第4章 ②
「お嬢さんは、臍を曲げてしまったようね」
夕陽に染まった部屋の中で、くすくすと、エスティーナが肩を揺らしているのが垣間見えた。「お嬢さん」とは、どうやらリアラのことらしい。
(そんなに年の変わらない人に、子ども扱いされるとは……)
室内に入ったからだろう、帽子を取ったエスティーナは、先ほどより幾分幼く見えた。新聞情報によれば、彼女は確か、二十歳になったばかりのはずだ。
(あんなに綺麗な人が近くにいて、手も出せない男がいたら、逆に心配になりそうだわ)
そんな美女と丸机を挟んで、相対しているのはレイヴィンである。
革張りの椅子に少しだけ彼のさらさらの金髪が覗いていた。
どうやら、イファンはいないようだ。何処かに出掛けてしまったのだろうか。
リアラの位置からでは、レイヴィンの表情を確認することができず、前に乗り出したい気持ちを何とか抑えた。
二人の間に漂う、独特の雰囲気。
やはり、この場にリアラは不必要な人間なのだと、再認識させられた。レイヴィンの誘いについて行かなかったのは、正解だったのだ。
「まっ、王族と庶民じゃ、立場が違いすぎるものね。気持ちを理解しろというのが押し付けなんだわ。わたくし、もっと彼女とお話ししたかったけど、どうやら無理のようね」
「彼女の話は、いいんだ」
レイヴィンはぴしゃりとはねつける。
怖いとすら感じてしまうのは、彼がとてつもなく不機嫌だからだろう。
「エスティーナ。私が知りたいことは一つ。周囲の反対を押し切ってまで、君は一体この国に何をしに来たんだ?」
「反対……。そうね。されたわねえ。それは凄まじいくらいの剣幕でね」
「私は、君の家族の反対の度合いを聞いているわけではないのだが?」
「あら、少しくらい恨み言を言わせてくれても良いんじゃない? 父も母も、貴方のことカンカンに怒っているわ。将来の結婚相手にと思っていた青年が、あっさりと恋人がいると宣言して、しかも、相手の素性も知れないなんて。遠回しにフラれる方が親としては衝撃も強いものなのでしょう? 貴方の方は、陛下やお妃様には怒られなかったの?」
「私もそれなりに白い目で見られたが、別に君と婚約していたわけでもないし、いいかわした仲でもなかったからな。むしろ、恋人がいる方が快挙だと、家族中の好奇の目にさらされているところだ」
「……想像がつくようだわ」
エスティーナは、意味ありげに腕を組んだ。
「何だかんだで、貴方は愛されてるのよね。……腹立たしいくらいに」
「君がここにいるということは、彼もここにいるんだろう?」
「あいつとはもう会ってないわ。出て行ったの。だから、もう、終わったことなのよ」
呻くように呟いた一言に、リアラはエスティーナの素顔を見たような気がした。
「本当に終わったことなのか?」
「招待状が届いたんでしょう。王子さま?」
「君の結婚相手は、パルヴァ―ナの人間だと聞いたが?」
「父様が何としても、二十歳に結婚をと、焦ったから、適当に決まったみたいよ。公爵家の長男。跡取り息子だから、先方は喜んでいるみたいだけど?」
「私のせいだと言うのか?」
「そうよ」
エスティーナは溜息を落としてから、カップを口元に運んだ。多分、イファンが淹れた茶だろう。
「冷めてしまったわね」
「ここにはメイドがいない。それくらい我慢しろ。大体ここに来たいと言ったのは君だ」
「自業自得を、八つ当たりしないでくださる?」
「八つ当たりではない。私は本当に腹を立てているのだ。私は君のせいで本当の意味での結婚ができないのだからな。おかげで、どんどん女性に臆病になってしまう」
「諦めてわたくしと結婚すれば、一生黙っていてあげても良かったのに……」
「冗談じゃない」
「レイヴィン。貴方が女性にもてないのは、わたくしのせいじゃないわよ。貴方は女心を分かってないのよ。結果的に騙すのは仕方ないにしても、もう少しやり方があったでしょうに?」
「馬鹿な。彼女は変態だ。一般的な女心は持ち合わせていないのだ」
「あら、わたくしは彼女だなんて、一言も言ってないわよ」
エスティーナは声を上げてころころと笑う。レイヴィンはぐっと押し黙ってから捻りだすように言った。
「彼女は、あくまで恋人役だ。変に興味を抱くのはやめろ」
しかし、エスティーナに下手な牽制はきかないようだった。彼女は笑い続けている。
「恋人役……ね。あの子が貴方の恋人役だと最初から聞かされた上で、大人しく引き受るようには思えないのだけど?」
「それは……」
どうやら、エスティーナにはすべてお見通しのようだった。
「さっきね、イファンがわたくしに色々と教えてくれたのよ」
「イファンが?」
「ええ。貴方が席をはずしていた間にね。彼女が身寄りのない孤立無援者で、扱いやすいから、強引に恋人役に抜擢したんですってね。それなら、狙われて怪我したり、最悪死んでしまったところで、何も問題無いわよね。わたくし、貴方のそういう冷徹で計算高いところ、大好きよ。でも、それを彼女に黙っているなんて、本当に酷い男よねえ」
「うるさい」
レイヴィンが語気を強めた。
「それのどこが悪いのだ。大体、彼女が一人者だからというわけで恋人役に選んだわけじゃないぞ。あのような変態痴女だからこそ、丁度良かったのだ。彼女なら普通の女として扱う必要がないからな。それに、彼女の方が私に何も訊いてこないのだ。リアラは、紙以外の人間などどうでも良いと言う。……だったら、もう知らん。放っておけばいいのだ」
(……そのとおりだわ)
……なるほど。それこそが、レイヴィンの本当の声なのか。
彼は、リアラを囮に使っているのだ。
よくは分からないが、二人の会話から推察するに、レイヴィンは、狙われているからリアラを匿っているのではなく、狙って欲しいから手元に置いているらしい。
…………死んでも問題ない。
(そうよね)
ほぼ無職状態で、家族も身寄りもいないリアラが世界から消えたとしても、気づく人間なんて誰もいない。
(良かった)
……彼は正常だった。
愛を告白されるより、リアラは罵倒されるほうが慣れているし、利用される方が納得できる。彼は、間違ったことを口にしてはいない。
――むしろ、次のエスティーナの言葉の方こそ理解できなかった。
「あら、どうして? そうやって蔑む割には、辛そうな顔をするのね。 もしかして、わたくしに慰めて欲しいの? ふられた者同士仲良くしようって?」
「だから、私は、彼女にはふられてないぞ。ふられるも何も……」
「誤魔化すのはやめてちょうだい。可愛い、レイヴィン。貴方は嘘が下手なのに、策を弄するからいけないのよ」
うっとりとするような眼差しを向けたまま、エスティーナは立ち上がり、レイヴィンの座っている椅子の背に腰を落とした。
(うわっ。ちょっと……、どうしよう)
――凄いことになってきてしまった。
リアラは、ごくりと息をのんだ。
離れた方が良いのか? このまま目撃していて良いのか?
こんな場面、リアラは妄想の中でしか作り上げたことがない。
エスティーナの白いドレスは、体の線がはっきり出る流行のもので、彼女の豊満な胸と引き締まった腰がリアラの目から見ても扇情的に映った。
彼女は、おもむろに、レイヴィンの金髪をさわさわと撫でる。そして、その手が顔に下っていくのを、リアラは何とも言えない気持ちで見守っていた。
あの髪を触ってみたい……と、リアラも思ったのだった。
さっき、鼻先に髪が触れた時も、ずっと……。
どくんと、心臓が跳ねる。
いちゃつくところを見ている方が楽しいだろうと思っていた。
自分には、誰かに甘えることなんて、出来そうもないから……。
(……でも。何でだろう?)
何で、こんなに空虚な思いが広がるのだろう?
リアラが耐えられなくなったところで、レイヴィンがエスティーナの手をしっかりと押さえこみ、怒鳴った。
「いい加減にしろ! 遊びが過ぎるぞ。エスティーナ」
(そこで、堪えるのね。……王子)
リアラは彼の理性の強さに、逆に驚いてしまった。自分が男だったら、絶対に無理だ。
(据え膳を食べないのは、男の恥なのよ……)
しみじみと感じ入っていると、エスティーナが緩慢な動作で、レイヴィンから離れた。
「……そうね。おふざけが過ぎたみたいね」
エスティーナの瞳の中に、レイヴィンはもういない。
違うところに向けられている……と感じたら、じっとこちらを見ていた。
「……あっ……?」
すぐさま、リアラは、自分の後ろを確認してみたが、誰もいない。
――ばれていたのだ。とっくの前に。
「何かご用かしら? リアラさん?」
「……あの、これは……ですね」
狼狽しながら言葉を探そうとしていたら、レイヴィンがリアラよりも慌てて席を立った。
「リアラ、どうして君がここにいるんだ?」
「だから、急に覗きたくなったんでしょう。ねえ?」
エスティーナが、にやにやしている。
「さては最初から気づいていたな。エスティーナ」
レイヴィンは憤怒の形相を隠そうとしなかった。
リアラの存在に気づいていて、レイヴィンを誘惑していたのなら、彼女は恋敵役をまっとうしようとしたということだ。悪気があったわけでもない。
これに便乗しない手はないと、リアラは何度もうなずいた。
「あ、そうなんです。そのとおりで。……私、覗くのが趣味で」
「趣味だったのか!?」
――まあ、事実、覗いていたのだから、仕方ない。
そこで、初めて、レイヴィンとリアラの目が合った。
彼がリアラに寄せていた視線には、諦めと侮蔑の色だった。
(私、怒らせてしまったわよね……)
レイヴィンに誘われても、エスティーナと会うことを拒否していたリアラが二人の逢瀬を覗き見していたのだから……。
あれだけ現実には興味がないと明言していたのにも関わらず……だ。
もう、救いようのない変態だと思われているに違いない。
部屋の中に入り込む夕陽の逆光が、後光のように、レイヴィンとエスティーナを包み込んでいる。二人の神々しさに、リアラは距離を感じるばかりだった。
(元々、あの場所は、私がいるところじゃないのよ)
リアラがいるべき所は、書店の奥に設けられた少女恋愛系の本棚の前だ。
「あっ!」
(いけないっ!)
そこで初めてリアラは、日暮れが近いことを知った。
このままでは、書店が閉まってしまうではないか。
「そうでした! 私、ちょっと出てきますから。どうぞお二人は、このまま存分に続きを楽しんでくださいね」
リアラはそそくさと、玄関に向かって走り出した。
「リアラ! 待て! おいっ!!」
驚愕に満ちたレイヴィンの声は、聞こえないふりをして、リアラは全速力で走り出した。




