第6章 ⑤
「遅い」
「……はあ」
「私がどんなに恥ずかしかったと思っているんだ?」
「可愛い馬ですね。私、白馬を見るのは初めてで」
「まず、馬より私を見たらどうだ? リアラ=クラウス」
「……えっと、今日の王子は、大胆に白いようで」
「そうだな。君が白馬に王子でなければ嫌だと言ったからな。白くなってみた」
「誰も、白馬に白服で来いだなんて言っていませんし、嫌なんてごねた記憶ないですよ。大体、何処にそんな王子様専用の白い服があると思うんですか?」
「もちろん、旧式の白タイツはないが、白服はあるぞ。式典用にな。もっとも、私は好きでないので、もっぱら黒だが」
「はあ……。まあ、それならそれで問題はなく……ですね」
「私は、そんな不毛な話を君にするために来たわけじゃないんだ」
――そうだろう。こんなに不毛な話はない。
「君に悪いと思ったのだ……。でも、どうしたら誠意を示せるのか、私には分からなかった。だから、君の言っていた通り白くなってみた。しょせん、自己満足だ」
「私に悪い? 別に王子は何もしていませんよ?」
「……君のご両親のこと、私は何も知らなかった。本当にすまなかった」
「なんで?」
リアラは目を丸くした。
やはりレイヴィンは調べたのだ。
あれだけそれを恐れていたのに、まさかこんな形で告白されるとは思ってもいなかった。
「捕まりますか。私?」
「何で、そうなるんだ?」
レイヴィンは瞬きを繰り返し、ゆっくりと語りだした。
「アスミエル島の橋梁工事の件、先送りを続ける私を君は許せないのだろう。違うのか?」
「…………はっ? まさか?」
リアラはぶるぶると首を横に振った。
「違います。私はてっきり両親がブルーティアラを横流ししたって、疑惑の件だと思って」
「何だと? それこそ、そんな訳ないじゃないか」
事もなげにあっさりと、レイヴィンは断言した。
「もし、君のご両親が本当に横流しをしていたのなら、本の代金を差し引いても、君がパンを買う金くらいは遺っているはずだろう?」
「それは、そうかもしれませんが。でも……。母は病気がちで、父は母の病状に絶望して、最後に儲けたいと島に渡ろうとしたのかもしれません」
「違うな。だったら、君の父君一人で島に渡るはずだ。二人で渡った理由は一つしかない。あの島は風光明媚で、特に日の出の時が一番美しいのだ。父君は最期に君の母上にあの島の朝日を見せてやりたかったのだろう」
「……本気で、そう思っているのですか?」
「それ以外、考えつかないのだが?」
素直に返されて、リアラは全身の力が抜けてゆくのを感じた。
誰も言ってくれなかったことを、どうして彼はいとも簡単に口にすることが出来るのだろう、それがなぜ、こんなにもリアラの心を揺さぶるのだろう。
「それならいいんです。もう」
「いや、よくないぞ。私がよくない。君のご両親はあの島に橋が架かっていたら、命を落とさずに済んだかもしれない。私が工事を先送りにしたからいけなかったのだ。しかし、それにも色々と理由があってだな。すべては話せないが、でも、君には謝罪したいのだ」
「いや、そんなに熱くならなくとも、ちゃんと分かってますから。立場上、王子にも色々あるんでしょう。私はそんなことまったく気にしていませんから。いずれ橋は必要かもしれませんが、あの海のことに関しては、じっくり議論する時間は必要だと思ってるんです」
「本当に?」
「こんなことで嘘はつきません。それより、私は重要な預かり物をしているのです」
「そんなことって……。私が、どんなに悩んだと思っているんだ。冷たいぞ。リアラ?」
そうだ。リアラは元々、冷たい人間なのだ。得体の知れない感情に対処できず、話題をすり替えようとしている。ポケットの中に手を突っ込み、嵩張っていた指輪をレイヴィンに差し出したのは、あくまで照れ隠しのためだった。
「エスティーナ様がこれを私に託しました。でも、この指輪、元々王子のものだったんですよね。結婚に必要な石だと聞きました。重要なものみたいですし、持って行って下さい」
「…………エスティーナが、君にこれをあげたというのか?」
「ええ。会った途端、私めがけて、いきなり放ってらしてですね」
のほほんとリアラがうなずいてみせれば、レイヴィンは目頭を押さえて呻いた。
「苦節十年。あの女、すり替えた方を壊したんだな。騙され続けた私は一体何なのだ?」
「……はあ。よく分からないですけど、結婚できるようになって、良かったですね」
他人事のように告げたら、レイヴィンは強引にリアラの左手薬指に指輪を押し込んできた。
「ちょっ……、一体、何の真似なんですか。王子?」
「サイズは完璧のようだ。エスティーナが大きく作り直したんだろう。良かったな。リアラ」
「……何が良かったんです?」
必死で外そうとリアラが足掻く前に、レイヴィンはにやりと笑ってその手を取った。
「これは、ブルーティアラの一級品だ」
「この宝石が……ですか?」
「ああ。我が国では王子の誕生に合わせ、アスミエル島のブルーティアラで指輪を作り、王子が結婚する際、生涯の伴侶となる女性に贈る習わしがあるのだ。これは私の指輪に違いない。子供の頃、エスティーナに破壊されたと思っていたのだが。無事だったようだ」
「……そうなんですか。じゃあ、本当に良かったですね」
「ああ、これで私も胸を張って正式に結婚できる」
それは喜ばしいことだと、レイヴィンにつられて笑いそうになってから、リアラは我に返って、レイヴィンから飛びのいた。
――とんでもない一大事ではないか。
なぜ、リアラは結婚指輪なんて大層なものを、よりにもよって、左手の薬指にはめなければならないのか。
外そうと必死に薬指から指輪を引っ張るものの、外れない。この指輪、もしや悪い魔法でもかかっているのではないだろうか?
「なあ、リアラ。このアスミエル島産の指輪が数十年ぶりに私のもとに戻ってきたのは、エスティーナと君のご両親が取り成してくれた一つの縁なのかもしれないな。私と君が偶然公園で出会ったのも、運命的なものだったのかもしれない。そうは思わないか?」
「…………んな馬鹿な」
縁なんかじゃないだろう。ひもじさが招いたただの偶然だ。
そして、偶然を運命と履き違えるのは、よくない傾向だ。後々、絶対に後悔する。おかしな言い分を振りかざすのはやめてくれと、更に言葉を繋ごうとしたら、レイヴィンから盛大な溜息を落とされた。
「どうして君は怪しげな恋愛本を愛読しているくせに、私の言い分に耳を貸さないのだ?」
「あれは夢。これは現実でしてね」
額に汗を浮かべて指輪をはずそうとするリアラだったが、ぶるりと馬が震えたことで、周囲の目が自分に集中していることを、ようやく察した。
レイヴィンの優秀な護衛のおかげで、二人の間に踏み込んで来る人はいないものの、好奇な目は、ホテルの真ん前で、押し問答を繰り広げているレイヴィンとリアラをしっかり見守っていた。
何しろ、正装姿の王子が馬で現れた挙句、リアラを呼びつけ、その左手薬指に指輪をはめたのだ。世間一般の目からして、恋仲と見られても文句は言えない。
(更に、そんな指輪をはずそうと躍起になっている私は一体……)
「……ひとまず、帰りましょうか。王子」
冷静を取り繕いながら、リアラはぽつりと言った。
「……そうだな。私もそうしたいのは山々なのだが、この状態で帰れるものなのか?」
人だかりは、幾重にも立ちふさがる壁のようになっていた。
しかも、この厚みのある人垣は、安心して進むことができないくらい、膨れ上がっていた。
目立ちたくない。本好きの妄想好きは、ひっそり家にこもるのが社会のためなのだ。
こんなふうに、人目に晒されることは、リアラの本意ではない。だからだろう、いつものように、つい棘のある口調となってしまった。
「王子はただでさえ目立つのに、そんな格好しているから益々目立っちゃうんですよ」
そして、すぐに後悔した。
(いけない。駄目だわ。こんなんじゃ……)
別に、レイヴィンに非があるわけではないのだ。
リアラの言った滅茶苦茶な要求を、彼はあえて真に受けた。そして、衆目を顧みず、こんなところまでリアラを追って来てくれた。つい今しがたまで、危険に晒されていた時は、執拗なまでにレイヴィンのことを思っていたくせに……。
(……私は、またこの人を拒絶してしまうの?)
たとえ、人嫌いの変人だって、与えてくれた優しさには優しさで返したい。
勇気を出そうと、リアラはレイヴィンの袖口ではなく、手のひらに触れた。
ひやりとした感触に同情を覚える。こんなに手が冷たくなるまで、彼は馬で駆けてきてくれたのだ。
「まだ無理でしょう。ここのホテルで、少しの間、匿ってもらうのが良いと思います」
「あ、ああ」
リアラのその突然の行動に目を丸くしたレイヴィンだったが、やがて、相好を崩し、きつく握り返してきた。
「そうだな。それがいい」
力強い感覚に赤面しつつも、彼との関係が続いていくことが嫌じゃない自分の気持ちに、リアラは密かに戸惑っていた。




