感じはしませんよ。私と王子の意志は何処にあるのですか?」
「貴方、魔性の女なの? それとも、真正の馬鹿なの? 兄様は貴方に本気なのよ?」
「……本気? …………私に……ですか?」
しかし、先日ホテルの前で手を繋いだのが、唯一恋愛に近い記憶で、リアラはあれから、ほとんどレイヴィンとは会っていないのだ。
とりあえず、ブルーティアラの指輪ははずれ次第返却の方向で、常に包帯で隠しているし、友達として関係が築けるのなら、リアラはそれで満足なのだ。本気なんて言われても、かえって混乱するだけだった。
「そんなに信じられないのなら、確かめてみなさいよ。兄様が面白いことを新聞で言っているわよ。新聞売り場は、書店の前の目立つ棚だから、行って見て来なさいよ」
「……はあ、一応、何が何だか分かりませんが、了解です」
「それと、ダンス上手かったじゃない? また踊りましょうね。お姉様」
「踊るのは構いませんが、お姉様は勘弁してください。サンドラ様」
けれども、サンドラは口元を緩め、ついでに片目もつむって見せた。
リアラの話は無視の方向性らしい。彼女はリアラと本気で姉妹になるつもりなのか? それこそ、悪夢だ。
「背徳の教室」二巻を握りしめ、颯爽と去ってゆくサンドラの後ろ姿を見送りながら、リアラはしばらく呆然となった。
――だけど、いつまでも、そうしているわけにもいかない。
指摘されたからには、素通りできない。他でもないレイヴィンのことなら、尚のことだ。
渋々ながらも、サンドラの言葉に従い、棚に本を一時的に戻して、新聞売り場を探す。
おぼろげな記憶の中の店舗図を頼りに、一旦、外に出たリアラは、店の前に目立つように積まれている新聞の山を発見した。
今日発売のほとんどの新聞の一面記事は、駆け落ち中のエスティーナのことだった。
パルヴァ―ナの王室は大混乱に陥っているが、国民の間では、エスティーナがアイゼルへの思いを赤裸々に記した手記が話題を呼び、二人の純愛に賛成する意見が多くなっているようだと報じている。
(あの人なら、やるかもしれないわね……)
アイゼルとの恋愛が成就する、しないに関わらず、様々な事態を想定して、日頃から気持ちを書き溜めていたのだろう。文学賞作家の手記だ。世論を味方につけるとなど彼女にしてみれば、造作もないことなのかもしれない。現に彼女の暴露によって、パルヴァ―ナとクオーツ王国の友好関係も発展したのだと、最近の記事にも書いてあった。
「……あっ?」
そうして、リアラは発見した。
普段から、王室関連の記事を多く掲載している新聞が「独占入手」と大きな太字と共に一面記事にレイヴィンの白黒写真を載せている。
売れ行きが良いのだろう。すでに他の新聞と比べて、数が少ない。だからこそ、リアラが見つけるのに時間がかかったわけだが。
「……あ……れ?」
新聞の文字を目で追いかけて行くうちに、リアラは立ちくらみを覚えた。
レイヴィンが恋人について話した記事のようだが、そのすべてが変なのだ。
恋人の存在を肯定したレイヴィンは、どのような女性かという記者の問いかけに、読書好きの想像力豊かで控えめな娘だと話している。しかも、そこが彼にとっては新鮮なのだと書かれていた。
「…………読書好きで、想像力が豊かで、控え目な娘って誰……?」
まさか、そんな女性が王子の傍にいたとは知らなかった。リアラとは近いような気がするが、それは気のせいだろう。
リアラは読書好きではあるが、豊かなのは想像力ではない。妄想力だ。それに、控え目なのではなく、ただの引きこもりだ。だから、絶対に自分ではない。そうに決まっている。
「どんな人だろう? 真面目な人なら、いいけど」
ぼんやりと呟いてみたら、いきなり、がっしりと腕を掴まれた。
「なに!?」
びくりと身を竦ませると、警邏隊の制服が目に入ってきて、リアラは益々狼狽した。
……いよいよ、自分は犯罪的なことをやらかしてしまったのかもしれない。




