第4章 ⑤
不用意に訪れた長い沈黙の中で、奪われてしまったリアラの視力は徐々に戻ってきた。
おそるおそる目を開ければ、なぎ倒された木と、荒れた花壇。
――そして、正面で白銀の髪の青年が切れ味の良さそうな短剣を無造作に片手に持って、佇んでいた。
黒ずくめの男たちは、彼の後ろで昏倒している。
つまり、このわずかな時間で、彼がすべて倒したということだ。
黒い揃いの格好をした男たちが、選りすぐりの護衛たちだったのなら、この青年は彼らをあっという間に倒したということになる。
(……現実世界で、こんなことってあるのね?)
あってたまるか……と心中で突っ込んではいるが、青年は現にリアラの前にいる。
あれだけ動いたにも関わらず、汚れ一つない灰色の背広を着ていて、高く結いあげた長い髪は一切乱れがない。
つまり、さきほど口から血を流していたのは、彼らの攻撃を受けてのことではなく、落下の衝撃で自ら傷つけてしまっただけのようだ。
「まったく」
レイヴィンの前で、イファンが殺気を漲らせながら、レイピアを構えていた。
「どうして殿下はそうわがままなんです? 早く逃げて下されば、やりようもあったのに」
「逃げたら、決着が遠くなるだろう? アイゼルの目を覚まさせる良い機会だ」
「……王子、この方が暗殺者なのは分かったのですが……、素性は?」
「私の過激な幼馴染みの一人なのだ」
「はあ」
説明になっているような、なっていないような……。
「過激どころじゃないです。ここまでの警備を突破してくるなんて。国際問題ものですよ」
イファンは部下が倒されたことを、悔しく思っているようだった。
レイヴィンは意外なまでに落ち着いていた。
幼馴染みというのは、嘘ではないらしい。
「……まあ、正直これほど、とんでもない術を使うとは、私も思っていなかった。でも、ようやく会えて、ほっとしたよ」
「殿下?」
「少し待っていてくれ。リアラ。……イファン。そのレイピアを私に寄越せ」
リアラをその場にそっと残して、前に出たレイヴィンは、イファンの手から細身のレイピアを横取りした。
「しかし、殿下?」
「大丈夫だ」
にっこり笑って、レイヴィンはアイゼルと呼んだ青年に向き合った。
「アイゼル。お前が感情を向ける相手は、私でも彼女でもないだろう。エスティーナだ」
「そうですね。分かっていますよ。姫様が貴方に会いに来たことは……」
どうやら、彼はエスティーナ側の人間らしい。
エスティーナの名を出した途端、彼は大輪の花が咲いたかのような満面の笑みを浮かべた。
よほど、エスティーナに心酔しているだろうことは、問うまでもなく明らかだった。
「きっと、姫様は意に沿わない結婚をやめたくて、貴方に会いにいらしたのでしょう。それなのに、貴方という人は、姫様を残して、こんな娘を追って……」
「何だ。お前は見ていたんだな。……ずっとか?」
「ええ。見ていましたとも。姫様がここにいらっしゃる前から、ずっと…………。当然、迷いましたよ。イファン殿が仰っていた通り、国際問題も覚悟しなければならないことですから」
「分かっているのなら良かった。むしろ私は安心したぞ。アイゼル」
「馬鹿な! 貴方はすべて分かっていながら、僕にこんなことをさせたのですか? 僕はこうせざるを得なかった。期限も迫っていたし、姫様は貴方を諦めていなかった!」
「だから、私はエスティーナと結婚するつもりはないのだ」
「この期に及んでも、まだ言うのですか……」
アイゼルは囁くように言った。
殺気はないが、武器を持つ手には力がこもっている。
「僕は殺したいほど、貴方に腹を立てて、この国に飛んできました。一体、何が不満なのです? 姫様とこの娘を天秤にかけて、貴方はどうしてしまったのですか? こんな……、何処の誰かも知らない垢抜けない小娘を選ぶなんて」
「…………王子? 私、ちゃんと話しましょうか?」
「待て。リアラ」
「……でも」
このままでは、レイヴィンがエスティーナを振って、リアラに乗り換えたという流れになってしまう。
(……それだけは勘弁して下さい)
リアラは懸命に目で訴えてみたが、しかし、レイヴィンは首を横に振るだけだ。
「……アイゼル。エスティーナがわざわざこの国に来たのは、お前のためなんだぞ」
「…………はっ?」
その言葉には、さすがに彼も驚愕したようだった。
「これはすべて私の策だ。パルヴァ―ナとは、気まずくなってしまったからな。私が単身行ったところで、お前にもエスティーナにも会えないだろうと思っていた。それに、よしんば会えたとしても、あの国の中で、内密な話をお前とは出来なかっただろうから、仕方なかったのだ」
「……会えないようなことをしたのは、貴方じゃないですか?」
「だから、それも策の一つだったのだ。こうでもしないと、私は無理にエスティーナと結婚させられていたかもしれない。私も彼女もそれを望んではいないのだ。話がまとまってしまってからでは遅いだろう? 私に恋人がいるとなれば、お前が逆上して、私の恋人を狙って乗り込んでくるだろうと思っていた。予想は的中して、お前はここに来てくれた。しいて言うのなら、もっと早く来てもらいたかったのだがな」
「一体、何を?」
「……あとは、お前を説得すればいいだけのことなのだ」
「説得? 僕を?」
「そうだ。説得できなければ、脅そうかと思っていた。お前のしていることと同じだがな」
「ふざけるなっ!!」
叫ぶや否や、アイゼルは力任せに武器を上から振り下ろした。
レイヴィンは、平然とレイピアでそれを退ける。
「僕は何をされても、姫様の不利になるようなことは絶対にしない!」
「何度言わせれば分かるんだ? アイゼル。エスティーナは私と結婚する気など子供の頃からなかったのだ。彼女には私に会う前から、想い人がいたんだ」
「そんな話、僕は知りません!」
「まったく、何処まで鈍いのかしら? お前は……」
「……………………えっ?」
それは、突然のことだった。
茫然と佇むアイゼルの背後から、よく響く、麗しい美声がこだました。
アイゼルは間抜けなほど気の抜けた表情で、背後に目をやった。
「久しいわね。アイゼル」
「…………エスティーナ……様?」
「レイヴィンの言うとおり、わたくし、ずっとお前に言いたいことがあって、だから、わざわざ、ここまでお前に会いに来たのよ」
「……言いたいこと?」
そうして、彼と目が合ったのだろう、エスティーナはふわりと表情を和らげた。
「わたくし、ずっと、子供の頃から、貴方のことが好きだったのよ。」
「……………………なっ!?」
アイゼルは大きく目を見開いてから、全身を使って慌てふためき、その場に武器を落としてしまった。




