第5章 ②
「お断りという方向でお願いいたします」
開口一番、それしかなかった。
立つ鳥跡を濁さずの勢いで、さっさと出て行こうと準備を進めていたリアラの前に、朝一番で、エスティーナとアイゼルが現れた。ただでさえ、足止めのような格好となっていたのに、今度は早退してきたレイヴィンが更に難題をふっかけてきたのだ。
世の人々が名誉と感じることが、リアラにとっては苦痛でしかないのだ。いい加減これ以上、一般国民を巻き込むような真似はやめて欲しかった。
「何をそんなに悪く取っているのかしら? せっかくパーティに招待されたんじゃない? わたくしは、ふられたって設定になっているから行くことは出来ないけど、陛下と妃殿下は気さくな御方よ。挨拶してくればいいじゃないの。結婚の足掛かりにもなるわ」
「もう……ね。何にどうつっこめば良いのか分からない感じです」
「クオーツ王国は、パルヴァ―ナと違って自由だから、その辺り鷹揚だと思うのだけど?」
「…………はあ」
涼しげな顔で、エスティーナが言ってくれる。客間のソファーにしなだれかかっている姿がまた心底他人事のようで、リアラは怒鳴り返したいのを堪えるのに必死だった。
「しかし、姫様。リアラさんはそういった華やかな場に出たことがないようです。パーティともなると、ダンスが踊れないと辛いと思いますが?」
「あら、それもそうね。さすがアイゼルだわ。庶民の気持ちが分かるのね」
エスティーナが後ろに佇んでいるアイゼルを振り返り、にっこりと微笑みかける。見つめ合う主従に、リアラは心の底で、「いいから、とっとと帰れ」と繰り返し呪文を唱えていた。
多分、この場にいる誰もリアラの気持ちなど分かっていないだろう。
「ともかくだ」
ごほんと大きく咳払いしたレイヴィンはいつの間にかリアラの隣に座り、至近距離でこちらを睨んでいた。
「これは正式な招待だ。君に拒否権はない。拒否することは、つまりサンドラの名誉を傷つけることに繋がる」
「…………そんな馬鹿な。それって脅しじゃないですか?」
「脅されるだけマシだと思うことだ。通常、このような場に一般国民が顔を出すことなんて出来ないのだぞ。名誉だと感激するんだな。こんな機会、君の一生に一度しかないかもしれないのだから」
「一生に一度のパーティ……ですか」
だったら、作家の出版パーティに参加できた方が幸せだ。本の話なら一日中できるのに。
「まあ、せっかくのパーティだし、リアラ。わたくしが貴方の面倒を見てあげるわ。レイヴィンが貴方を巻き込んでしまったお詫びも兼ねてね」
「それは、違うだろう」
レイヴィンが目を吊り上げて、鋭くつっこむ。
「君の場合は、リアラの家を灰塗れにして、私と彼女をこの屋敷の脱衣所に閉じ込めたお詫びだろう?」
「…………はっ?」
今度は、エスティーナが険しい顔をする番だった。
「わたくし、そんな面倒なことしてないわよ。アイゼル、貴方がしたの?」
「とんでもない。リアラさんの家から煙が上がっている所を目撃はしましたが、僕はそんな回りくどいことしません。それに、あの時出入りしていたのは王宮の衛兵だけでしたよ」
「何だと?」
レイヴィンは後ろに控えているイファンを振り仰いだ。
「イファン。確かあの灰は、人体に影響のないものだという話だったな? 事故か?」
「さあ、どうでしょう。成分的には、小さな虫の駆除等に散布される煙だそうですが。もしかして、リアラさんの持ち物ではないですよね?」
「まさか……。私はそんな謎の煙、持ってなんていませんよ」
リアラが静かに訴えると、レイヴィンは口元に笑みを湛えつつ、神妙な表情を作った。
「犯人が分からないか。益々帰宅は困難になったようだな。リアラ」
「……いや、もう……十分です。私はむしろ一人の方が大丈夫な気がします」
「そうはいかない。一応、犯人の目星くらいはつけておく必要がある」
「…………いや、だけど、もうどうでもいいような気が」
どちらにしても、命は取られなかったし、今後レイヴィンと会わなくなれば、身辺の異常は落ち着くはずだ。リアラにはそれが分かっている。
頼むから、全員まとめて私に関わるなと、本音で言ってみたいが、それは危険なことだと辛うじて理性がリアラに歯止めをかけていた。
とりあえず、鉄壁の笑みを浮かべて、感情を制御するのに躍起になるしかなかった。
「レイヴィン。リアラが貴方の恋人だということは、国民には伏せているのでしょう? あくまで身内と報道関連しか知られていないのなら、今回のパーティの参加者に犯人がいるかもしれないわ。見極めるのに丁度いいじゃない?」
「……いやいや、良くないでしょう」
かえって、こんな痛い女が王子の恋人だと疑われてしまうではないか。馬鹿なことをさせるなと声を大にして叫びたい。しかし、リアラを置いて、話はどんどん進んでしまった。
「パーティ作法は、俄仕込みでどうにかなりますが、ダンスの方は難しいかもしれませんよ」
真面目にアイゼルがレイヴィンに告げる。
「まあ、踊らなくて済むように、私が何とかしよう。リアラはいるだけでいい。
頼んだぞ」
何が頼んだ……だ。この人が王子でなければ脅迫罪で訴えてやるところだ。絶対に。
「……まあ、それはその、ありがとうございます」
しかし、リアラは力なき最下層の庶民だ。むしろ、気の抜けた声で礼を言うしかない。
「ふふふ。なんて、愉快なのかしら。……いるだけでいいなんて。貴方が女性にそんなことを言うなんてね。大方、サンドラの招待を断れなかったなんて嘘でしょ。そんなに、ここに彼女がいる理由を作りたかったの。馬鹿な人ね?」
「エスティーナ!」
レイヴィンがソファーから腰を浮かして怒鳴った。
「…………何ですって?」
リアラは、一瞬本気で白目を剥いた。
(私をここに置きたい……? これ以上、私に何をやらせる気なのよ?)
レイヴィンが慌てて、言葉を紡いだ。
「私のことなんかより、お前たちのことだろう? これから、一体どうするつもりなんだ」
「わたくしはね、自分の気持ちをはっきり伝えたから、もういいのよ。この国に来て良かったわ。きっかけを与えてくれたレイヴィンには本当に感謝しているのよ。パルヴァ―ナでは、気持ちを伝える機会すら得られそうもなかったから」
「ふん。ずいぶん謙虚だな。……だそうだか、お前はそれでいいのか。アイゼル?」
話を振られたアイゼルは、人形のように整った顔を瞬時に赤く染めた。
「いや、その……僕は生まれてからずっと姫様を護るようにと育てられて。……だから、今まで、そんな目で姫様を見たことがなかったので、急すぎて、正直分からないというか」
「じゃあ、今からそんな目で見なさいな。そして迷って悩んで苦しみなさい。わたくしはずっとそうだったんだから」
「は、はい。これからは、そうします」
(なんだかな……)
リアラは、二人を白い目で眺めていた。
紫色の胸元を強調したドレス姿のエスティーナと、燕尾服のアイゼル。
本の世界のお姫様と従者がそのまま、恋愛のおままごとをしているようだ。
レイヴィンもリアラと同じ発想をしたらしい。
「まるで、君の好きなお姫様と従者の恋愛物語のようだな」
淡々と呟いた。リアラは二人に聞こえないような小声でゆったりと返す。
「…………まあ、本の世界では幸せな最後で終わりますけど、大抵、その後が書かれていません。現実は、苦労して離婚の道が圧倒的なんでしょうね」
「君はそれが分かっているのに、本が好きなのか?」
「私の好きな本の世界であれば、幸せは永久に続きますからね。苦難が来ても、二人の力で乗り越えられるように出来ています。結婚後も万全の体制です」
エスティーナとアイゼル。二人が結ばれることはない。エスティーナはそれがずっと分かっていたから、気持ちを本人に告げず、執筆にぶつけていたのだろう。
壁を越えることができないのなら、告白なんかしても意味がない。それでも、彼女はこれで良かったのだと言う。夢の世界でしか生きられないリアラより、はるかに大人なのだ。
「エスティーナ様は現実が分かっているから、ああいった話を書かれていたのでしょうね。少しでも将来の自分の苦痛を抑えるために……」
前を見据えたまま、リアラは淡泊にレイヴィンに言う。が、次の瞬間、いきなりレイヴィンに腕を強く掴まれて、リアラはぎょっとした。
「……何なんですか。一体?」
「ああ、そうだったな。君の場合、掴む前に掴むと宣言しなければならないんだったな」
そんなこと言っただろうか。リアラは覚えてないが、レイヴィンは記憶しているようだ。
「ああ、サンドラから君に招待状を託されたのだ。私が開封するわけにはいかないだろ?」
レイヴィンはおもむろに懐から四角い封筒を手渡してきた。
リアラは真っ白な封筒を凝視する。表には達筆な文字で自分の名前が書かれていて、裏面は差出人のサンドラの正式な長い名前があった。
驚くべきことは、王国の紋章で封蝋されていることで、これは、王女の個人的なお願いではなく、クオーツ王国からの公的な話なのだと、威圧されているような気がして怖かった。
(確かに、これは正式な招待状だわ)
逃げられないと、レイヴィンが言い捨てるのも理解できる。
ペーパーナイフを、イファンに手渡され、ごくりと息を呑んでから、おそるおそる開封する。……と、しかし、そこには可愛らしい白犬のメモ用紙が一枚入っているのみだった。
「あれ?」
…………日にちと時間は、兄様に聞いて下さい。お待ちしています。サンドラ❤
「………………それだけ?」
エスティーナが封筒を取り上げて、中身を覗いてみたが、本当に他に何もなかった。
その場にいた一同、そろって目を丸くする。
「ああ、そうだ。妹は可愛いものが好きなんだ。親しみを込めたんだな。そうに違いない」
慌てて、レイヴィンが庇ったが、リアラにはよくよく分かっていた。
「……これ、宣戦布告……ですよね」
「…………はっ、どうして?」
全員から同時に質問されても、リアラは力なく笑うしかなかった。




