第3章 ⑥
「申し訳ありません。私、貴族の挨拶の仕方とかよく知らなくて」
「いいのよ。わたくしは、貴方の恋敵なんだから」
「……はっ?」
何やら彼女は「恋敵」という単語を、繰り返し使用したいらしい。
「でも、エスティーナ様はそろそろ結婚されるんじゃ……?」
「なぜ、君がそれを?」
それには、レイヴィンが口を挟んできた。
――いけない。あの情報は国民には非公開のものだったか。リアラは深々と頭を下げた。
「すいません。王子の机の上で見てしまって」
「……よく、あんな少しの間で、そこまで見ていたな。すごい観察眼だ」
まさか、誉められるとは思っていなかったが、
リアラはとりあえず、もう一回、謝った。
「申し訳ありません」
「いいのよ」
エスティーナは口元に手を当て、くすくすと笑った。
「そうなの。わたくし、近いうちに結婚するのよ。だから、ほら、結婚前の女は気持ちが揺れ動くものでね、久々に幼馴染みに会いに来たのよ。ね? レイヴィン」
そして、意味ありげにレイヴィンに視線を這わせる。
「気持ち悪い目で、私を見るな」
レイヴィンは三白眼になっていたが、これは、もしやの「照れ」というものではないか?
「まさか、彼女がここに現れるとは、私も思ってもいなかったのだ」
「……はあ、そうですか」
「その……、今日執務室に、いきなり現れて、噂の恋人を出せと迫られてしまって。私は抵抗したのだが、結局、君の存在を明かすことになってしまった」
「まあ、それはどうでもいいのですが」
「……だろうな。そう言うだろうと、私にも分かっていたけどな……」
一層、肩を落としたレイヴィンは、哀愁漂う苦笑を浮かべていた。
「でも、私は王子の恋人ではないのですよ。エスティーナ様」
リアラは勝手に恋人役にされていたのだ。幼馴染みと宣言している彼女に嘘をついても仕方ないと、リアラはあえて明かしたのだが……。
「知っているわよ。そんなこと」
エスティーナは平然としていた。
「えっ?」
「分かっているわ。歳ばかり重ねている割に、粗忽で幼稚で大人げないレイヴィンに、記者に公言するような恋人なんてできるはずないじゃない。絶対に、犠牲になっている子がいるんだろうって訊いたら、ようやく貴方のことを教えてくれたのよ。……で、貴方たち「恋愛ごっこ」しているんですってね?」
「恋愛ごっこ?」
リアラは眉をひそめた。レイヴィンは、一体、この人にどんな説明をしたのだろうか?
先ほどから目を合わせようとしない、レイヴィンを一瞥してから、リアラは小さく溜息を吐いた。
「ごっこ……とも違うような気がしますが? 私は、王子の執筆の協力を……」
「待てっ!」
「はっ?」
唐突に止められて、リアラは小首を傾げた。……一体、何なんだ?
(知られたくないことがあるのなら、連れて来なければいいのに……)
しかし、明らかに不自然なやりとりをしているのに、エスティーナは、どこまでも楽しそうに微笑むばかりだった。
「面白いわよねえ。恋愛ごっこ。だから、わたくしも恋敵役として登場してみることにしたんだけど? お邪魔だったかしら?」
「……恋敵は、元来お邪魔な立ち位置ですよ? エスティーナ様には似合いません。なんなら、私の方がよっぽど上手くできると思います」
「貴方が?」
「恋敵は、通常、当てつけ的な役どころですから、私の方が合っていると思うのです」
素直に言い返すと、エスティーナは軽くリアラの肩を叩いた。
「すごく面白いわね。貴方」
「えっ? そうでしょうか。一応、ありがとうございます」
リアラは、すぐさま愛想笑いの仮面を装着していた。
綺麗な人は、遠目で眺めているから良いのであって、近くで会話をするものではない。
緊張で凍り付いてしまいそうなのを必死に堪えていた。
「すまないな。リアラ。我が国の王室とパルヴァ―ナの王室の間は、少しごたついていてな。だから、ここに彼女が来るとは思ってもいなかった。しかし、来てしまったのなら、むげにも出来ない。面倒なことになるからな」
リアラの壊れた人形のような顔に、レイヴィンも察するものがあったのだろう。
しかし、変だ。
(この人、一体どうしちゃったんだろう?)
いつものレイヴィンは、もっと不遜な人だったはずだ。
リアラに、ここまで言い訳めいた言葉を重ねるような性格ではなかったような気がする。
「フフフ。この人が私をフったから、険悪になってしまったのよ。……って、恋敵からの心揺さぶる言葉なんだけど。どう? リアラさん。心が揺さぶられたかしら?」
「えっ、ああ、そうだったんですか? はい、もちろん、心は揺さぶられましたよ。王子がどうしてそんな勿体ないことをなさったのか、私にはさっぱり分かりません」
「なぜ、そこで私が悪いような言い方になるのだ?」
苦虫を潰したような顔をしているレイヴィンの脇をエスティーナは小突く。
「ねえ? どうして、恋人がいるだなんて嘘をついてまで、わたくしをフったのよ?」
「やっぱり、そのための「恋人役」だったわけですね。……そうですよねえ」
脱力感いっぱいに、うなだれるリアラに視線を落としてから、レイヴィンは激しくエスティーナを睨みつけた。
「何よ?」
「エスティーナ! 君が、今、ここでそんなことを訊ねてくるような、浅はかな女だからだ。分からないのか?」
「あら? しばらく会わないうちに、言うようになったじゃないの?」
エスティーナはわずかに目を見開き、嘲笑を漂わせた。
「あの……」
その間に、割って入るように、イファンが咳払いをした。
「入り口でもめているのも、いかがなものかと思いますよ。皆さま、一度、中にお入りになったら、いかがですか?」
「…………ちなみに、それは私もですか?」
リアラが挙手をして訊ねると、その場にいた全員の氷のような視線が返ってきた。
(……帰りたい)
リアラは切実に心の中で悲鳴をあげていた。




