第6章 ③
嫌な人間に会ったことで、レイヴィンは朝から陰鬱な気持ちを覚えていた。
待ち構えていたかのように、回廊の真ん中で立ち尽くしていたのは、レイヴィンの妹のサンドラだ。たまに会えば、思い出したかのように謝罪をする。今朝もそれのようだった。
「兄様、……その、先日は申し訳ございませんでした」
「ああ、それは終わったことだし、もういいんだ。サンドラ」
(白々しいものだな……)
レイヴィンは今回の一件で分かってしまった。
妹は意外にふてぶてしい。多分、謝罪をしていても、心の底から詫びていないのだろう。それが分かるから、更に鬱憤が募るのだ。そして、彼女のそういう内面の性格は、少しだけリアラに似ているような気がして、レイヴィンは益々追い詰められていく。
(妄想女は、きっと現実社会を舐めているのだ。そうに違いない)
レイヴィンはいっそ妄想本をすべて焼いてしまいたい衝動に駆られていたが、まあ、本に罪はないので、何とか理性で抑え込んでいた。
「話はそれだけか。私は執務があるので行くぞ」
伏し目がちで気弱を装う妹に目もくれず、そそくさと通り過ぎようとしたら、意外に強い力で外套の袖を引っ張られた。そろそろ本気で怒った方がいいかと、考えあぐねていると、サンドラはぽつりと言葉を零した。
「兄様は、リアラさんのこと、諦めたのですか?」
「へっ?」
「……もう、忘れてしまったのですか?」
「諦めるとか、忘れるとか、そんな……」
最初から恋愛対象にされていないのだ……とは、自尊心が口にすることを躊躇わせた。
黙り込むレイヴィンに畳み掛けるようにして、サンドラが言い放った。
「兄様にリアラさんのことで、お話ししたいことがあるのです」
「別に、私はもう、彼女のことなど」
素知らぬふりを通そうとしたら、更に強く腕を引っ張られた。そもそも、あんな結末を迎えてしまったのは、リアラに眠り薬なんかを盛ったサンドラが悪いのだ。けれど、彼女がここまで必死にレイヴィンを繋ぎとめ、責任を感じているのなら、たとえフリであっても、無視するのは可哀想な気もする。
「私、気になってました。リアラさん、現実から逃げたい理由があるんじゃないかって。確かに、あの人が変態的に本好きなのは事実ですが、でも、気になることを言ってたから」
「気になること?」
「現実が怖いって。確かなものが何もなくて、知りたくないことばかり知るんだって」
「リアラが本当にそんなことを言っていたのか?」
(嘘だろう……?)
てっきり、レイヴィンは体よくあしらわれたのだと感じていた。
リアラは現実には興味ない。それを、レイヴィンは自分に振り向かせようとして、失敗したのだ。
おかしなことを言ってくれるなと……。
てっきり、牽制されたものだと思っていた。
だから、あえて距離を取った。この期に及んで、彼女に嫌われたくなかったからだ。でもその言葉が本当なら、彼女がレイヴィンを頑なに拒絶する理由が他にあったのかもしれない。
「そういえば……」
リアラはレイヴィンに言っていた。話したくないことがある……と。
十中八九、怪しすぎる禁断本のことだと思っていたが、それとは違うのか?
もう会うこともないかもしれないと感じていた、彼女の面影を辿ってみる。
いつも何処か他人事だった。
――でもそれはあえてレイヴィン深入りしないよう、一線を引いていたのだとしたら?
「私、彼女のことを詳しく調べたのです」
「私も以前、調べたぞ」
「でも、兄様は彼女のご両親の死因まで調べていない」
「…………どういう意味だ?」
問い返したところで、突如、血相を変えたイファンが乱入してきた。
「殿下! 大変です。一大事です! もう自分はどうしたらいいのか……!?」
「……うるさいな。私も今手が離せないのだ。その用件は後にでも……」
「この手紙っ! 手紙を、アイゼル殿が殿下に託して行きました。とにかくご覧下さい!」
「手紙だと? 直接来ればいいじゃないか」
今は、リアラのことで頭がいっぱいなのだ。余計なことに時間を取らせるなと、乱暴に手紙を広げて文字を追っていくと、さすがにレイヴィンも蒼白になった。
「駆け落ち?」
「はい」
「それで、おびき寄せたリアラを餌として置き去りにする……と?」
「そのようです」
「…………あの女、よくもまあ、一般国民の彼女を利用して……」
「それは、殿下も人のことは言えませんが」
そうかもしれないが、そんなことはどうでも良い。
レイヴィンは、こうしてはいられないと、エスティーナが滞在するホテルまでの道程を頭に思い浮かべていた。……と、サンドラがいつになく強い口調で言い放った。
「兄様、リアラさんの所に行くのなら、この話だけはお耳に入れて行って下さい!」
レイヴィンは立ち止まり、一方的に捲し立てるサンドラの話に耳を傾けた。
――そうして、やっとリアラの内心を理解したのだった。




