第2章 ④
――翌日、レイヴィンは王宮の執務室の机上で悶絶していた。
もう駄目だ。お嫁にいけない。
女性だったら、出勤拒否をしても良いほどの精神的衝撃だ。
まさか、男の身でそんな事態に直面するとは、いかにも彼女に対してレイヴィンは読みが甘かった。
「殿下。そんなに裸を見られたのが恥ずかしかったのですか。たかが裸じゃないですか?」
あっけらかんと、レイヴィンの傍らでイファンは言い放つ。
そうだ。彼の言う通りだ。
レイヴィンだって、今まで男の裸に大した価値など感じていなかった。
でも、どうやら認識を改める必要がありそうだ。男の裸を好む女がいるということを。
「…………まじまじと見ていたんだぞ。視線が変態だった」
「要するに、痴女……ですか?」
二人で沈黙となった。
「しかし、それで脱げというのもおかしな話では?」
「私にだって、仕返しする権利はある」
「……くっだらない仕返しですね」
イファンは小馬鹿にしたような口調で言ってから、顔つきを変えた。
「貴方の思惑が見事に成功し、相手が餌に食らいついたということでしょう。自分は今も反対ですが、強引に巻き込んでしまった彼女には感謝した方が良いのではないですか?」
「しかし、イファン。今回のことは残念ながら、彼ではないぞ。これは本当のことだ」
レイヴィンは、手元の直情的な脅迫文に目を落とした。
「もしも、今回のことが事件だったとしたら、犯人は彼ではない。あの女なら、あり得ることだがな……」
「どうして、そう言い切れるのです?」
「私は彼のことをよく知っている。こんな稚拙な作戦を仕掛けてくる人間ではないのだ。だが、私の前には絶対に姿を現さない。彼は私に殺意を持っているからな。最悪な展開を恐れているはずだ。穏便に済ませるため、私に脅迫文を送ってきたのなら、私が脅迫に応じないと分かった時、彼が取る行動は一つ。――彼女を襲う。私はそこを捕えるまでだ」
「幼い頃はともかく、人は成長するに従って、性格も変わるものだと思うのですが?」
「……いや。彼は変わらない。ある意味、恐ろしくらいにな。私には分かるのだ」
レイヴィンは断固として譲れなかった。
「それに、彼が遠回しでやったとしても、こんな生温い手は使わない。もっと徹底的にやるだろう。彼は元々……暗殺者の家の出身だ。東方の妖術を使うらしい。私もあの女から聞いただけで、よくは知らないのだが……」
「しかし、殿下の私邸で明かりを消したのは、見事な手だと思いますよ。自分はともかく、衛兵の誰も、人の気配を察知できませんでしたから……」
「扉のこともだろ?」
レイヴィンは語気を強める。
元々脱衣所の扉の立てつけが悪いのは知っていた。だが、今回のは異常だ。誰かが扉に細工をしたとしか考えられなかった。そして、その痕跡はすぐに発見することができた。
昨日のあの時間、レイヴィンとイファンとリアラ以外に誰かがあそこにいたのだ。
そして、リアラとレイヴィンを閉じ込めた。
「そもそも、彼なら彼女だけを狙うはず。私と二人、脱衣所に閉じ込める意図が読めない」
リアラの家を灰塗れにしてみたり、レイヴィンの私邸で明かりを消して、脱衣所に閉じ込めたり……。やっていることがめちゃくちゃだ。
「ともかく、彼女の身の安全が重要だな」
「それは、大丈夫です。私邸の周辺には今までより二倍の衛兵を配置して、万全を期していますから。何か起これば、すぐに殿下に連絡がいくように指示してあります」
「もう少し、それとなく、警備を増やしてみてはどうだ?」
「それでは、囮の意味がないじゃないですか」
「それもそう……だな。まあ、私が頻繁に彼女と会えば良いだけのことだが……」
「…………えっ?」
「何だ?」
「殿下が私邸に、しょっちゅう顔を出すのですか?」
イファンが目を丸くして聞き返す。
「そのつもりだが、問題があるのか? むしろ、私が彼女と仲良くしている方がどこかで密かにこちらの動向をうかがっている彼に対して、威圧ができるだろう?」
「それはそうですけど。しかし……。彼女が天涯孤独の痴女だから、まったく助ける気もないのかと思っていたのですが、殿下は意外にご熱心なご様子で、自分は驚きましたよ」
「私は熱心でもなんでもないぞ。お前の言う通り、嘘をついて強引に巻き込んでしまった責任を果たしているだけだ」
「しかし、普通「変態」女性に積極的に会いに行こうなどと、思いもしないことでしょう?」
「そうなのか?」
「さあ、あくまで、自分の意見ですから」
――自分自身、よく分からない。
別に彼女でなくとも良かった。少しの間、金を払ってレイヴィンの恋人になってもらう。
危険は伴うが、事情を話して従順に協力してくれる女性なら、他に幾らでもいたはずだ。
(私は、浅はかだったのか……)
けれども、彼女との最初の出会いは衝撃が強すぎた。
(夢にまで見たもんなあ……)
レイヴィンは腕組みをして、目をつむる。
―――怪しげな本が大好きで、現実大嫌いで、後ろ向きに、しかし変な意味で前向きに生きている少女。
彼女と出会ってまだ日が浅いものの、たまに彼女がこの世に生きていないのではないかと、感じる時がある。
大概、上の空で、ぼうっとしていて、何か常人には見えない世界と対話しているようだ。
……その腕を強く引いたら、彼女はこちらに振り返るのだろうか?
やってみたいような、しかし、気安くやってはいけないような……、葛藤が生まれるから不思議だった。
確かに、リアラに会わなくて済む方法もある。
でも、彼女に会っていた方が目的を達成しやすい状況が生まれるのではないか?
(いや、でも、それは……後付けの理由か?)
ただ、レイヴィンは自分の意志で、変わり者の彼女に会いに行きたいだけなのだろう。
(……って、あれ?)
ちょっと待て。
それは、少し変だ。
リアラの特殊な生態については興味はあるが、あくまで、それだけだ。
彼女を特別な対象で見ていないはずだった。
(あれは、珍獣だ)
怖いもの見たさとか、観察してみたいとか、動物に対する愛護意識とか、そういう感情に近い。
(でも、それも変態ではないのか?)
観察したいだなんて、まるでリアラが口にしそうなことではないか。
(じゃあ、一体なんなんだ?)
何だか、分からなくなってきた。
(まさか、裸を見られて彼女のような変態趣味が開花したとでも?)
「……なっ」
顔面蒼白になって、立ち上がりかけて、レイヴィンは再び席に座った。
「……兄様」
ひたと自分を見つめる妹のつぶらな瞳に気づいたからだった。
妹のサンドラは今日も愛らしい紅色のデイドレスを優雅に着こなしている。
「ノックしても反応がなかったので、入ってしまいました」
「あっ、いや、構わない」
背後にいるイファンが招いたのだろう。
恐ろしい想像を繰り広げていたレイヴィンは、まったく、そのやりとりには気づいていなかったが……。
「どうしたんだ。サンドラ。お前がここに来るのは珍しいな?」
内気で控え目なサンドラは、社交的で活動範囲の広いレイヴィンの前にはあまり姿を現さない。彼女が一歩前に出たことにより、勘の鋭いイファンは、さりげなく姿を消した。
「三か月後に、誕生パーティがあるから、大広間で練習しているの」
「ああ、なるほど。……お前も、十四歳になるんだな」
王宮は、王族が暮らしている私的な場所の「内宮」と、王族が執務を行っている仕事の場所である「外宮」が存在している。誕生パーティも一応、国を挙げての公の行事に当たるので、外宮の大広間で行うのだろう。丁度、レイヴィンがいる部屋の下の階だ。
危なっかしい足取りで、レイヴィンのそばまでやって来たサンドラは、机の上に置かれた招待状に目をやった。
「パルヴァ―ナのお姫様、婚約するの?」
「さあ……、どうだろう」
パルヴァ―ナとは、共に歴史ある王家として、昔からよしみが深い。
過去を遡ると、親戚関係にもあたる。その縁で、エスティーナも頻繁にクオーツ王国に遊びに来ていた。歳は離れているが、サンドラもエスティーナと面識を持っている。
「おめでたいわね?」
「…………政略結婚だけどな」
レイヴィンは、ぽつりと呟いた。
「どっちみち、あちらの国は、二十歳までに、女王族は結婚していなければならないっていう掟だから、仕方ない気もするが……」
「兄様も……結婚するの?」
純粋な眼差しで、サンドラはレイヴィンの袖を引っ張った。
レイヴィンは妹の金髪を軽く撫でながら、笑う。
「……兄様は、今のところ出来ないんだ」
「どうして?」
「大切な物がなくなってしまったからな。本物が手元にないんだよ」
レイヴィンはサンドラが何も知らないからこそ、核心を口にしていた。
もしも、今の会話を彼女以外の王族が耳にしたら、ばれてしまうだろう。
この秘密をつつがなく守り抜くためにも……。
(どうにかしないといけない……)
元々、策を弄するのは好きではない。いつだって正攻法で生きてきたはずだ。
……なのに、どうしてこんなことになってしまっているのか。
「そういえば、サンドラ。お前、リアラに会ったんだってな?」
にこやかに話しかけると、しかし、すでにサンドラは背を向けて歩き出していた。
気まぐれな妹だ。単純のように見えて、とても気難しい。
レイヴィンは去ってしまった妹から、エスティーナの婚約披露パーティの招待状に視線を移した。婚約披露パーティの出欠席については、レイヴィンもいまだに悩んでいた。
そもそも、このパーティを開催させたくなくて、レイヴィンは奔走しているのだから……。
――期限は、あと三カ月。奇しくも、サンドラのに誕生パーティに近い祝日だ。何としても、間に合わせなければならなかった。




