第6章 ➀
子供の頃、エスティーナはレイヴィンが羨ましかった。
彼は家族から愛され、国民から親しまれ、王子として何不自由なく恵まれた人生を歩んでいくように思えた。思い通りにいかないことなど何一つないのだと、見せつけられているような気がして、エスティーナはレイヴィンに会う度、彼の境遇を妬み、苛々していた。
(わたくしは上手くいかないことばかり……)
出会った瞬間から、エスティーナはアイゼルに恋をしていた。
自分の知らない厳しい世界に身を置き、それでもエスティーナを絶対の主と仰ぎ、忠誠を誓う。エスティーナをどこまでも甘やかす彼の二面性に惹かれていた。
……だけど、彼は一生エスティーナの気持ちには気づかない。
彼は護衛だ。敵意や悪意には敏感でも、恋愛方面には恐ろしいほど鈍感なのだ。それに、気持ちが通じたところで、彼が父を裏切れるはずもない。結局、エスティーナは父の意を受けて結婚するより他ないのだ。
――でも、レイヴィンだけは絶対に嫌だった。
あの苦労を知らない甘やかされた王子を婿にすることだけは、避けたかった。
……どうしたら、彼と結婚しないで済むのか?
それは、子供時代のエスティーナにとって、最重要課題となっていた。
エスティーナは、必死になって考えた。
クオーツ王国には、王子の誕生と合わせて指輪を作らせる伝統がある。
王子の健やかな成長への願掛けの意味もあるが、将来の妻となる人に贈る結婚指輪の意味合いの方が大きい。
クオーツ王家の一員となった女性が指輪をすることで、再び王子が生まれるように、子孫繁栄の願いを循環させてゆくのだ。
当時、病弱で今より少し従順だったレイヴィンに、エスティーナはその指輪を持ってくるように言い渡した。レイヴィンは嫌だとごねたが、アイゼルを使って脅した。
そして、渋々持って来た彼の指輪を、エスティーナは地面に放り、不敵な笑みで踏みつけたのだった。
――今、思い返してみても浅はかな行為だった。
レイヴィンは怒るというより唖然としていた。
しかし、エスティーナが壊したと騒げば、外交上面倒なことになると悟ったらしい彼は何も言わなかった。
そこを逆手にとって、エスティーナは自分の本をレイヴィン名義で出版させたりと、無茶をさせたわけだが、しかし、今となっては気の毒なことをしたと、自省する余裕くらいはもっている。
挙句、彼はエスティーナのためにと練った策で、知り合った少女に呆気なくふられてしまったのだから、きっかけを作ったエスティーナも、複雑な感情は抱いていた。
(かわいそうに……)
きっと、あの不器用な告白からして、本気になったのは彼女が初めてだったに違いない。
パーティ会場に、リアラの家を荒らし、レイヴィンと脱衣所に閉じ込めた犯人がいるのではないかと、エスティーナは興味本位でアイゼルに見張らせた。
アイゼルは、サンドラがリアラに盛った粉末が眠り薬だと即座に判断し、放置の姿勢を取ったものの、倒れたリアラを心配するレイヴィンの混乱ぶりに対処しきれなくなり、急いでエスティーナを呼ぶに至ったのだ。
結局、王宮にお忍びで駆け付けたエスティーナは、毒ではないというアイゼルのお墨付きをレイヴィンに話し、昏倒しているリアラを着替えさせたわけだが、落ち着いた時に二人の声が聞こえてきたので、ついついアイゼルと盗み聞きしてしまった。
――でも、それは、よくないことだった。
まさか、レイヴィンがフラれる場面に遭遇するなんて。しかも、フラれた理由が妄想の王子様と違うからという、おおよその人間が思いつかない、とんでもない理由でである。
「……な、なんて、かわいそうな……」
口に出したものの、どうしてか頬の筋肉が緩み、声が震えてしまう。
真にエスティーナが詫びているのは、幼馴染の不幸を笑ってしまいかねない自分の性根の悪さかもしれない。
「姫様。少し宜しいでしょうか?」
アイゼルが窓辺に佇んでいたエスティーナの肩に、薄いショールをかけた。
「珍しいわね。アイゼル。何の話かしら?」
「僕はあの二人がこのままでいるのは、良くないことだと思います」
今まさに、考えていたことだった。
エスティーナは彼の言葉に驚きつつ、先をうながす。
「……そう。それは、またどうして?」
「レイヴィン殿下は、本気で彼女のことを想っています。そして、おそらくリアラさんも」
彼らを真面目に心配するアイゼルが愛おしくて、エスティーナは優しく目を細めた。
「へえ。お前も言うようになったわね。アイゼル。少しは成長したのかしら?」
しかし、彼が成長したところで複雑な女心を推し量ることは不可能だ。エスティーナには、リアラの気持ちがよく分かっている。彼女がレイヴィンを拒んだ理由は一つしかない。
「リアラさんはわざとあんなことを言って退いたのよ。出会って間もない今なら、傷も浅く済むと思ったから。賢明な判断よね。彼女は夢見がちだけど、夢と現実をきちんと区別している。むしろ、考えなしはレイヴィンだわ。どうして、彼はああも性急なのかしら?」
「僕は恋愛のことは分かりません。駆け引きなんて、本当によく分からないし。でも抑えきれない気持ちがあるということは、今回のことで、よく分かりました」
「…………そう、やっと分かったの?」
「はい」
エスティーナの感情がゆらりと動く。
けれど、アイゼルに関しては、何度も期待しては裏切られてきた。今回も騙されまいと、得意の微笑で本心を隠す。
……が、なぜかその手を彼が掴んだ。
――一体、どうしたというのだろうか?
「一緒にいるのが長いほど、傷は深くなるのでしょうか? ……姫様は、いつから僕のことを? 僕のために傷つき、苦しまれたのですか?」
「…………そうよ。それも今頃、お前は気づいたのね。まったく」
つっけんどんに言い返せば、彼は手の力を一層強めた。
「申し訳ごさいませんでした。僕が愚かだったために」
「いいわよ。無断でいなくなったりとか、消えるとかしないのなら、それで、もう……」
「姫様のご結婚が近づいています。そろそろ、パルヴァ―ナに戻らなければなりません」
「もちろん。分かっているわ。戻ったら、もうこんなふうに話せなくなるわね。アイゼル」
しみじみ言うと、彼は眉を寄せた。
子供の頃から表情のない彼をずっと眺めてきたエスティーナとしては、彼のこんな表情を拝めただけで、悔いがないくらいに幸せだった。
「姫様は、お嫌なのですか。ご結婚が?」
「……お前は、それをわたくしに問うの?」
「僕はやはり嫌だと思いました。姫様が知らない男のものになるのは。本当今更ですけど」
「…………アイゼル?」
アイゼルはその手の甲にほのかな口づけを落としてから、我に返ったかのように、その場にひれ伏した。
この行為が計画的だったら、とんだ女たらしだが、彼が無意識のうちにしていることは長年の付き合いでエスティーナには分かっている。
「本当に、どうしてしまったのよ。変よ。アイゼル?」
「リアラさんが乗りかかった船には乗るのだと、考えたら負けだと言っていました。先のことは考えず、感情に任せるのも面白いと、僕はあの二人を見てて、そう思ったんです」
「何が言いたいの? はっきり言って頂戴」
「……僕も、姫様をお慕いしていると、申し上げたいのです」
「………………はっ?」
「姫さま?」
「本当に?」
「…………はい」
逡巡すらない明瞭な答えに、エスティーナは腰が抜けそうになって、手前のソファーに倒れるようにへたりこんだ。




