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大乗仏教思想の根本原理  唯識と中観  試論   大乗仏教考察試論

作者: 舜風人

㊟以下の文章は、あくまでも私の「私的見解」です。学術的に正しいと言いう保証はできません。

  念のため申し添えておきます。





広く仏教と言われる宗教は


その内部構造を、、


経、、、経典「法華経」「華厳経」「浄土教」


律、、、「戒律」



論、、、「中論」「唯識論」



の三部に分ける。

原始仏教においてはもちろん「経典」がすべてであり、

釈迦の教えの伝聞を後世に弟子がまとめた物、、つまりお経ですね。


次に成立したのが律です。これはつまり「戒律」です。

信者集団ができれば当然、戒律が必要ですから戒めが整理されたのです。


最後に,他宗との総論に勝つために、仏教の存立基盤を論証するために


「論」が成立します。


仏教という宗教のこれは、、キリスト教的に言うならば?


まあ、、、「神学」ですね?



この論部についても流派はたくさんあっていちいちすべて網羅しきれるものではないですが


その中の代表的な論説として

竜樹の「中論」と


世親の「唯識論」について軽~く、触れてみたい。


竜樹  ナーガルジュナは実在したかどうか不明の伝説的人物で、

主著「中論」をあらわしたとされる。

中論に説くところとは、「空の論理」であり、


『存在一切は縁起によって生起し、一つとしてそれ自体で存在しうるものはあり得ない。』


という論理である。いかなる存在もそれ自体で絶対の物自体として存立しているのではない。


因果と縁起で定立している。


つまり存在は「無自性」であり、つまり「空」である。

色即是空、、とはこのことである。


竜樹の中論は般若系の空についての論理的究明と言えるだろう。


まあ以上の解説は、あくまでもほんのサワリでしかないが。

これは西洋哲学風に言うと、仏教の存在論哲学、、、、と言えるだろう。


次に世親の唯識論であるが


これは同じく西洋風に言うと、


認識論に当たるだろう。


世界は我々の認識に於いては、ただ表象作用として現出してるだけであるという思想である。


存在認識は、8種類の識によって観想される、


その認識の底辺を成すのが「阿頼耶識」でありこれはいわば無意識界である。


この基底の上部構造が「末那識」であり、


更にいわゆる「五感」が上部構造をなしているわけである。


これで7識、もう一つは

第六感とでもいうべきものがある。


以上8識で人は世界を認識しているが


その認識の先に物自体が、、実在界があるということは証明しえない。


つまり意識界がただ生起し消滅を繰り返すのみで、

実在は、、即、、空である。


識は明滅しては消えていき、その背後は空である。


すなわち、色即是空の真理なのである。



この空の論理と


唯識思想はこののち、

幾つもの分派を生み

枝分かれしてゆくのである。


以上ほんのサワリ、、だけすが


唯識と


中論


について説いてみました。






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