第3章 ⑤
久々に、リアラは夢を見た。
事故で亡くなった両親のことだった。
冷たくなった二人と対面したリアラは、これは現実ではない、悪い夢なのだと自分に何度も言い聞かせていた。
今回こそは夢だったわけだが、それは紛れもない二年前の現実世界の自分の姿だった。
あの時のことを夢に見たの初めてである。
(うたた寝なんかするから……)
いくらなんでも、無料で住みついたあげく、本ばかり読んで、何もしないのもまずいだろうと、リアラは日課になっていた庭の掃き掃除を始めたのだが、途中で疲れて東屋に座ってしまった。そして、ついつい、うっかり眠ってしまったらしい。
(窮屈な体勢で寝ちゃったから、悪い夢を見たのよ)
――しかし、本当は気づいていた。
レイヴィンと出会ってしまったことで、確実に過去の嫌な記憶が刺激されていることに。
リアラの心の深いところにある傷。それは、両親の死によるところが大きい。
――二人の死因は、水死だった。
波の荒い海に、勝手に船を出して転覆し、暗い海の底に放り出された。
問題はその場所である。二人の亡くなった海は、アスミエル島のすぐ近くの沖合だった。
つまり、レイヴィンの領地内なのだ。
そこに、リアラは因縁めいたものを感じていた。
(何で、今更……? アスミエル島の話が出てくるの?)
最初、彼が島の話を振って来たとき、リアラは心の底から動揺した。だが、それが理由で、彼はリアラを恋人役に選んだわけではないことは昨夜十分に分かった。
二人の出会いは、まったくの偶然だったのだ。
(何だか本当に『謎めいた王子にさらわれて』みたいね……)
あの話の一巻も、不正を疑われ、住み込みで働いていた叔父夫妻から家を追い出された少女がお忍びの王子に気に入られ、拉致されてしまうところから始まった。そして、同居を経て、彼女の無実が明らかになり、王子と結ばれるという……ありきたりな展開だった。
二巻からは、恋敵が出現して、まあ、大変そうだったが、何とかなるだろう。
(……だって、紙の中の世界だから)
必ず、最後は幸せになるとわかっているから、楽しめる。
でも、現実はそういうわけにはいかない。それを、リアラは嫌と言うほど知っている。
……だから。
やっはり、レイヴィンとリアラの距離は近すぎるように思えて仕様がない。
いくら、リアラが現実世界に興味がないとはいえ、彼の存在は圧倒的に大きいのだ。
ーー勘違いは、していないつもりだ。
昨夜、リアラに襲いかかろうとしたのも、見せかけだけで、ただの腹いせだ。ちゃんとわかっている。
だからこそ、一晩中、枕投げをすることもできた。
でも、無駄に心拍数はあげたくない。
現実の王子様は、リアラの心臓に悪いのだ。
こうなったら、レイヴィンにはリアラの知らないところで、とっとと目的を達成してもらって、おかしな思い込みをする前に、リアラは自宅に戻った方がいい。
愛しの本のためにも、少しでも長期で続けることのできる仕事を今度こそ探そう……と、決意を固め、握りこぶしを作る。
――と、その時だった。
慌ただしく、馬車が表に停車したことに、リアラは気が付いた。
(こんなに早く、王子がここに来るなんて?)
寝ていないから、仕事を早退したのだろうか? それとも、具合が悪くなって……。
(昨日のアレで看病ネタに目覚めてしまったのかしら?)
リアラの走り書き妄想メモを持っているのは、レイヴィンだ。
ネタになるだろうと、自分の健康を餌にして、戻ってきたとしても、リアラはさほど驚かない。レイヴィンは、日ごろ、リアラの妄想については、まったく興味がないのに、こと実践に関しては、おそろしく熱心なのだ。特に最近は……。
しかし、リアラはそれが彼の下心だなんて、微塵も疑っていない。
彼が自分に興味があるなんて、天地がひっくり返っても有り得ないと高をくくっていた。
(……帰ってきたことが分かっちゃったわけだし、一応、出迎えに行った方が良いわよね)
庭から遠く距離のある玄関まで、リアラは小走りで移動する。
広大な邸宅の馬車寄せには、おなじみのフロックコートに杖を持ったレイヴィンが腕組みをしていて、傍らのイファンがもう一人、馬車から下りてくる人間の手を取っていた。
「来客……?」
ここは、レイヴィンの私邸だ。リアラ一人を匿うための場所に、人を呼ぶということがあるのだろうか……。
訝しげに、遠目でその光景を眺めていたリアラは、おそるおそるレイヴィンのもとに近づいて行く。――が、すぐさま足を止めた。
イファンの手を借りていた人物がいきなり跳ねて、レイヴィンに抱き着いたからだった。
「…………えっ?」
一体、何ごとだろう?
綺麗に栗色の髪を束ねた大柄の女性が大胆にレイヴィンの首に腕をからませている。
その横顔は、女のリアラが恍惚とするほど、艶めいた色気があった。
「……おおっ」
ある意味、絵になる光景であった。美人が美男と抱き合っているのだ。
レイヴィンは青筋を立てているが、慣れているのだろう。強引に振り払う様子はない。
「素晴らしい」
掠れた声で、リアラは呟く。思わず賞賛の拍手を送ろうとしてしまったら……。
「リ……アラ……!?」
レイヴィンにリアラの存在をばらしてしまった。即座に女性を突き飛ばしたレイヴィンは、こちらが心配になるほど、うろたえていた。
「リ、リアラ。これはだな。その……別になんてことはない。隣国の挨拶のようなもので」
「……はあ?」
なぜ、そんなに彼は情けない表情をしているのか?
(あ、そうか……。これは恋愛の一場面だもんね。人には見られたくないか)
リアラは慌てて、満面の笑みを浮かべた。
「あ、私にはお構いなく、そのままお二人で続けて下さい」
「何がそのままだ!」
「……ああ、分かってます。そりゃあ、駄目ですよね」
言いながら、リアラはゆるゆると後ずさり、二人を観察することが出来るだろう、玄関前の生垣の後ろにしゃがみこんで、一応隠れてみたが……。
「それ、バレバレだからな。リアラ」
瞬く間に、近づいてきたレイヴィンに嘆息された。
「君は、一体何を考えているんだ?」
「美しいものを、さりげなく拝見しようかと……」
「もういい」
レイヴィンはぴしゃりと一蹴したが、しかし、その後ろから、ゆったりとリアラのもとにやって来た女性は優雅に微笑んだままだった。
「あら、とても興味深い考えね」
斜めに純白の帽子をかぶり、真っ赤な口紅が印象的な女性は、耳元のイヤリングをきらりと輝かせて、リアラの位置に合わせて腰を屈めた。
「でも、それじゃあ、わたくしはつまらないわ。せっかく貴方がいたから、恋敵の演出をしたのに、主役不在で演出を続けるなんて、意味がないじゃない?」
「今のは、貴方の演出だったんですか?」
リアラは、ぽかんとしながら立ち上がり、背筋を伸ばした彼女を正面から凝視した。
(この人、まさか……)
すぐに分かった。その女性の特徴と雰囲気は、リアラが噂で耳にしたことのある女性の特徴と合致している。書店に置いてあった新聞の白黒写真でも目にしたことがある顔だ。
「……もしかして、貴方……様は、王女様ではないですか。その……お隣の国の?」
「ええ。そうよ。わたくしがパルヴァ―ナの王女、エスティーナよ。クオーツ国民にも顔が知れているなんて、わたくしもなかなかのものよね」
女性はこちらが拍子抜けするほど、あっさり肯定した。




