第3章 ➀
――レイヴィンとリアラが出会ってから、三カ月近くが経過した。
(王子の狙いって、一体何なんだろう?)
いまだにさっぱり見当がつかない。恋人に見せつけるためでないのなら、リアラがここにいる理由が益々分からなかった。
狙われているかもしれないと、レイヴィンは言っていたが、今までリアラは身の危険を感じたことなど一度もないのだから、その話も怪しいところだった。
事故か悪戯か……。
……なのに、レイヴィンは言うのだ。
『灰の成分は検査中で、当分帰宅できそうにない』……と。
だけど、それもきっと嘘だ。
成分検査など、王家の威光で早々に分かっているはずだ。それをリアラに言わないのは、ここに繋ぎとめておくための方便だろう。
(一体、いつまでこんな生活が続くのかしら?)
この三カ月、レイヴィンがまったく私邸に立ち寄らなかった期間は七日だけだ。それ以外の時間は、こちらが仕事は大丈夫なのかと心配したくなるほど、まめに、顔を出してくる。
(愛人みたいよね。この生活)
なにより、レイヴィンは月日が経つほどに、優しくなっていくのだ。
女性に優しくなっていく男の理由としては、どんな本を読んでも、浮気をしているというのが共通して書かれていることだが……。
最初から何もないレイヴィンとリアラの関係に、浮気もなにもないだろう。
(じゃあ、一体、何なのかしら?)
いい加減にしてもらいたいと、苛立っているくせに、口に出せないのは、弱みを握られていると思い込みたい、リアラの弱さ故なのだろうか?
両親を喪ったリアラにとって、これほどまでに、他人と接点を持った生活は、初めてのことだった。
しかも、それが、何をどう神様が間違えたのか、罰当たりなことに、よりにもよってこの国の第二王子と……だ。
こんな天文学的確率の話を、自慢できる友達も親族もリアラは持ち合わせていない。……が、この暮らしが当たり前だと勝手に勘違いして、高慢になってしまう前に、速やかにリアラの日常を取り戻してしまいたかった。
ここは、現実における異世界なのだと、自分を戒めておかないと、リアラの妄想と現実の境も浸食されそうで怖くなる。
「……………………やっぱり、どこかに不吉と隠された双子王子がいたりして?」
……と、自分愛人説から、一足飛びで王子双子説に変化してしまったリアラだ。
すべて無意識のことだった。
自分でも分からないが、リアラの心の声は、毎度のごとく興奮すると、口から出てしまうらしく、これもまた定番の言葉が返ってきた。
「まったく相変わらず、君は分からんな。どうして、唐突に双子なんだ?」
「ああ、いえ。その……、たとえばですね。不吉な双子が生まれたために、弟王子は兄王子の影武者として育てられるのです。その影武者には国から支給された別邸と、特殊な協力者が……いましてですね」
「…………あのな。私には兄と妹しかいないし、双子は我が国では、不吉でもなんでもないのだが。知らなかったのか?」
「……………で、ですよねえ」
…………夜。
寝台脇の小さなランプだけが、この室内で唯一の光源だった。
ぼんやりと薄明りの下で、レイヴィンの眉が顰められていることを、リアラは今更やっと気が付いた。
(ああ~、またやっちゃったわ)
いつものことではあるが、恐ろしい。
ここは私邸のレイヴィンの部屋だ。
毎日足しげく、私邸に顔を出し、ふとすると、なぜかリアラを王宮に連れて行きたがるレイヴィンだったが、リアラに裸を見られたことがすっかり心の傷になってしまったらしく、私邸で風呂にだけは入らないでいた。
しかし、今日は雨に降られてぐっしょりと濡れてしまった。
仕方なく、入浴したまでは良かったのだが……。
(私の目を気にして、長湯になってしまい、湯あたり起こして倒れてしまった……と)
リアラは思いだし笑いを押し殺して、真面目な声音を作った。
「……ああ、すいません。こちらの話です。不吉な双子王子」
「何だ。君の脳内王子か。王子と言われたから反応してしまったではないか」
「まあ、気にしないでください。いつものことですから」
(起きてたのね。湯あたり名人は……)
レイヴィンが眠ってくれたら、とっとと自室に戻ろうと、妄想で時を稼いでいたリアラだったが、目は覚めているのに、起き上がってこなかったところを見ると、重症なのだろう。さすがにこんな状態のレイヴィンを一人残すわけにはいかなった。
彼は浴室で頭を打ったと言っていたのだ。
「あの、大丈夫ですか? 宜しければ、頭を冷やすものを……」
「いい」
レイヴィンは、あっさりリアラの好意を無視してきた。代わりに、とんでもないことを尋ねてくる。
「……そういえば、君は、今日も出歩いたそうだな?」
「えっ、まあ」
喋ることができるのだから、きっと頭は大丈夫なのだろう。
リアラは、正直に答える。
「……書店に行くのは、私にとって生きがいですから」
「で、今日は、どんな本を買ったのだ?」
「色々ですよ」
「たとえば?」
詮索好きなおばさんみたいな王子に言いたいくない。
……が、やっぱり、彼の問いかけに黙っているわけにはいかなかった。
この国の王子というより、リアラにとっての雇用主としての言葉は大きい。
渋々、リアラは小声で答えた。
「『少女きらきら』という月刊誌です」
「……ふむ」
数瞬の沈黙。
「きらきらしているのか?」
身もふたもないような質問を、レイヴィンは飛ばしてきた。
(馬鹿にしてるのよね?)
リアラはレイヴィンのように、無視することができないのが辛かった。
「ええ。心が若返るようですね」
適当に相槌を打ったが、レイヴィンはいたって真面目だった。
「君は、幾つだったか?」
「十八歳です」
「じゃあ、まだ早いだろう。老いるのは……」
馬鹿にしているのではなく、素直に心配されていたらしい。
「体は八十歳です。心は十歳ですから。ははは」
「真ん中はないのか? 十八歳なら私よりも三歳年下だ。少しは女らしく、きらきらすれば良いだろう?」
何だか、口うるさい王子様だが、多分、レイヴィンはぼさぼさのリアラの髪と、ぼろぼろの私服のことを言っているのだろう。
重いドレスは着替えるのが面倒だと、自宅から持ってきた黒のワンピースばかり着ているし、今、来ている寝間着も年季の入った、よれよれのナイトドレスだ。これらは臭そうだし、危険だ。王子にお見せするような格好でもないし、近所中で悪い評判が立つかもしれない。それは分かる。
…………分かるけど、やっぱり、とんだお節介なのだ。
リアラは、しょせんリアラなのだ。
「王子は本当に、本を書いているのですよね?」
……暫時、微妙な無言状態があってから、レイヴィンは簡潔に「そうだ」と返してきた。
「だったら、分かるはずですよ。紙の中の人のことでときめく気持ちが」
「分かってたまるか」
言下に否定された。
「……君自身に現実の経験がまったくないくせに、私に前衛的で刺激的な話を書けと言うのが、そもそもひどい話ではないか?」
「変態の目を気にして、湯あたりを起こした王子も似たようなものではないのですか?」
「それは……」
「まっ、安心してください。私はいくら美しい鑑賞物であったしても、自分で率先して見に行こうと思うほどの元気もないですから」
「鑑賞物という言い方は、やめてくれ」
「では、立派なものを……」
「もっと嫌だ!」
起き上がろうとして、ふらりと眩暈がしたらしい。レイヴィンは、再び寝台に体を沈めた。
「やっぱり、私、イファンさんを呼んできますよ」
「いい。アイツはアイツで疲れているのだ。休ませてやってくれ」
「でも……」
「湯あたりを起こしたなんて知られて、アイツに嗤われたくない」
それが彼の本音のようだった。
有無をも言わせない気迫に負けて、リアラは渋々レイヴィンの傍らに屈んだ。
この状態で、放置した方がレイヴィンのためかもしれないが、それで彼の身に何かあったら、責任を取るのはリアラの方なのだ。
「まるで、君の書いた走り書きをなぞるようだな。これは何だ。看病ネタに入るのか?」
「さあ、どうでしょう。まあ、壁にドンするよりは、現実味もありそうですが?」
「ああ、あれか……」
先日久々に、レイヴィンに実践検証を勧めてみたのだが、壁に男が手をつき女を囲い込むネタは、怖いだけだということが発覚した。
「あれは、何だったんだろうな?」
「本当、迫力満点で怖いので二度とやらない方が良いと思います」
「そうだな。壁にくくりつけるくらいなら、抱きしめた方が早いような気がするな」
「まるで、狩りにでも行くような口調ですね」
「まあ、ある意味、狩りみたいなもんだろう?」
レイヴィンは微笑したようだった。結果は何にしろ、彼が楽しめたのなら、いいのかもしれない。
「何か創作意欲に火がつくようなことは、ありましたか?」
「どうだろうな。まだ分からない。だけど、君といると、偶然にしては、出来過ぎている展開があると思う。紙の世界以外で、こんなことはあるのか?」
「そうですね。それは私も思いました。それなりに生きていると、こんな偶然もあるんですね。もっとも、今回の壁にどんで『一つ屋根の下』も最終回でしょうが……」
「最終回……な。君は本当に、何かにつけて他人事のようで、複雑だな」
「そんな私なので、現実の友達は、いないんでしょうね」
リアラは笑う。別に自嘲しているわけではない。事実なのだ。
「君は変わっているが、嫌われるような人間ではないと思うけどな」
「……まあ、変態……ですから」
「変態は、君以外にもいるだろう?」
「疲れるのは嫌いです」
「……人付き合いは、疲れるか?」
レイヴィンが目を開いた。薄闇の中で、澄み切った双眸がリアラを凝視している。
「私といるのも、君にとっては苦痛のことか?」
「そんなことは、ないですよ」
とっさに否定してみたが、困ったことに、レイヴィンの洞察力は優れていた。
「とりあえず、金も貰えることだし……と?」
「でも、お金は、大事ですから」
「そうだな。君は変なところで現実的だ。私もようやく、君のそういう感覚が分かってきたのだ。君は自分のことに関して、ひどく淡泊だ。しかし、君のそういう生き方は、刹那的で、……悲しいような気もする」
言いながら、レイヴィンがぼんやりと手を伸ばしてきた。リアラの濡れた髪に気づいたらしい。
今日はレイヴィンがここに来ないと思っていたリアラは、先に風呂を使っていたのだ。
「あ、すいません。先にお風呂使わせて頂いたのですが、でも、ちゃんと私が入ってから綺麗にして、王子には使って頂いたので」
「そんなことはどうでもいい。洗い髪のままだと、風邪をひくぞ」
「大抵、本読んだまま、濡れ髪で寝ちゃってるんで、大丈夫ですよ」
「君って子は、本当に……」
レイヴィンが眉を寄せる。やっぱり、彼は近所の世話好きなおばさんのようだった。
(心配なんて、しなくていいのに……)
リアラなら平気だ。いつもそうやって、十八年間生きてきたのだから。
(王子は、心底私を不憫だと思っているのね……)
疑り深いリアラでも、それは本当のことだと、自信を持って分かった。
たとえ、王子がリアラの両親のことを調べて知っていたとしても、それを逆手にとって、騙すようなことが出来る人ではない。
この人は、基本的に人が好いのだ。
(やっぱり、英邁で高潔な大物は度量も広いのよ。だてに国民の心を掴んでないわ)
「……王子?」
……なのに。
信用したそばから、髪に触れていたレイヴィンの手が、なぜかリアラの頬に下りてきた。
「何しているんですか?」
「いや、ぼうっとしてたら、つい」
「はあ?」
「……君も人間なんだなって思って……」
「一応、血は、赤かったと思いますが?」
「……………こんなに振り回しているのに、君が私に何も訊いてこないのは、どうだっていいと自棄になっているからか?」
湯あたりで、ぼうっとしている割には、的を射た指摘だ。リアラは苦笑した。
正確には、訊くのも面倒だからいったところだが、当たらずとも遠からずといったところだろう。
「…………まあ、そんなところです。とにかく離して下さい。王子の恋人にばれたら、その気がなくとも、変な勘繰りをされるかもしれませんよ?」
「それは大丈夫だ」
「随分、心の広い恋人ですね。でも、もう少し気遣って差し上げないと。女心は変わりやすいと、紙の世界が私に教えてくれています」
「たしか、君も女だったよな。女なのだと自覚をうながされる格好はしているぞ」
それは、風呂あがりで髪を下しているリアラを見ているからだろう。
さすがにこの状態で男には見えないはずだ。
「私は規格外ですからね。それに王子は神に誓って、私には指一本触れないと言っていたじゃないですか?」
あっさり言い返すと、レイヴィンは苛立ったように眉間に皺を寄せた。
「指一本ではなく、いっそ手のひら全体で触ったらいいんじゃないか」
素晴らしい屁理屈だ。絶対に、自分でも何を口走っているのか分かってないのだろう。
(湯あたりって、酔っ払いのようになるものなのかしら? それとも、頭がやられれておかしくなっちゃったってこと?)
「…………まあ、いいですけど。後でその手を洗わないで下さいよね」
「君は本当に、どうして……」
「私は、王子の恋人の話をしています」
「…………恋人は」
「どういう御方なんですか?」
レイヴィンが珍しく、自分の恋人の存在に言及したので、リアラは愉快になった。
紙の世界と同じく、他人の恋愛話ほど面白い話はない。リアラは嬉々として乗り出した。
「期間限定の……仕事の同僚だな」
「おおっ。それで?」
「そうだな。口では形容しがたい相手だ。常識外かもしれん」
「…………何と! まさかの禁断愛ですか?」
レイヴィンの小説は、身分差の禁断愛が多い。現実の相手も禁断の間柄かもしれない。
「…………まあ、ある意味な」
投げやりに答えるレイヴィンに、リアラは、彼の意中の相手を特定しようと頭を働かせていた。
……同じ職場ということは、リアラも何度か会っているかもしれない。
だが、レイヴィンの執務室にも、その周辺にも女性の影はなかった。
(この、不遜な王子が禁断愛に陥る相手……だものね。一体、誰だろう?)
身分差があって、執務室に出入りできる。レイヴィンと近しい人物といえば……。
「…………あっ、そうか!?」
「わっ!? な、何だ?」
リアラは、とことん無防備にレイヴィンに顔を近づけた。レイヴィンは腰を浮かせ逃げの体勢を作っている。
「イファンさんですね? そうでしょう?」
「―――――へっ?」
彼の目が点になっていることを、興奮のあまり、リアラは見逃していた。
「いやあ、知りませんでした。王子の意中の方がこんなに近くにいらしたなんて。本当、すいません。私ったら、配慮が足りなくて。これからは気をつけますから。それにしても、絵になるお二人で、私は国民の一人として深く感動しております。最高です。王子!」
「……なっ、何が感動だ。最高だ?」
感情を抑制した小声に、リアラは本気で動揺した。
(…………あれ? どうして?)
「配慮とはよく言ったものだな。その前に、自分の至らなさに配慮してもらいたいものだな。君の頭の構造は、一体どうなっているんだ? 私がどうしたらイファンに気があるように見えるのだ? 奴は男だぞ」
「それは知っています。女の人には見えませんよ。でも恋愛感情はしばしば性別を超えることがありますからね」
「冗談だろう?」
レイヴィンは歯を食いしばって何かに耐えているようだった。体が小刻みに震えている。無理もない。国民の好感度抜群の王子が護衛の男を好きだとバレたら、周囲に認めてもらうまで大変かもしれない。自分の行く末も不安になるだろう。
「本の中で男同士がどうなろうが、私の知ったことではないが、私をからかっているなら性質が悪いぞ。どこをどう見て、私が奴に気があるように見えるのだ?」
「王子、素直になって下さい。恋はどこからともなく降ってくるものです」
「適当なことを言うな! この妄想痴女が」
そして、レイヴィンは何度も溜息を漏らした。どうやら、呼吸を整えているようだった。
「ああ、もういい。やめだ」
「はっ?」
リアラは小首をかしげた。
「こんなに君に我慢して、我慢して、三カ月も経ってしまった。もういい加減、嘘をつくのも限界だ!」
いつも訳の分からないことを言うのは、リアラの方だった。
……なのに、今夜はレイヴィンが意味不明なことを口走っている。
「あの、王子。何かよく分かりませんが、お気に障ったのなら……」
「……私には、恋人なんていない」
「………………はっ?」
リアラは何度も瞬きをした。
レイヴィンは、まっすぐリアラに視線を向けて、きつく唇をかみしめた。
「…………いないのだ」




