第4章 ①
「……エスティーナとは子供の頃の付き合いだ。私は子供の頃、体が弱くてな、療養も兼ねて、アスミエル島に滞在することが多かったのだ。パルヴァ―ナとは、目と鼻の先だから、年の近い遊び友達として、彼女や彼女の兄弟、従者などが引き合わされた」
「へえ」
「子供の頃から彼女の腹黒さをよく知っている。あんな女と結婚なんて絶対的に無理だ」
「……いやいや、王子。「幼馴染み」ネタはですね。妄想界にとっては、最強のカードなのですよ。何人たりとも太刀打ちできない美味しい立ち位置なのです。触っておしまいなさい。そうすれば、こんなに良い人はいなかったと、我に返ったりすることもできますから」
「リアラ、君は、私を一体何だと思っているのだ。それじゃあ、私は本能赴くままの獣と変わらないだろう?」
持っていた本をレイヴィンにひったくられて、リアラはさすがに我に返った。
「………あ、すいません。少々調子に乗ってしまいました。昨夜のことはさておき、王子は素晴らしい御方です」
「とってつけた賞賛などいらん。それに、君の調子の乗り方は、少々どころではないぞ」
本を読みながら、適当に相槌を打っていたのがいけなかったのだろう。
つい上目線からの発言となってしまった。自省しつつ、リアラは言い訳を重ねた。
「いや、余りにもエスティーナ様と王子が絵になっていたので、いいなと、思いましてね」
「何がいいな……だ? 盗み見までしようとして、この変態がっ」
「そりゃあ、見たくもなるでしょう。私は人がいちゃつくところを見ている方が絶対に好きですから。まあ、美しい人たちに限りますが」
「…………君は心の底から、変態なんだな」
しみじみと呟かれて、リアラは困惑した。またまずいことを喋ってしまったのか……。
しかし、このくらいの失言は許してもらいたかった。
(王子が求めていたのは、執筆の協力者じゃない。最初から「恋人役」だったんじゃないの)
執筆のことを、エスティーナに話そうとしたリアラを、レイヴィンは制した。
エスティーナに聞かれたくなかったのだろう。
あくまで、リアラのことを恋人役にしておきたいようだった。しかし、そうすると益々謎だ。
どう考えても、リアラのような何も持たない変態を、いくら王子がエスティーナとの破談を急いでいたとしても「恋人役」なんて大役に据えるのはおかしいのだ。
「ともかく、早くお姫様のところに行った方が良いのではないですか? イファンさん一人じゃ大変でしょう?」
とりあえず、イファンが一時的に応接間に案内したようだが、彼一人で場を持たせるのはしんどいはずだ。
「……どうして? リアラ、君も一緒に来ないのだ?」
「どうしてって?」
リアラは、自分用にあてがわれた二階の個室で寛ぐ気満々だった。
調度品の一つもなかった広いだけの部屋には、すでにリアラの私物の本が積み重ねられていて、眠る場所くらいしか、確保できなくなりつつある。
ここに入ったら最後、外に出るのが億劫になって、動きたくなくなるのだ。
「……そもそも、私は部外者ですよ」
「しかし、彼女は君の家をどうにかしたり、ここの明かりを落として、君と私を脱衣所に閉じ込めた犯人の可能性だってあるのだぞ?」
「それについての確かな証拠は、あるのですか?」
「彼女がこの国に来ていたのなら、彼女以外の犯人なんて、私には想像がつかない」
断言されて、リアラはうつむいた。
決めつけるのは、まだ早いのではないか?
もっとも、分かったところで、誰かに怪我があったわけでもない。灰をまかれただの、閉じ込められただの、幼稚すぎて事件にもならないだろう。本に被害が出たのは、許せないことだが、リアラには怒りをぶつけるほどの体力もなかった。むしろ、これ以上身辺調査をされ、ようやく落着した過去のことを蒸し返される方が迷惑な話なのだ。
「…………それは、もう、どうでもいいですよ」
「何だって?」
「本は灰を払って綺麗に拭いて、元通りになりましたし、結果的には、私はここに置いてもらえて良かったと思います。だから、もう良いんです。それに、もしも、エスティーナ様が本当に犯人だったら、そこまで王子に気持ちがあるということでしょう。……ならば、王子は、彼女としっかり向かい合った方が良いと思います」
「ちょっと待て。君は私の恋人役だ。彼女は君に会いに来たのだぞ」
尚も、しつこいレイヴィンに、リアラは白い目を向けた。
「残念ながら、私はそんな話は聞いていませんでしたからね。王子の恋人役だなんて、分不相応な、おままごとをするより、ここで待機していた方がはるかに良いと思うのです」
何より、この格好だ。頭は例によって乱れているし、寝間着のような黒のワンピース姿を着替える気力すらない。頑張っても嗤われるだけではないか。
リアラはよろよろと、レイヴィンの手の中から本を取り戻そうと手を伸ばす。
……が、途端に、その腕を逆に引っ張られて、寝台に仰向けに倒された。
「……っと! 何をするんですか?」
「…………冗談だ。許してくれ」
「冗談……。これが?」
昨夜に引き続き、寝技に持ち込もうするのが彼の趣味らしい。
ずいぶん活発な冗談だ。とてもじゃないが、笑えない。
そして、レイヴィンの目も笑っていない。
(…………本当に、これ冗談?)
乱雑に積み重ねられていた本が、ばらばらと床に散らばる。
リアラは、信じられない体勢に、少しだけ身じろぎするのがやっとだった。
やはり男性の力は強い。抵抗しても無駄なことは、この時点で分かり切っていた。
「……あの、王子?」
レイヴィンは応えない。体重を加減しながら、リアラの上に、のしかかっている。
食い入るように、至近距離から覗き込まれていた。
彼の金髪がふわりとリアラの鼻先に触れて、戸惑いから、格段に彼が怖くなった。
唇が触れそうなほどに近い。蠱惑的なほど綺麗な分、直視したら、自分の何か大切なものを失いそうで、リアラは必死に、目をそらしながら言葉を紡ぐしかなかった。
「…………ど、どうしたんです。王子? 寝不足が極まりましたか?」
先日、壁にどんと追い詰められた時の恐ろしさと驚きに近い。けれども、今回は得体の知れない感情も追加されている。レイヴィンが真剣な目をしているせいだ。
吐息が間近に感じられて、くらくらしてしまう。
「……王子と君に呼ばれるのも不愉快だ」
「それは、申し訳ありませ……」
「イファンやエスティーナは名前で呼ぶのに、君は私の名前さえちゃんと呼んではくれないのだな」
王子は王子だろう……とは、さすがに、この状況では言い返せなかった。
「……レイヴィン様とお呼びすれば、宜しいのでしょうか?」
「呼び捨てがいい」
「そんなことできるはずがないでしょう」
イファンですら「さん」付けなのだ。呼び捨てにしているところを誰かに見られたら、リアラの身は破滅する。絶対だ。
「……だろうな。分かってはいるんだ」
レイヴィンはしばらくリアラの反応をうかがってから、そっと手を放した。
混乱のあまり、とうとう目をつむってしまったリアラも、ようやく薄目を開けることができた。レイヴィンは、もう起き上がって、背中を見せている。
「………………もう、いい」
「はっ?」
「冗談だと言っただろう? ちゃんと試したくなっただけだ。君の書いた走り書きにあったはずだ。所構わず床に押し倒すっていう奴がな」
「……ああ、ありましたっけ……ね」
しかし、それは応用編だ。両想いに近い男女でなければ、成立しない。
下手をしたら、ただの暴漢だろう。
(でも、私、………………嫌だったのかしら?)
レイヴィンに押し倒されて、何を感じたのか……。
…………怖い、びっくりした。それ以外の感情があったはずだ。
だけど、もう思い出せない。いや、理性が思い出させないようにしているのか……。
レイヴィンは一歩二歩と、リアラの前から離れて行く。
「……ありがとう。少しは閃いたような気がする」
「………………それは、まあ、良かった」
「今はまだ確認中だが、近いうちに君は晴れて自由の身になると思う。君に求めていたのは、恋人役だったんだ。執筆協力はそのついでだったのだから……もういらない」
「そうですか」
――やっぱり。
予想通りの回答に、リアラは驚きもしなかったが、でも、心が締め付けられるのを感じていた。
(何で、私……、こんな?)
「良かったな。私から解放されたら、君は紙の世界に没頭できる。これで、満足だろう?」
レイヴィンは柔らかく微笑している。けれど、その台詞が嫌味っぽく聞こえたのは、リアラのうぬぼれのせいか……。
「…………一体、何?」
嵐のように、レイヴィンが去った部屋の中で、リアラはゆるゆると体を起こした。
(……何だか、本当に分からなくなってきちゃったわ)
更に乱れてしまった髪を、リアラは照れ隠しに撫でつける。
とにかく、自分の気持ちが一番分からなかった。いつも変なのは自覚しているが、今回に限っては、更におかしいの領域を越えている。
(そうよね……。王子が苛々するのも無理ないわ)
リアラは「現実」が大嫌いだが、非常識な人間でもなければ、鉄の意思で自分の主張を実行できるような強い性格でもない。
エスティーナが自分に会いに来たと聞いて、頑なに会いたくないと主張する自分はやっぱり変だ。普段のリアラなら、嫌々ながらでもエスティーナに会いに行くのではないか?
「……私、どうして?」
困惑している。一体、何に戸惑っているのだろうか?
レイヴィンは、近いうちにリアラは自由になると言った。つまり、近々帰宅が叶うということだ。つい今しがた、帰りたいと熱望していたばかりだったのに……。
なぜか、ぽっかり胸に穴が開いてしまった気持ちになるのは、きっと、この私邸での贅沢な生活に慣れてしまったせいだ。
家に帰ればまた独りの日々が帰ってくるから……。
(もしかして、寂しいの? 私……)
そんなことはないと、リアラはわざとらしく、独り言を張り上げる。
「明日かしら、明後日かしら……ね。家に帰れるのは?」
帰宅するまでの数日のうちに、レイヴィンとちゃんと向かい合えるだろうか。
(本の発売日は駄目だから、それ以外で……)
指を折り曲げ、リアラは日にちを数えながら、しかし、唐突に思い出した。
「あっ、そうだった!」
そうして、リアラは発作的に立ち上がった。
(……すっかり、忘れていたわ)
今日は、新刊本の発売日だ。
昨晩から色々あって、リアラはきれいに失念していた。
今までのリアラには、あり得ない失敗である。
(早くしないと、書店が閉まってしまうわ。急がなきゃ)
本のこととなると、リアラは迷いがない。
財布が入ったポーチを持って、軽やかに廊下に出た。
(これは、その、二人を盗み見しようとか、そういう意図ではないのだから、大丈夫よね)
なぜか自分に言い聞かせながら、リアラは階段を下りていく。
玄関を出る前に、居間のすぐ傍を通ることは分かっている。
……気まずいが、それは仕方ないことだ。足音を立てずに、ゆっくり床を歩いていると、弾けるような笑声が聞こえてきて、転びそうになった。
「………………っ?」
――気になる。
リアラに嫉妬させるために出現したお姫様の手には乗るまいと、距離を置こうとしているのに、自然と足は応接間に向かってしまう。
ガラスの扉は、リアラを誘うように少しだけ開いていた。




